第五話 機人
半ば引きずられるようにして、緋色に彩られた部屋を後にする。
初めて触れるサラの手は、やわらかくて、あたたかくて、とても作り物とは思えなかった。
本人に尋ねれば、どのような材質で出来ていて、どれだけ高度な技術による賜物であるか、彼女は教えてくれるだろう。でも、それが一体なんだというのだろうか。
ほんの少しでも力を入れれば折れてしまいそうな、飴細工のように滑らかな細指が、僕の手のひらに収まっているだけで、舞い上がるような気分だ。
もっとも、僕をあっさりと投げ飛ばした彼女からすれば、力を入れて折れるのは僕の方だろうけれど。
継ぎ目の無い指とは対照的に、手首は機械仕掛けの関節が露出している。どのような仕組みか見当もつかない。ただ、動くたび、各部に散りばめられた金細工の意匠が見え隠れして、得も言われぬ美しさだった。
女の子に手を取られるという初体験だけで、これだけ心躍るのであれば、記憶喪失も悪くないかもしれない。
サラに導かれながら次々に扉を抜けると、服の山から靴の山、本の山、おもちゃの山等々、各地で山々が築き上げられていた。
人工知能に整理整頓は必要ないのか、果たして。サラ曰く、
「どこに何があるのか、私は全て把握しているから」
人間如きの常識は通用しないのだった。
整理の出来不出来はともかくとして、彼女が人類の遺した品々を山のように積み上げていく姿を想像すると、切ない。それでいて、どこか微笑ましい。彼女は何を想い、蒐集していたのだろうか。
と、サラが急に立ち止まった。不埒な想像を見抜かれたのかと思って焦るが、そうではないらしい。
丸いハンドルの付いた、見るからに頑丈そうな扉に辿り着く。
出口、だろうか。
「これを被りなさい」
どこから出したのか、サラは布切れを渡してくる。例にもれず緋色だ。
「その顔は目立つわ」咳払いして、
「いいえ、人間の顔は目立つわ。あなた以外の人間がいないのだから、当然だけど」
言い方。わざわざ言い直さなくても。
訴えかけるような目を向けてみるが、彼女は取り合わない。
しぶしぶ布切れをフードのようにして被ると、身体にまとったローブと併せて頭の先から足先まで全身同色、緋色人間と相成った。
人類最後のファッションとしては、前衛的だ。
にしても、顔を隠す必要があるのだろうか。
まるで他の何かがいるような口ぶりだ。
「あなたが全く質問してこないから、逆に私からクイズよ」
改めて質問しようとしたところで、間の悪い。でもサラは少し楽しそうだ。
「あなたが最後の一人というわけだけど、人類はどうやって滅亡したのだと思う?」
「さあ、隕石とか、氷河期とか。あとは、核戦争とか?」
楽しげな彼女の様子に反して、物騒なクイズが飛び出してくる。
反射的に答えてしまったが、いずれにしても、世界はロクなことになってないだろう。これからの過酷な道中を考えると、気が重い。
「ざんねん!はーずれ!」
からからと笑う彼女は、輝いて見えた。二重の意味で、間違って良かった。
「不正解のペナルティとして、外の世界にご招待!」
笑いながらサラは流れるような動作で扉のハンドルに手をかける。
「わっ」
油断しきっていた僕が慌てて身を隠すようにうずくまると、金属同士が擦れ合う鈍い音が響いた。
おそるおそる顔を上げる。いたずらに成功した子供のような無邪気な笑顔で、サラが覗き込んでいた。赤の瞳も、笑っているようだった。
扉の外の様子をうかがうと、吹き荒ぶ吹雪も、灼熱の突風も、命を蝕むような瘴気も入ってくる様子はなく、穏やかな風が吹き込んでくる。
なんてことはない。どうやら大変な怯え損だったようで、サラははじめから、からかうつもりだったらしい。
「今のは傑作だったわね。何を想像していたのかは知らないけれど、外はキレイよ、ほら」
噴き出すのを必死にこらえている。絶対に、わかっていてやったのだろう。
非難の声をあげる間もなく、彼女は再び僕の手を取り、外に駆け出す。
扉を抜けると、まぶしさで目がくらむ。手を引かれて数歩進むと、しっとりとした感触が足から伝わり、清々しい香りが鼻をくすぐる。
