第24話 奏と青井(2)



「それもこれも、やはり奴が来たからか・・・・・・」

 思い出した顔で信幸の目つきは鋭くなっていった。


 その鋭さは過去に犯人へと向けていた眼差しと似ている。

 その姿に奏は僅かばかりほっとした。

 どうやら、まだ僕の知る青井さんのようだ。


「奴――?」

 その言い方だとその人物に心当たりがあるのだろうか。

「そうだ。最近な、ふさふさした可愛い奴が来たんだよ」

 眉間にしわを寄せ、信幸は次第に不機嫌な顔になっていった。

 その眼差しはどこか敵意があるように見える。

「何かのぬいぐるみですか?」

 可愛い奴――。奏にはそんなイメージがあった。

「いや、違う。――犬だ」

 八つ当たりするように信幸は奏を睨みつける。

 行く当てのない怒りが信幸の中にあった。

「犬・・・・・・?」

 奏は信幸の言葉に聞き覚えの無い顔をする。


 青井さんに犬――。

 奏は想像できなかった。


「そんな想像できないような顔をするなよ」

 奏の表情を見て、信幸はどこか残念そうな顔をする。

「いやー、そのー、意外で・・・・・・。純粋に驚きましたよ」

「まあ、俺が直接ではないんだがな」

 直接、犬を飼っている訳じゃないんだけどな。信幸はそう補足する。

「あ、そうなんです?」

 さっきの言い方だと、散歩したり、世話しているような言い方だった。

「――実は先日、嫁が町内会から子犬を預かってきたんだ」

 ひと息つき、信幸は少し困った顔で話し始める。

「あー、奥さんがですか。なるほど」

 青井さんではなく奥さんが世話しているのか。

 奏は納得するように頷いた。


 町内会と言うと、幸恵さんあたりだろうか。

 奏は推測する。


「そうだ。で、嫁との会話が減ったのはそれからなんだ」


 時系列的にも合う。

 信幸は事件の捜査をしているような口調で言った。


 途端に奏はここが会議室だと錯覚する。

 いや、ここは会議室ではない。

 ただの屋外のベンチだ。

 奏は目が覚めたように目をぱちぱちさせる。


「へえ、奥さんが子犬を町内会から預かってきて、それから――えっ? えっ?」

 奏は考えながら、急に腑に落ちない顔をした。


 奥さんが子犬を町内会から預かった――。

 どこか似たような話をしていた人がいたことを奏は思い出す。


 落ち着いて、もう一度要点を整理する。

 どうやら、変なところで点と点が繋がったようだ。


「何だ、お前まで引くのか? えっ、俺が悪いのか?」

 そう言うと信幸は慌てた顔で立ち上がる。

「いや、そう言う訳じゃないんですけど・・・・・・」

 見上げるように信幸を見つめ、奏は適した言葉を探していた。


 何と言えば、いいのだろうか。

 良い言葉が見つからない。


「なら、なんだよ?」

 まるで容疑者のような扱い。

 信幸は責めるように奏を睨んだ。

「いえ、その・・・・・・。あー、そう言えば、青井さん、婿養子でしたもんね・・・・・・」

 信幸が過去に言っていた言葉を奏は思い出した。


 つまりは――。

 奏の中の一つの仮説は過去の信幸の言葉で確信へと変わる。


 昨日、公園で会った女性、美沙が信幸の妻であると言うことに。


「――えっ、奥さん綺麗過ぎません?」

 ハッと思い出したように奏は口にする。


 とても、信幸と美沙が一緒にいる光景なんて想像できないけれど。

 自身が導き出した真実は、必ずしも自分に良いものではなかった。


「なっ。お前、嫁に会ったのか? いつ? まさか、お前が原因か?」

 突然、胸倉を掴むような勢いで信幸は言う。


 信幸の中の感情のベクトルが今、奏に向けられた。


「奥さん、その――美沙さんですか? 昨日、公園で会いましたよ」

 両手を上げ、荒ぶる信幸を落ち着かせようとする。


 そんなまさか、そんな偶然があるなんて――。

 自分が思っているより、世間は狭いのかもしれない。

 奏は迫る信幸を見つめ、ふと思った。


「おま――嫁を名で呼ぶな」

 次第に信幸の視線は細く鋭くなる。

 その視線は奏の知る刑事、青井信幸だった。

「あ、申し訳ないです。にしても――綺麗ですね、奥さん」

 信幸を落ち着かせながらも奏はベンチから立ち、ゆっくりと後退していく。


 このままベンチにいれば、逃げ道は無い。

 その流れは避けたかった。


「だろ?」

「――って、あの見た目で高校生の娘さんいるんですか?」

 奏は瞬きを繰り返し、理解が出来ないような顔をする。

 美沙の容姿だと幼稚園の娘がいるような雰囲気があった。

「あ、それは俺も時々思う。客観的に見ると姉妹にしか見えない」

 女性はわからんな。信幸は俯き、首を左右に振るうとそう呟いた。

「凄いですね・・・・・・」

 頷くと、奏は美沙が言った言葉を思い出す。


 ――そうか。

 青井さんの奥さんだったから、僕を知っていたのか。


「ちょっと待て、結局、原因はわからないぞ?」

 会話を振り返ったのか、信幸は解せない顔で言った。

「んー、何でしょうね、愛想尽きちゃった?」

「えー、どうすればいいんだよ、緒方―」

 両手で奏の両肩を掴み、前後に揺らす。


 揺らす速度に適応できず、首だけ後に揺れ――とても痛い。

 揺られる中、奏は辛そうな顔をしていた。


 なぜ、僕は青井さんに――。

 とても、以前の仲では考えられないことだった。


「近い近い、首が痛いです、青井さん」

 我慢できず、ツッコミを入れるような口調で奏は言う。

「おっ、すまん・・・・・・。やはり、あの子犬か・・・・・・。嫁も娘もでれでれだよ」

 ハッと気づいた顔で申し訳なさそうに両手を放した。

「子犬が可愛くて、お父さんどうでもいい。そんな状況ですかね」

「なあ、緒方。それはシンプルに傷付くんだが」

 口を半開きにして、信幸はとても悲しそうな顔をする。

「青井さん、事実です。おそらく、それは」

 右手を前に出し、落ち着かせるような仕草をして、奏はゆっくりと告げた。


 いかん、下手に青井さんを刺激してはいけない。

 下手すれば、攻撃される。


「そうか・・・・・・。そうなのか・・・・・・。すまんな緒方、色々と」

 目が覚めた顔で信幸はゆっくりとベンチに座る。

「とりあえず、僕からは『年頃の娘には深入りしない』とお伝えしておきます」

 健吾が仕事中、よく言っていたことを奏は思い出した。

 その年頃の娘が京子だと言うことを奏は気づく。

「そうだな。ありがとう――神さま」

 そう言って、少しばかり晴れた顔で署へと戻って行った。


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