日曜日、この店にとって一週間のうちで唯一忙しい曜日となります。普段は、近所のマダムや紳士たちの憩いの場となることが多いこの店も日曜日は若いお客様も来店されます。私は、最近のSNSというものに疎いのですが、お客様が口をそろえていうにはこの店は“バズっている”そうなのです。

 きっかけは一人の女性のお客様でした。コーヒーとパンケーキをご注文されたその方は一言おっしゃいました。

「写真をとっても良いですか。」

この店を経営して二十年、今まで耳にしたことがない言葉でした。私は戸惑いましたが、すぐに了承いたしました。同時に当店のメニューすら写真が載っていないにもかかわらず、お客様が料理を写真に撮ることが少し可笑しく思えてなりませんでした。それから若年層のお客様が来店されることが増えていきました。お客様の言葉を借りると最近は“エモい”店が流行っているそうなのです。私共の店はお世辞にも若い人向けではありませんが、若い方から来店していただくことはとても嬉しく思っておりました。


 ある夏の日のことでした。もうそろそろ梅雨入りしそうな時期で、気温が高くなっているためかアイスコーヒーがよく出るだろうなと考えながら本日のランチであるナポリタンを作っておりました。その時、二人組の男性が入店されました。二人は、それほど仲の良い雰囲気はありませんでしたが、お客様の詮索をすることは御法度でありますので、考えないようにしながらお冷やの準備をし始めました。小さい店ですが、ランチや土日などは私一人では手が回らないため、パートの橋本さんに忙しい時間だけ手伝っていただいております。橋本さんにお冷やを持っていくように伝え、ナポリタンを皿に盛り付けました。橋本さんが二人にお冷やを出しながら話しかけておりました。

「いらっしゃいませ。お決まりになりましたら教えてくださいね。」

橋本さんは近所に住んでいる女性で、お孫さんがこの店の近くの幼稚園に通っていらっしゃっているそうです。ランチが終了し、片付けが終わり次第お孫さんを迎えにいくようで、本人曰くちょうど良い時間になるから助かっている、だそうです。橋本さんは話好きのマダムといった方で、誰にも気さくに話しかけることは良いことなのですが、時折お客様に馴れ馴れしく話してしまう場面があるため気分を害さないか冷や冷やしておりました。その時も、近所の知り合いに話すような口振りで接客されていたので、大丈夫かと様子を伺っていました。そんな私の心配も無用だったようで、二人の男性は気にすることもなく料理を注文なさいました。

 お二人ともコーヒーをご注文されました。何度淹れたか分からないコーヒーですが、毎回初心のように緊張してしまいます。挽いた豆にゆったりと柔らかな毛糸のようなお湯を注ぎます。コーヒーの香ばしい香りとゆらゆらと揺れながら立ち上る湯気。一番好きな瞬間です。ドリップポットの透明な液体が下のコーヒーサーバーに注がれる時には茶色がかった黒い液体に変化する、それはそれは美しい瞬間でございます。

 出来上がった二杯のコーヒーを橋本さんに渡すと、店を見渡しました。他に注文したそうなお客様がいないかの確認のためでしたが、どうやらそういう方はいらっしゃらないようです。私は、下げられた皿を洗う作業に取り掛かりました。

 私は、手を動かしながらお客様の会話に耳を澄ませておりました。よくない事だと分かっていますが、昔からやめることが出来ない癖であります。すると、このような会話が聞こえてきました。

「だから言った通り俺はお前の名前すら知らない。俺の記憶ではお前の顔すら見たことない。」

私は驚きました。顔すら見たことがない初対面同士で入店する方は多くはありません。いえ、ほとんど見たことがないと思います。私は、興味本位にお二人の会話に耳をそば立てました。どうやらお二人は本当に初対面らしく、自己紹介を始めました。二人の共通点といえば大学生であるということぐらいでその他は相通ずるものはないようでした。

 私は、今までいくら常連のお客様でもプライベートは詮索しないようにして参りました。それがお客様への礼儀であると考えているためでございます。

「尚。お前は、俺を知らない。そしてお前も俺を知らない。お互いを知らないはずなのに何故か俺はお前を追いかけた。どうしてだ?」

 一方の男性がもう一方に訊いていました。私は、何か違和感を抱きました。自分でも何か分からないことですが、確かにその状況は私の記憶に存在するような気がしたのです。私も今年で六十五でありますので、記憶違いがあるやもしれませんね。

 その後二人の男性は、十八時過ぎまで談笑を続けていました。店を出る時にはまるで旧来の親友であったかのような掛け合いをしておりました。会計をし、二人の後ろ姿を見送っていると、遠い記憶が思い出されました。かつて、当店を利用した二人組の男性達のことを。そして、確かに一人がこう言っていたことを。

「大丈夫。必ずまた会える。」

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