6:45



6:45

目が覚める。


ベッドボードに置いた携帯を開いて7:00まで5分刻みに設定したアラームを全て解除し、通知を確認する。

ゲームアプリの通知が三件。

LINEの通知が一件。

寝惚け眼で確認だけして、間違えてもう一度寝てしまわないように猫のような伸びをした。

頭はまだまだ寝惚けてモヤがかかっている。

でも、とりあえずベッドから脱出する事には成功した。

座ったまま床に着けた足が、中々動き出そうとはしてくれないけど。


「眠たい、、、」


大きな欠伸をするついでに、せっかく入れた身体のスイッチが切れてしまいそうな程大きな溜息を吐いた。

睡眠不足の理由は明確で、間違えようのないその原因は携帯のリマインド機能によって画面に表示されていた。


「新入社員の案内、、、嫌だなあ~~~~~、、、」


誰に向けたものではないのに誰かにまで届いてしまいそうなほど長い溜息交じりの愚痴が、分かりやすく心情を表に出す。

入社してから一年。

いつか来るとは思っていたけど、まさかこんなに早く来るとは思っていなかった。

新入社員の案内係になる日が。

入社式の時に担当してくれた桝井さんも二年目だったし、もしかしたらとは思ってたけど、、。

二週間前、実際に連絡があった時からずっと胃がキリキリしている。

流石にそこからずっと睡眠不足が続いているというわけではないけど、昨日は緊張と不安と忌避感で中々寝付けずに、大して興味もないゲームアプリをインストールしてしまった。

結局、やってみたら案外面白くてやりこんでしまったけど。

多分案内係が嫌過ぎてとりあえず現実逃避出来る事の幸せを噛み締めていた故の楽しさだったんだろうなと、アプリのアイコンを見ても全く湧きあがってこない興味に思わされた。


今でこそ連絡係としての仕事にも慣れて多くの人と連絡を取ったり連携したりするようになったけど、学生の頃はずっと日陰者で、初対面の人と積極的に関わろうとする事なんてなかった。

比較的関係性を築きやすい同じ学校の同い年という条件が整っていても、だ。

たまに遊びに出かける友人達は、そんな自分にも話し掛けてくれる物好きな人達ばかりで、結果的にではあるけど気付いたら変わった人ばかりが周りにいた。

仕事以外だとそんな中でしか関係性を築いた事が無いから、新入社員の人達と去年の桝井さんのように円滑なコミュニケーションを取る自信は全くない。

いつもと違う業務内容なだけで、仕事だけど仕事じゃないような、そんな感覚に襲われていた。



「、、、準備しないと」



いい加減準備をしないと、出社時間に間に合わない。

嫌な感情ばかり湧いてくるいつもと違う業務内容だけど、唯一、いつもより出勤時間が30分遅くても良いという点だけは好感情を持つ事が出来た。



「、、、あ」



いつもの癖で同じ時間に起きて唯一のメリットを潰してしまっていた事に気付いたのは、歯磨きも洗顔もヘアセットも着替えも終わらせてからだった。

もう、気持ちは三分の一くらい家の外に出ている。

このまま家で30分過ごすか、会社の近くで時間を潰すか。

一瞬の逡巡の後、重たくなりかけていた腰を起こして家を出た。





「早川さんと西野さんと小倉さん、、で合ってるかな。案内係を担当します、世那です。宜しくお願いします」


入社式の後、三人ずつに分けられた新入社員達を、案内係がそれぞれ迎えに行く。

担当する新入社員が全員女性で、ただでさえ人見知りな事に加えて女性経験もない俺の緊張は、緩やかではあるが確実に上がり続けた。

目は多分泳いでるんだと思う。

どこを見てるのか分からないくらいには。

きっとそうなんだろうとは思いつつも、それを気にする余裕も改善する余裕も無いから、結局のところどうしようもない。

どのみち、ここまで来たらやるしか無いんだ。

というか、二週間前に案内係に決められた時点でやるしかない事は決まってたんだ。

うだうだどうしようもない事に愚痴を零して現実逃避をし続けて、決定してから心を決めるまでに二週間の時間を要してしまった。



「庶務課配属予定の早川志穂はやかわしほです。兄がこの会社に勤めていていつかここで働きたいと思い、入社させていただきました」

「広報課配属予定の西野美奈にしのみなです。昔からこの会社のゲームが好きで、同じく広報課の先輩である桝井さんのように、新作発表会で色んな方に興味を持ったり知ってもらえるようなプレゼンをしたくて入社しました」

「営業課所属予定の小倉紗季おぐらさきです。ゲームが好きで入社しました。一番好きなゲームはハレルナワールドです」


、、、、胃が痛い。

この会社に決まったのが納得のいかなそうなツンとした態度の小倉さんの口から出たのは業界シェア一位かつライバル会社の人気ゲームだった。

人気ゲームとは言っても、ゲーム好きの間で一番の名作と言われているもので、一般的な認知度や普及度はそこまで高くない。

つまり、それだけ小倉さんは本気でライバル会社のゲームが好きという事だ。

予想でしかないけど、こっちは滑り止めで受けてて結局こっちに来るしかない状況になったんだろうな、、。

全員が初対面の中でそんな感情をぶつけられてもどうしたらいいか分からない。

何年コミュ障をしてると思ってるんだ。


「IT一部所属の世那です。今日で丁度入社二年目で、先程もお伝えした通りこの後皆さんの会社案内を担当させていただきます。宜しくお願いします」


面倒事はひとまず投げ捨てて、暗雲が立ち込め始めた会話の流れを自己紹介で切った。

営業課所属って言ってたし、関わる事はあんまり無いだろうから爆発物のような彼女をわざわざ処理する必要はない。

SEとIT一部の間を取り持つ今の役職の都合上、SEとも密な連携が必要な営業とは関わらないといけない事もあるけど。

入社したばかりの新人さんが大事な打ち合わせで代表してやってくる事は無いだろう。きっと。

フラグなんて言葉は今だけ忘れた。



「じゃあ時間までここで待機で。あと45分くらいあるからその間にお手洗いとか済ませててください」


憂鬱かと思っていた時間は何事もなく、スムーズに終える事が出来た。

終えてみて思ったのは、西野さんのコミュニケーション能力が凄過ぎるという事。

去年の桝井さんのように俺が何か話題を提供するでもなく、元々あった話題から広げていって、今の時間までほぼノンストップで会話を盛り上げてくれた。

最初は少しツンとした態度だった小倉さんも快活な西野さんに絆されたのか、最終的にはこの会社の好きなゲームも教えてくれて、関わりにくそうだった初めの面影が今や一つも無い。

客観的に見て、食堂内にいるグループで一番盛り上がってたんじゃないだろうかと思えるくらいだ。


(そんなグループに自分が居たなんて信じられないな、、)


相変わらず盛り上がってる三人を離れたところから見て心からそう思った。




「お疲れ~!そっちどう??」


食堂の隅にある自販機が並んだスペース。

簡単なミーティングにも使われるそこで休憩していると、一年経っただけとは思えない程垢抜けた同期の新山静香に話しかけられた。

その後ろから同じく同期の田口一平が近付いてきているのも見える。


「全員女子だから何話したらいいか全然、、、。一人MCみたいに場を回してくれる子がいるから助かったけど居なかったら無言だったかも」

「無言は怖すぎ、、。田口は?」

「俺はとりあえず何とかなったかなって感じ。みんな面白かったし楽しかったよ」


明るく話す二人と冴えない表情の自分。

入社時期は同じだというのにはっきりと分かるその違いにより一層疲弊した。

こういうのは元々培ってきたものだし、入社時期が同じだからといって能力も同じくらいなわけではないから差が出るのは仕方ないけど。

場を暗くしない程度の表情で保てているのはひとえに西野さんのコミュニケーション能力のおかげなんだろうなと心からそう思った。

ありがとう西野さん。

もう会う事はほぼ無いと思うけど。


「でも世那のとこ凄い盛り上がってなかった?こっちも話さないとって焦ったもん」

「いやほんとそれ。世那の友達でも入社してきたのかと思ったくらい」


友達が入社してきてもあんなに女性特有の盛り上がり方は出来ない。

俺と友達の会話は、きっともっとねっとりしてると思う。

普段の速度がゆっくりだから大丈夫だとは思うけど、ゲームオタクらしい早口が出てしまう可能性がかなり高い。

それはそれで盛り上がって見えるのか、、、?


