第5話 さくらぎの再店


 玲子たちが亡くなって半月。

 奏たち三人は都内の喫茶店にいた。

 

 現在、両親の死のショックで京子は入院している。

 聞いた話だと、精神が不安定らしく自殺未遂も何度かあったそうだ。

 病室で泣き叫ぶ。

 京子のそんな姿を想像するだけで奏の胸は苦しくなった。


「それで奏さん、珍しいわね。あなたが私たちを呼ぶなんて」

 喫茶店で奏の向かいの席にいた美千代は険しい顔で言う。

「別に不思議なことはないだろう? 家族なんだから」

 美千代の隣で美千代の夫でもある史雄は何食わぬ顔で言った。

「それもそうですけど――。それで奏さん、どうしたの?」

 美千代は戸惑った顔で奏を見て言う。

 

 確かに彼女の言うことは一理ある。

 それほど就職してから奏は連絡をしなかった。

 

 二人を前に奏は気持ちを落ち着かせるように深呼吸をする。

 

 悪く言えば、二対一。

 そう思ってしまう内容の話を奏はしに来たのだ。


「――京子のことなんだけど、二人はどう考えているの?」

 奏ははっきりと芯のある声で言う。

 二人を呼んだのは、他でもない京子の今後についてだった。

 彼女はしばらく病院生活か病院通いの生活が続くかもしれない。

 だとしても、その先には普通の生活があるはずだ。

 

 その時、彼女はどこでどのような生活を送るのか――。 

 以前のような両親と暮らす日々はもう――送れない。


「それは・・・・・・」

 奏の問いに美千代は困った顔をした。

 普段は覇気のある雰囲気を出す美千代が戸惑っている。

 美千代の中でこれはそれほど悩ましい事案なのだ。

「奏、正直なところを言うと、僕らが京子と一緒に暮らすのは厳しい。でも、健吾くんの親戚にも京子を引き取ってくれるところは無い。それに今の状況の彼女を引き取るのはリスクがいる」

 現状を美千代に代わりに史雄が淡々と話す。


 こうなることはわかっていた――。

 奏は心の中で一呼吸する。


 客観的に考えて、精神が不安定な少女を引き取りたいなんて言う親族はいないだろう。

「つまり、二人は京子を見捨てるのか――?」

 奏は鋭い視線を美千代に送った。

 義母であるが、奏にとってその存在は母と言うより人生の先輩と言う感覚だった。

「見捨てる――。まあ、実質そういうことになるわね・・・・・・」

 反論をしようとしたが、奏の言葉が正論であることに美千代は気づく。

 想定通りの展開に奏は少し安心していた。

「それで二人に相談があるんだよ」

 だから、僕は二人を呼んだ――。

 奏は落ち着いた声ではっきりとそう言った。


「「相談?」」

 二人揃って不思議そうな顔をする。


 こういう仕草を見ると、二人が夫婦であることを実感させられる。

 ――昔から。僕は二人と出会った時からずっと。


「僕がさくらぎを再開させようと思う」


 奏はゆっくりとはっきりと二人に告げた。

「えっ、さくらぎを――?」

 目を見開いて先に驚いたのは史雄だった。

 元より万屋・さくらぎは二十年前に閉めた史雄の店である。

「どうして、さくらぎを? ――まさか、あなた」

 気がついた顔で美千代は口を半開きにしている。

 相変わらず、察しが良い。

 昔はその洞察力で責められる側だったが、今は違う。


「僕がさくらぎで京子と暮らすよ」


 奏はあっさりとした口調で言う。

 これが京子を含めた僕らに残された最善の策なのだ。

「ちょ、ちょっと待って、奏さん」

 美千代は両手を前に出し、落ち着いて、とでも言いそうな素振りをする。

「ん? どうしたんですか、美千代さん?」

 そんなに慌てることなのだろうか。

 奏は不思議そうな顔をする。

 と言うより、落ち着くべきなのは美千代さんのほうだ。

「そのー、今の仕事はどうするの? あなた、警察を辞めるの?」

 自身を落ち着かせるように深呼吸をして、美千代は言う。

「そりゃ、さくらぎを再開するってことはそういうことだよ」

 何食わぬ顔で奏は言った。

 必然的にそうなる。

 それは奏自身がよくわかっていた。

「そうなるよね・・・・・・。え、でも、健吾さんと一緒に仕事していたところをそんな簡単に辞められるの?」

 美千代は奏にどこか未練がありそうな顔を向ける。

「簡単に――。簡単ではないけど、それよりも大事なのは京子だよ」

 釘を刺すような強い口調で美千代に言う。

 別に刑事の仕事が嫌いなわけではない。

 と言うより、あの仕事こそ自分の天職なのではないか。

 そう思えるほど刑事の仕事は奏に合っていた。

「それはそうかもしれないけど・・・・・・」

 撃ち落されたように美千代は声量を下げていく。

「京子は姉さんが通っていた高校に通わせようと思う。今なら、編入は可能だろうから」

 奏は決めたような口調で美千代と史雄に言う。

 何の偶然か。この時期でも編入が可能な高校はこの辺りではそこしかなかった。

「なあ、奏。生活はどうするんだ?」

 すると、少し躊躇ったような顔で史雄は言った。

 生活と言うと、さくらぎをやった際の環境や金銭の話だろう――。

 奏は史雄の言葉の真意を理解する。

「生活――か。んー、とりあえず、さくらぎの仕事をメインにするけど、そのうち仕事の幅は増やしていかないといけないんじゃないかな? 時代が時代だし。最悪、赤字の月は僕の貯金を使うよ。姉さんたちのは京子が進学する時とかもしもの時に使いたいし」

