星のひとみの爛々と

草群 鶏

第一章

第1話 サンガのさんざんな一日

 ドオンと火柱が上がり、一帯が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 肌に感じたかすかな予兆、咄嗟に身をかばったのは訓練の賜物と言うほかない。体当たりじみた重い衝撃になにもかもが宙を舞い、サンガは急流に立つ杭のようにじっと耐えた。

 風が止み、聞こえるのは耳鳴りばかりとなってはじめて、おそるおそる顔を上げる。目の高さまで引き上げた外套を下ろすと、暗い路地裏が一転、視界が嘘みたいに開けていた。

(俺じゃない)

 累々と横たわる瓦礫の山を呆然と見渡して、すうっと血がさがる。うなだれるままに己の手元を見下ろすと、手にした剣は刀身に小さな稲妻がじゃれついて、ぱりぱりと音をたてていた。視界に障る銀髪からも同じ色の稲妻が散る。

 いずれも、サンガの魔力が帯びる固有色である。目の前の惨状と結びつけるのはあまりにも容易かった。

(でも、俺じゃない)

 己の剣は腰に下げた鞘に収まったまま、いま持っているのはついさっき誰かに押し付けられたものだ。などと言い逃れしたところで、誰が聞いてくれるだろう。

(終わりだ……)

 一歩よろめいたそのとき、瓦礫からワッと歓声が上がった。


*


 ようやく温もりはじめた石畳の通りに、高い靴音がせわしなく響く。大股に運ぶ足さばきで青銅色の外套がひるがえり、朝のひかりのなかで鋼の光沢を放った。

 軒下で駒を置く老人たち、品物の覆いをよける店主、子どもを送り出す母親。そういう街の動きには目もくれず、サンガは与えられた任務を扱いかねて悶々としながらゆるい坂をくだった。行き過ぎる建物の合間から絶えず朝日が矢を射掛けてくるので、ただでさえ険しい顔つきを都度顰めることになり、巌のような風貌はいっそう凄みを増す。彼が年齢よりはるかに老けて見られる一番の原因である。

(一体どういうつもりなんだろう)

 真新しい生地に覆われた手のひらの上で、黄金の嘴がぐらぐらと揺れる。昼と夜の空模様が繊細に彫りつけられた羅針盤は、工芸に疎いサンガの目にも見事な品と映った。本来なら宝物として扱われるべきものだろう。これを新入りの武官にぽんと預けるというのはなかなかに肝が据わっている。

 訓練課程を終え、城下警邏隊に配属されて間もなく、サンガが初めて単独で任された仕事は〈人探し〉だった。

 厳密に言えば、命じられたのは護衛であって人探しではない。とある高官の娘に数日付き従うことが任務の本筋であり、実態は付き人に近い。地味な仕事だが、サンガもはじめは精一杯務める気でいた。

 ところが対象の邸まで挨拶に出向いたところ、戸口にあらわれた家令は本人の不在を申し訳無さそうに告げた。サンガが面食らっていると、実にすみやかに「よろしければお使いください」とこの羅針盤を差し出したのである。

 一定の方角ではなく特定の人物をさししめす特別仕様。それだけで相当高度な術が込められていることがわかったし、手にすると全身がじんと脈打った。高位の道具は使い手を選ぶものだ。サンガの体内でふたつの魔力がせめぎあい、一瞬のうちに主従が決する。手のひらのなかの小さな鳥がくるくる回ったかと思うと、やがて針のように細い嘴がある方向をさしてぴたりと止まった。

 針を見つめたまま態度を決めかねていたサンガに対し、壮年の家令はほっとした様子で頭を下げたのだった。

「お嬢をよろしくおねがいします」

「はあ」

 ――そして現在に至る。

 信用されているのか、丸投げされただけなのか。

 とりあえずやみくもに歩き出してはみたものの、喉に小骨がつかえたような気分が拭えない。

 代々武芸に秀でたフレイヤの家門。一族に共通する髪の色は銀、一度に循環する魔力の量が大きいほどその色は淡く、サンガの直系の血族はとくに透けるような白銀をもつ。父は壮年に差し掛かってなお国じゅうで五指に入る剣士として広く尊敬を集めており、同じく腕の立つ母はサンガとふたりの姉を厳しくもあたたかく導き育て上げた女傑として知られる。サンガは両親を尊敬しているし、己の血筋を心から誇りに思っている。

 駆け出しの新人がいきなり重大な任務に就けるとは思わないし、家柄による贔屓なんてもちろん望んでいない。むしろ、平和な日常とは地道な努力の積み重ねによって実現されるもので、その営みには敬意を払ってきたつもりである。

 しかし。

 これはただの使い走りではないか。

 ふらふら出歩く不良娘を連れ戻すのに、人手がほしかっただけでは。

 直属の上官に「きみにしか頼めない」などと言われたのも今となっては怪しいものだ。うまいこと乗せられて、意気高く出てきた自分が恥ずかしい。

 しかし、黄金の鳥はそんなサンガの屈託などお構いなしに行き先を示し続けた。当然、人間の都合など知る由もないから、途中からおもて通りをはずれ、どんどん脇道にそれて、袋小路に阻まれることもしばしば。立場上、まさか不法侵入をはたらくわけにもいかない。さすがのサンガも、歩調をゆるめて慎重にならざるをえなかった。

(こんなに暗かったか?)

 それに、やけに静かだ。ふと立ち止まり、あたりの物音に耳をすます。

 裏通りのようすは、サンガの記憶のそれとはずいぶん様変わりしていた。サンガも幼い頃は同じ年頃の子供で大勢集まって、縦横無尽に駆けまわって遊んだものだ。ぐっと道幅が細く入り組んだ路地裏は子供の恰好の遊び場で、暇を見つけてはあらたな道を開拓し、年齢を重ねるにつれて探検を深めていくのが通例だ。隠し通路に秘密基地。大騒ぎしたり食料をひっくり返したりして叱られることはあったが、大人たちは概ね寛容だった。街のすみずみまで把握することが身を助けることもあると知っているからだ。

 そこには荒っぽく雑多で、おもて通りよりもはるかに濃い生活のにおいが充満していた。

 ところが今はどうだろう。

 子どもの声はおろか、大人の姿もまばらだ。珍しく人影をとらえたと思えば、足音に逃げ出すか、うつろな目でじっとしているか。薄暗い窓辺に、山と積まれたがらくたの陰に、淀みが凝っている。どこかなまぐさい臭気がつんと鼻につく。

 空が天蓋に覆われて数年、上空からの脅威は去り、世の中は良い方向へ向かうべきなのに。

 恩知らずな人々は言うのだ。

「我々は空を失い、魂の自由を失ったのだ」、と。

 サンガにはそれがどうしても理解できないのだった。

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