「それはさっき話した西野さんのおかげ。それこそ初対面とは思えないくらい同期の子達とも話しててさ。一人ちょっととっつきにくそうな子居たけど、西野さんのおかげで心開いてよく話すようになってたし」

「えー、すごっ。めっちゃ有望そうじゃん。どこ所属予定なの?」

「広報課。新山の後輩になるから楽しみにしといて」

「楽しみより怖いのほうが強いんだけど、、、。あっという間に追い抜かれそう、、、」

「大丈夫だろ。次の新作発表のMCも任されるスーパールーキーだし」

「あ、そういえばそうだったね」

「それ言わないでよおおお~、、。出来る自信なさすぎる」


この一年間。

三人の中で新山が一番成果を残していて、且つ出世コースを歩んでると思う。

俺も仮だったポジションが正式に役職として認められて仕事内容も安定して結果も出てきたけど、それでも新山の成果に比べれば大した事ないと思う。

この場の三人以外の同期を含めても、その答えに変化はないんだろうなと思わされるくらい明らかな差がある。


「今日の準備で一時的に忘れてたのにまた憂鬱になってきた。責任取って」

「そんな目で見られても、、」


責任を取るという言葉を聞くと〝結婚〟という言葉が真っ先に頭に思い浮かんだけど、それがこの場にそぐわないものである事は間違いない。

同期だからたまに連絡を取るし会うとこうして気兼ねなく話せる関係ではあるけど、そこに男女の関係や感情は一切ない、、と思う。

ただ、もし万が一今の垢ぬけた新山に言い寄られるような事があればはっきりと拒否する事は出来なさそうだなとふと思わされて、自分の女性経験の少なさが恨めしくなった。


「じゃあ今日終わったら三人で飲みに行くか」

「分かってるじゃん田口」

「営業が一番そういう場が多いしな。ほら、飲みニケーションってやつ」

「うわ。そう聞くと行く気無くなってきた」

「、、なんでだよ」


うん。やっぱり妄想の中でも新山を女性として見るのはやめよう。

楽しそうなやり取りをする二人と、三人で何のけん制や忖度もなくする会話にそう思わされた。

今の自分には、一人の彼女よりも気兼ねなく話せる同期二人のほうが心地良い。


「世那も予定とか大丈夫?」

「うん。特に会議とかも入ってなかったし大丈夫」

「よし。じゃあ決定だな。店選びは任せとけ」

「あ、でもあんまり高い店嫌かも」

「MCに抜擢されたお祝いも兼ねてるからそれぐらい俺が出してやるよ。言い出しっぺだしな」

「まじ!?初めて田口の事かっこいいと思った」

「奢るの嫌になってきたな、、、」

「なんでよ!!」


久しぶりの同期三人での会話はあっという間に終わってしまった。

最近は午前中一つの場所にいる事が無かったし休憩の時間もよくずれこんでいたから、誰かと一緒にご飯を食べたり昼休憩の時間を一緒に過ごす事自体がとても久しぶりのように感じた。

毎日誰かと過ごしてないというだけで直近だと数日前に種崎さんと同席したけど。

思えば、種崎さんと話すのもあれがかなり久しぶりだった。

仕事内容が変わって半年くらい。

固定の場所でずっと過ごす事がなくなっただけで、同じ場所で仕事をしていた種崎さんとの関わりは必然と少なくなっていった。

連絡係だし前の半分以下とはいえプログラミングを担当する時間もあるけど、それでも前に比べれば自分のデスクで仕事をする時間は極端に減ってると思う。

座りっぱなしじゃなくなって腰や足のしんどさは減ったけど、頭や気を遣う事はかなり増えた。

いつだったか班長の谷さんに言われた〝役職が上がれば肉体的疲労は減るけど精神的疲労は増える〟という言葉が、ほんの少し仕事内容が変わっただけの今でも酷く身に沁みて感じている。

そんな谷さんはこれ以上心労が増えるのは嫌だと出世を拒んでいるらしく、今回人事から提案された出世も断ったらしい。

この時期、新入社員が入ってくるタイミングで毎年人事が大きく動くらしく、異動や出世が相次ぐらしい。

四班には異動がなく、出世の話だけ谷さんと種崎さんに来ていた。


(結局聞きそびれたんだよな、、、)


