6:50
6:50
目が覚める。
間違ってそのままにしていた網戸を通して、春のまだ肌寒い風が入ってくる。
一時的に上がっていた気温に油断をして半袖で寝てしまったのは完全に失敗だった。
「、、、、ねむい」
4月1日。
今日は入社式がある。
入社して丁度二年が経ち、SEの課長代理兼四班の班長にまで出世した俺に今日待ち受けている仕事は、新入社員の個人面談。
去年と今年で担当するものは変わったと言っても、一年前の案内係の苦痛が蘇ってくるような感じがして、昨日はあまり上手く寝付けなかった。
入社したてと去年に比べて人と関わる事が増えたし会議で発言をする事も増えてきた。
そこで培った会話術があれば個人面談くらい何とかなると思うけど、いざ始まってしまうまで緊張でそわそわしてしまうこの癖は二年くらいでどうにか出来るくらい軽いものでは無い。
〖ゴールデンウィークは帰ってくるの?〗
ベッドからすぐ下りない言い訳に、携帯の通知確認を使う。
一人暮らしを始めてからたまに数日空く以外は毎日のように母親からのLINEの通知を見ている気がする。
初めの頃は知り合いの居ない慣れない土地で一人暮らしをする不安感からか、連絡を有難く思ってすぐ返すようにしていたけど、最近は東京にも慣れ、たまに飲みに行く同僚や上司も出来て、来てすぐ返すのが煩わしく感じるようになってきた。
返す文面も、最初の頃に比べると雑になってきてる気がする。
「、、動かないと」
結局文面を確認だけして既読もつけずに携帯を閉じ、だらだらとSNSや他の通知のチェックをしていたらあっという間に準備しないといけない時間になってしまった。
ベッドから降りる時、洗面所へ向かう時。
春の日差しに似つかわしくない重さが両足に纏わりついていた。
二年という短い期間で今の役職まで出世をして、今後も順調に出世をしていくだろうと会社内でまことしやかに囁かれている俺は、周囲からよく羨望の目を向けられる。
上手く出世街道に乗れていない同期からは直接言われる事もあった。
そんな頑張れば頑張るだけ成果が出る環境で働く事は楽しいし、大変だとは思ってもやりたくないと仕事に対して思った事は今まで一度も無い。
どちらかといえば仕事は好きなほうなんだと思う。
ただ、一年に一回のこの入社式イベントだけはどうしても好きになれなかった。
去年は案内係、今年は個人面談。
きっと来年には直接的に関わる役割からは外れられるんだろうなと思うけど、それが今日の憂鬱を晴らしてくれるかというとまた少し変わってくる。
(髪、、、邪魔だな)
足掻いたところで個人面談を誰かに代わってもらえるわけでもないのに、何かが起こってくれるのを期待してだらだらと洗面所で歯を磨く。
ただぼーっと、同じところをもう何往復させたか分からない。
忙しくて中々切りに行けていない髪が気になって、歯ブラシの軌道どころではなかった。
半年前、井畑さんから提案してもらったプレゼンの話を、俺は話を聞いた次の日に了承した。
そこからいつもの仕事の合間に打ち合わせをして細かいすり合わせをしたりと、大変ではあるけど充実した日々をしばらく過ごしていた。
問題はその後。
井畑さんの手腕で見事通ったプレゼンにより、毎日の仕事の量が明らかに増えた。
自分のゲームをベースにしたものが制作、発売されるという喜びなんて噛み締める間もないくらい、二か月前から今日まで労働時間は変わってないのに仕事量と頭を使う量が格段に増えている。
そのせいで休みの日はだらだらと過ごしてしまう事ばかりになって、最近では日曜日の夜になってやっとコンビニに食料を買いに外出するくらいの引きこもり生活をしてしまっていた。
もうしばらく休みの日に日光を浴びてない気がする。
そんな多忙もひと段落、、、。
というわけにはいかず、忙しい時間の合間を縫って個人面談までする事になり、忌避感を除いた疲労だけで言えば去年の入社式の何倍もある気がする。
出来る事なら、個人面談をする時間も担当しているゲームである〖scrap rat〗、別名廃棄物ねずみのプロジェクトを進めていたい。
いつかは自発でゲームのプロジェクトを進めていきたいと考えていた新入社員の頃の熱い気持ちは、忙殺されてしまいそうな今の自分の心からは溶けて流れ出てしまってる。
