キュウ
今日、私は何時もよりも早く起きた。理由は、彼に会うためである。彼と会うのは久方振りだ。確か、間先輩と三人で研究室にて会った時以来だろう。
実は昨日、美容院へ行き、髪型を変えてきた。最近の流行とはかけ離れた十年程度前に流行っていたというものに。私の記憶の中にあるあの人はこの髪型をしていた。この髪型ならば彼が思い出してくれるのではないかという淡い期待があった。注文を受けた美容師は最初少し困惑した様子であったが、すぐに営業スマイルに表情を戻し私の注文を引き受けてくれた。しばらくして美容師が見せてくれた鏡の中には注文した通りの姿になった私がいた。まるで別人のようであったが、私は満足だった。少しでもあの人に近い姿の方が良いだろうと思っていたからだ。
エントランスに彼がやってきた。真面目な彼ならばこれくらいの時刻に出るだろうと踏んでいたが、まさしく予想通りだった。
「高梨さん。」
おはようございますもなしに彼に話しかけていた。尚と呼びそうになるのを堪えた。
「えっと‥、村津君だっけ。おはよう。」
彼が答えた。嬉しかった、私の名前を覚えてくれていたのだから。
「久しぶりですね。僕のこと覚えてくれていたんですね。」
本心だった。まさか覚えているとは。そして彼は髪型を変えたのも気づいてくれたのだ。僕から聞こうかと思案していたのに。嬉しい誤算だった。だからつい聞いてしまったのだ。他に何か思わないかと。
「うん?えっと、僕、最近の流行とかに疎くてあんまり若い子たちの髪型とか分からないんだ。だから、ごめん、君に似合っているとしか言えないな。奇抜な髪型とかだったら何か言えたんだろうけどね。」
彼はこの髪型のことを覚えていなかった。似合っている以外には何も分からないと、そう答えた。期待していた分残念に思う気持ちが大きかった。彼は何も悪くない、勝手に期待していた自分が悪いのだ。彼があの人の姿を覚えている保証なんて何もないのに。その後自分の口から出たのはごまかしの言葉、自分の本心じゃない言葉たち。本当は言いたかった。本当に見覚えがないのか、あなたは本当にあの人を忘れてしまったのかと。
それから彼と食事の約束をし、連絡先を交換した。一度ゆっくりと彼と話がしたかった。それはただ高梨尚という人間と関わりたいという欲や、彼がどのような人物か知りたいという興味があったからである。もちろんあの人のことを聞きたいという気持ちもあったが。同時に自分への不甲斐なさも感じていた。何故彼に対して素直にあの人のことを聞くことが出来ないのだろうか。
「何してんだろうな、俺。」
私の口からこぼれ落ちた言葉にハッとした。まるであの人のような口調だった。今は、私は村津柚慈なのだ、そう自分に言い聞かせて学校の用意をしようと自分の部屋に戻った。
部屋の壁に掛けているカレンダーの日曜日のところに大きく丸をつけた。
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