第13話 かつての同僚


 翌日。

 櫻木警察署前。


「――で、何でお前がここにいる?」

 中年男性は高圧的な眼差しを奏へ向け、そう言った。

「お久しぶりです――青井さん」

 その眼差しを物ともせず、奏は懐かしい顔で頭を下げる。


 中年男性の名は青井信幸。

 信幸は奏と京子の父である健吾の元同僚だった。


 奏が刑事を辞めた後、信幸はこの町に異動になり、ここにいる。


 大柄なその体格は、学生時代野球部だったことに納得できる体格だった。

「それで――? なんだあの態度は?」

 歩きながらも奏を近くのベンチへと誘導する。

 物静かなその雰囲気は一言に重みがあるように感じさせた。

「あの態度と言いますと――?」

 誘導されるまま奏はベンチへと座る。

「さっきのだよ。受付で大きく頭を下げるやつなんて聞いたことないぞ」

 呆れたような冷ややかな視線を信幸は送る。


 挨拶と称して、奏は受付の女性に大きく一礼した。

 奏自身、この警察署と言う空気の中、普通の態度ではいられなかった。


 不思議とあの中にいるのが耐えられない――。

 奏は自身の変化に驚いた。


「まあ・・・・・・、それはそうですね。非常識でした」

 奏は申し訳なさそうに頭を下げた。


 思い返してみると、あの行動は異常だったかもしれない――。


 我ながら情けない。

 奏は心の中で大きくため息をついた。


「非常識も何も――。お前らしくないな」

 今とは違う何かに納得出来ないような顔で信幸は言った。

「はて――僕らしいとは?」

 信幸のその言葉が奏の耳に残る。


 僕らしさとは――。

 今の僕に僕らしさはあるのだろうか。

 奏はふと疑問に思った。


「非情の緒方、温厚の不知火。かつてのお前たちは言われていたな」

 信幸は深呼吸すると空を見上げ、思い返すようにそう言う。


 非情の緒方とは奏のことであり、

 温厚の不知火とは健吾のことだ。


 ――非情。

 過去の奏はそう言われても仕方ないほどの性格をしていた。


「それは――そうですが。そんな昔のこと・・・・・・」

 奏は否定も肯定も出来ず、戸惑いながらも俯いた。

「昔――? 昔と言っても半年くらい前のことだろ?」

 呆れたような顔で信幸は奏に言う。

「確かに」

 真顔で奏は信幸の言葉に納得する。


 半年なんて今日、昨日のこと。

 今まではそう思っていた。

 しかし、この半年は違う。


 奏は思い返すように大きく息を吐いた。

「で、どういうことだ? さっき会った時、一瞬だけだが本気で別人だと思ったぞ?」

 思い返すようにそう言うと、信幸は次第に信じられない顔になる。

「どういうこととは?」

 いったい、何がだろうか。奏は信幸の真意がわからず聞き返す。

「――非情らしさの欠片すらない」

 信幸は息を吐き、呆気に取られたような顔をする。


 非情らしさが僕らしさ――。

 もしかして、過去の僕はそうだったのだろうか。


「・・・・・・んー、良いはずなのにどうしてか良く聞こえないですね」

 眉間にしわを寄せ、奏は解せない顔で俯く。


 つまり、今の僕には過去の僕らしさである非情さが無いと言うことか。


「それも――不知火の娘のためか?」

 奏がここまで変わったのは彼女のためなのだろうか――。信幸は不思議だった。

「んー、一理ありますが、それだけではないですよ?」

 眉間にしわを寄せ、奏は悩んだ顔をする。


 確かに京子のために変わろうと思った。

 しかし、それだけは無かった。


「しかしなー」

 奏の言葉に納得できない顔をする。

「どうしたんです?」

 この人がこんな顔をするのは珍しい。

 奏は僅かばかり驚いていた。

「そんなに変わるものなのか?」

 腕を組み、眉間にしわを寄せ、まじまじと奏を見て信幸はそう言った。


 変わろう――。

 その気持ちだけで人はこうも変われるのか。

 信幸は疑問だった。


「さあ、正直自分でもわかりませんよ。でも、昔よりも心は軽いです」

 奏は晴れたような顔で信幸に言う。


 心が軽いのは、以前のような緊張感が無いからなのか。

 それとも、生活環境や就業環境が変わったからか。


 ――京子と暮らし始めたからか。


 奏にはわからなかった。


「まあ――以前のお前は張り詰めていたからな。今はそれが無い。良いことだよ」

 過去の奏の雰囲気を思い出し、信幸は少しほっとした。


