第5話 席替えで一波乱

 2年E組の担任、石澤先生は20代後半の女性だ。生徒たちの悩みに対して親身に寄り添い、多くの生徒たちから人気があった。


「は~いみんな、席についてね。HRを始めるよ」


 毎週水曜日の5,6時限はHRが行われる。


 この時間の主な使われ方として行事関連に当てられることが多いが、特に何もないときには、自習の時間になったりするなどと比較的緩い。


 だから2時間という時間はあるものの何をするのかはその時々だったりする。


 さすがの僕もこの日のHRは何をやったかなどと事細かく覚えているわけではないので、先生がこれから何をしようとしているかも分かるはずもない。


 むしろ覚えているやつがいるとしたら怖いくらいだ。


 授業の挨拶を終えるなり、先生は1つの小さな箱を取り出した。


「じゃあ、今日は前から予告していた席替えをしたいと思います」


 多くの生徒から喜びの声が上がった。そういえば、この先生は毎回手作りのくじを作って席替えをやっていたっけ。


 思い返してみれば、僕もくじ引きで席替えをするのを楽しんでいたと思う。


 ふと、周りを見渡せば、多くの男子の目は燃えていた。目的は大方、自分たちの席が鶴井の近くになれるかどうかで熱くなっているのだろう。


「じゃあ、順番にくじを引いて行ってくださいね」


 席替えでは男女交互の席順となるようにくじが用意されている。


 僕としては席に関してはどこでもよいとさえ思う。多くの生徒が嫌がるであろう教卓の前だって全然構いはしない。


 ただ、鶴井の近くにならないことだけを願う。


 正史であれば僕は5番と書かれた一番右の列で一番後ろの席であったが、さすがに同じくじを引けるはずもなかった。


 僕の手には【3】という数字が書かれた紙があった。3番がどの位置であるか黒板の表を見ると、一番右の列で前から3番目の席であった。


 久志はというと、11番の紙を引いたらしく、教卓の目の前であった。


 本人は嫌そうな顔をしているのが見えたが、成績を上げるためには日頃の授業から集中して欲しかったため、こちらとしてはありがたい限りだ。我慢して勉強に励んでほしい。


 男子全員がくじを引き終わったところで今度は女子が順番にくじを引き始める。


 僕の隣の席の番号は8番、そして僕の席の前後である2,4番を鶴井が引かないことを祈るしかない。


 どうやら天は僕の味方をしてくれているらしい、まだ5人しか引いていないというのに運よく2番と4番のくじを別の女子生徒が引いた。


 残りの人数は11人。あとは誰かが左側の席である8番を引いてくれればいいのだが……


 そんな風に僕が心の中で祈っていると、くじが入った箱へと1人の茶髪の女子生徒が近づいて行った。


(鶴井……)


 鶴井は多くの男子たちの視線などを一切気にしないかのように堂々とくじを引き始めた。


 多くの男子生徒が自分の隣に来るように祈る中、僕は8番を引かないように祈った。正史では隣の席になったことがないから大丈夫なはずだ。でも万が一なこともあるし……


 箱の中に手を入れ、鶴井が引いたくじの番号は……30番だった。


 『よし』と僕は心の中でガッツポーズをした。その席は僕の席からちょうど反対側に位置している。席が近ければ話すこともあっただろうが、こう離れていては話す機会など訪れないだろう。


