第36話 殻

「大事な話って言うのは?」


 久志が長嶺に連れていかれた後、僕は鶴井に話しかけられた。どうやら選抜リレーのことで大事な話があるとのことだが、何故それを僕に言うのだろうか。


「さっきの全員リレーでC組の子に巻き込まれる形で岩永さんも転んだでしょう。それでどうやら足首を捻ってしまったようなの」

「岩永は大丈夫なの?」

「詳しく診てみないことには分からないけれど、たぶんだけれど、骨には異常はないそうよ」

「それは良かった」


 体育祭で骨折しましたなんて悲しすぎるからな。不運な事故では遭ったけれど、最悪の事態にはならなさそうで良かった。


「それでこれ以上の競技は参加させられないことになったわ」

「それはそうだろうね。悪化なんてしたら大変だもん」


 岩永は選抜リレーのメンバーであるが、こればかりはしょうがない話だ。無理をして余計に足の怪我が悪化しても困る。それに本人的にも怪我をしている自分が出るのはクラスに迷惑がかかることは分かっているはずだ。


「岩永のことは分かった。心配だから僕もあとで顔を出してみることにするよ。

それで話って言うのは終わり?」

「内海さん、今の現状って理解している?」

「岩永の代役が必要になったということなら」


 まあ、岩永が走れなくなってもウチのクラスにはまだまだ足の速い奴がいる。そいつらが走れば問題はないはずだ。


「そうよ。誰かが岩永さんの代わりに走らないといけなくなったわ」

「急なことではあるから大変だろうけど、頑張ってね。僕はみんなのことを応援しているから」

「その様子だと現状が全然理解出来ていないようね……」


 鶴井は右手で顔を押さえ、「ハァ~」とため息をついた。どうやら僕は何かに気づいていないようだ。それで彼女は呆れているのだろう。


「内海さん、現状選抜リレーで走ることのできる生徒はどれぐらいいると思う」

「何を当たり前のことを言ってるの? それはもちろん、個人種目を2種目以上出ていない人に……ああ゛っ!」


 そういえば、大繩の人数が足りていなかったから、何人かがそちらに2種目目として参加していたんだっけ。


「待って、じゃあ2種目出れる男子はあと何人残ってるの?」

「8人よ」

「なんだ十分残ってるじゃなんか」


 焦って損した。8人もいれば誰かしら走ってくれるだろう。深刻そうに言うから走る人がいないのかと思ったよ。


「問題なのは人数じゃなくて、残っているメンバーの方よ」

「残っているメンバー?」

「参加できなくなった岩永くんとそこまでタイムの変わらなかった3人は2種目に出てしまったわ。残りは内海さんもいれて100mのタイムが14秒以上の男子だけなのよ」

「それって、まずくない」


 鶴井は黙って頷いた。まずいな、積極的に参加すると思っていた奴らが出れないとは……。考えてみればそうか、やる気のある奴らなら2種目でるもんな。


「内海さんのことだから計算していると思うけど、青組に勝つにはまだ点数が離れているわ」


 大繩跳びの点数が入れられた後、掲げられていた得点版は点数が『???』となり見えなくなっている。これは最後まで勝負を分からないようにしているのだが、100m走や障害物競走など複数人でのレースでなければ得点を計算するのは容易だったりする。


 先ほどの全員リレーの順位は、D、E、H、F、B、G、A、Cという順番であった。D組に1番は取られたもののC組が最下位になり、EF組は2位と4位を取ることができた。


 これにより、AB組には60点、CD組には90点、EF組には120点、GH組には90点が新たに入った。そして肝心の順位であるが、


1位 CD組(青組) 315点

2位 EF組(白組) 306点

3位 GH組(緑組) 297点

4位 AB組(赤組) 245点


 となり、僕たち白組は2位へと浮上し、1位の青組とは9点まで迫った。そして選抜リレーの順位次第では十分勝ち目が残っている。


「C組が最下位を取ったことで私たちは点数を9点まで縮めることができた。だけど、C組は先程の全員リレーでも転倒するまでは上位にいたわ。それがどういうことか分かるわね」


 9点を縮めるだけとはいえ、それは簡単なことではないということだ。選抜リレーの得点は1位が40点で順位が1つ下がるたびに5点ずつ減る。簡単な話、EF組が1,2位を独占すれば絶対勝てるし、EF組それぞれがCD組より順位が1つ高くても勝てるということだ。


 しかし全員リレーで優勝したのはD組であったし、何よりC組も途中までは3位につけていた。つまりF組の結果も重要であるため、ここでE組は1位を何としてでも取っておきたい。


