青の孤独 (blue hell)

帆尊歩

第1話 ブルーヘル 青の孤独

父さんは、そこが地獄だと言った。

あたしは、なぜと父さんに聞く。

「我々、鯨が生きてゆけないところは、みんな地獄なんだ」

「海の上は生きていけないところなの」

「そうだよ、だから絶対に行ってはだめだ」そう言われて、あたしはまわりを見渡す。

そこのあるのは、どこまでも続くブルー。

光さえ届かない寒々とした、

深いブルー。

魚一匹いない静寂の世界。

海の上はもっと明るく、

もっと暖かく、

もっとたくさんの生き物がいるにぎやかな世界。

でも父さんはそこが地獄だという。

あたしたち鯨が生きられないところは、みんな地獄だと。

だからあたしは、この海の底の深いブルーの世界を天国と思うようにした。

そして父さんがいなくなった。

「いいか、もし父さんがいなくなったら。地獄に行ったと思うんだ」

「地獄ってどこ?」

「我々鯨が生きてゆけない所。海の上だ。いいか、絶対に海の上には行ってはいけない、そこは地獄なんだ」

「うん。分かった」


あたしは、この海の底の深いブルーの世界でたった一人になった。

いくら鳴いても誰も答えてくれない。

どこまで行っても光のない深いブルーの世界が広がるだけ。

父さんがいなくなった今、胸が苦しい。

この感情は何?

まるで胸が締め付けられるような。

感情。

父さんがいた時は感じなかった思い。

その思いは、いくら時間がたっても解消されなかった。

だからあたしはこの海の底の天国から、海の上の地獄に行ってみることにした。

もしかしたらそこには、いなくなった父さんがいるかもしれない。

だからあたしは普段絶対に行かない海の上へと泳いだ。


段々暖かくなる。

段々明るくなる。

深いブルーの世界は、濃いブルーの世界に変わり。薄いブルーに変わる。

そして、水色。

辺りには様々な魚が泳いでいる。

なんて賑やかなの、なんて明るい、なんて暖かい。

美しい珊瑚礁が現れる。。

何かがあたしの前を横切る。

「亀さん、こんにちは」亀はあたしをちょっとだけ見ると、そのまま泳いで行ってしまった。あたしは嬉しくなって。

大きく鳴く。

震動があたりを震わす。

深いブルーの海の底では、その声はブルーの闇へと消えていった。

でもここでは魚たちが驚く。

ごめんなさい。

驚かせちゃった。

あたしは楽しくなってもう一度鳴いた。

もう慣れたのかしら、もう魚たちは驚かない。

魚たちがあたしのまわりを泳ぎ回る。

その時あたしは気付いた。

父さんがいなくなって感じた、胸が締め付けられる感情、それはきっと寂しかったんだ。

深いブルーの海の底で、いくら鳴いても、その声は深いブルーに溶けていった。

でもここは寂しくない。

だってたくさんの生き物がいる。

ここならあたしは一人じゃない。

ここはほんとに地獄なの?

こんなに暖かいのに。

こんなに明るいのに。

こんなに美しいのに。

こんなにも賑やかなのに。

ここに比べたら、あたしがいた海の底の方がよほど地獄。

あたしは、海の上の地獄の門を見るための鍵がほしいだけだった。

あたしは色とりどりの魚たちに導かれて、どんどん暖かい方へと行く。

段々海底が浅くなって行く。

でもあたしは魚たちと離れたくなくて、どんどん泳いで行く。

そしてあたしのお腹は、砂地に着いてしまった。

そしてもう先に進めない。

あたしは慌てて体をよじる。

でもそのせいで、あたしの体は砂に埋もれる。

もう背中が海面の外にでている。

あたしは慌ててさらに体をよじると、さらに体は砂に埋もれる。

そしてあたしは完全に動けなくなった。

苦しい。

なんて苦しいの。

体が動かない。

魚たちがあたしを心配してくれるけれど、

どうにも出来ない。

苦しい。

苦しい。

あたしはここで死ぬの?

人間たちがあたしのまわりにやって来た。

大勢であたしを押してくれる。

でも半分くらい砂に埋もれたあたしは、びくともしない。

その間にも、あたしの息はどんどん苦しくなる。

あたしの尻尾に綱が巻かれる。

船というもので引っ張られる。

でもあたしの重さに耐えきれず、綱は切れてしまう。

諦めの雰囲気が伝わる。

あたしはここで死ぬの?

小さな女の子が、可愛いバケツであたしに水を掛けてくれる。

ありがとう、でもそんなんじゃ、何の足しにもならない。

人間は恐いと言うけれど、みんななんて優しいんだろう。

ここが地獄なの?

こんなにも暖かくて、

こんなにも明るくて、

こんなにも優しいのに、

そして

こんなにも賑やかなのに、

あたしは寂しかったんだ。

あたしの命は尽きようとしている。

でも最後にこんな素晴らしい所に来れて、こんなに賑やかな所で死んでゆけるなんて。

あたしはなんて幸せなの。

ここであたしは生きてゆけなかった。

ここを父さんは地獄と言うけれど。

あたしにとってここは、天国よ。あの永遠の孤独の海の底の方が地獄だわ。

あたしは、海の上という地獄に入る門の鍵を持っていたと思っていたけれど、違ったのね。

あたしは海の底という、孤独の地獄の門から抜けるための鍵をもっていたのね。

頭がボーッとしてきた。

やっと、永遠の孤独が終わるのね。

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青の孤独 (blue hell) 帆尊歩 @hosonayumu

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