 まずは一段落か。僕は鶴井と席が離れたことに安堵し軽く伸びをする。くじ引きにここまで祈ったのは初めてかもしれない。


 安堵している僕に対し、隣の席になれなかった男子たちはあからさまに落ち込んでいた。逆に隣の席になった男子は喜びががっつり顔に出ていた。


 そんな男子たちを見ている女子は若干引いていた。いつものこととはいえ、こうもあからさまだと呆れるしか選択肢はないだろう。


 数年前は僕もこうだったんだなと思うとなんだか情けなく思ってしまう。さすがにここまではひどくはないと思いたいが、それでも傍から見れば異常だな……


 過去の自分に恥ずかしさを覚えていると、トコトコと鶴井と入れ替わるようにして左右に結んだ赤髪の女子がくじの元へと歩いて行った。


 そしてその子が引いた番号は8番だった。すると自分が引いた番号が8番と確認するなり、ニコっと笑った顔で教卓の方から僕を見た。


 急なことに僕は戸惑いを感じつつも、軽くぺこりとおじぎだけしておいた。


 もしかしなくても僕の方を見て笑っていたよな? 正史ではこの時まだ関わりを持っていなかった相手だけに驚いてしまった。まさか僕のことを認識していたとは……


 その後も順調にくじ引きが終わるかと思ったが、ここで事件は起こった。


「先生、8番がまた出ました」


 最後から2番目の生徒がそんなことを言い出した。確かにその生徒が持っている紙にはしっかり【8】と書かれている。


「おかしいわね~、ちゃんと書いたと思ったんだけど……ごめんねもう一度引いてもらえる」


 ドジだな~とクラスから笑い声があがる。そんな朗らかな雰囲気が漂う中、僕はというと、顔には出さなかったものの、内心ひやひやであった。


 あっぶな~、先生のミスだったとはいえ、8番が2枚もあったとは……。偶然というのには恐ろしい、まさか引かれたくない番号に限って2枚あるとは……


 同じ番号が2枚もあれば、その分確率も上がるわけだから、鶴井が引いていてもおかしくなかったな。


 無駄にドキドキしたくじ引きも無事終わり、各自自分の新しい席へと移動を始めた。


「内海くん、よろしくね」


 声が掛けられた方に目を向ければ、僕の隣に座った女子が話しかけてきていた。


 それは先ほど僕の方に笑顔を向けていた子。そして知っている顔、いや知りすぎている顔だった。


長嶺ながみねさん、こっちこそよろしく」


 長嶺結夏ながみねゆいか。鶴井とは仲が良く、たぶん鶴井にとって一番の友達と言っても間違いではないだろう。高身長の鶴井とは違い、小柄な女の子だ。


 正史では鶴井と同じく体育祭で関わりを持つようになったのだが、どうやら席替えを機に歴史が少し変わってしまったみたいだ。


 全員とまでは行かないが、覚えている限りでも今の席でも正史とは異なっている部分が多い。僕と久志が当時とは違うくじを引いた結果なのだろう。


 ただ女子まで正史と席が変わっているのは少し気にはなるが、これも僕たち2人がこの時代に来てしまった影響なのだろうか。まあ、大した問題ではないはずだ。


 唯一予想外であったのは長嶺と隣の席になってしまったことだった。鶴井と関わらないようにするつもりが、鶴井にとって仲の良い長嶺と関わってしまうのはまずささえ感じてしまう。


 ただ鶴井とは違い、長嶺は男子とも比較的仲が良いが、その仲の良い男子たちを鶴井と絡ませるようにしていることはなかった。


 だから長嶺を経由して鶴井と僕が関わるようになる可能性は低いはず……。今はその可能性に賭けるしかない。


 こちらが思考を巡らませているのに対し、沈黙が気まずかったのか、長嶺はさっそく話題を振ってきた。


「ねぇねぇ、たしか、内海くんって、この前のテストで学年10位だったよね」

「うん、そうだけど。それがどうかしたの?」

「そんな高い順位を取れるなんて凄いね」


 手をパチパチさせて褒めてくれる長嶺を見て悪い気がしない……


「あたしね、勉強が苦手なんだよね。良かったらなんだけど、分からない問題とかあったら内海くんに聞いたりしてもいいかな?」


 勉強が苦手といっているが、僕の記憶が正しければ、長嶺もしっかり行きたい大学への推薦は取れていたはずだ。


 たぶん地頭は良くて、しっかり勉強すれば点数が取れるのだろう。


『僕に聞くより、鶴井さんに聞いた方がいいんじゃないの?』


 と口に出そうとしたが、慌てて飲み込む。

  

 僕が鶴井と長嶺が、仲が良いと知ったのは期末テストの後だ。なのに僕が今そのことを知っているのは違和感を持たれてしまうかもしれない。だからその返答はNOだ。


「僕が分かる範囲だったら問題ないよ」


 どうせ久志の勉強を見ることには変わりないし、たまに勉強を教えるぐらいなら大した手間ではないからな。


「本当⁉ ありがとう」


 嬉しそうに微笑む長嶺。長嶺と仲良くしたがる男子たちは大抵この可愛さにやられたのかもしれない。


 長嶺は基本的にフレンドリーであるため、特別感が薄れているのであろう。鶴井のような高みにいるような存在はなく、身近に感じやすい。


 僕自身も何故か長嶺と付き合っていたかのような感覚が当時あったが、妄想だとしてもとんでもない話だ。そんなことを誰かに離せば頭は大丈夫かと言われてしまう。


 存在しない記憶は置いといて、実際長嶺も多くの男子から告白されていた。ただ1つ気になるのは、高校生活の間誰とも付き合うといったことはなかったことだ。


 男子に興味がなさそうな鶴井とは違って、長嶺は男子とも仲良くしていたから彼氏の1人でもいてもおかしくはないのに、そういった浮いた話は一度も聞くことはなかった。ただ単純に好みの男子がいなかったのかもしれないけれど。


 まあ僕には関係のないことか。余計なことまでは考える必要はない。僕のタイムリープした目的はあくまで良い大学に入ることなのだから。


 まずは第1関門の席替えは無事終了したことを喜ぶとしよう。

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