第23話 奏と青井(1)


 翌日。

 櫻木警察署前のベンチ。


「それで――?」

 信幸は無糖の缶コーヒーを片手に解せない顔で奏に言う。

 その光景は奏がよく知るいつもの光景だった。


「それで・・・・・・と言いますと?」

 微糖の缶コーヒーを片手に奏は不思議そうな顔をする。


 突然、意味深な言葉をするのは相変わらずのようだ。


「事件だよ。お前が知りたかったことは知れたのか?」

 どこかめんどくさそうな顔で信幸は言う。


 もうこれ以上の資料は提供できない。

 奏にはそう言っているように見えた。


「んー、一線は出来たんですけどねー」

 缶コーヒーを一口。困った顔でそう言って奏は俯く。


 一線は出来た。

 だが、何かが足りない、繋がらない。


「ははっ。その言葉を聞くと、お前が刑事の頃を思い出すよ」

 奏の言葉に信幸は嬉しそうな顔で背筋を伸ばした。


 確かに、二人で時々ベンチに座ってコーヒーを飲んでいた記憶がある。

 あの頃はこんな昼間ではなく、深夜で徹夜の日だった。


 どうやら、あの頃と比べると僕らは健康的になったのかもしれない。


「――そう言えば、昔の僕はどんなだったんです?」

 奏はふと思い出したように言う。


 あの頃の僕は青井さんにどう思われていたのだろうか。

 刑事を辞めてから、不思議と他人にどう思われるのかが気になるようになった。


 刑事の頃は誰からどう思われようが、どうでもいいと思っていたのに。


「・・・・・・非情の緒方」

 呆然とした顔で信幸は奏を見つめてそう呟いた。

「意味深な一言でまとめないで下さいよ」

 呆れたような顔で奏は返した。


 青井さんが言うと尚更、深い。

 その言葉に様々な過去の自分を思い出していた。


「いや、本当にこの一言に尽きるぞ?」

 信幸は納得できない顔で訴えかけてくる。

「そうですか?」

 口を半開きにして解せない顔で奏は返した。


 多少、自覚はあるが、そんなに僕は非情だったのだろか。

 自分では、非情と言うより、むしろ無情だったような記憶があった。


「それに――」

 空を見上げ、信幸は一呼吸つく。

「それに?」

「あの頃のお前とはこんなバカげた話も出来なかったしな」

 どこか信幸は嬉しそうな顔をしてそう言った。

「それは――そうですね」

 客観的に過去の自分を振り返って、奏は納得する。

 非情と言われたかつての僕ならきっと話せなかった。


 すると、信幸は思い出した顔でハッとした顔になる。

 雰囲気が変わった。


「あ、それはそうと聞いてくれよ。神さま」

 困った顔でベンチに座ると、右手で隣を叩き、座れと合図する。

「どうしたんですか、珍しい」

 やれやれと言う顔で奏は指定された場所へ座った。


 困り顔をする信幸を見るのは滅多にない。

 奏は内心驚いていた。


「実はな――最近、嫁と娘との会話が減ってしまって」

 当時のことを思い出したのか、信幸は大きくため息をつく。

「突然、家族事情の話ですか」

 想定外の話題に奏は唖然とした。


 てっきり、現在の課の話とかだろう。

 奏はそう思っていた。


「と言うよりも、こっちに異動してきてからか? 会話が減ったのは?」

 時系列を振り返るように信幸は腕を組み考え始める。

「んー、それは所謂、お父さんもう嫌いー、ってやつですか?」

 奏は会話が減った理由を信幸に確認する。

 不思議と娘からそう言われる信幸の姿が想像できた。

「いや、それは違うと思う・・・・・・。――えっ、嫁もなるのかそれ?」

 腕を組んだまま、悩んだ顔で信幸は首を傾げる。

「――さあ。で、何したんです?」

 奏はそう言うと鋭い視線を信幸に向けた。


 どうせ、嫌がることでもしたんだろう――。

 奏はそんな気がした。


「なんで、尋問するような目つきで俺を見るんだ・・・・・・?」

「聞いているんですけど、娘に嫌われる青井さん」

 哀れみを含んだ冷ややかな視線を信幸に向ける。

「うっ・・・・・・。どうしてかなー、高校生になったからかなー?」

 信幸はそう言って悔しがるように目を強く瞑った。

「・・・・・・あれ? もうそんな年でしたっけ?」

 信幸の言葉にハッとした顔で奏は首を傾げる。

 以前見かけた時はもっと幼かったような記憶があった。

「ああ。四月で高校一年生になったよ」

 気がつけばあんなに大きく、そう信幸は呟く。

「もうそんな年に・・・・・・。高校生か・・・・・・。あー、それもあるかもしれないですね。さすがに、娘と一緒にお風呂に入りたいとか言ってないですよね?」

 感心したように奏は頷くと、唖然とした顔で信幸に聞いた。


 少なくとも、思っていたとしても青井さんは決して言わない。

 信幸はそう言う人物であると奏は知っていた。


「いや、さすがにそれは・・・・・・。あの不知火と一緒にするなよ」

 慌てて信幸は否定するように右手を左右に振るう。

「・・・・・・あー、言っていましたね、健吾さん」

 確かに言っていた。一年ほど前に健吾が言っていた言葉を奏は思い出す。

「娘は思春期になったから――として、嫁は? 嫁も思春期か?」

 だとしても。信幸はそう言いたげな解せない顔を奏に向けた。


 嫁が思春期。

 奏はその言葉に自然と若々しいイメージを想像する。

 娘と姉妹に見えるような、そんなイメージが。


 次第に信幸は困った顔になり、奏へと近づいて行った。


「泣きついて来ないで下さいよ、嫁に嫌われる青井さん」

 引き気味な顔で奏は、あっち行けと言わんばかりに右手を外側へ振るう。


 次第に崩れていく青井信幸と言う一人の威厳。

 僕の知る青井さんはもういないのかもしれない。

 そこにいるのは――嫁と娘に嫌われる一人の父親だった。


「ううっ。・・・・・・なあ、緒方。二人に嫌われたら、俺はどう生きればいい?」

 猫背な姿勢で立ち上がり、しょんぼりとした顔で信幸は言う。

 その雰囲気は、そのままにすると線路に身を投げ出しそうな雰囲気をしていた。

「うわ・・・・・・。突然、生きる意味を見失わないで下さいよ」

 立ち上がった信幸に奏は唖然とした顔を向ける。


 元同僚として、見たくない姿。

 人は短期間でこうも変わるのか――。


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