中途半端に拘り過ぎてしまって愛着が湧いたせいで誰かに代わりにやってほしいと思う気持ちは出てこないけど。
リリースは今年の末~来年の頭予定。
夏頃には仕上げで、そこからテストプレイや宣伝をして、遅くともリリースの一か月前には商品として出せる状態を作っておく。
それが理想の状態ですね、と井畑さんからは言われた。
実際、色々な事が重なったり看過出来ないバグが出てしまったりでそう上手くはいかないそうだけど。
だからといってどうせ間に合わないだろうと思って進行していくと、本当に間に合わない気がする。
実際スケジュールの組み立てに携わってみると、よく目にするプロジェクトチームの焦燥の理由がよく分かった。
間に合わないだろうと思って進めていってトラブルが起きるんじゃなくて、間に合わせるように作ってるのにトラブルが起こってしまう。まだまだ製作途中の今でもそれが理解出来てしまうくらい、予定表は隙間が無いくらいびっしりと埋まっている。
こうなってくると、本当に今日の個人面談の係になんで任命したんだと怒りたくなってくる。
自分以外にも大変な仕事を抱えてる人は沢山いるし、順番に担当していってるはずだから仕方のない事だとは思うけど。
「行きたくないなあ~~~~、、、」
それでも、家を出る前に扉の前で溜息のようなぼやきをだらだらと伸ばしていくくらいの事は許されるだろう。
気持ちの大きさに反して声の大きさは抑えてあるし、耳を扉に当ててる人が居なければ誰かに聞こえて不安がられる事もない。
、、、、そんな奇行をしてる人がいたら俺が不安になるけど。
忌避感で頭がおかしくなってるのかそんなあり得ない妄想から来る不安が現実味を帯びた気がして、人生で初めてドアスコープで外を確認してから外に出た。
「じゃあ改めて。IT一部四班班長の世那です。宜しくお願いします」
「宜しくお願いします!」
結局逃げられずに迎えた個人面談。
基本的には同じ部署や近しい部署且つ二年目以降という条件が当てはまるこの個人面談で俺は、主にプログラマー志望の新卒社員達を担当する事になっている。
中には高校生の頃から情報系の学校に通っていて、そこから大学卒業までずっとプログラミングを経験していた人もいて、そんな経験値の高い人相手に自分で面談が務まるんだろうかと、資料を確認しながら強く思った。
幸い、今面談をしている
しゃべり方もはきはきしてて、それでいて陽キャのような近寄りがたい感じもなく、コミュニケーション能力が乏しい俺からしても話しやすい雰囲気を持ってくれている。
ゲームで言うところのイージーモードだ。
面談の順番を決めた人がそれを意図していたわけでないと思うけど、抱えてた負担は少し軽くなったような気がする。
「入社動機は、、ゲームクリエイターになりたくてって書いてるけど、開発部じゃなくてプログラマー志望?」
「はい!」
渡された資料。
それを話のきっかけにして試行錯誤しながら会話をしている中で、資料の中に気になるところを見つけた。
書かれていた志望動機は、とあるネットゲームに感銘を受けて、自分でもゲームを作りたいと思って入社した。という事だった。
それならこの会社においては下請けのようなポジションになってるIT課より、開発部やSEのほうがいいと思うけど、、、。
「ゲームクリエイターになりたいと思ったきっかけのフリーゲームがあるんですけど、それを作られた方がこの会社でプログラマーをされてるらしくて、、、」
「誰かに聞いたとか?」
「いえ!ゲームのエンドロールで見ました」
エンドロールで制作陣まで目を通してるあたり、小門君はかなりのゲーオタである事が分かった。
声優の欄まで見る人はそれなりに居ても、流石に制作陣にまで目を通す人は少ない。
「それで、、あの、、、お名前先程世那さんって、、、」
「?はい。世那です」
さっきまであれだけはきはきと話していた小門君が突然もじもじし出した。
話の流れ、表情、伺うような視線。
どれをとっても嫌な予感しかしない。
「〖生存戦争〗作られた世那さんですか、、?」
「あー、、はい。あんなバグだらけの恥ずかしいけど」
