第34話 全員リレー③

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 僕が鶴井沙織のことを始めて知ったのは入学式のことだった。


 彼女は入学式で新入生代表スピーチを務めていた。このスピーチをするのは入学試験で1位を取ったものだと決まっている。


 僕はこの学校でも簡単に1位を取れるんじゃないかって甘い期待していた。実際にここに入学するまでに僕よりも頭がいい人は周りにいなかった。


 彼女は天才だった。初めての中間試験でも全教科で1位を取り、圧倒的実力差で2位を突き放した。僕はこの時諦めた。彼女に勝つことは無理だろうって。結局1年生の間、学年1位を誰かに取られることはなかった。


 運命が変わったとしたら、2年生のクラス替えだろう。僕は彼女と同じクラスになった。ちゃんと顔を見たのは同じクラスになってからだった。それまではうわさでしか聞いていなかったが、授業でも体育でも涼しい顔で課題をこなしていく姿は噂通りだった。


 男子からの人気があり、無謀とは分かりながらも放課後になると毎日のように男子たちがやってきていた。誰が告白しようともなびくことはなく、それどころか名前すら憶えていなかったようだった。


 ほんのちょっとした出来心だった。もし、涼しげに学年1位を取る彼女が誰かに1位を取られたときどんな反応を見せるのか気になってしまった。


 僕は一番自信のある教科であった数学にかなり力を入れ、100点を取った。そして見事1位を取ることができたが、鶴井の反応は全く変わらなかった。


 だけど体育祭でバトン練習をしているとき、彼女は僕の名前を呼んだ。どうやら数学で彼女に勝ったことで名前を憶えてもらえたようだ。それから彼女の友達である長嶺を紹介され、3人で話すことや遊ぶことが増えてきた。


 彼女に惹かれるようになったのは文化祭からだ。妥協を許さず、かといってクラスメイトに無理強いをさせるわけでもない。全体的に準備に手間取っていたら、1人教室に残り遅くまで最善を尽くしていた。


 彼女は僕の理想であった。かつて自分がこうなりたいと思っていた人物像こそが鶴井そのものであった。まぁ、僕だったらもう少し愛想よくしていたけど。


 それでも僕が欲しいと思っていたものを鶴井は多く持っていた。それに気づいたからこそ、僕は彼女に恋をしていると気づいたのだと思う。


 今でも僕は彼女のことが好きだと思う。だけど、僕なんかでは鶴井の足枷にしかならない。


 だから彼女にはどんどん羽ばたいていってほしい。僕のことなどは気にせず……


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「頑張れ、沙織ちゃん……」


 ふと走っていく鶴井が大人しそうな子に見えた。小さな体を懸命に動かしているか弱い少女のように。だからって「沙織ちゃん」って……。応援でかき消されているから良かったものの周りに聞こえていたら殺されていただろう。


 なんで鶴井の姿がそのように見えたのかは分からない。だけど、今分かるのは鶴井はE組が勝つために全力で走っていることだ。


 僕は顔を両手でパチンと叩き、再び声をあげて応援する。


「頑張れ、鶴井さん」


 すでに鶴井は2位であったB組を抜かし、D組の背中をとらえていた。あと少し、距離があれば抜かせたかもしれない。順位は変わらず、バトンは久志へと渡った。


『おおっ、いけるぞ!』


 久志はバトンを受け取ると、すぐにD組の横に並んだ。この時代に来てから久志は勉強だけじゃなく部活にも力を入れていた。しっかりその成果が表れているようだ。


 アンカーは200m走る。お互い譲ることない激しい勝負が繰り広げられる。すでに走り終わった僕たちの前を通り過ぎ、残りは100m。


 このまま、抜かしきれるかと思ったが、さすがはインターハイ出場者。少しずつではあるが久志を離しつつある。


「久志、頑張れ」


 頼む久志。ここで勝って勝利に近づきたい。それで久志との気まずい雰囲気もよくなりたい。だから久志頑張ってくれ。


 残り50m。平井も久志もスピードは全く緩むことはない。3位のクラストはどんどん差をつけ、2人だけの勝負の世界だ。


 残り10m。先にゴールテープに触れた方の勝ち。あと少し、ほんのあと少しだった。


 微妙ではあるが、久志のスピードが急にゆるんだ。まるで何か別のものに気を取られたかのように……


『1位はD組だ~。E組はあと少しでした』


 無情にもアナウンスによって順位が発表される。E組はあと少しというところでD組に勝てなかった。


「久志……」


 全員リレーが終わり、応援席に戻った僕は、久志の近くへと寄った。


「なんだ、恭也か。どうかしたか」


 お疲れ? 惜しかったね? 選抜リレーでリベンジだね? 何があったの?


 僕の頭の中に多くの選択肢が混在する。なんて久志に声を変えればいいんだろうか。


「あのさ、久志」


 思い切って口から出た言葉に任せよう。そう思い声を掛けたが、


「楠本くん、ちょっといい?」


 横から口を挟んだのは長嶺だった。僕に対していつも通りの優しい顔を見せた後、


「ちょっと楠本くん借りてもいい?」


 と聞かれたので、どうぞと答えた。僕も久志に何を言えばいか分からなかったしちょうど良かったのかもしれない。だけど長嶺は久志になんの用があるのだろうか。


「内海さん、少し話したいことがあるのだけれど」


 久志と長嶺が立ち去ると同時に鶴井から声が掛けられた。


「どうしたの何かあった」

「ええ、凄く大事な話。選抜リレーのことだけれど」

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