6:40
6:40
目が覚める。
5分毎にかけたアラームを視界に捉えたまま微睡み、辛うじて二つ目のアラームが鳴る前に起き上がる事が出来た。
時刻は6:45
そろそろ用意をし始めないと電車の時間ギリギリになってしまう。
そう理解はしているのに、最終6:55のアラームだけ放置してそれ以外を消した親指はそのままゲームアプリを開いていた。
今日も今日とて、いつも通りの消化プログラムが溜まってる。
ひとまず一度始まってしまえば3分は時間がかかるものに手をつけて、届いていた他の通知も確認し、親へのLINEだけ返信する。
暗くなった携帯に名残惜しさを覚えつつ、まだ気怠い身体を引きずるようにベッドから降りた。
ベッドからフローリング。
環境の差なんて大して無いはずなのにまるで別の惑星に来たかのように重力が強く感じられた。
「あっつい、、、」
10月も半ば。
入社してからは半年の月日が流れた。
会社のデスクに置いてある卓上カレンダーには紅葉の絵が描かれているにも関わらず、まだ一部の営業の人しかジャケットを羽織っていない。
そのジャケットも、近年流行りの家で洗えるような薄く軽いもので、取引先に会う時以外はよく腕に掛かっているのを目にするけど。
《今週は例年よりも遥かに高い気温を観測しており、充分な熱中症対策が必要となっています》
テレビを点け、髭を剃って顔を洗い、歯ブラシを加えたままリビングに戻ると、アナウンサーのそんな声が聞こえてきた。
確かに、出勤の短い時間外にいるだけで暑さに辟易としてしまうんだから、ずっと外で遊んでる子供や外仕事の人なんかは熱中症のリスクが十分にあるだろう。
今日の最高気温は30度。
来週は10何度急激に下がって、その後また暑くなるらしい。
押してダメなら引いてみろ。
昔読んだ恋愛漫画のそんなセリフを思い出した。
暑くなるのが押す。
寒くなるのが引くなんだとしたら、暑さや寒さに耐性の無いもの達は等しく地球に惚れられている事になるなあと寝ぼけた頭で益体も無い事を考えた。
(だとしたら地球はとんでもない恋愛下手かもしれない)
あまりにも押し引きの緩急が強過ぎるから。
押されっぱなしや引かれっぱなしならまだそれなりに対応策を講じれて地球の事も理解してあげられたはずなのに。
理解しようとしない人達は、今にも別の惑星に浮気をしようとしている。
もしかしたら、それが原因となって惑星同士がぶつかって新たな宇宙が、、、、。
「あ、負けた」
考えを飛躍させ過ぎて集中していなかったゲームには無残にも敗北の二文字が表示されていた。
そこまで負けず嫌いではないし一回負けたくらいで根こそぎ何か奪われるわけでもないから特に気にはしていないけど、自分の考えがあそこまで飛躍していた事に少し引いていた。
少し前にコンセントとプラグの擬人化恋愛本を見てドン引きしていたのに、生物と惑星の恋愛物を頭の中で繰り広げてしまうなんて。
少し仕事に慣れてきて開発にも興味が出てきたのも影響しているのかもしれない。
自分の脳の創造に関する部分が最近少し活発になってきている。
かといって開発部門に携わってるわけではなく、まだまだプログラミングを先輩に教わりながらやってる段階だから、ただただ妄想の激しい怪しい人になっている。
「いってきま~す」
そろそろ、直接的にゲームの開発に関わる機会が出てきたりするんだろうか。
自発的にプログラマーを志願したにも関わらず余裕が出てきた側からそんな事を考えてしまっていた。
結局、入社してからは日々の業務に追われるばかりで趣味でも新しいゲームを開拓する事は無かった。
むしろ、休みの日くらいはパソコンの前から離れたくて出来るだけ違う事をしようとしてたくらいだ。