「そんな事ないです!僕はあのゲームに人生を変えてもらいました!!自主制作でこんなに面白いゲームが作れるんだって!そこから世那さんのSNSもフォローしてて!!」
「ちょちょちょっと待って。落ち着いて」
「す、すみません、、、」
今にも立ち上がるんじゃないかというくらいの勢いを持った小門君のファン宣言は、緊張が蔓延していた会議室の注目を引くのには十分すぎるインパクトだった。
周りからの視線を痛い程感じる。
少し離れたところから同期の田口の視線も感じる気がするけど無視しよう。
どうせ後で連絡来るだろうし。
「えっと、、、。とりあえずありがとう、、でいいのかな」
「いえいえ!そんな!こちらこそ、、その、、ありがとうございます」
、、、なにこの空気。
一番イージーモードだと思ってた小門君が、まさかの一番ハードモードだったかもしれない。
今まで〖生存戦争〗の事を面白いと言ってくれたり遊んだと言ってくれたりはあったけど、自分のファンだと言ってもらえたのは今日が初めてだった。
俺は初めての事で何が何だか分かってない状態だし、現状を作り出した小門君は小門君で推しを目の前にしたオタクみたいになってる。
アイドルでもなんでもないのにこんな反応されるなんて想像も、、、。
いや、想像というより妄想に近いものなら思春期をこじらせてた時期によくしてたけど。
そんなリアリティーの無い妄想は現実では何の役にも立たない事を、何年越しかの今、急激に理解させられた。
「あとでその、、よかったらなんですけど、、、サイン、、貰えませんか?」
「サイン!?書いた事無いんだけど、、」
「全然あの!直筆でお名前いただけるだけでも、、、!」
「まあそれなら、、」
反応が分からず渋々といった感じになってしまったけど、案外満更でもなかった。
有名人扱いされて、人生が変わったと言ってもらえて、サインを求められて。
普通に過ごしていたらあり得ない状況に、戸惑いつつも隠し切れない嬉しさが湧き出てきた。
、、、変な書類にサインさせられないようにだけ気を付けよう。
「お疲れ~」
「おう!お疲れ様!」
前半組の個人面談を終えた後の小休憩。
食堂の隅にある自販機で飲み物を買っていると、案の定にやけた表情の田口が近付いてきた。
表情だけで、何を話そうとしてるのか分かる。
「俺もサイン貰えますか?世那先生」
「絶対嫌。表情むかつく」
予想通りの反応をしてしまったのか、田口の口角はより吊り上げられて、まるで悪役のようなにやつき加減になっていた。
「お疲れ様~。なんかあったの??」
田口のいじりが加速する前に、一足遅れて面談が終わった新山が合流した。
何も知らなそうな表情の新山は、多分別の会議室で面談していたんだろう。
あれだけの大きい声、同じ部屋にいたら確実に聞こえてるはずだし。
「聞いてくれよ静香~」
「会社で下の名前で呼ばないでって言ったよね?」
「悪い悪い!そんな事よりさ~」
いつだったか。
相手が間違ってるとしか思えない恋愛相談を俺にした後、数か月してから二人は付き合い始めた。
真っ先に報告をしてくれたし、それからも三人で飲みに行ったりもしてたから今更特に仲良さげな二人に何も想うところは無いけど、会社でこうして三人で話すのは多分去年の入社式の時以来だから、改めて同期二人が付き合ってるというのをよりリアルに感じられて変な感じがする。
田口に先を越されたとか疎外感があるとかそういうのではないけどなんだろう、、、。
関係性の変わってない自分は関わり方を何も変えなくていいはずなのに、何かを変えたほうがいいんじゃないかと思わされてしまう。
変に変えても今までの距離感が崩れてしまいそうで結局何も出来てないけど。
「結局何があったの?」
「世那の個人面談の相手が〖生存戦争〗のファンでさ」
「〖生存戦争〗って世那が作ったやつだよね?」
「そうそう。個人面談っていうかサイン会みたいになってて(笑)」
一旦収まりかけてた田口のにやけがまた加速し始めた。
嫌だとか恥ずかしいの気持ちより、口角ってそんなところまで上がるんだなあという驚きの気持ちのほうが大きい。
性別は違うけど、まるで口裂け女みたいだった。