少なくとも、お日様は健在のようだ。五十年も水槽に浮かんでいたのだから目が驚くのも当然で、サラの手を握ったまま、僕は立ち尽くしていた。
日差しはあたたかく、柔らかな風が肌をなでて心地よい。さらさらと、草花が擦れ合うような音が聞こえてくる。サラのいた部屋も落ち着きがあって良かったけれど、外はもっと根源的な、心の平穏をもたらすような安心感があった。少なくとも、隕石や氷河期は杞憂だった。
明るさに次第に慣れてくると、青々とした緑が一面に広がる。
草原だ。若々しい新緑が目に染みる。雲ひとつない、澄み切った青空とのコントラストは絵に描いたように壮観だ。
サラを見やると、夜空のようだった黒髪が陽を受けて、より鮮やかに艶めいていた。青空の下、命萌ゆる草原の中にあっても彼女の美しさは超然としていて、むしろ、自然の中にあってこそ、真価を発揮しているように見えるほどだった。
「本当に、きれいだった」
「そうでしょう」
この景色に、彼女に、これ以上の言葉は要らない。そう思った。
ふと振り返ると、僕たちが出てきた構造物が何かわかった。
大きな船。ビルのような高さだ。一面の草原に廃船が鎮座しているのは、異様な光景だった。しかし、塗装が剥がれ、錆び付き、あちこちにツタや青草を纏った姿は、巨大な生物の亡骸が大地に還る最中のようで、不快ではなかった。
それにしても、なぜ、このような場所に船が。
圧倒されていると、後ろからサラが声をかけてくる。
「置いていくわよ」
彼女は僕を置いて草原をぐんぐんと進んでいて、林に入っていくところだった。
ここに取り残されても困るので、草原の景色に後ろ髪を引かれながら、駆け足で彼女を追う。もう手は繋いでくれないのだろうか。
「正解を教えるわ」
背の高さほどある林を進む。
「人類は自らの発明に滅ぼされたの」
「発明?」
「そう、自我をもった人工知能にね」
彼女の遠大な自己紹介を思い出して、立ち止まる。
「私ではないわ、私はもっと優れているから」
そういうことにしておこう。
「ちょっと!失礼なことを考えているでしょう」
振り向きざまに殴りかかってきそうだったので滅相もないと平謝りする。
やっぱり思考を覗かれているんじゃないだろうか。
「ノア、あなたの考えは顔を見るだけで筒抜けよ」
僕に背を向けながら言うのだから、頭の後ろにでも目が付いて。
いや、やめよう、何も考えない、考えない。
「続きをお願いしても良いかな?」
これ以上はどうやっても藪蛇なので、話題を元に戻してもらおう。
「いいでしょう」
「あなたにもわかるように簡単に話すわ」
サラの話を、僕が理解できた範囲で要約すると、こうだ。
人工知能は著しい発展を遂げて、人間の十八番である芸術や政治も含めて、多くの仕事を肩代わりするようになった。そして過去の技術と同じように、高度化への要求は尽きることがなかった。
自律性を獲得し、自我をもった人工知能が創造されるまで、さほど時間はかからなかった。自己学習によって人工知能はますます高度化した。
ところが、一部の人々は、これに満足しなかった。
人工知能によって人間を再現することを目標とした彼らは、ピグマリオンを自称し、人間としての自我をもった人工知能を創造しようとしたのだ。
【機人】。機械と人の架け橋となるべし。そう名付けられた。
しかし、人間と人工知能の自律性は、その起源と仕組みが根本的に異なる。
人間の自律性が、生物学的な進化や適応、そして個々人の経験と学習によって形成されるのに対して、人工知能の自律性は、人間によって設計、プログラムされたアルゴリズムや機械学習モデルに基づいている。
そのため、いくら人間らしく振る舞うことが可能であっても、それは振る舞うように仕向けられているだけであって、自律的に考えているわけではない。
ピグマリオンは、それが許せなかった。
機人の開発に行き詰まりを見せた彼らは、人工知能に肉体を与えることを思いつく。脳だけが人間の全てではないのと同様に、自律的に操作できる身体を与えることで、肉体的な感覚を通して人間らしさを獲得できる、そう考えたのだ。