数日前に食堂で会った時、話したい内容が多過ぎて結局どの役職や部署に出世をするのか聞く事が出来なかった。

出世と部署異動を同時にする事はそこまで多くないからおそらく今の部署で班長か課長辺りになるんじゃないかとアタリをつけている。

まあ、もし異動が無いのであればこれからも関わっていく機会は多くあるだろうし、異動したとしても班長に聞けばどこに行ったか分かると思う。

種崎さんとはまた話したいし、出来れば所在は把握しておきたい。


(それにしても、、、)


休憩が終わる数分前。

コンビニでチョコを買って自分のデスクに戻る道中、自分が担当していた三人組を見ると、席を離れた時と遜色ない盛り上がりを維持していた。

食事を終えてから今までの一時間と少し。

その間ずっとあの席からだけは笑い声や話し声が絶えなかった。

周りに迷惑をかけるようなボリュームではないし、むしろ食堂の雰囲気が釣られて明るくなって良い影響を及ぼしてたから引率者としては鼻が高いけど、初対面でここまで長時間盛り上がれるのは自分には考えられなくて、改めて西野さんのコミュニケーション能力の凄さに圧倒された。

一時間も経った今は全員が打ち解けて、一方的に西野さんが場を仕切っているような事は無さそうだけど。


「そろそろ行かないと」


凄いと純粋に感動するような、自分には無いものをまざまざと見せつけられて落ち込むような。

色んな感情を買ったばかりのチョコと一緒に飲み込んで、会社の案内の準備をする為に若干の速足でデスクへと戻った。








「お疲れ~!」

「お疲れ~~~~!!!!」


仕事終わり。

約束通り店選びから予約までしておいてくれた田口に連れてこられたのは職場から少し離れた焼き鳥屋だった。

店前には空腹を助長させる赤提灯が灯っていて、こじんまりした入り口からは想像も出来ない程中は広く、明るい雰囲気だった。

たまに先輩に飲みに連れて行ってもらったり一人で飲みに行ったりしてたけど、こんなお店は知らなかった。

会社からの来やすさ、価格帯、雰囲気。

まだ乾杯をしただけなのにも関わらず、田口に店選びを任せて間違いなかったなと思わされた。

退勤後すぐに来たからか奥のほうの人目につきにくい席に座る事が出来たし、客の入りからしてこの後どんどん埋まってくるであろう席も、この位置を確保出来ているのであればマイナス要素にならない。

むしろ、席が埋まれば埋まるほど、いい席を取れている事がプラスに働くかもしれない。

田口がそこまで考えてこの店を選んでくれたのかは分からないけど。


「あ~~~~!ビールおいしっ」

「おっさんみたいだな新山、、、。この店はビールジョッキキンキンに冷やしてくれるから最高なんだよ」


二人が白く凍って中がうっすらとしか見えないグラスを上機嫌に煽る中、俺は一人でレモンチューハイをちびちび飲んでいた。

アルコールが苦手なわけではないけど、空腹状態を突破するまではある程度自制しないと痛い目を見る。

大学時代のサークル飲みで痛い目を何度見た事か。


「チューハイうま、、、」


ビールの良さが分からず、かといって好きと言えるお酒も無いまま社会人を迎えて一年。

当たり障りのないレモンチューハイをいつも飲んでいたけど、ここのレモンチューハイは今までに飲んだどれよりも確実に美味しい。

グラスの5分の1くらい入った細かい果肉。

グラスの淵に飾られた三日月型のレモンと、淵に沿ってまとわりついている氷。

全てがただのレモンチューハイを一つ上の飲み物にしてる感じがする。

グラスの淵の氷は、一口目の清涼感を強く後押ししてくれていた。

飾り付けられているレモンで酸味を調整出来るのもいい。


「いいだろこの店。ビールもそうだけど、飲み物類全部美味しくてさ。料理も安くて美味しいし」

「もっと早く教えてほしかったかも」

「そうだそうだ!同期に黙って一人でこんな良い所通って!」

「なんで責められてるんだ俺、、、」


自分が好きだと断言出来るお酒に出会えた事に嬉しさを感じるあまり零れ出た独り言に新山が同調した。

、、、もう酔ってる?