笑みの中に狂気を感じる。
「あー、、。この前エンドクレジットに世那の名前乗ったし、それで気付かれたとか?」
「そうらしいね。まさかそんなところまで見てる人いると思ってなかったけど」
「見る人は見るよ」
「新山はあんまり驚かないね」
「私もあのゲーム好きだし。というか、この会社に結構〖生存戦争〗のファンいるよ?」
「二年前の話じゃなくて?」
「うん。今も」
「えぇ、、」
確かに井畑さんから〖生存戦争〗をベースにしてゲームを作ると聞いた時、何かおかしいとは思った。
もしかしたら井畑さんが熱狂的なファンで居てくれて、それで計画を進めてくれたのかなとも思ったけど、井畑さんからは熱狂的なファンのような熱量じゃなく、あくまで仕事としての熱量しか感じなかった。
それなのに、計画段階からプレゼン制作、発表に至るまで、まるで最初からプレゼンが通る事が決まってる出来レースみたいにスムーズに事が進んでて、あんまり考えないようにしてたけどずっと違和感はあった。
(違和感は正しかったんだ、、、)
社内に隠れファンがいるなら、製品化しようとする勢力は少なからずいるという事。
それなら、色んな部署の人が関わる新作開発においてここまでスムーズに話が進んでもおかしくない。
普通、人気シリーズものでもない新作の開発にはどこかしらの部署から文句が出るから。デザイナーなのかプログラマーなのか。
等しくゲーマーしかいないこの会社ではそれぞれが拘りが強くて、その分製品に対する愛情故の愚痴も多くなる。
だからこそ良い物が生み出せると思うし悪くない事だと思うけど、今回に関してはそれもなかった。
新山の話を信じるなら、きっとそれは制作に関わる人達が〖生存戦争〗のファンでいてくれるが故に起こった事なんだろうなと、半年越しに知った。
「世那?どうしたの?」
「いや、ちょっと予想外過ぎて、、。ファンがいるのなんか知らなかったし、新山の反応も以外だったから」
「反応?」
「田口みたいに笑うと思ってた」
「こんなのと一緒にしないでよ」
「こんなのは言い過ぎだろ、、確かに笑い過ぎたかもしれないけど、、」
それにしても、、そうか、、ファンか、、、。
今まで気付かなかっただけで、プレゼンや開発で携わってきた人達、携わっている人達の中にファンがいるんだなと思うと、今まで受けてきた言動や行動が少し違う形だったのかもしれないと思えてきた。
頼んでいた以上の数のデザインを考えて見せてくれたデザイナーの阿部さんは、原作のキャラ設定の拘りを汲み取ってくれていたのかもしれないし、実際のねずみの動きをモーションキャプチャーでトレースして取り入れようと言って研究用ラットを借りてきた須美さんは、キャラをねずみにした制作当初の拘りを汲み取ってよりリアリティを出そうとしてくれたのかもしれない。
それ以外にも沢山。
原作者である自分がそこまでしなくてもと引いてしまうくらい、熱意を持った人達がやけに多かったなと、振り返ればそんな気がする。
その時はただただ伝わり過ぎる熱意に引いてしまっていたけど、ファンという大前提があるなら引かずに理解する事が出来る。
俺も、好きなゲームシリーズの制作に携われるならあれくらい拘りを持って取り組むと思うから。
むしろ、ファンで居てほしいとまで思っていた。
ファンでも無いのにあの狂気的な熱意は、行き過ぎたワーカーホリックの心配をしてしまう。
原作者で誰よりも思い入れがある自信はあるけど、流石に何度も残業したり工数を増やし過ぎて自分を追い込んだりはしたくない。
期限が無いなら、好きなところに好きなだけ拘りを盛り込むけど。
「ただいま~、、、」
いつもよりやらないといけない事は少なかったはずなのに、慣れない個人面談を四人もこなしたせいで疲労感はいつにも増して多くなっていた。
スーツも脱がず、ベルトとネクタイだけ緩めて床に座り、ソファにもたれかかった。
明日も仕事があるからスーツをハンガーに掛けとかないととか、ズボンに消臭剤掛けて干しとかないととか。
帰ってきて明日の事を気遣う余裕は持ち合わせてなかった。
家事をする回数が減ったり、食事がスーパーの総菜からカップ麺の買い溜めになったり、捨てる曜日を確認するのが面倒で溜まっていってる段ボールがあったり。
