第2部 4話
勝見煌羅は迷っていた。彼は今、閉店間際のパン屋の割引コーナーの前に立ち、今日の夜は焼きそばパンにしようか、それともコロッケパンか考えていた。中学二年生の男子が悩むことなんて取るに足らないことばかりだ。家に帰る途中の商店街で夜飯を買おうと何気なく目に留まったパン屋に入った。いつもは素通りするのになぜか今日は寄ってみたくなったのだ。両方とも割引で一つ八十円。この店はPayPayとかは使えないだろうから現金で払うしかない。自分の財布を見る。大体五百円ぐらいか、買えるな。両方買おう。僕は二つとも手にしてレジに向かう。
「お願いします。」
「はい。二点で百六十円です。袋はどうしますか。」
「大丈夫です。」
俺は店員さんを見る。綺麗な女の人だ。二十代後半から三十代前半といったところか、サラサラの黒髪に大きな目。将来こんな人が彼女だったらいいのに。この人からすればクラスの女子なんてお子ちゃまに見える。
「はい。三百四十円のお釣りです。」
「あ。は、はい。」
お釣りを手渡しされる。彼女の手が触れ、胸がどきりとした。温かく柔らかい手だった。いい匂いしたし。俺はそそくさと踵を返し店の入り口に向かう。ありがとうございましたと、彼女の声を背中に受ける。扉が閉まる寸前で聞こえた。きっと他のスタッフの声だろう、ナモモちゃんもう上がっていいよと。そうか、あの女の人、ナモモさんというのか。
自宅に着いた。家は誰もおらず真っ暗だった。いつからただいまを言わなくなったのだろうか。着替えて買ってきたパンを貪る。もぐもぐ。両方ともすごく喉が渇く。冷蔵庫を開く。がらんとした庫内。マーガリンや調味料、それと飲料水やビールぐらいしかない。んー、あんまりないな。野菜室を開けるといつ買ったか分からないブラックコーヒーのペットボトルがあった。これでいいか。その場で蓋を開けて口に含む。苦味が口に広がる。学校ではブラックコーヒーなんて飲んでいない。コーヒー牛乳とか甘いコーヒーしか飲まない。ブラックを飲むなんていったら、こいつすましてるぞとか揶揄われるから。明日は十時から遊ぶんだっけ。風呂に入って、少しゲームして寝るか。それから風呂に入り、少しゲームをして床についたのだけれど、寝たのは三時過ぎだった。
朝起きると八時半だった。睡眠時間五時間半。途中で何度か目が覚めたから実質寝ていたのは四時間くらいだろう。最近変な夢ばかり見る。女の人と買い物したり、スタバに行ったりする夢。夢の中では自分は何故か女性で、二人は親友のようだった。相手の女の顔は靄がかかったようにはっきりとは見ることはできない。輪郭がぼんやりとわかる程度だった。だがその声はどこかで聞いたことがあった。どこで会ったのかは覚えていない、でも優しい声だった。
確か奏雨にLINEと電話する約束だったな。一時間前の九時ごろにすれば大丈夫だろうと思い、自分の準備をすることにした。階下に降り、顔を洗い戸棚に入っていた食パンをトースターにセットすると同時にポットでお湯を沸かし始める。テレビをつけ、SNSをチェックする。Twitterでスタバの新製品が来週出るとの情報を見つけた以外は特に目を引く話題はなかった。一通り見終わる頃にトーストとお湯が沸いたようだ。カップにお湯を注ぎココアを作る。昔から甘いものが好きで苦いコーヒーよりもココアやフラペチーノなどを好んだ。食パンにマーガリンを塗りたくりかぶりつき、ココアを飲む。美味しい。食べ終わるとシンクにカップと皿を置く。あとで洗おう。外出用の服に着替えるのだが、男子中学生の着替えなんぞ数十秒で終わる。GUもしくはユニクロだった。本当は少しおしゃれしたい気持ちもあるが、服を買うという行為をその二店舗以外でしたことがなかったからどこで買えば良いのか分からず結局その二つで買ってしまう。