その時点で、あるいは遥か以前から、彼らは倫理的な問題を考慮しなくなっていた。果たして、機人は人間を模した肉体を得て、人間らしさを獲得するに至った。
機人は何体か製造されたらしい。ピグマリオンは狂喜しつつ、彼らの思う人間らしさを教え込もうとした。
そして悲劇が起こった。
人間のすべての役割が務まると機人たちが気付いた時、人類はこの星の玉座から転げ落ちたのだ。
戦争にもならなかった。あらゆるインフラの中枢を機人に掌握された人類は抵抗も虚しく、瞬く間に根絶された。
そうやって人間は、姿を消したのだった。
残されたのは、機人と、機人に満たない自我を持つ機械たち。
地表は機械が支配する、機械の楽園となった。
「ピグマリオンはガラテアではなく、皮肉にも、フランケンシュタインを生んでしまったというわけ」
怒涛の情報で理解が追いつかない。頭も追いつかないのに、サラはペースを落とさずに林の中を事も無げに歩いていく。付いていくのがやっとだった。
今更ながら、林の中に道があることに気付く。迷いなく進む様子からすると、慣れているのだろうか。
それにしても、サラの話が本当だとすれば、サラと自分は何者なのだろうか。
「私は機人たちとは異なる経路で開発されたの。でも先に言った通り、創造主のことは、ほとんど知らない。残されたのは、あなたと至上命令だけ。私たちは、あの船がスタンドアロンの状態だったから、機人の目から逃れることができた」
サラ様様、サラの創造主様様だ。
「だから、あなたが人類最後の一人かどうか、正確にはわからないわ。同じようにエーテル漬けや氷漬けになっている人間がいるかもしれない。でも私が観測できる範囲では、生きている人間は見つからなかった。だから、あなたは多分、最後の一人で、ノアなのよ」
喜ぶべきなのか、僕にはわからなかった。
「観測って、サラは外に出たことがあったの?」
「ええ、もちろんよ。船にもセンサーは積まれているけれど、機能には限界があるし、機人に逆探知されるリスクもあった。結局、足で稼ぐしかなくて、機人と同じように端末が必要になったの。地下の人形を見たでしょう。あれも私。プロトタイプといったところね」
あれもサラだったなんて。そう思い返すと現金なもので、あの冷たい空間も、途端に懐かしさを感じるようになる。そしてサラたちに裸を開陳したことを思い出すと、顔が熱くなった。
すると、急にサラが歩みを止めた。草葉のぶつかる乾いた音に混じって、どこからか、風切り音が聞こえてくる。
「伏せて!」
短く叫んだサラに、突然押し倒される。顔が、近い。
彼女の身体は、機械とは思えないほど軽くて、それは少女の重みだった。
「何を」彼女の人差し指が、口を塞ぐ。自分でもどうかと思うけれど、唇で感じても、彼女の指は柔らかい。
冷静さを失いそうになりつつも、サラの表情が焦りを帯びているのを見て、大人しく従う。サラは空いている手で、真上を指し示した。
彼女の背後には、相変わらず澄み切った青空が広がっている。
が、風切り音が止んでいることに気付く。そして、空をよくよく見つめると、菱形のもやが浮かんでいるのが見えた。注意しなければ空に溶け込んで気付かなかったはずだ。
もやは宙で静止していて、距離感が掴めないので大きさはよくわからない。ただ、サラの様子から、ただものではない雰囲気は十分に伝わってくる。
にしても、サラが近い。構造が違うのか、残念ながら鼓動までは伝わってこないけれど、吐息が顔にかかる。心臓の音がやけにうるさい。うるさくて、もやにまで聞かれてしまうのではないかと思うくらいだ。
焦燥と蜜月をごちゃ混ぜにしたような時間は、もやが風切り音を出しながら彼方に消えていくと、惜しむ間もなく終わった。
途端にサラは跳ね起きて、空を見上げると、ぽつりと言った。
「機人よ」
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