入社してから暫くは面接の時に口から零れ出た自作ゲームの話を振られる事はあったし、頭の片隅には0から自分で作るという考えが無かったわけではないけど、ここ数か月は自作ゲームの話も振られなくなったし新作の業務に追われて頭の片隅にすら自主製作の4文字は浮かんでこなかった。
そのせいで無意識の内にストレスが溜まってたのか、案も無いのに今になって急に制作意欲が湧いてきてしまった。
このまま穏やかな日々が続いて今の業務をこなすだけでよかったら、余裕が出てきて良い世界観やキャラクターを生み出せる時が来るだろうか。
意欲は湧くのに積極性はまるで無く、いつものように将来の自分に丸投げする事にした。
「
「りょ~かい。ちょっと今手離せないから、チェックするまでの間午後分進めてもらっててもいい?」
「わかりました」
今日の業務も半分が終わった。
半年も同じような事をしていれば、未経験であっても自然と慣れてくる。
朝、それぞれの班に一日に入力するプログラムの概要が渡されて、それをチーム長が午前分と午後分に分けて個々に配る。
班長でもなんでもなければただ渡された資料に基づいてコードを打ち込んでいくだけ。
最初こそ同じような文字の羅列で何度もエラーが出て辟易としていたが、今は同じアルファベットでもそれぞれ全く違った顔が見えるようになってきた。
両親が昔〝最近の子はみんな同じ顔に見える〟と言っていたのに共感出来なかったが、あれはきっと深く知れているかどうかと興味の有無なんだろうなとプログラミングから学んだ。
今では入社したての頃の4倍の量を渡されているのに、休憩に入る1時間前には作業を終えられるくらいになってきた。
「ここだけちょっと資料と違うね。ほら、ここの背景色が違う」
、、、まだミスはあるけど。
指摘箇所は一か所だけだった。
これくらいなら20分もすれば修正出来るし、午後分を少し進めておく事も出来るから午後はかなり余裕が出来る。
勿論、だらだらとした20分ではなくて集中した20分だからはっきりその時間で終えられるとは断言出来ないけど。
(やるかあ~、、)
学生時代から未だ好きで居続けているプログラミングの唯一嫌いなままの行程が今からやる修正。
理由は、作業量に対して都度チェックしないといけない項目が多すぎるから。
そんな悪態を頭の中でだけ吐き捨てて、勢い余って消し過ぎたコードの入力から取り掛かっていった。
「お疲れ様~、、って今日も蕎麦?」
「お疲れ様です!ここの蕎麦が好きで」
結局、午後分は書類を整理して円滑に進められるように準備する事しか出来なかった。
修正の修正にあんなに時間を持っていかれるとは思わなかった。
慣れてはきたけどまだまだミスはある。慢心はいけないなと昨日ぶりに再認識した。
「かなり仕事早くなってきたよな。もう午後分に入ってただろ?」
「あ、いや。出来るかなと思ったんですけど修正箇所の修正で追われて全然、、」
「あー。分かる。なんでこんなところ入力間違いするんだってとこミスるよなそういう時」
「そうなんですよね、、。どうやったら改善出来ますかね?」
「数こなして慣れるしかないんじゃないか?俺も最初はミスだらけだったけど、なんか突然コツを掴んでからはほぼミスしなくなってきたし」
昼休憩。
昼食を摂りながら相談に乗ってくれているのは、所属する第4班のエースで次期昇進候補の
種崎さんも面接時に宣伝した自作ゲームのファンらしく、入社当初からこうして面倒を見てくれている。
年齢も入社年も1つしか違わないのに自分の倍以上の仕事を軽々とこなしていて、昼休憩前にいつもたばこを吸いに行く姿を見て一方的に憧れを抱いている。
たばこを吸いたいわけではないけど、何というか大人の余裕みたいなものを見せつけられているようで、大学を卒業したばかりでまだまだ大人としての自覚が湧いていない自分にとっては格好よく映ってしまう。
もしかしたら、憧れて真似しようとして早く終わらせようとしてしまうから焦ってミスが出てしまうんじゃないだろうか?