「D組に勝って1位を取らなくちゃいけないってことだね」

「話が早くて助かるわ。それじゃあ、時間もないことだし急いで練習するわよ」

「んんん? 練習? 誰が?」

「何を言ってるの、あなたしかいないでしょう」

「ちょっと待って、僕が出るの? なんでどうして?」


 いやいや、おかしいって。僕クラスの男子の中での順位は10番目だぞ。いくら何でも無謀すぎる。


「優勝したくないの?」

「いや、優勝したい」

「なら走りなさい」

「いや、強引過ぎない⁉」


 なんでここまでして僕を走らせたいのだろうか。参加できる人が少ないとはいえ、それでも僕より早い人は残っているはずなのに。


「僕が速くないのって知ってるよね」

「ええ、知ってるわ。私より遅いもの」

「なら分かっていることじゃん、僕には無理だよ」

「いいえ、できるわ。だって体育祭までの間、一緒に練習してきたじゃない」


 鶴井は体育祭までの間、朝練に付き合ってくれた。一緒に走ることはあったけれど、一度も勝てることはなかった。


「だから鶴井さんも分かってるでしょ。僕には無理なんだよ。才能のない僕になんてできるわけが……」

「いいかげんにしてください‼」


 鶴井の怒号が辺りに響き渡った。周りの生徒たちは何があったのだとこちらに目を向ける者達もいた。だけど彼女はそんな人たちの視線など気にせず話を続けた。


「才能がない。それは諦めていい理由にはなりません」


 僕は彼女に目を奪われた。だって彼女は、


「確かに人間というのは不平等です。初めから持っている才能は人それぞれで、努力だけでは越えられないものがほとんどです」


 ポロポロと涙を零していたから。


「それを僻んむだけで終わってしまったらあなたの成長はそこで止まってしまいます。だけど努力だけは絶対に自分に返ってきます。絶対叶わないと思っていた人にも一矢報いることだってできるんです」


 何故そんな悲しい顔をしているのだろうか。何故泣いてまで僕を怒るのだろうか。見捨てればいいじゃないか、そんなに辛いのなら。賢いのだからそれぐらいできるだろうに。


「だから、諦めないでください。それが私の……」

「私の?」

「いえ、なんでもありません」


 彼女はそう言って涙を拭った。言いたいことを言ってすっきりしたのか満足げな顔だ。


「安心してください。内海さんは初めとは比べ物にならないぐらい早くなっています」

「本当?」

「はい、ずっと見てきたんですよ。私が間違えるはずありません」


 なんだか照れ臭いな。怒らせたり泣かせたりしたと思ったら今度は褒められたり。ちょっとどういう感情でいればいいのか分からなくなってきた。


「才能がないからって諦めていい理由にならない、か」


 その言葉はとても身に染みるものだった。もしかすると僕は鶴井という完璧な女性と出会ってそんな思いを忘れてしまっていたのかもしれない。


「はい、私の憧れの人に教えてもらった言葉です」

「どんな人なの?」

「私に努力するきっかけをくれた人で、とても優しい人でした」

「へ~、鶴井さんを変えた人か。会ってみたいな」


 どんな人なのだろうか。昔の鶴井を変えて今の鶴井の姿に影響を与えた人っていうのは。


「紹介はできないです。凄く遠くに行ってしまいましたから」

「そうなんだ……」


 さっきの涙はひょっとするとその人のことを思い出して泣いていたのかもしれないな。鶴井が憧れの人というぐらいだ。凄く大切な人だったのだろう。


「でも、私にとってはいい思い出なのです」

「だから、僕が自分を卑下することを言う度に怒ってたんだね」

「はい、内海さんはこんなものではありません。私だって倒せるはずです」

「それはどうかな……」


 鶴井を倒す姿か……。全くその光景が思い浮かばないな。


「いつまでも待っていますから、早く私を追い抜かしてくださいね」

「精進するよ」


 僕はまっすぐ彼女の目を見ていった。これからは手を抜かない。一種の決意表明みたいなものだ。


「だから鶴井さんの勇姿を目に焼き付けるよう、頑張って応援してるね」

「はい、頑張ってきますね」


 そう言うと満足したのか、彼女はその場から立ち去って……


「ちょっと待ってください。何を終わらそうとしているんですか?」

「ちっ、バレた」


 すぐに本来の要件を思い出したようで戻ってきてしまった。上手く話題を躱すことができたと思ったんだがな。


「酷いです内海さんは」

「ごめんね。なんかそのまま忘れてくれそうだと思ったからつい」

「まったく、もう」


 そう言いつつも彼女からは怒りが見えないどころか少し笑っていた。正史では見ることが出来なかった女の子らしい一面が。


「それで出てくれるんですよね。選抜リレー」


 彼女は改めて試すような風に聞いてきた。断ることはないと分かっていると言うのに。


 僕自身、指令や金山の計画のこともあって、優勝をクラスメイトだけに託すのは少し嫌だったところだ。自信はないが、最後まで足掻いてみせるとしよう。


 それに泣かせてしまったことに負い目もあるし、それなのに出ないとなるとさすがダメ人間に成り下がってしまうからな。


「もちろん。時間がないから、すぐに練習しようか」


 僕はもう一度頑張ってみようと思う。正史では一度も鶴井に勝つことはできなかったが、それはどこかで気持ちで負けていたのだろう。


 今が殻を破るときなのかもしれない。都合のいい自分の世界に捕らわれず、頑張ってみるのも良いのかもしれない。


 キミと肩を並べるように頑張ってみるよ。




―――この時、鶴井を泣かせたことによって後日多くの男子たちから詰められることになるとは思いもしなかった。

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