第二話 出会い

 青年が一息に階段を駆け上がると、階下の心胆寒からしめる風景とは打って変わって、ぬくもりのある部屋に辿り着いた。数は少なく、どれもくたびれてはいるが、品の良い木製の調度品があちこちに置かれている。床板の上には緋色のカーペットが敷かれており、部屋の主の趣味だろうか、カーテンなどの織物は全て同色で統一されていた。


 あたりをきょろきょろと見回しながら、安楽椅子を突いたりして息を整えていると、部屋の一角にカラフルな布が積み上げられたオブジェがあることに気付く。よくよく近付いてみると、そのオブジェは服の山であった。鮮やかな真紅のドレスから落ち着いた菫色の着物まで、幾層にも重なっていて判別できないが、東西の様々な服が無造作に積み上げられている。山は青年の身長ほどまであり、すそ野はブーツや長手袋を巻き込みながら、隣部屋のドアまで続いている。服の洪水が起きたかのようだった。


 好奇心に任せて歩みを進めると、はっと青年は息を呑む。


 服の山間に、少女が眠っていた。


 青年が驚いたのは、少女の存在ではなく、その隔絶した美しさであった。


 彫刻家が命を込めて刻んだかのごとく端正に整った顔は、凛々しさとあどけなさが両立しており、陶器のような肌は光でさえも触れることを躊躇う滑らかさを見せる。夢見るような微笑みをたたえている唇は、淡い薔薇色に染まっている。艶やかな黒髪は腰のあたりまで伸びており、夜空のような輝きに吸い込まれそうになる。慎ましやかだが、女性的なラインをはっきりと示す身体は、飾り気のない装いによって、かえって扇情的で目を奪われるようであった。


 そして、およそ人間離れした美しさを持つその少女は、果たして人間ではなかった。


 蠱惑的な首元や腰回りからは何かのコードが伸びており、それらは彼女にかしずくように周囲に流れている。肩や膝の無機質な関節が露になっている部分でさえも、金細工が施されており、緻密な彫刻のように優雅で、芸術品に他ならない。


 やわらかな寝息が、規則的に動く彼女の胸から漏れ、風が葉を撫でるようにやさしく響く。色とりどりの服たちに包まれるようにして眠るその姿は、服を選ぶのに飽きて、疲れて眠りに落ちてしまったようでいて、どこか微笑ましい。


 彼女の美しさの前では、人間か人間でないか、その問いに如何ほどの意味があるだろうか。


 神気さえはらんだ美しさにあてられた青年はよろよろと、その機械の少女に近付いた。


 ああ、


「なんて、きれいなんだ」


 ぽつりと呟くと、少女に向けて指を伸ばす。


 青年の世界は、一瞬にして暗転した。



 身体がふわりと宙に浮いたかと思うと、肺から空気が一斉に逃げ出していく。重力を感じる間もなく、青年は気付くと服の山に埋もれていた。瞬きする間もなく、投げ飛ばされたのだった。少女の見た目ながら、驚くべき膂力であった。


「レディに無断で触れようとするなんて、最低の人間だわ」


 さも不機嫌そうな声色であった。が、澄み切った彼女の声はむしろ心地よく、怒りが向けられていることを感じさせないほどだ。青年が頭にまとわりついたローブをはぎ取ると、機械の少女はいつの間にか距離を取り、仁王立ちでこちらを睨みつけている。


 再び青年は圧倒された。寝姿さえ芸術品であった彼女が動く様は、いよいよ屏風から出てきたようでいて、とても現実のものとは思えない。それだけではない。


 瞳である。燃え上がるような赤の瞳は、宝石のように煌めいていた。


 黒髪の夜空によく映える瞳に貫かれ、青年は茫然とする。呼吸さえ忘れているようであった。


 機械の少女も、青年の様子に毒気を抜かれたのか、わざとらしく咳払いすると


「ようやく、お目覚めってわけね」


 まるで仕切り直したかのように言い放つ。腰に手を当てて尊大に構える様子が、かえって可愛らしい。青年はただ、にこにことしてしまう。投げ飛ばされたことなど、すっかり胸中から去ってしまっていた。


「私はサラ。超先進的才気煥発人工知能のサラよ」


 サラと名乗る少女は胸を張ってみせた。どうやら彼女なりに、可能な限り尊大に振舞おうとしているようであるが、こなれていないためか、子供の背伸びに見えてしまう。


「何か言うことが、あるんじゃなくて?」健気に続けるが、


「きれいだ」間髪入れず。


 青年の即答によって彼女の意志は砕けてしまったようだった。


 なんとも言い難い微妙な表情で、しばらく宙を見つめ、途方に暮れる。諦めたように肩をすくめると、意を決したサラは呆けている青年に近付き、改めて切り出す。


「私が美しいのは当然として、美しさも罪だと人間は言うのでしょう。だから先の蛮行は許してあげる。それはそれとして、あなた、五十年も経って頭は大丈夫かしら。モニタリングはしていたけれど、人間の脳は実際に動かしてみないとわからないものだから」


 そう言ってサラは青年の頭を指先で、つんと優しく突いた。


 思いのほか優しく、柔らかな指先に心を奪われるところであったが、流石の彼も現実に引き戻されたようで、急に立ち上がると


「頭は、頭が五十年?」


 と、慌てて裏返った声をあげる。やっと人間らしい反応を示した青年に対して、サラは安堵した様子で答える。


「脳機能は大丈夫みたいね、よかった。そう、五十年。正確には、五十二年と二カ月。それだけの期間、あなたは眠っていた。でも安心しなさい。氷漬けにされていたわけではないから」


 何が安心できるのか、そして五十年だろうが五十二年だろうが、青年には理解できなかった。


「順番に、順番にお願い」


 か細い声に同情したのか、サラは柔和な表情を見せる。が、頷いて話し始めようとすると、不意にぷいとそっぽを向いてしまった。


「取り敢えず」


「何か着なさいよ」


 青年は赤面した。彼女も、そうであるはずだった。

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