「はいお待ち。タレ10種盛りと塩10種盛りと枝豆と、、あと冷奴~」



待望の料理の到着は、思ったよりも早かった。

チェーン店並みの速さだ。


「世那世那!」

「なに?」

「めっっっっちゃ上手いよ」


店員が料理を置き終わるや否やタレの盛り合わせから無造作に一本口に含んだ新山が、飲み込むのよりも優先して表情重視の食レポを伝えてきた。

隣で得意気な表情をする田口は放っておこう。


「え、うま」


そんな二人の分かりやす過ぎる表情がどうでも良くなるくらい、手に取ったモモの塩は美味しかった。

値段通りの親しみやすい味だけど、濃過ぎず薄すぎず丁度いい塩加減でお酒が進む。

今まで分からなかった鶏肉がプリプリしてるという食レポも、今だったらはっきりと分かる。


(これやばいな、、)


串を一本食べ終えてまだまだ冷えたレモンチューハイで流し込むと、予想以上の中毒性に危機感すら覚えた。

今まで酒の量を調整出来ていたのは、本当に止まらなくなるレベルの美味しさを知らなかったからなんだと理解させられる。


(何というかこれは、、、)


煙草に似た感覚だなと、一度も吸った事がないのに思わされた。

落ち着く為に横にあった枝豆を挟んだのも悪さをして、どんどんと食が進む。

気が付けば、料理が到着してものの数分でテーブルの上は枝豆と空のグラスだけになっていた。

夢中になり過ぎて、会話すらほぼしてない。



「お待たせしました~。モモタレ5人前と、、セセリと皮が3人前ずつです~」



相変わらずの提供速度にも関わらず、中毒性を理解してしまってからの待ち時間は最初とは比べものにならないくらい長く感じた。

すぐ後に持ってきてくれた飲み物と交互に味わっていると、最初の倍以上は頼んだ料理でも足りるかどうかが不安になってくる。




「ほんとさ~~~~。私に出来るかなあ、、、」




結局。

二回目の注文では足らずにもう一度注文して、その料理を食べ始めたくらいで漸く会話らしい会話が始まった。

会話、、というか、最初の少しだけ現状報告を軽くし合って今はお酒の影響で垂れ流される新山の愚痴を田口と二人で聞いている。

普段なら嫌に思いそうだけど、きっと酔いが回ってるんだろう。

ふわふわした気分で丁度良く愚痴を聞き流せている。

もう5杯目なのにも関わらず素面の時とほぼ変わる様子がない田口に任せておけば大丈夫だろう。


「新山もそうだけど世那も出世したよな。速さで言ったら同期の中で一番だったんじゃないか?」


レモンチューハイと枝豆のコンビネーションに舌鼓を打っていたら、いつの間にか話題の主役が切り替わる場面に来ていた。

適当に聞き流し過ぎていてどんな流れでそうなったのか全然理解出来ていない。


「最初は仮の役職だったけどね。一応就任したのは半年前で、正式に役職だって決まったのはその一か月後くらい、、、だったかな」

「それでも五か月前か、、。早いな」

「そうだそうだ。世那なんて突然新作発表会で舞台上に上げられてリハーサルなんて一つもしないままMC担当させられればいいんだ」

「何その公開処刑、、」


広報課でも無いのに。

酔いと現実逃避でとうとう新山がおかしくなってきている。

なんというか、お酒に酔ったスライムみたいだ。

このまま溶けて店の外に流れ出ていってしまいそうな感覚をもっている。


「ちょっとトイレ」

「いってら~」


さっきまでくだを巻いていたとは思えないほどしっかりとした足取りでトイレへと向かう新山は、思っていたよりも酔っていないのかもしれない。

必要であれば貸そうと思っていた肩に、役割を全うする機会は与えられなかった。



「世那。ちょっと相談がある」



新山がトイレに入っていったのを確認して、さっきまでの楽しそうな様子とは別人のようになった田口が真剣な目でそう言ってきた。

椅子に座っているのに少し浮いているような、そんなふわふわとしていた感覚が、頭の周りだけ少し取れて一時的な集中力を生み出した。


「新山に告白しようと思っててさ。世那から見て脈ありかどうかを聞いときたいんだ」


心地のいい酔いが、一気に覚めた感覚に陥った。

雷に打たれたようなという表現は、こういう時に使うんだろう。


「告白って恋愛的な意味だよね?」

「それしかないだろ、、」


あわよくば避けられないだろうかと考えてみたけど、やっぱり駄目だった。