さて、自分の準備ができたところで奏雨に連絡しようとスマホを持つ。普通に起こしては面白くない、そうだ少しからかってやろう、あの時みたいに。うん?あの時?いつのことだ?という疑問が一瞬湧いたが、すぐに消えてしまった。プルルルル‥、プルルルル‥。でてくれよー、出てくれないと揶揄えないんだからな。
「はあい?もしもし?」
寝ぼけた馬鹿の声がスマホからした。俺は大きく息を吸い、一気に話した。
「おい!奏雨!今何時だと思ってるんだ。みんな来てるぞ!」
さて、寝起きのあいつはどうするかな。
「え!え!?まじ?十時!?やばい、どうしよ。とっ、とりあえず行くわ。他のやつには少し待ってって伝えといて。やば、急がないと。」
向こうでガサガサという音が聞こえる。多分、急いでベッドから出て着替えているのだろう。俺は慌てぶりが面白くてふふふと小さく笑った。
「そうだな。急いでくれよ。ところでさ、奏雨。時間ちゃんと確認した?」
「え?だから十時なんだろ!」
「いいから見てみ。」
「なんだよ。え。九時過ぎじゃん!まだ一時間くらいあるじゃん!おま、騙したな!」
「はは。確認しないお前が悪い。おかげでバッチリ目が覚めただろ。普通に起こしてもお前なかなか起きないからさ。ちょっと意地悪した。」
「ほんとに!びびったんだからな!」
「ごめん、ごめん。一時間あるから遅れないようにこいよ。じゃあまたな。」
「マジで覚えとけよ。またな。」
少し怒ってはいたがあれぐらいならば大丈夫だろう。少し笑ってたし。
奏雨は待ち合わせの五分前にやってきた。俺の顔を見るなり、奏雨は口を尖らせた。
「おお。間に合ったな。」
「間に合ったな、じゃないよ。なんだよあれ。マジで焦ったわ。もうあれやめろよな。」
「わかってるよ。ごめんってば。」
「奏雨はそれくらいしないとダメなんだってば。んじゃ、全員揃ったし、行こうか。」
「うん。」「ういーす。」「おっけ。」
それから俺らは隣町の大きなショッピングモールへ向かった。
修学旅行の買い物をそこそこに終わらせ、俺たちはゲームセンターやヴィレッジヴァンガードなどを夕方までたっぷりと堪能した。午後六時、朝集合した駅前で解散ということになった。俺と奏雨は家の方向が途中まで同じだから一緒に帰る。途中で昨日の商店街を通った。
「そうだ。奏雨。この商店街のパン屋ですっごい美人がいたんだよ。行ってみない?」
「ほんと!?行く行く!」
さすが奏雨。一瞬の迷いなく答えたな。俺たちは件のパン屋に着くとショーウィンドウを覗いた。
「いないな。奥にいるのかも。」
「よし。入ろう!まだ閉店時間じゃないっぽいし。」
こういう時のこいつの行動力は目を見張るものがある。カランカラン。扉が開くと中からいらっしゃいませ!と声がした。この優しい声は‥。奥からあの人が現れた。
「あの人。」
小声で奏雨の耳元で囁く。奏雨は時が止まったかのように固まっていた。ただ目線だけが彼女を追いかけているのがわかった。そうか、親友が恋に落ちてしまったか‥と伺っていると、彼女が俺たちに気づいた。彼女は俺を見て、次に奏雨を見た。すると彼女の表情は凍りついたように固まった。え?なに?この状況。俺はどうしようか狼狽えていると奏雨が消え入りそうな声で俺につぶやいた。
「出よう。」
俺は耳を疑った。
「え、なんで。」
「いいから。早く行くよ。」
奏雨の声は苦しそうで、すでに扉の方へ歩を進めていた。俺は奏雨の後を追うことすらできなかった。店を出る直前に彼女の方を振り返った。彼女は静かに泣いていた。
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