第3話 早解きの名探偵 - 音楽室での謎解き
私と
侵入といっても、制服姿で部活生のフリをして堂々と正面玄関から入った。
学校は土曜日でも部活動で生徒や先生が出てきているから、校舎の玄関は開いている。
夕方のうちに校舎内に入り、夜まで教室に隠れていれば、玄関を施錠されても夜の学校を探索できる。
ちなみに教室の扉には鍵が付いているが、普段は施錠されていない。教室の数が多すぎて施錠の手間が大きいからだ。
私たちは教室の窓からこっそり外の様子を覗き、すべての部活動が終わるまで待つ。
野球部が薄暗くなったグラウンドをトンボでならして帰っていった。それが十九時頃。
これで生徒は私と五城君以外の全員がいなくなった。
窓から首を出して職員室の方を確認すると、職員室だけはまだ灯りが点いていた。
生徒の知らないところで、先生たちはたくさん働いているようだ。
先生を気遣う意味と、先生を邪魔に思う意味の両方で「早く帰ってくれないかなぁ」とボヤく。
そんな私には反応せず、五城君はスマートフォンの画面に指を這わせていた。
数分おきに職員室を確認して、やっと灯りが消えたのが二十二時頃。
「
「うん。職員室の電気が消えてすぐ、懐中電灯で下の方を照らしながら学校内の探索を始めたよ」
「じゃあ僕たちもそのとおりに行動しよう。最初はこの三階にある音楽室だったね?」
音楽室には、七不思議のうち二つも不思議がある。
一つはベートーベンの肖像画。
夜になるとベートーベンの肖像画の目が光り、見ている人の方を追従する。
もう一つはひとりでに鳴るピアノ。
夜になると音楽室のピアノが勝手に鳴る。
先週、私は実際にものすごく怖い思いをした。だから本当は思い出したくないのだが、五城君が解決してくれると言うので、仕方なく話して聞かせる。
「うん。最初にベートーベンの肖像画を見に行こうと音楽室に向かっていたら、音楽室の方からピアノの音が聞こえてきたの。それで音楽室の扉を開けた瞬間にピアノは止まったけれど誰もいなかった。でも、壁の高い所に掛けてあるベートーベンの目が青く光っていて、それが私たちを見下ろしていたの。普段はそんなことないのに」
「なるほど。それを見て君たちはどうしたんだっけ?」
「私は思わず悲鳴を上げて音楽室を飛び出したわ。少し廊下を走って、ふと
「
私と五城君が音楽室に向かっていると、かすかに物音がした。
「しっ!」
五城君が人差し指を口に当て、足を止める。私も止まった。
五城君は真剣な表情で耳を澄ませていた。
「聞こえる。ピアノの音だ」
「昨日と同じだ」
それはメロディーではない。ターン、ターンと、まるで人差し指を鍵盤に置いたような単音だ。それが不規則に小さく鳴っている。
「行こう」
五城君が再び歩き始めた。
先週の記憶がフラッシュバックし、私の足がすくむ。
それに気づいた五城君は、私の手首を引いて強引に音楽室へと向かった。
五城君が音楽室の扉に手をかけ、勢いよくそれを開け放つ。
その瞬間、ギャーンという短めの不況和音を最後に音は鳴らなくなった。
音楽室には誰もいなかった。
「きゃあああああああっ!」
私はベートーベンの青く光る目と視線が合い、絶叫しながら走り出す。するとグイッと腕を引っ張られ、肩に大きな衝撃を受けた。
腕と肩の痛みに涙が出てきた。
「小鳥遊さん、静かに!」
「でもっ、ベートーベンがっ、ベートーベンがぁあああっ!」
五城君が私の腕を離したかと思ったら、目の前で思いっきり両手を叩いた。
猫だましだ。
「小鳥遊さん、大丈夫だよ。目しか動かせない奴のどこが怖いの? 立場が逆だよ。ベートーベンが僕たちから逃げられないんだ」
なんと……なんと尊大な……。
なんだろう。少し平気になった気がする。きっと、彼の人を呆れさせる
五城君がベートーベンの肖像画に懐中電灯を当てると、目の青い光が消えた。それでも私たちのことを見ている。
五城君に腕を引かれて音楽室内を移動すると、ベートーベンの視線が私たちを追従してくる。
再び恐怖が込み上げてくるが、それを察したのか、五城君は私の手を握りなおした。
「いま、音楽室に入って一分くらいかな。あと四分以内にベートーベンの謎を解明してあげるよ。小鳥遊さん、懐中電灯で僕のことを照らしておいてくれる?」
「う、うん……」
五城君は私の手を離し、自分の懐中電灯を消した。
私は懐中電灯を五城君に向け続けた。
五城君は音楽室の机を一つ、ベートーベンの肖像画の下まで運んだ。
上履きを脱ぐと、机の上に登る。