急かすような視線が痛い。


「仲が良いのは勿論だと思うけど、恋愛感情があるかと言われると、、、。ちょっと分からないかも。デートしたりとかは?」

「一回だけ二人で遊びに行った事はある。元々もう一人同期も行く予定だったんだけどな。偶然二人になった」

「誘わないの?」

「誘ったらそれこそもう告白してるようなもんだろ。だったらさっさと告白して結果を知りたい」


ああ、本気なんだ。

田口の真剣な目を見て、そう思った。

いつもの三人で茶化し合う感じとも、仕事の時の真剣な表情とも違う。

そんな田口の相談を真剣に考えられていなかった自分が酷い人間に思えて、ほぼ氷が溶けて出来た水だけになっているグラスを煽って視線を隠した。


(新山から田口に寄せられる感情は友情だと思うけど、、)


直接的な明言を避けながら、田口の相談を真剣に考えてみる。

田口と新山が付き合ってしまえば、こうして三人で余計な気の遣い合いもなく飲める機会が無くなってしまうかもしれない。

でもそれは、田口が真剣に悩んで考えているこの先と全く重要度が異なってくる。

田口の背中を押す事とぬるま湯のような心地いい関係を続けたいという自分の感情なら、迷わず前者を選ぶ。


「わざわざ遊びじゃなくてもさ、今日みたいに仕事終わりに飲み誘ってみたら?新山はまだまだ話し足りなそうだし、新作発表会終わってお疲れ様会とかさ」

「お疲れ様会だったら世那も呼ばないと不自然じゃないか?」

「その時はなんか上手い事断るよ。二人で行きたい時は事前に教えといて」

「なんか世那、、、ワルだな、、」

「協力してるんだけど、、、」


真剣な回答の対価は、謂れのない悪評だった。

我ながら、悪くない作戦だとは思うけど。


「まあ確かにサシで飲みに行った事ないし、いきなり告白するよりはいいかもな。助かった」

「全然。上手くいくといいね」

「そうだな、、。世那はそういう相手いないのか?そもそも彼女いたっけ?」

「彼女もいないし好きな人もいないよ」

「なんか意外かもなそれは。さっきみたいな案すぐ出てきたし恋愛慣れてるのかと思った」

「田口こそ慣れてそうだけど」

「中高と男子校だったからな、、。大人なってから急に女性経験詰めって言われても難し過ぎる」

「共学だったけど同じ感想だよ」


今までどの年齢の時も男子校に通った事はないし確実に異性と接する機会は男子校生徒よりあったはずだけど、世の中の男子校生徒より異性に免疫があるかと聞かれれば首をかしげざるを得ない。

機会があるのと経験値があるのはまた別だ。

ゲームのレベル上げみたいに分かりやすく単純な構造だったら、俺だって今頃恋愛マスターになってるだろうに。

現実はプログラミングされたゲームみたいに思うようにいかない。毎日エラーばっかり出る。



「え、、男二人で恋バナしてる、、」



トイレから戻ってきた新山の心底引いたようなこの表情も、人間関係に於けるエラーなんだろうか。

何もそんなに顔を青ざめさせる事はないと思う。


「1に仕事、2に仕事。社会人になったら大人でイケメンな上司に口説かれて寿退社コースもアリかなって思ってたのに広報課同性とおじさんしかいないし、私だって恋バナ出来るような手札持ってたかった、、」

「あー、その、何ていうか。そんな新山が思うような恋バナではないと思うぞ?男子校出身で恋愛経験少ないとかそんな話だし」

「私だって女子高出身で恋愛経験全然ないもん。白馬の王子様どこ」


新山はもしかして、トイレに行くフリをしてどこかで酒を飲んで来たんだろうか。

そう思ってしまうくらい、トイレに行く前よりも明らかに悪い酔い方をしてる気がした。

酒が悪いのか話題が悪いのか。

どうにか次の日に引きずってしまわないように楽しい雰囲気に戻そうと齷齪あくせくしていると、賑やかな店内に時間を忘れさせられて、いつの間にかどっぷりと夜が更けていっていた。

最終的には楽しい雰囲気で飲み会を終える事が出来たが、その代償に家に着く時間が24時と、明日仕事があるとは思えない時間になってしまった。

二人はもう少し会社に近い位置に住んでるらしいしきっと何とかなってるだろう。

服やズボンをソファの背もたれに脱ぎ散らかすと、前日から身体を締め付けていた緊張がどっと抜けていって、二人が無事に帰宅出来たかどうかの確認作業すら面倒くさく思えて携帯を机に伏せた。



