第2部 6話

目の前には苦い顔をした上司、彼女の手元には私が提出した資料。痛いほどの沈黙がどれほど続いたでしょうか、私の気は遠くなりかけた頃ようやく彼女が口を開きました。

「君はどうするのが良いと思う?辻村を高梨に合わせるべきか否か。今後、辻村に協力を仰ぐのならば彼の希望になるべく沿っておいた方がこちらの意見を通しやすいのは確かだ。しかし‥。」

「もし会わせた場合、辻村と高梨に何か変化が起きるのではないかと危惧しているのですか。それも悪い方向にという意味ですが。」

彼女の言いたかったことを推測して言葉を続けました。このような特殊な仕事を長年しているとある程度相手が思っていることやこの後どう答えるかということまで推察することができるようになってしまいました。ある種の職業病といったところでしょうか。あまり嬉しくない特技です。これのおかげで変に気を遣ってしまう癖がついてしまい、気疲れすることが多くなりました。退職後はあまり人と関わることが少ない田舎でのんびりと余生を過ごしたいものです。上司はため息をついてゆっくりと首を縦に振りました。

「その通りだ。良い化学反応が起これば良いのだが、その逆が起こる可能性も十分考えられる。いや、別に責任を取れと言われても問題はない。辞めろと言われたら喜んで辞めるさ。この仕事に未練など感じないだろうからな。ただ会わせた二人の人生を大きく捻じ曲げてしまったらと考えるとね。なかなか踏み出せないものだ。君もそうだろう?」

少し驚きました。私の上司は冷静かついつでも的確な判断ができる人物だと思っておりましたので彼女がこのように悩んでいる姿など想像していなかったのです。私が黙り込んだのをみて上司は口角を少し上げて薄く笑いました。

「呆れて声も出ないのか。それもそうだ。君も重要な判断を一人でできない能無し上司なんぞ軽蔑するだろうからな。」

自嘲するような発言でございました。これには流石に反論しなければなりません。少なくとも彼女は能無しなどではございません。私にとっては日頃から尊敬しお慕いさせて頂いでいる上司です。

「いえそんなことはございません。むしろこのような難しい判断を迫られた場面で周りの意見を乞うことができるあなた様はとても素晴らしい方だと思っております。」

心からの思いを伝えたつもりですが彼女はそれ以上何も答えずに壁にかけられている時計を眺めるばかりでした。なかなか自分の考えていることを相手に伝えるということは難しいと実感させられました。

「よし、決めたぞ。彼ら二人を合わせる。ただその場に君も立ち会うこと。いいかいこれは上司命令だからな。」

彼女はいつもの真面目な顔で私の方を見ましたが、どことなくいたずらがバレる前子供がさも面白いと感じている相手を見る時の目の奥の光がありました。私の脇の下を冷や汗が流れ落ちるのが感じられました。

「私も、ですか?」

上司は大きく頷く。

「もちろんだ。今回彼らの担当をしていたのは君だ。それなら彼らのことは詳しいだろうし、何かあればすぐに対処できるだろう。頼んだよ。」

彼女は立ち上がり、立ち尽くしている私の横をするりと抜けて部屋から出て行こうと把手に手をかけたところでこちらを振り向きました。

「準備が整い次第実行予定だ。準備しておけよ。」

こう言い残すと彼女は出ていってしまいました。一人取り残されてまった私はどうしようかと思案しておりました。さてどうしましょう‥。

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