「まあでもミスして修正してまた修正して時間内に余裕を持って終えられてるんだったら十分過ぎるくらい優秀だろ。次の人事異動でもし俺が今の班離れたら世那がエースになりそうな勢いあるもんな」
「いやいやまだそんな、、。
「あ~、、。でもお前本心からあの二人がエースになれるって思ってないだろ?」
周りに聞こえないように耳元で告げられたその言葉に少しドキリとした。
桃田さんと堺さんは入社5年目くらいの先輩で、IT一部で役職もついていない人達の中ではベテランといっていい域にいる二人だ。
勿論、長くいるだけあって業界の事もプログラミングの知識も入社半年の俺とは比較にならない程ある。
だが、それでもどうしても、、
(仕事のスピードがなあ、、)
班長から振られる仕事の量は、入社半年の俺より少し多いくらいで種崎さんの担当する量とは比べ物にならない。
それに、俺以上によくミスがあり、午前分に追われて午後分が終業までに間に合わず他のメンバーでフォローする事もしばしば。
最近時間内に余裕を持って終わらせる事が出来てきて、先輩方と一緒にその二人のフォローに入る事も増えてきた。
結果的に、一日を終えてから見てみればこなしている仕事量も同じくらいになってると思う。
それ以外に別の大きな役割を担っていれば素直に尊敬も出来たんだろうけど、、。
フォローに対するお礼も謝罪もなく、コミュニケーションは積極的に取ろうとするけど口を開けば仕事や私生活に対する愚痴ばかり。
2年前に結婚したらしい桃田さんからは旦那さんの悪口しか聞いてない気がする。
堺さんからは携帯ゲームアプリの運営に対する悪口や最近はまってるらしいVTuberへの不平不満ばかりを聞かされる。
仕事面、人間性。
どの面においても中々素直に尊敬するのが難しい。
入社してすぐとしばらくは何も分からない中で仕事や会社の事を教えてもらって感謝はしていたけど、それでもやっぱり二人に教えてもらう時間より種崎さんに教えてもらう時間のほうが断然有意義に感じた。
実際、より勉強になったと感じた時間も種崎さんと関わってる時だ。
凄い人が身近にいると、そうでない人を尊敬しようとはどうにも思えない。
ギスギスしながら仕事をしたくないし、口に出すことはないけど。
「見下してるかって言われるとそうでもないと思うけど、尊敬してるかって言われると俺も中々即答は出来ないし別に気にしなくていいと思うぞ。まあでも、身体も壊さず休まず出勤し続けてるところは尊敬出来るかもな」
「普通の事じゃないですか、、?」
「世那ももっと歴が長くなったら分かってくるよ。体調を崩さずに出勤し続ける事の凄さ」
自慢じゃないけど、大学時代は講義がある日は一度も休んだ事はない。
微熱があったり鼻水が止まらなかったりはあったけど、それでも休みはしなかった。
だから、種崎さんの言ってる事はいまいち理解出来なかった。
それくらい誰でも出来る事だろうって。
「そういえば、、。四班担当のSE変わるって話聞いたか?」
「そうなんですか?」
「話自体はあったらしいけど決まったのはついさっきらしくて、俺も喫煙所で聞いたところでさ。多分休憩終わったら班長から発表あると思うけど、今日顔合わせするらしいから早めに切り上げられるようにしないとダメかもな」
「量は変わらないですよね、、?」
「そうだな」
「30分前くらいに終わってたほうがいいですよね、、?」
「そうだな」
「間に合いますかね、、」
「、、、何とかするしかないだろ。あの二人のフォローは任せてくれたらいいから、世那はとりあえず自分の分を確実に終わらせてくれ」
「、、分かりました」
不安だらけの状態で諾と答える。
残るざる蕎麦はたったの一口だったのに、午後が憂鬱過ぎて箸が止まってしまっていた。
今の担当SEとはそもそも関わった事が少ししかないから、交代する事に対してはなんの不満も疑問もない。
四班がSEと関わるのは班長が日毎に作業内容を受け取る時くらいだし、その時は基本的に別室で打ち合わせをしてるから顔を合わせる事もない。
いわば赤の他人だから感慨も何もないのは仕方ない。
ただ、突然時間制限が30分も縮まった事には焦燥や不安が湧いてきた。
せめて朝の内に教えてくれれば、午前分をもう少し効率的に進める事だって出来る事が出来たかもしれないのに。
、、いや。
余裕を持って終わったのに修正に追われたから無理だったかもしれないけど。
それでもやっぱり、事前に知らされているのと唐突に知らされるのでは心の持ちようが全く変わってくる。
(また焦ってミスしそうだな、、)
まだ昼休憩は半分も残っているのに、早くからこの後の自分に不安を募らせた。
「おわっっっったあ~~~~・・・・」
終業1時間前。
特に修正する事もなく何とか今日分の作業内容を終える事が出来た。