少しずつ雑になっていく生活の中でも、ジャケットとズボンを脱いでソファに掛けるのだけは今までちゃんとやってきたのに。
いざスーツのまま座り込んでみると、長く使ってきたからかそこまで動きを制限されるような硬さはないし、どうせ風呂に入る時に脱ぐんだからこのままでいいかと思わされる。
すぐ立ち上がれるようにと座っていた床からも離れて、今はテレビを流し見ながらソファに深く陣取ってしまった。
こうなってしまうと暫くはこの場所から離れられない。
2年使った安いソファはお世辞にも座り心地が良いとは言えないけど、それでもここに座ったら長くなるという今までの経験測が固定概念を生んで、早く立ち上がって寝る準備を済ませるという発想に至らない。
「お腹空いた、、、」
疲労で隠されていた空腹が表に出てきても、すぐに起き上がろうという気にはどうしてもならない。
ただ、だらだらと携帯を見てSNSやゲームを交互に開いたり、上手くネットに繋がらない事に苛立ちを覚えて意味もなく画像フォルダを見返したりした。
今日は備え付けのフリーWi-Fiも、出たばかりの時に意気揚々と対応機種に変えた5Gも、接続状況があまり良くない。
かといって、パソコンを開いて安定している有線でSNSを開こうという熱意は無い。
あくまでだらだら。
理由があって携帯を触るわけではなく、ここから動けない事に対するなけなしの罪悪感を薄れさせる為にとりあえず何かをしていたかった。
このゲームをここまで進めたら。
SNSでフォローしている人達の更新を最新のものまでチェックしたら。
動く理由は全く出てこないのに、動かない理由は次から次へと出てくるし、なんだったら新しく更新されていって終わりが見えない。
ネットに繋がりにくい今の状況も、言い訳が多ければ多いほど良い今の心情にとっては案外悪くないのかもしれないと、画像フォルダを見ていて苛立ちが少し収まった頭で思った。
「懐かしい、、、。3年前か、、」
社会人になってからは大して増える事もなかった画像フォルダは、あっさりと3年前まで遡れてしまった。
目に留まったのは、何の変哲もないラーメンの写真。
自分の分と、向かい側にこれでもかと唐辛子を振りかけたラーメンがまるで匂わせのように映っている。
異性と一緒に食べに行ったという点では匂わせという言い方もあながち間違いではないのかもしれないけど、残念ながら相手とは何の特殊な関係性もなく、ただのサークルの先輩後輩の関係だ。
向かいに映る罰ゲームかと見紛う程のラーメンが結局辛過ぎて一人で食べきれなかった人物は、サークルの先輩かつゲームサークルに勧誘してきた張本人である
社会人になってから全くと言っていいほど連絡しなくなったのが不思議なくらい、大学生時代は毎日遊んでいた先輩。
「そっか、、。俺で終わってたのか」
LINEを開き、かなり下へといってしまっていた安穏先輩とのトーク履歴を探す。
最後に連絡したのは一年前。
確かよく二人で遊んでいたゲームの新作が出る時で、それで思い出して連絡をしたんだ。
一緒にやろうと話しつつも中々予定が合わずで、結局忙しくなってきてスタンプで会話を終わらせたんだった。
お互いに、スタンプだけ送られてきたらそこからは返さない。
そんな暗黙の了解がいつの間にか出来ていた。
〖先輩お久しぶりです!元気ですか?〗
「うーん、、、。なんか違うな」
書いては消し、書いては消し。
久しく会ってない大学の先輩に連絡するという経験が無く、ああでもないこうでもないと口に出しながら、このシチュエーションにふさわしい文章を作れるまで何度も添削した。
正解があるわけではないし、何通りも思い浮かぶ程語彙力があるわけではないから、何度も書き直して結局最初に書いた文章へと逆戻りしてしまったけど。
「返信来ないな、、」
一年ぶりに送って数分で返信が来たらそれはそれで怖いだろうに、回線速度が良くなった事に味を占めて他のSNSと交互に何度も開いてしまう。
急に送ってマルチ商法の勧誘とか思われてないかな。
お金が無くなって借りる為に連絡をしたと思われてないかな。