 あの頃の威厳を感じた高圧的な眼差しは今の彼からは感じない。

 目つきも以前と比べ物にならないほど、柔らかくなっていた。


「ですね。青井さん――あ、ここでは青井課長なんでしたっけ?」

 異動の代わりに昇進していたことを奏は思い出す。

「そうだよ。偉くなったんだよ、――僅かばかりな」

 そう言うと、どうしてか信幸はため息をつく。

 課長職になった途端、部下の教育や管理が明確な業務になってしまった。

「それは良かった」

 安堵したような顔で奏はゆっくりと頷く。


 信幸はまだまだ昇進できるタイプだと奏は思っていた。

 しかし、本部組織にいれば、役職に就けるのは容易ではない。

 事実、管理職から評価を得ていた健吾でさえも、役職には付けていなかった。


「それで本題は何だ――緒方」

 そんなことを話に来たわけじゃないだろ――。

 信幸は鋭い視線を向け、補足する。


 冷酷な雰囲気。

 その姿は奏の知るかつての信幸だった。


「あ、そうですそうです。実は――」

 奏は笑顔で用件を伝える。


 ここへ来た目的は、橘康の妻である秀美の事故を調査するためだった。


「何かペースが乱れるな・・・・・・」

 笑顔で話す奏を見て、信幸はため息をつく。


 ここまで人は変わるのか――。

 豹変した多くの犯罪者は見てきたが、奏はそれとはまったく異なる。

 信幸は理解出来なかった。


「――で、その事故の資料が欲しいと?」

 用件を聞いた信幸は眉間にしわを寄せ、首を傾げる。

「んー、まあ、欲しいは欲しいですけど、貰えないですよね? ――ね?」

 不敵な笑みを浮かべて、奏は徐々に信幸に迫っていった。


 無論、貰える訳は無い。

 それにもう僕は刑事ではなく、一般人だ。


「あー、やりづらいな。――今のお前は」

 右手で顔を覆い、困った顔で信幸は言う。


 話のテンポ、ペースが読めない。

 昔の感覚が取れていないせいか、信幸には今の奏の流れが読めなかった。


「そうですか?」

「ああ。資料は渡せないが、現場で口頭説明は出来るぞ?」

 信幸が今の立場でできる最善を奏に告げる。

「え――。青井さん自らですか?」

 信幸の言葉に奏は口を半開きにした後、信じられない顔で瞬きをする。

 もしや、課長自ら現場に赴き、説明してくれるのだろうか。

「――な訳ないだろ」

 今の立場じゃなかったら、そうしていただろう。信幸は少し残念そうに言う。

「ですよねー」

 奏は残念そうな顔で俯いた。


 当然だ。

 一般人の対応に一課長が付き添うほど、今の警察は暇ではない。


「今呼んでくるから、待っていろ」

 そう言ってベンチから立ち上がると、信幸は署へと戻って行く。


 数分後、信幸が若い刑事を連れてきた。


「ほい、中井。それじゃあ、よろしくな」

 若い刑事にそう言うと、信幸はその場を去ろうとする。


 中井祐樹。

 四月に信幸の課に配属された新人の刑事だった。


「あ、はい。わかりました課長――――え、何を?」

 適当に頷いた後、気がついたように祐樹は信幸を見つめる。

 どこかその表情は、何も聞いていない、そんな表情に見えた。

「今、わかりました言っただぞ。その資料を持って、現場で事故の説明をすればいいんだ。あとはこいつがネチネチ質問してくるだろうから」

 ため息をつき、信幸は祐樹に説明する。


 祐樹の持つ紙封筒。

 信幸はこの数分で資料を用意してくれたのだ。


 ――相変わらず、仕事は早い。

 あの実力は健在のようだ。


「ネチネチとは何ですか」

 信幸の言葉に奏は解せない顔で言う。


 そんなクレーマーみたいな言い方をしないでほしい。

 実際、信幸の言う通りになるかもしれないけど。

 奏は小さくため息をついた。


「あ、なるほど・・・・・・」

 不安そうな顔で祐樹は上司である信幸を見つめる。

 頷いているが、奏も信幸も彼が本当に理解しているかはわからなかった。

「それじゃあ、頼んだぞ」

 信幸はそう言うと署へと戻って行った。

 

 その言葉は元同僚の奏に向けられたのか、

 部下である祐樹に向けられたのか。


 二人には信幸の真意はわからなかった。


「それでは桜木さん。行きましょうか」

 祐樹は諦めた顔でそう言うと、駐車場の方へと身体を向ける。

「はい」


 こうして、二人は歩き出す――。


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