修正だけには絶対時間を取られまいと都度エラーチェックをしながら進めたのが功を奏したのか、それともただ単純に午前分に比べて簡単なプログラムが多かったのが原因か。
どれが原因なのか分からないけど、とりあえず何とか終わらせる事が出来た。
過去一番スムーズに仕事が進んだ原因の究明は、とりあえず今頭を重くしている倦怠感を遠のかせてからだ。
「世那、終わった?悪いけどこっちもうちょっとかかりそうでさ、、。先に桃田さんの修正のフォロー入ってもらっていいか?」
もう少し声をかけられるのが遅かったら、間違いなく仕事スイッチをOFFにしてしまっていた。
この後顔合わせがあるのも忘れて。
間一髪助かったのに残念だと思うのは、きっと自分の作業を進めるよりフォローに入るほうが何倍も面倒だからだ。
まずどこまで進んでるのかの確認からしないといけないから。
椅子に張り付こうとしている身体を無理やり引きはがして、倦怠感に包まれた頭を起こしてフォローへ向かった。
願わくば、自分の出番がない事を祈ろう。
「こちら、明日から4班を担当してくださるSEの
「皆さん初めまして。紹介をいただきました井畑です。今日は急遽だったにも関わらず早く作業を終えていただきありがとうございました」
休憩終わりに班長から聞いた情報と井畑さんの印象は大きく違っていた。
聞いた情報は性格云々ではなく今までの経歴とか仕事の進め方の特徴とか。
班長よりも数年歴が長くて一時期幹部候補に挙がってたにも関わらず昇進を蹴って今の役職を続けていると聞いていたから、歴の長さや評価から来る傲慢さが少しはあると思ってたのに。
第一印象を良くする為かもしれないけど、井畑さんの表情は柔和で話し方も丁寧で腰も低くて、、。
第一印象しかまだないけど、それでも前のマネージャーよりは一緒に仕事をしたいなと思わせてくれる雰囲気があった。
心なしか、仕事がバリバリ出来そうな雰囲気もある。
「今から今後の業務の進め方をお伝えしていこうと思うんですがその前に一つ。私のチームは4班だけでなく3班の担当も受け持つ事になっています。そうなると、滞りなく密に連携をする事が中々難しくなってしまいます。そこでなんですが、、、。4班の中から一人、SEと班長を繋ぐ連絡係になっていただきたいと考えています」
役職名は連絡係ではなくSE補佐になるらしい。
仕事内容は4班への連絡だけでなく、3班への連絡と二つの班の連携とSEの会議への参加等々。
量は断然減るらしいが、プログラミングも今まで通りするらしい。
仕事量自体は変わらないけど、責任が増えるし頭を使う量も確実に増える。
対人ストレスも、、、きっと増えるんだろうなと思う。
3班といえば全部で10班ある内、最も担当する仕事量が少ないと噂されているところだから。
桃田さんや堺さんでも、3班なら準エースになれるかもなと、この前種崎さんがボソッと零していた。
普段あんまり人を下げるような発言をしないのに、よっぽど3班に対する鬱憤が溜まっていたんだろうなと、自分に向けられたものでもないのに印象に残っている。
(直接3班と関わった事はないけど、、、)
確か、入社日の個人面談で隣にいた高学歴同期も3班にいたはず。
そこから糸口を掴めば関係性を築けなくもないか、、?
「世那さん。是非あなたにお願いしたいと思っています」
「、、、、え?」
あまりの唐突さに、先輩相手に向けてるとは思えない程間抜けな顔をしてしまった。
声を出しこそすれ返答になっていない事は自分でも理解していた。
それでも、続きの言葉は出てこない。
「候補として既に何人か上げさせていただいていて、私のチームでは種崎さんが最有力候補として挙がっていたんですが、、、。私個人としては種崎さんには今後別の昇進の道を、世那さんには持ちうる才能をより生かせるポジションをと思いまして。昇進云々を決めるのは私の仕事ではないですけどね」
「えっと、、あの、すみません」
「どうされました?」
「僕はまだまだプログラミングの腕も確かではないですし、会社の事や他の班の事も全然知りません。ご期待に副えるかどうか、、、」
「世那さん。先程連絡係の話をした時、自分ならどうするかを考えませんでしたか?」
「、、はい」
「だからです。あなたを選んだのは」
自分の頭の中を読まれた事より、それが理由となり得た事のほうが気になりすぎて理解が全く追いつかなかった。
そういう話が出たんだから一度自分に置き換えて考えてみる事は別に珍しい事ではないし、それだけが理由で15人いる4班から自分が選ばれるとは思えない。
「元々、あなたの仕事の成長速度や他の方とのコミュニケーションの円滑さには注目していたんです。それに、こういった新しくて前例が無い取り組みやポジションの話をした時、多くの人は注目される事を避けたり自分事で考えるのを回避しようとしたりするんですよ」
褒められているんだろうけど、何故か嵌められたような気分になった。
きっと、こうなる事が分かっていて元から俺をSE補佐に任命しようとしていたんだろうなと、井畑さんの表情から思わされた。
それが嫌かと言われれば別にそういうわけではないけど、何となく素直に喜ぶ気にはなれなかった。
「明日は流れの確認も含めて軽く流す程度で、しばらくは私と一緒に行動して内容を詰めていってもらいます。その進捗具合にもよりますがそうですね、、、。実際にSE補佐としての仕事に完全に移行してもらうのは再来週あたりになると思います。私は人事ではないので強制力はありませんが、是非世那さんに。お願いできますか?」
「はい。宜しくお願いします」
強制力が無いとはとても思えなかった。
柔和な表情に優しさに満ちた声。どこまでも腰が低く伺うような姿勢。
どれを取っても選択への配慮が行き届いているのに、全部がそろった途端に脅迫めいたものに変換されてしまった。
自然、思考の迷いとは別に口では諾と答えてしまっていた。
別に嫌ではない。
嫌ではないけど、、。
慣れない環境に身を置こうとする時はいつも不安に駆られる。
「ただいま~、、。疲れた、、」
自分で了承したから当然ではあるけど、結局SE補佐の役職に就く事になり、あの後定時を30分過ぎるまで井畑さんと打ち合わせをした。
井畑さんはやっぱり終始良い人だった。
横柄な態度だったり人として尊敬出来るところが無さそうな人だったら、もしかしたら強気に出て断る事も出来たのかもしれないのに。。。
入社半年の新人に対してあんなに丁寧に腰を低くして接されてしまえば、突然の決定に悪態を吐く事も出来ない。
出来るのは、誰もいない部屋で疲労を吐露することくらいだ。
「不安だなあ、、、、」
ズボンに消臭剤を振りかけてソファーの背もたれにかけ、その上に適当にネクタイを放り投げ、シャツのボタンを適当なところまで開けてソファーの前に座り込む。
本当は床じゃなくて柔らかいソファーに座りたいのに、昨晩取り込んだ洗濯物に占領されていてそれは叶わない。
座ってしまえば立ち上がるまでに時間がかかるから、明日の事を考えれば床のほうがいいのかもしれないけど。
「、、アラーム掛け直さないと」
明日から三日間。
出社時間が30分早まって、退社時間も30分早まる事になった。
もしかしたら退社時間だけいつも通りになるかもしれないけど、その時は就業時間が伸びた分残業代が出るからと井畑さんから説明された。
井畑さん曰く、毎朝の班長との打ち合わせの場に同席して、今後の仕事の流れを掴んでほしいからという名目での就業時間の変更らしい。
30分だけ且つ残業が発生しても今までの定時くらいで帰れるならと何も考えずに了承したけど、その後に「今後は世那君に任せる事になるので、是非自分事で捉えて打ち合わせに参加してみてください」と言われて胃が痛くなった。
井畑さんの丁寧な説明や準備してくれた資料のおかげも相まって、自分にしては珍しく新しく取り組む作業内容に対する不安はあんまり無い。
ただ、自分でやっていけるんだろうかという不安は重く圧し掛かっていて、興味の無いテレビ番組がついているにも関わらずテーブルに手を伸ばしてチャンネルを変えようとする力すら湧いてこない。
この時間、確かいつも見てる番組があったはずなのに。
〖もう10月なのに暑いね~。体調大丈夫?仕事は慣れてきた?〗
気が付けばテレビから興味を失って、無意識の内に携帯を開いて母親からのLINEに返信を打っていた。
大学時代の友人にも返信をして、公式アプリの通知には既読だけつけて。
その後は自然、いつもと同じように流れ作業でゲームアプリの今日分の消化を進めていた。
もうずっと同じゲームをし過ぎて、何も考えなくても自然と手を動かすだけで決められたメニューを消化出来るようになってきてしまった。
始めたばかりの頃の熱量なんてものはもうどこに行ってしまったのかも分からない。
そろそろ別のゲームをしたいなとも思うけど、そこまでの熱量を湧きあがらせられるほど、今は心の余裕が無い。
(もう少し仕事が落ち着いたら、、、)
そうしたらゆっくりゲームをするだけの休日を作ろう。
そこまで考えて、仕事内容が変わって暫く落ち着く事はあり得ない事を思い出した。
本当に自分に出来るんだろうか。
ルーティーンとも呼べるいつもの流れをこなして少し落ち着いた心がまたざわざわした。
責任のある立場なんて、学生の頃も出来るだけ避けて通ってきたのに。
「、、、お風呂入るか」
明日への不安。
圧し掛かる責任。
二つ返事で受けてしまった事への後悔。
心をざわつかせるそんな色んな感情は、ひとまずリビングに置き去りにする事にした。
きっと明日の自分が何とかしてくれるだろう。
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