そんな、急に連絡が来たらまず疑うべき事あるあるを思い浮かべながら、中々来ない返信を諦めて別のSNSのタイムラインを流し見た。
歌い手や配信者のおはようから始まり、抽選でお金配りますを間に挟んで、たまに飯テロも散見される。そんな雑多なタイムライン。
整理するのも面倒でどんどんフォローしている内に、流し見るだけでほとんどを追えなくなってきていた。
「ライブ、、?」
偶然にもスクロールした指が止まった画面に映ったのは、推しアーティストであるシテがライブツアーを開催するというもの。
(この前デビューしたばっかりじゃなかったっけ、、、)
そう思いデビュー曲を動画サイトで検索すると、投稿されたのは二年前で、いつの間にか2億回再生されていた。
「えー、、。うわあ、、えー、、、」
時間の流れの速さに驚きを隠せず、語彙力が完全に失われた。
表現の仕方も忘れ、ただだらだらと口から驚きを流れ出させる。
三年前に先輩と行ったラーメンの写真では時間の流れをきちんと受け止められていたはずなのに、それよりも短い二年でショックに近い驚きが心を埋め尽くしてる。
時間の流れに対するショックなのか、いつの間にか圧倒的な認知度になってしまって遠くに感じるようになってしまったショックなのか。
多分色んなものがあるんだろうけど、今一番大きく心を占めているのは、推しの活動を追えてなかった事。
入社する前、推し始めてからすぐに入ったファンクラブも、入っただけでここ二年は開いてすらいない。
自動更新にしてるから会員ではあり続けると思うけど、、。
「よかった、、、」
何度かの失敗のあと、前によく使っていたフリーメールアドレスといつも使うパスワードを入れたら無事にログインする事が出来た。
更新通知を分かりやすく教えてくれるベルのマークには赤い点がついていて、押してみると表示の上限までコンテンツの更新通知が来ていた。
ドラマの主題歌を担当した。
CM楽曲を歌った。
会員限定コンテンツを更新した。
中には、なんでこれ気付けなかったんだろうというのも沢山あった。
よく目にするCMの楽曲を担当していたなら、あの特徴的で引き込まれる歌声に気付かないはずがないのに。
(、、適当に見てるからか)
原因は、案外早く理解する事が出来た。
テレビは小さい音量で、そもそも見る事を前提として点けてない。
何となく自分しか居ない部屋に声が欲しくて点けてるだけ。
何曜日に何チャンネルでどんな番組がやってるか。
中学生くらいまでは番組表を見ずに答えられたはずだったのに、今では何一つとして分からない。
有名なお昼の看板番組が終わってからくらいだったかな。テレビに少しずつ興味がなくなってきたのは。
「東京、神奈川、名古屋、大阪、福岡、、、北海道!?」
キャパ2000~3000の有名ライブハウスでのツアーは一ヶ月半に渡り、計6県で開催される地域の中には北海道も含まれていた。
ライブに行った事が無いから分からないけど、他の5県に北海道も併せての6県というのが意外だった。
だからといって、それ以外にどの県だったら意外じゃなかったのかは分からないけど。
ぐぅ~~。
情けないお腹の振動と音が部屋に響く。
結局、慣れないライブ申し込みを全ての講演にしている内に一時間近く時間が経ってしまっていた。
いつの間にか300万人を超える動画サイトのチャンネル登録者数を持つシテだったら、合わせて約2万人の動員数なんて簡単に埋まってしまうだろうから。
これで全部当たってしまったらどうしよう、、。
その考えに至ったのは、全て申し込んでお腹の音で正気に戻ってからだった。
活動を追えてなかった事に焦って必死で人生で経験した事も無いライブへの参加表明をし続けていたあの時間は、多分正気じゃなかった。
考えるよりも先に指が動いていたし、妙にアドレナリンが出てたような気がする。
動いてないのに空腹が加速したのはきっとさっきまでの狂気のせいだろう。
(東京公演が当たりますように)
そう願って、耐えられなくなった空腹を引きずるようにベッドから転がり落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます