第4話 祖母の言葉
一ヶ月前――。
両親と三人暮らしだったマンションに美千代がやって来る。
どうやら、祖母は数日前に病院から戻ってきた私を心配して来てくれたようだ。
「身体は大丈夫?」
玄関を開けると、美千代が開口一番申し訳なさそうにそう言った。
確かに二ヶ月の間も入院していたのだから、身体の心配はするだろう。
京子はそう思ったが、自分の中では二ヶ月もいた記憶は無かった。
どうしてか、病院での記憶はあまり無い。
「もう大丈夫だよ」
京子は心配をかけまいと笑みを浮かべて返事をする。
少し手足が細くなった気がするが、それ以外自分の身体は変わっていないように見えた。
それから、リビングのテーブル席へ座ると祖母はしばらく雑談を始める。
無論、祖母が来たのはこんな雑談をするためではないだろう。
京子は美千代の話を聞きながらも、客観的にそう思っていた。
「――それでね、今後のことなんだけど」
雑談が終わると、美千代は重い口調で言う。
本題だ――。京子はゆっくりと唾を飲みこんだ。
――これから、私はどうなってしまうのだろうか。
美千代たちが全国を回る忙しい仕事をしているのは京子でも知っている。
それ故、美千代が自身の時間を割いてまで、わざわざ自分がいるこの場所へ来たことも驚いていた。
今後と言うと、今後の生活。
つまり、私の居場所だ――。
両親のいないこの場所にはいられないことはわかっていた。
しかし、その様子だと祖父母たちの元へ留まることも難しいだろう。
「今後ですか・・・・・・?」
かすれた声で京子は不安そうな顔をする。
不安のあまり、思っていた言葉が出ない。
喉の奥が何かに締め付けられているような感覚。不安で怖い。
環境が大きく変わってしまうことに怯えている。
京子は自身の感情に気づいた。
「そう――今後。京子もわかっていると思うけど、ここにはいられない」
美千代は、それは出来ない、そう言うようにゆっくりと首を左右に振るう。
「うん・・・・・・」
やっと出た小さな声でそう言うと京子は頷く。
わかっていたはずなのに。
改めて言葉にすると胸が苦しくなった。
これから、私の周りは何もかも変わってしまうのだ――。
「それで京子。一つお願いがあるの――」
美千代は申し訳なさそうにそう言った。
「――お願い?」
不思議そうな顔で京子は返す。
今まで祖母である美千代からお願いされたことは一度も無かった。
自身を落ち着かせるように美千代は深呼吸をする。
――お母さんのいた町に引っ越さない?
予想もしていない言葉に京子は呆然とする。
お母さんのいた町、確か……櫻木町だったかな。
そこに私は引っ越す――?
駄目。頭が回らない。
言葉のその先を考えることが出来ない。
引っ越す。
京子の中でその単語だけが頭を駆け巡っていた。
やはり、この家から離れるのは確定事項。
避けられない現実だった。
「あ、ごめんね、突然言って。実はお父さん――京子のおじいちゃんが昔、万屋をやっていて、今そこが再開しているのよ」
唐突な発言を謝罪し、美千代は事の経緯を説明する。
「万屋・・・・・・?」
京子は訳もわからず、不思議そうに首を傾げた。
万屋。お店であることはわかるが、何屋さんなのか。
京子にはわからなかった。
「まあ、何でも屋さんみたいなところよ。それにその家は私たちとお母さんが十何年過ごしていた家でもあるのよ」
美千代はそこがかつての自分たちの家だと伝える。
「・・・・・・でも、おばあちゃんたちはいないんでしょ?」
気がついたような顔をすると、京子の表情は次第に曇っていった。
仮にそこがお母さんたちの昔の家だとしても、そこにはもういない。
私が行く場所に私の知る人は誰もいないのだ。
そして、今後も――。
もう私は一人なのだ。
「――そう。だから、その万屋を再開させた人にお願いしたのよ」
京子の言葉を肯定するように頷くと、美千代は両手で京子の右手を包み込むように握りしめる。
まるで、何かの願いを込めるように――。
「お願い?」
いったい何を――。
京子には見当がつかなかった。
感じるその右手の暖かさ。
人の温もりを感じたのは久しぶりだ。
「京子を住ませてくれないか――って。勿論、タダじゃないけどね。万屋の仕事を手伝うって、話で彼には言っている」
京子を落ち着かせるように美千代は京子の隣の椅子へと座った。
「そんな――」
勝手に決められても――。
京子は一瞬、そう思った。
しかし、そもそも今の自分に決める権利が無いことに気づく。
それに彼――と言うことは、住んでいるのは男性なのだろう。
知らない男性と二人――。
必然と抵抗感があった。
「お母さんの育った町で過ごす。住んでいる人は違っても、ここにいるよりは前へ進めると思うのよ」
ゆっくりと訴えかけるような美千代の言葉。
いくつかの策を考えた後に出した結論なのだろうと京子は悟る。
悩む祖母の姿が目に浮かび、京子は申し訳ない気持ちになった。
「・・・・・・」
思考に全神経が集中しているせいか、言葉が出ない。
母が育った町、櫻木町。
そう言えば、行ったことが無かったかった。
確かに祖母の言う通り、両親がいたこの部屋にいるよりか、母がいた町へ行ったほうが私には良いのかもしない。
ここで立ち止まるよりは良いはずだ。
そうだ。
私は前へ進まないといけない――。
――一人で。
「もし嫌だったら、ここにいることも出来るは出来るわ」
京子の顔を見て、美千代は咄嗟に慌てた顔で言う。
「ここにいるか――。お母さんが育った町に行くか――」
呆然とした顔で京子は選択肢を呟いた。
ここにいるとしても、きっとそれは私の我儘になってしまうだろう。
何を私は悩んでいたのだろうか――。
最初から答えは決まっていたのだ。
京子は決意したようにゆっくりと深呼吸をする。
「――おばあちゃん、決めたよ」
これが今の私に残された唯一の道。
「うん」
わかっていると言うような顔で美千代は申し訳なさそうに頷く。
――私、お母さんのいた町に行くよ。
こうして、私はここにいる。
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