第2部 1話

 いつも見る夢があった。僕に話しかけてくる人がいた。夢の中で僕は仰向けで寝ていて、瞼を開くと屋外にいるように陽の光が眩しかった。その声の人物はちょうど逆光となるから顔は判別できない。でも、その声はどこか落ち着くような優しいものだった。


 僕は百田奏雨(モモタ カナウ)。現在中学二年生で、部活は水泳部。水泳自体は五歳の頃からしていて地方大会にも出場しているし割と速い方だと思う。友達も多くて、スイミングや学校、塾の知り合いなどを合わせるとかなりの数がいる。LINEの友達の欄は百人を超えているし、ほぼ毎日誰かしら連絡が来ている。僕はクラスのヒエラルキーでは上位の方に属していて、多分だけど陽キャだと思う。

 帰りのホームルームが終わり、リュックを背負おうとした時だった。

「奏雨!今日もスイミング?」

僕の真後ろの席の勝見煌羅(カツミ キラ)が声をかけてきた。少し後ろを向く。

「うん、そう。このまま行くよ。明日だっけ、遊びに行くの。」

僕はリュックを背負いながら答える。

「そうそう、明日の十時に駅前な。他にも春樹とか、和哉も来るってよ。」

「オッケー。十時ね。朝にLINEしてよ、起きられないかも。」

「さすが、朝に弱い奏雨君ですねー。友達を目覚ましがわりに使うとは。」

「前みたいなことがあったら大変だろ。頼むよ、勝見様あ。」

以前に僕は大寝坊をかましてしまって待ち合わせ場所に二時間遅れで到着し、予定していた映画も見れずにスタバに寄って適当にゲーセンに行くだけのつまらないことになってしまったことがあったのだ。今度はそんなことは避けたい、そのためには目の前の友人を頼るしか方法がないのだった。

「しょーがないなー。分かった。じゃあ、九時にLINEと電話するから。ぜってー起きろよ?」

「起きる、起きる!マジでありがと!あっもう四時だ。バスに遅れる!俺もう行かなきゃ。じゃ、また明日!」

「おう。またな。」

煌羅が少し手を挙げる。僕も手を挙げ返してから少し小走りになりながら教室を出た。急いで学校を出て、自転車を飛ばす。長年通っているスイミングスクールまで自転車で約二十分。選手クラスが始まるのは五時からなのだが、四時半ぐらいからストレッチや体操をするから四時二十分くらいには着いておきたいのだが今の時刻ではギリギリだろう。僕のコーチは少し厳しい人で少し遅れただけで機嫌が悪くなり、その日一日の練習中ずっとイライラして小言が多くなるしタイムが少し遅いだけで罵倒される。クラスの人達もそうなるのは嫌だからみんな必死になって時間に遅れないように来る。そんなに嫌だったらやめたらいいじゃないかと言われるかもしれないが、このスイミングスクールの選手クラスはかなり有名で、このクラスに在籍していた人の中で何人も全国大会に出場したり、有名な高校や大学から推薦をもらえることも珍しくない。みんな速くなりたいという気持ちももちろんあるだろうが、内心では推薦目的で選手クラスに居続けるものも少なくないだろう。


 着いたのは四時二十二分だった。急いで着替えれば間に合う。僕は受付をマッハで済まし、更衣室へ飛び込んだ。中は黙々と着替えている者で溢れていた。僕も端の方で着替えていると、悠長な顔をして近づいてくるやつがいた。

「よう。奏雨。今日はいつもより遅いんだな。」

「よっ。ちょっと学校出るのが遅かったから。マジで遅れるかと思った。光生こそ今日は早いじゃん。着替え終わってるとか珍しい。」

「今日は半日だったんだよ。なんか、説明会?とかでさ、在校生は帰らされたから、一回家に帰ってから来た。余裕よ。」

目の前に立っているのは織田光生(オダ ミツキ)、僕と同い年の中二。学校は違うけれど小学生の頃からの友達でスイミングスクールでは同じクラス。光生は私立中学に通っていて何気に頭が良い。こいつと話しているとそんなことはつゆ程も感じられないが。

「えーいいなー。ていうか、それならもっと早く来れただろ。」

「あんま早く来すぎても暇じゃん。どうせ奏雨いないしさー。それならいつもよりちょっと早く着くぐらいで良いかなって思って今日は四時十分に来たわけよ。」

「お前らしいな。よっしゃ、着替えたから行こうぜ。もうギリだろ。」

「やっべ。もうはんになる。急げ、急げ!」

僕と光生はキャップやゴーグルを掴んでプールサイドに急いだ。

 

 今日のメニューもきつかった。コーチはそんなに機嫌は悪くなかったけどメニューはきつかった。きっと、夏の大会が近いからだろう。最後の追い込みと思っているのかもしれない。中三にとっては最後の大会となる人もいるだろうし、この結果で進学が決まるということもある。そりゃ必死になるよなと思いながらシャワーを浴びる。このスイミングスクールの設備はかなり充実しており個別のシャワーや水風呂なんてものもある。火照った体のクールダウンは大事だからみんなこぞって水風呂に入る。僕はそんな彼らを横目で見ながら混む前にシャワーに入った。

「奏雨。明日、暇?」

横のブースから光生の声がしてくる。こいつも水風呂に入らなかったのかと思いながら答える。

「明日は中学の奴らと遊ぶ約束してる。遊ぶならまた来週だな。」

僕らのスイミングスクールは一週間に一度休みがある。コーチ曰く、体や筋肉を休めることも大事なのだという。

「そっかー。残念。遊びに行こうと思ったんだけど、また今度だな。明日、何するの?」

「もう少しで修学旅行だからその買い物。服とか色々用意しないと。」

「公立は修学旅行あんのかー。いいなー。俺らなんて研修旅行とかで県内の田舎の方の宿泊施設で、お勉強だぜ。まじ、勘弁。どこ行くの?修学旅行。」

「沖縄。新しい水着とか、半袖とか欲しくてさ。お金いるけどね。」

「いーじゃん、沖縄。海でどうせ泳ぐんだろ。水泳部の見せ所じゃん。水着の女の子はいっぱいいるし。パラダイスだよな。」

「同中の子のことをそんなふうに見ることはできないよ。」

「またまたー。良い感じの子とかいないの。」

「うーん。いないんだよね。可愛い子は何人かいるけどさ、みんな彼氏持ち。」

「まじか。どんまい。」

「良い子いたら紹介してよ。」

「俺が紹介して欲しいぐらいだよ。っていうか俺男子校だし。バラの学園生活なんて夢のまた夢よ。」

「確かに。お互い頑張ろうな。」

「おう。」

なんか話していて少し悲しくなった。僕はシャワーを止めセームで体を拭きながら更衣室へ向かう。光生も後ろから着いてくる。更衣室に着いてからはコーチへの不満だとか、最近飲み始めたプロテインのことだとかを言いながらダラダラと着替えた。そのうちコーチから早く帰れと催促されたので僕らはスイミングスクールを出た。それからすぐに家に帰るなんてことはなく、近くの公園にてコンビニで買ったアイスを食べた。いつも通りの日常だったけれどこの瞬間が僕は好きだった。初夏の薄暮の公園で友達と駄弁りながらアイスを食う。この時間が永遠に続けば良いのにと思った。

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