ジュウサン×十三

 高梨さんが私を見つめ言う。

「君は辻村優だ!」

その名前を聞いた瞬間あの人、辻村優の記憶が流れ込んできた。いや、正確には違う。思い出したんだ、一度自分の手からこぼれ落ちた大切なものを拾い上げるように。


 俺の視界が揺らいだ。なぜ尚の顔がぼやけているのか不思議に思った。自分の頬を熱いものが伝っていくのを感じた。そして気がついた。泣いているのは俺だった。俺は、涙を止めようと頑張ってみるが無理そうだ。意識すればするほど溢れてくる。まるで今まで堰き止められていたものが一気に流れ出した川を目の当たりにした人のようにただただ流れに身を任せるしかできなかったのだ。


「そうだ。お前は高梨尚。ずっと忘れていたよ。久しぶりだな、尚。」

「うん。優。久しぶり。」

いつの間にか尚も涙を流していた。そういえばあいつは感受性が豊かだった。個展に行って作品に圧倒されて自分に自信を無くして帰ってきた時もあったな。

「実は、俺、お前がいなくなってから自分がまるでこの世界にいないみたいだった。いや、違うな。意識はあるんだ。けれど、実体はないし、世界に干渉できない。ただ、漂っている存在、いてもいなくても周りに影響を与えないような。多分、お前と会うまでの十年間そんな感じだった。そして、十年後お前と再会した。この村津柚慈としてな。それからこの村津柚慈の中ではあの人として存在していたんだ。」

「そっか。ずっと村津君の中にいたんだね。でも、なんで今回僕は死んでないのに優が消えたんだろう。」

「これは俺の勝手な想像だが、事故の時にお前は一回死んだ状態になったんじゃないか。実際に高梨尚の一部は忘れ去られ、お前が忘れた存在は失われた状態になった。だから、俺は消えた。」

「事故のあの時、僕の一部は一度死んだ。だから君のことも忘れてしまったし、会うことすらできなくなった。でも、僕は大切な君のことを忘れてしまったことは分かっていたからずっと気になってたんだ。忘れてしまった大切なことはなんなんだろうって。ようやく取り戻したよ。君をね。」

「ああ。俺もだ。」

 いつの間にか俺たちの目から涙は消えていた。それから喫茶店の閉店時間まで、俺と尚は様々なことを語り合った。十年もの間離れていたのだ。時間はいくらあっても足らないくらいだった。


「なんか、見た目だけ尚は三十超えたおっさんなのに、俺は二十歳そこそこの若者ってなんか違和感あるな。中身は同い年だから。」

店を出て、尚に話しかける。

「もう、少し気にしてるんだからあんまり言わないでよ。優だって外見は村津君だけど中身はもう三十過ぎなんだからね。それより十年前もあの店に行ったことなかった?なんかあのマスター見たことあるんだけど。」

「ん?ああ、あの店な。行ったよ。俺らが出会った最初の日に入った喫茶店だからな。最初にあった時も、もう一度会った今回もあの店だったのは運命だったのかもしれないな。」

「そうだね。あの店のお陰でこうして優と会えた。」

「本当だな。また行こう。」

俺達はあの頃と変わらない足取りで夜の街へ繰り出した。

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