「疲れた~~~~」



アルコールと焼き鳥が混じった匂いと共に、口から疲労が漏れ出る。

いつもより少し短い時間働いて、その後美味しいごはんと美味しいお酒で回復したはずなのに、いつもより疲れている感覚が強く心に残っていた。

身体じゃなくて心に。


今日は昼休憩を終えたあと、去年桝井さんがしていたのと同じように二部制で別々の新入社員を連れて社内を案内して回った。

最初はまだよかった。

休憩の時に顔合わせしてる二人だったし、その内一人はよく話してくれる西野さんだったから。

問題はその後。

全くの初対面の二人を連れての案内は中々に心がすり減った。

不幸中の幸いだったのは、男子二人組だった事だろうか。

これでまた女性ばかりの中だったら、一日に接する異性の数の限界を超えて心労がかさみ過ぎてしまう事になる。



ブーブー───

〖今日はありがとな。また何か進展あったら連絡する〗



ソファで項垂れて半分寝落ちしかけていると、家に着いたらしい田口からそんな連絡が来た。

誤字も無いし交わした会話の内容も覚えてるし、一番ハイペースでお酒を飲んでたとは思えない程素面な様子だ。

緊張してたら酔いにくいって聞くし、もしかしたら好きな人が隣に座ってて中々酔えなかったのかもしれない。

好きな人と酒の席で一緒になった事がないから、予想でしかないけど。




《続いてのニュースです》




応援の言葉とスタンプを送って、ソファに溶けていってしまいそうだった身体を軽く起こしてテレビを点けた。

チャンネルをいくつか回して、興味のないドラマを回避したら残ったのがニュース番組だけになってしまった。

ニュースに興味があるわけではないけど、消して目を閉じたら寝てしまいそうで、かといってお風呂に入りに行く気力も無い。

今自分に出来るのは、大して興味のないニュース番組を目を見開いて視聴する事だけだった。



《本日正午頃、○○線が人身事故で大きくダイヤが乱れ、○○駅が大勢の人で溢れました》

「人身事故、、多いな」



地元ではそんなに見なかった人身事故も、ニュースやSNSでの情報だけだけど、東京に来てからはよく見るようになった。

落ちようと思っていなければ黄色い線の内側に入って自衛をするだろうし、事故とは名ばかりで自分で飛び込む人ばかりなんだろうなと現場を見ていないながらも思う。

なんとなく事故という名前を付けてしまうと、電車や運転手に責任を持たせているような感覚がして嫌な気持ちになる。



〖人身事故 8,702件〗



詳細が気になってSNSを覗いてみると、案の定人身事故というワードがトレンドに入っていた。

人身事故が迷惑だと嘆く人、予定に遅れたと怒る人、実際に見てしまったと絶望する人。

見てしまったという人の書き込みのコメント欄には、心配や同情する声以上にどんな状況だったかを聞いたり嘘だと決めつけるものが多くて吐き気がした。

実際に本当かどうかは分からないけど、自分が目の前で線路に飛び込んで電車に跳ねられる人を見た後の精神状態でこんな事を言われたら正気では居られなくなるだろう。

前はゲームの情報交換にしか使ってなかったSNSも、大人になってからこういう人間の醜い部分をよく目にするようになってしまった。

SNSの使われ方が変わったのか、自分の目につくものが変わったのか。

あるいはそのどっちもなのか。

それは分からないけど、前みたいに純粋にSNSを楽しいものとして捉える事が出来なくなってきているのは事実だと思う。

精神衛生の為には見ないほうがいいと分かっているのに、見たくないものの中に見たいものが混じっているのを理解しているからどうしても開いては閉じを繰り返してしまう。

一旦母親からの連絡を返す為に閉じたのに、また開いてしまった。

社会人二年目。

小さい頃憧れを抱いていた大人になったというのに、思い描いた理想は見る影も無いただの携帯中毒の若者になってしまった。

そんな自嘲をしつつ、今もアプリゲームとSNSの往復が止まらない。


(過去に憧れた大人像はどこから持ってきたんだったっけな、、、)


見る影も無い自分から目を逸らして、叶えようもない理想を作り上げた幼き日の自分に責任を押し付けた。

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