 奏は腕を組み、今考えたような口調で話していく。

 健吾と玲子が残した貯金は千を超えていたが、自然とそれを今から使う気にはなれなかった。

 その言葉に美千代と史雄は考え込むように黙り込む。

「奏――」

 沈黙の中、口を開いたのは史雄だった。

「ん?」

「本当に良いのか――?」

 史雄は呆然とした顔で問う。

「本当に良い――って?」

 奏は不思議そうな顔で史雄に返す。

 本当に良いも何もないだろう。――この状況は。

「今ここで京子を引き取り、さくらぎを始めると言うことは・・・・・・。そのー、しばらくその生活になるんだぞ? その・・・・・・、お前もそろそろ結婚とか考えていないのか?」

 史雄は頭を抱え、心配そうな顔で言う。


 ――結婚。

 史雄が言ったその単語が奏の中で復唱された。


「別に考えていないわけじゃないけど――」

 そう言った奏の中で一人の女性の姿が過る。

 数か月前には、その将来も考えた存在がいた。

 しかし、今はそう言う関係ではない。

 不思議と自身の幸せよりも、京子の幸せの方が優先度は高かった。

「まさか――京子に手を出そうとしているのかしら?」

 美千代の鋭い視線が奏に向けられる。

 その姿は普段の美千代の姿だった。

 奏はその姿を見て、一安心する。

 僕が京子に手を出さないか――か。

 奏は心の中で小さくため息をつく。

「それは――無いようにします」

 奏は俯くと、自信なさげにそう言った。

 自分も男だ。女子高生と二人暮らしで何もないとは断言出来ない。

 しかも、それが愛らしい京子なら尚更のことだった。

「――そうして頂戴」

 圧のあるような鋭い眼差しを向け、美千代はそう言った。

 そして、何かを決めたような顔で美千代は小さく息を吐く。

「さくらぎの件はわかりました。この件は私から京子に話しておくわ。それと奏には気をつけなさいと。もし何かあれば、その時は――容赦しないわよ」

 殺気立った目つきで美千代は言う。

 美千代にとって京子は実の孫だ。それ故、愛情は深い。

「それでお願いします」

 奏では小さく頭を下げた。

「ひとまず、僕はさくらぎの書類関係を調べるよ。今週中には連絡できると思うから」

 史雄はコーヒーを飲んでひと息ついてからそう言った。

「ありがとうございます」

 もう一度、奏は小さく頭を下げる。

「それにしても、昔僕がやっていた万屋を奏がやると思うとさ――」

 何かを堪えているように史雄は天井を見上げる。

「やると思うと?」

 史雄の珍しい態度に奏は驚きながらも聞いた。

「なんか、息子に引き継いで貰ったようで嬉しい気持ちになるなー」

 微笑み、史雄はしみじみとした顔で言う。

 美千代と史雄の血の繋がった子と言えば、玲子ただ一人である。

 奏は幼い頃、玲子に拾われたのをきっかけに二人の養子になったため、血は繋がっていなかった。

 それ故、史雄から息子と言う言葉が出たことに奏は驚いた。


 血は繋がっていなくても、家族であることに――。


「まあ、一応僕は二人の息子ですから」

 嬉しい気持ちを隠すように奏は呟く。

 深々とした温かい感情が奏の中で生まれていた。

「そうか――そうだよな。すまない」

 思い出したような顔で史雄は何度も頷く。

「それにさくらぎを始める時は名字を変えますから」

 美千代の緒方から史雄の旧姓の桜木へ。

 かつての史雄も旧姓で仕事をしていたことを奏は思い出す。

「おっ、わかった。それじゃあ、その書類も用意しておくよ」

 それもそうか、そんな顔をして史雄はメモ帳を取り出しメモする。

「ありがとうございます」

 史雄に対し、奏は一礼する。

「こちらこそ、ありがとう。奏さんに押し付けるようで申し訳ないわ」

 美千代は申し訳ない顔をして、ゆっくりと頭を下げる。

「いえいえ、二人にも助けられましたし、それに――」


 ――姉さんと健吾さんにも救われましたから。


 奏は笑顔でそう返した。


 思い出そうとすると溢れ出す。

 二人との日々が。

 

 そして、奏たちは喫茶店を後にした。


 こうして、僕はここにいる――。


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