第18話 奏と京子(3)


 惣菜コーナーに着くと、

 京子は突然立ち止まった。


「どうしたの、きょう?」

 奏がそう聞きながらも、京子の視線を辿る。


 その視線の先にいたのは一人の男性。

 カゴには惣菜弁当やカップラーメンと言ったインスタント食品が入っていた。


「会えた――」

 目を見開き、探していたような顔で京子は男性を見つめる。


 奏もその男性に見覚えがあった。

 そうだ、町内会で会ったことがある。


「――あ」

 奏はハッとした顔で声に出し、男性のことを思い出した。


 あの男性こそ、国城会長より依頼のあった橘康さんだ。

 服屋・たちばなの店主にして、町内会役員の一人。


 しかし、どうして京子が彼を探していたのか――。

 奏にはわからなかった。


「おや、また会ったね――お嬢ちゃん」

 視線に気づいたのか、京子の方へ康は振り向く。

 その様子だと、康も京子を知っている素振りだ。


 二人の接点が想像つかない。

 不思議と奏の中で緊張感が漂う。


「あ、どうも・・・・・・」

 京子はよそよそしい素振りで小さく頭を下げた。

「ん? 隣にいるのは――桜木さん?」

 京子の隣に視線を移すと康は不思議そうな顔をする。

「どうも、橘さん。ご無沙汰しております」

 康と目が合うと、奏は丁寧に一礼する。

「先月の町内会議以来だね。仕事は順調かい?」

 微笑むような笑みを康は奏に返す。

「町内会の皆さまのご支援もあり、順調にやらせて頂いています」

 丁寧な口調で奏は一礼した。


 紛れもなく康も町内の主要人物の一人であり、

 今後の取引先となる人物である。


「それは良かった。――それと」

 ほっとした顔でそう言うと、康は途端に何かを戸惑うような顔をする。


 康の雰囲気が変わった。

 奏ははっきりとそれを感じ取る。


「それと――? どうしたんですか?」

 内心戸惑いながらも、奏は首を傾げた。


 あながち、予想はついている――。

 奏はわからないフリをした。


「桜木さんとお嬢ちゃんは――?」

 康は続く言葉が見つからないような顔をする。


 いったいどういう関係なのか――。

 康はそう言いたいのだろう。


「あ、京子はさくらぎで働く子です」

 予想通りの言葉に奏は即答してしまった。

「おっ、そうなのか」

 即答する奏に康は驚きながらも納得する。

「不知火京子と申します」

 名乗った後、京子は軽く頭を下げた。

「不知火――。僕は橘康。町内で服屋を営んでいるよ」

 京子の名に聞き覚えのあるような顔で康は自己紹介をする。


 それもそうか――。

 この人も姉さんたち夫婦を知っているのだ。


 姉さんは町内にいるこの世代の人たちに絶対的な信頼を得ている。

 彼女はそれほどの結果を町内にもたらした。


 それほど、偉大な人物だったのだ。


 当然、彼らは姉さんの娘である京子の存在も知っていた。


「橘さん、よろしくお願いします」

 京子は先ほどの奏のような丁寧な一礼をする。

「そのー、先日はすまないね。君にあんな話をしてしまって」

 京子の素性を理解したのか、康は頭を下げた。

 

 つまり、姉さんの死を知っている。

 奏は康が持つ京子の情報を推察した。


「いえいえ。それで、その――」

 康が知る情報に驚くことなく、続く言葉を京子は躊躇っていた。


 おそらく、京子は気がついていない。

 この会話が成立する違和感に。


「その――?」

 京子の続く言葉を康は待つ。同じく奏も待っていた。

「私に出来ることってありますか?」

 躊躇いを振り払うように首を左右に振るうと、京子は不安そうにそう言った。


 何度もイメージした言葉。

 もう一度会った時、その一言を言うために。


 とても緊張する。

 心臓の音が聞こえるほど、京子は緊張していた。


「君に――出来ること?」

 はて――。そう言いたげな眼差しを康は京子に向ける。


 奏は京子が康の事情を知っていることに驚いた。

 もしかして、康の言う先日の時にその話になったのか――。

 なら、この流れは納得がいった。


 奏は京子の発言の意図を理解した上で、この会話に参加するのを止める。

 それが彼女の意思ならば、僕はそれを支えたい。奏は強く願った。


「はい」

 意思を示すように、はっきりとした声で京子は答える。

 しばらく、康は考え込むように立ち止まった。

「――無いと思うよ」

 あっさりとした口調で康は何食わぬ顔で言う。


 一瞬、康の雰囲気が『無』になったのを奏は見逃さなかった。


「無い・・・・・・?」

 驚くように目を見開き、不安そうな顔で京子は康を見つめる。


 そんなきっぱりと言われるとは想像していなかった。

 具体的にとは言わないが、少なくともその内容の会話が出来ると思っていたのだ。 

 京子は戸惑いを隠せない。


 戸惑う京子に康は小さくため息をついた。

「正直なところ、私自身も動きたくても動けない――そんな状況だ」

 お手上げ、と言いたげな顔をして康は捕捉する。

「動きたくても動けない・・・・・・」

 自分ではどうしようも出来ない――。

 京子は康の言葉を噛み締めるように呟いた。

「そういうことだよ。――君にもわかるだろ?」

 康は冷たい口調でそう言うと、返事も待たずにその場から離れていく。

「私にもわかる・・・・・・」

 離れていく康の背中を見つめ、京子は自身に問いかけた。



 いったい、何が正しいのか。


 いったい、自分は何をすべきなのか。


 いったい、自分に何が出来るのか。


 いったい、自分は何のために生きるのか。


 考えても考えても、

 答えが出ずに動けなかったあの日々を――。



 以前の自分を京子は思い出していた。 


「きょう」

 考え込む京子の後ろで奏はゆっくりとその名を呼んだ。


 突然、気が落ちるような雰囲気が彼女を包み込む。

 かつての姉さんも気持ちが落ち込むとこんな雰囲気をしていた。


 奏は思い出す。

 こんな雰囲気を長続きさせてはいけないことに。


「あっ、失礼しました」

 奏に名を呼ばれ、我に返ったような顔で京子は慌てて頭を下げた。

 瞬時に彼女を包んでいた落ちたような雰囲気は晴れる。

「いいんよ。行こうか」

 立ち止まる京子の手を取り、奏は会計へと向かっていく。


 何か別の話題を――。

 そう考えたが、中々良い話題が思い浮かばなかった。


 どうしてか、刑事の時は誰にでも自分から話題を出して会話が出来たと言うのに。


 これも環境か――、はたまた自分自身か――。

 理由はわからなかった。


「あ、はい」

 流れのせいか、奏に手を握られて京子は不快では無かった。


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