第8話
デジタル時計はお昼を示していた。
何をやろうとしてもうまくいきそうにない、この何とも言えない吐き気を抑えるというのは、生まれてから数年と数か月たった今でも苦痛でしかない。
だが、このまま何もせずにベットに横たわっているのはあまりにも怠惰で、私の身に余るものだと信じているのはどうしようもなく幸せだ。
その点だけは私の誇れる、いや、他人から見てそうであると、いや、誇れないし、幸せでもないか。
同じ家に住んでいる女が私の昼食を用意してくれていた。
炊き込みご飯とミートボール。
半分だけ食べて、残りは冷蔵庫に入れた。
頭を掻きむしりながら何をするか考えた。
特にやりたいことが見つかるという奇跡は起こるはずもない、だったらどうして考えるのか疑問に思い私は考えるが、その答えは出てこない。
好きな物を言ったときに「どうして?」と言われたら何も言えなくなるという、不可思議な現象、不可思議と言う形容詞? は私が日々思っているこの苦痛を示すのに最も適していると、今思った。
答えが出てこないのであれば、当然、いつも通りの読書を。
4時になった。
凝り固まった体が「助けて」と叫んでいたため、散歩に行くことにした。
最近の寒暖差はわけがわからない。
シャツ一枚じゃ寒いに決まっている。
川のそばの、なんというのが正しいのか、どて? 川辺? 砂利道?
まあ何でもいいが、歩いてた。
雨が降って来た。
シャツが濡れてく、長らく長いままの髪が濡れていく。
家まで10分。
私は笑って歌いながら、踊りながら帰った。
シャツがスケスケだった。
うむ、大変申し訳ないと思っている。
今まで以上につまらない文だったな。
それに前提として傘を持って行かなかったという愚行、そもそも、雨が降りそうなことぐらいわかるはずであろう。
天気予報ぐらい見る程度の生活能力はあると思うのだが、まあ、寝ぼけていたという点と、少しだけ嬉しいことがあったという点がそれの要因になるのだろうか?
そうだ! 嬉しいことだ! なんと! 私は「文体練習」という本を手にしたのだ!
もちろん隅から隅まで読んだぞ? いくつかの文体を使い分けて本を書いている者なら見たことはあるが、100の文体を使用してなど才能を感じざる負えないよ。
いやはや、あれを教材として学校なんかで使用されても違和感がないほどに、有益で、いや、小説を書く上でのだが、それでいて楽しいと来たのだよ。
仮に私が人にものを教える立場であったら(そんなもの死んでも御免だが)きっと楽しめること間違いないであろう。
それを外でも読もうと持ち出したところの雨、うーん、本は傷ついていないが、私の心はもちろん回復の一途をたどるのだが、風邪をひかなければ良い。
まあ、この話はここまでだ。
さあ、百合について語るとしよう。
丁度手元にコーヒーと(ブラックなんてただの泥水だ)レモン風味のクッキーがあるのでそれを食べながら話す。
いや、嘘をついた。
コーヒーは無かったので今とって来た。
そしてその時なのだが、同居している女に「家事を手伝わなければ死ぬと思え」と言われたので10分ほど色々やってたんだ。
「胸を押し付ける」
ここに魅力があると思うのだ。
まあ、一言に魅力があるといってもだ。
詳しく言わなければそれがどのような魅力であるのか全くと言っていいほどに分からないだろう?
このコーヒー粉っぽくてまずいな(全部飲むが)。
第一に「自ら相手を煽っている」という思い切った、いや、恥ずかしさを振り切った、それほどまでの愛を向けているという表現に肉体的百合の良さという物が詰まっていると思うのだ。
物の価値と言うのは比較から始まると私は思っている。
精神的百合ではあくまで「振り切った行動」は示せないという、前提が必要だ。
それは今からいうたった一言で片付く。
振り切った行動は振り切った言葉ではないということだ。
「すき」という物を表すために精神的百合では「言葉」「仕草」「風景」まあいろいろだが、対処に好きと伝えるためには仕草と言葉しか存在しない。
「いやいや、ほかにもあるでしょう?」
もっともだ。
だが、ここで何個もそれらを挙げていたらきりがない。
そうだろう? それに納得する以外の意見は認めない。
「認めないからなんだよ」
たしかに。
だがどうだろう、肉体的百合ではそこに「接触」という物が生まれる。
どうしても深い愛を示すためには「接触」以外の使用は難しい、できないこともないが、手っ取り早く愛を示せる、確実に愛を示せる。
精神的百合でも様々な要素を得てそれを作り出すことも可能だが、やはり性的接触、あるいは何かしらの行動にはやはり、他にはない、というか精神的百合にはない良さという物がある。
どうだろうか。
肉体的百合の良さが一部だけでも垣間見えたのではないだろうか。
そうだな、他にも肉体的百合でなければ作ることができないシチュエーションというものがある。
それは、極度の一方的な百合だ。
例えば、「好きすぎて殺す」「監禁する」まあ、色々だ。
一方的な愛は百合ではないって?
そもそも百合とは自由であろう?
定義などまともにされていないのだから。
ほとんど哲学と言っても過言ではないくらいなのだから。
さて、ここまで読んでくれた尊き人間は百合の要素という物を大分つかめてきたと思う。
つまり百合とは百合であるという事なのだが。
そうそう「逆説」と言う言葉を知っているだろうか?
上の文はそれに少し似ていると思うんだ。
たとえばそうだな。
「負けるが勝ち」
ねっとで調べたらこの例文が出てきたのでこれを題材にして話していこう。
「負ける」ことが「勝ち」
勝ち=負ける 負ける=勝ち
勝ち=勝ち
「勝ちが勝ち」
うん、こうなると逆説でもなんでもないな。
「百合でないことも百合である」と言いたかっただけだ、こんなくだらなくてつまらない糞みたいな論理はいったい何なんだ。
コーヒーを飲み終わったので今日はここまでにする。
私は百合小説をこよなく愛しているが、漫画の方も愛しているのだ。
これから、日々の活力を補充してくるとする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます