第10話 町内会長の相談


 時刻は正午。

 奏は喫茶店にいた。


「お久しぶりですね。国城会長」

 奏は目の前にいる白髪の男性に真剣な顔で言う。


「何を言っている。一週間前に会ったじゃないか」

 解せない顔で白髪の男性は鋭い視線を向けた。


「・・・・・・あれ、そうでしたっけ?」

 緊張の糸が切れたように奏はぽかーんとした表情をする。


 そんな最近、いつ――あ、町内会の仕事の時か。

 奏は思い出した。


「――まあ、良い。それで今回呼んだのは――仕事の件だ」

 諦めたような顔でそう言うと、目の前にあったコーヒーをゆっくりと飲む。

「仕事? 町内会のですか?」

 奏は瞬きをして不思議そうな顔をする。


 それなら別にメールでも良いのでは。

 いつものように。


「――いや、俺の私情だよ」

 睨むような顔で奏を見つめる。

「えっー。会長の私情ですか?」

 奏は少し呆れた顔をする。


 この人が私情なんて言うなんて珍しい――。

 公私混同嫌いそうな雰囲気があるのに。


「ああ。そうだ」

「なるほど・・・・・・」

 奏はそう言ってコーヒーを口にする。


 どうやら、僕は会長のプライベートの話を聞くために呼ばれたようだ。


「さて、本題に入るか」

 そう言った途端、国城会長を纏う雰囲気が変わった。

 その雰囲気に奏は事態の真剣さを理解する。


「服屋の橘さんを覚えているか?」

 まず、前提に。

 そう言いたげな顔で国城会長は言う。

「はい。うっすらとは」

 確か、橘さんは商店街通りの服屋の主人だ。

「橘さんの奥さんが一ヶ月前に亡くなったのは聞いたか?」


「長谷川さんから聞きました。確か交通事故だとか」

 ある日の幸恵の雑談の一つがその話題だった記憶がある。


「そうだ。それで一つ、仕事――相談があるんだ」

 そう言うと国城会長は目線を窓の外へと向ける。

「はい。なんでしょう」


 相談――。

 つまり、仕事には出来ない訳がある。

 奏はその言葉の真意を考えた。


「橘さんを元気づけて欲しいんだ」

 国城会長はゆっくりと、はっきりとそう告げる。

「――とは?」

 具体的に、そう言わんばかりに奏は聞き返す。


 元気づける。どうやって――?

 見当がつかない。


「そのやっちゃん――橘康さんは奥さんを亡くしてから、何も手に付けられなくなっている。それを元気づけて欲しいんだ。昔と同じに――。それは出来ないかもしれないけど、少しでも前へ向いて欲しいんだ」


 橘を思ってか、国城会長は申し訳なさそうな顔で言う。


「少しでも前に――」

 奏は自分が京子に思ったことを思い出す。


 立ち止まった歩みを少しでも明日へ(まえ)――。


「それに――」

 気掛かりなのか、国城会長は戸惑った顔をする。

「どうしたんです?」

 この人が戸惑う顔をするのは珍しい。

 奏は純粋に驚いた。

「奥さんの交通事故の内容が気になって――な」

 国城会長はどこか懸念があるような顔をする。

「事故の内容?」

 奏は眉間にしわを寄せ、コーヒーを一口飲む。


 果たして、どんな内容なのだろうか――。


「事故の原因は奥さんが公園から道路に飛び出したからなんだ。子供なら多少は理解できる。だが、奥さんは大人だぞ――? それなりの理由があったはずだ」

 解せない顔で国城会長は言う。

「それも――そうですね」

 事故が起きた流れを奏は想像し、同じく解せない顔で言う。


 なぜ、彼女が道路へ飛び出すことになったのか――。

 今の情報だけじゃ、どうしてそうなったのかがわからない。


 この事故には何かしらの背景があると奏は思った。


「それでお前に相談だ。――緒方奏」

 国城会長はいつもよりも低い声でそう言った。


「懐かしい名で呼びますね――先生」

 高校時代、かつての師に奏は懐かしそうな顔をする。


 国城浩司。高校教師。

 それが櫻木町町内会長の前職だった。


「懐かしいも何も、それが本来のお前の名じゃないか――」

 国城会長は眉間にしわを寄せ、解せない顔を奏に向ける。

「まあ、それもそうですけどね」

 仕方ないような顔でそう言ってため息をついた。


 確かに緒方奏の名の方が会長との付き合いは長い。


「で――?」

 僅かばかり圧のある眼差しを国城会長は向ける。

「で――とは?」

 眉間にしわを寄せ、奏は意味がわからない顔をする。


 急に流れを変えてくるところは今も昔も変わらない。

 それは国城会長の長所でもあり、短所でもあった。


「出来そうなのか? なあ――神さま」

 意味深な笑みを浮かべてそう言った。

「急に今の名で言わないで下さいよ・・・・・・」

 国城会長の言葉に困った顔で奏は言う。


 相変わらず、自分の流れに乗せるのが上手い人だ。

 ――本当に。


「まあ、申し訳ないが神さま。今回の案件は神さまに用はないよ」

 右手を外側へ振り、不要と言いたげな仕草をする。

「えー、えぇ・・・・・・。実質、クビじゃないですか――それ」

 ため息をつき、呆然とした顔で奏は言う。


 今の僕は桜木奏であり、

 町内の人々から、神さまのあだ名を持つ。


 実質、僕の出番はないと言うことだろうか。


 少なくとも、今の僕は――。

 奏は複雑な心境だった。


「それで――奏。俺が言いたいことはわかるよな?」

 国城会長は圧のある眼差しを奏に向ける。


 言われなくてもわかっている――。

 奏は心の中でため息をついた。


「わかりますけどね・・・・・・」

 目を細め、少し困った顔で奏は答える。


 会長の言いたいことはだいたいわかった。

 だけど、このまま引き下がって「はい、やります」と言える状況ではない。

 もう僕の立場は昔とは違うのだ。


「――なら、事故の掘り下げは奏がやればいい。その後は――神さまの仕事だろ?」

 そう言い残し、国城会長は伝票を手に取り、会計へと向かっていった。

「えー」

 奏は口を半開きにして、呆然と国城会長の背中を見つめる。


 言い投げた。

 急な流れで困惑させる。


 ――昔からだ。


「あとはよろしく。――神さま」

 笑顔でそう言うと、国城会長は喫茶店を出て行く。


 さて、どうするか――。

 奏は一人テーブル席でため息をついた。


 ふと、奏の脳裏に一人の男が過る。


「――仕方ない」

 奏は諦めたような顔で天井を見上げる。


 本音は極力会いたくなかった。

 しかし、この状況を進めることが出来るのは、あの人しかいないかもしれない。


「行くかー」

 奏は残ったコーヒーを飲み干し、再びため息をつく――。


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