クロノヒョウ

第1話



 ここは生前の悪行によって導かれる死後の世界にある地獄。


 罪を犯した者たちか毎日熱い大釜でグツグツ煮られたり重い鉄を背負わされ針の山を登らされたり。


 そんなある日のこと。


 恐ろしい地獄の世界に突然大きな門が現れたのです。


 長い間この地獄で苦しみ、とうとう鬼となってしまった者たちはいったい何事かと門の前に集まりました。


「何だこれは」

「門?」

「もしかしてオレたちやっと出られるのか?」


 鬼たちは興奮しながら大きな門を押したり引いたりしていましたが門はぴくりともしません。


「おい、あれをよく見ろ」


 鬼たちが見上げると、門の遥か高い所に鍵穴が見えました。


「くそっ、鍵はどこだ」


 鬼たちはみんなで鍵を探そうと門の周りをぐるぐると歩き始めました。


「でもオレなんて地獄に来て千年近く経つけどこんなモノ初めて見たぞ」


「オレだって。数えてはいないが九百年は過ぎたな」


「お前もか。オレも長いぞ。ちょっと酒を飲みすぎただけなのに」


「オレだってたった一度浮気しただけだぞ」


「浮気はよくないぞ。オレは仕事で仕方なく虫をたくさん殺した」


「オレは……家族に嘘をついただけだ」


「……なんだ、みんなそれほど悪いことはしてないじゃないか」


「そりゃそうだ。あまりにも酷いことをした奴らは鬼じゃなく豚にされちまうらしいからな」


「豚に……」

「ヤだな」


 するとひとりの鬼が立ち止まって言いました。


「なあ、せっかくこうやって知り合えたんだ。何か楽しい話をしようぜ」


「そうだよな。明るい話をしよう。そうだ、もしも門が開いたら、みんなどうする?」


「そうだな……やっぱり家族に会いたいな」


「オレも、息子に会いたいよ」


「オレの嫁は元気にしてっかな。あいつ、オレがいないとそそっかしいからな。洗濯物は干し忘れるわ窓は開けっぱなしにするわ、しょっちゅうどこかに足の指をぶつけてたな。ははは……」


「はは、可愛らしい奥さんだな」


「オレの……オレの娘はまだ五歳だった。本当にオレの天使だったよ。それが……オレたちは事故に巻き込まれたんだ。気が付いたらオレは病院のベッドの上だった。妻はダメだったと聞かされた。オレももう長くはもたないだろうとな。最後に娘に会いたいと言った。娘は奇跡的に無事だった。娘が駆け寄ってきて寝ているオレに言ったんだ。『パパ大丈夫? ママは大丈夫?』って。だからオレは『大丈夫だ。心配ない。早くおうちに帰ろうな』って……それが……それが最後だった……」


 鬼が泣きながら話していると、他の鬼たちも涙を流し始めました。


「まさか……」

「それが……嘘、なのか?」


「……ああ」


 その時です。


 ゴゴゴゴッと大きな音をたてて地獄の門がゆっくりと開きました。


 鬼たちが驚いていると、なんと中から見上げるほど大きなえん魔様と仏様が現れたのです。


「うわぁ」

「ひぃ」


 鬼たちはそれはもう慌てて地面に座り込みました。


「ほう、こんなに早く鍵を開けるとはな」


「本当に。これは期待できそうですね」


 えん魔様と仏様は鬼たちに向かって言いました。


「わしが作った地獄の門に仏が『優しい涙』という鍵をかけおった。その鍵をこうも早く開けてしまうとは、お前ら見直したぞ」


「あなた方はちゃんと地獄で反省なさったようですね」


「褒美として一人だけ、現世に帰してやる」


「さあ、もとの世界に帰るのはどなたですか?」


 えん魔様と仏様が聞くと鬼たちは顔を見合わせた。


「お、お前が帰れ。娘さんがたったひとりでかわいそうだ」

「ああ、それがいい」

「きっと今ごろ泣いてるぞ」

「そうだ、お前が帰れ」


「……ちょっと待ってくれ。お前だって息子がいるんだろ? お前には愛する奥さんが。それなのにオレだけ帰るわけにはいかない」


「そりゃオレたちだって帰りたいさ。でももうオレたちはお前の娘さんをひとりにさせることなんてできない」

「ああそうだ。そんな娘さんを放っておけるわけないだろ」

「いいからお前が帰るんだ」

「えん魔様、仏様、こいつを、彼をもとの世界に帰してやってください」

「お願いします」

「お願いします!」


「お前ら……」


 鬼たちのやり取りを聞いていた仏様はにっこりと笑って言いました。


「わかりました。あなた方はとてもいい仲間を見つけられたようですね。仲間と協力する、仲間を助ける、仲間を思いやる。それができるあなた方は現世に戻ってもきっとうまく人の道を歩いていけることでしょう」


 仏様がそう言うと、暗い地獄はあっという間に眩しい光に包まれました。


「わあっ」

「わっ」


「はっはっは、もう間違いを犯すでないぞ」


 えん魔様がそう言うと、鬼たちの姿は跡形もなく消えてしまいました。


「……おい仏、今回もうまくいったな」


「そうですね。あの鬼役の天使の演技も上手くなりましたし」


「うむ。人間は情にもろい生き物よ」


「ふふ。さあ、次の地獄に参りましょう」


「仏、さてはお前さん、楽しんでおるな」


「ふふふふ」


 えん魔様と仏様は楽しそうに笑いながら次の地獄へと向かって行きました。



            完




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