「ベートーベンさん、あなたを暴きますよー」
「ちょっと、話しかけないでよ! 返事をしたらどうするの!?」
自分でもヒステリック気味だと思うような声が出てしまった。
「日本語で?」
「え……?」
五城君がベートーベンの肖像画に両手を伸ばしながら早口でまくし立ててくる。
「ベートーベンから返事をいただけるのなら光栄だね。でもそんなことは絶対にない。なぜならベートーベンの生きた時代の日本が江戸時代でずっと鎖国をしていたからね。ベートーベンに日本語が分かるはずがない」
「あっそう……。じゃあ、なんで語りかけたの?」
「君の緊張を和らげようと思って」
「…………」
そんなこと言われたらもう何も言えないではないか。ちょっと嬉しくなってしまった。
でも
机から降りた五城君は、私に近寄るようにと手招きをした。
私が五城君の隣に行くと、五城君はベートーベンの肖像画を額縁から取り出して机の上に置いた。
「見てごらん。この青く光る目は、青の蓄光塗料が塗られているんだ。昼間に光を吸収し、夜になると光る」
五城君がベートーベンの目を指でなぞり、その指を見せてきた。
五城君の指先が青く光っている。
「こうして簡単に指に付くということは、これは蓄光塗料を使った作品ではなく、誰かが後から塗ったものだ」
なるほど。青く光る目については分かった。
だが、ベートーベンの肖像画にはもう一つ大きな謎がある。
「ずっと私を見てくるのは?」
「それはね、そうなるようベートーベンの目の部分を凹ませてあるんだよ。そうすることで、斜めから見ると、結膜、つまり白目の手前部分が隠れて、瞳がこちらを向いているように錯覚する。君も触ったら分かる。目の部分が凹んでいるから」
「わ、分かったから、触らなくていいわよ……」
怖くて目を逸らしがちになるが、ちゃんと見ると、目視でも目の部分が凹んでいるのが分かった。
「このトリックでは、日中でも視線が自分の方を追従しているように見えている。ただ、日中はベートーベンの目が光らないから、気になって肖像画を見ることがほとんどない。だから視線に気づかないだけだなんだ」
五城君はそう補足した。
ベートーベンの肖像画のトリックについては解決した。
しかし、まだ解決していない問題がある。それについて五城君が言及する。
「これはイタズラにしては手が込んでいる。イタズラ以上の悪意を持って細工をした人がいるってことだ」
そう。誰がベートーベンの肖像画に手を加えたのか、という問題が残っている。
その話には別の怖さがある。
ただでさえ怖い状況なのに、正直、そんな話は聞きたくない。
それを察してか、それとは関係なくか、五城君は器物損壊の犯人についてそれ以上の言及はしなかった。
きっとそのうち教えてくれるのだろう。
「さて、次は勝手に鳴るピアノだね。これも五分以内に暴いてみせるよ。君は僕の鼻を明かすために時計でも見ていればいいさ」
五城君はベートーベンの肖像画を元に戻しながらそう言った。
これも私の恐怖を和らげるための軽口だろうか。
私は青い目を見たくないから、ベートーベンの下に置いてある机に腰掛けた。
時計を見つつ、懐中電灯で五城君を追尾する。
五城君は自分の懐中電灯でピアノの中や鍵盤を入念に調べ、その後は音楽室の床を入念に調べている。
調査開始から四分を過ぎたところで、五城君は懐中電灯を私に向けた。
「ピアノを鳴らしていた者の正体も暴けたよ」
「その正体は何なの?」
「ネズミだよ」
五城君はピアノの椅子を引き出し、そこに座った。そして私が訊くまでもなく、自ら説明を始めた。
「この音楽室の床をよく見ると、小さな楕円体の黒い塊が落ちている。これはネズミのフンだ。室内に出るネズミには主にドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミの三種類がいるが、ここに出るのはおそらくクマネズミだろう。クマネズミは高い場所を好むから、三階の音楽教室でピアノに登っていてもおかしくない。それに、クマネズミは臆病で警戒心が強いから、僕たちの気配を察知すると、すぐに隠れてしまっただろうね。だから僕たちがここへ来たとたんに音がやんだんだ」
なるほど、そこまで説明されれば私も納得だ。
各クラスの教室は終礼前に生徒が清掃するが、特別教室は先生が毎朝清掃しているらしい。
夜にネズミがフンをしても先生が朝に清掃するので、日中の音楽室は汚れていないというわけだ。
「それは分かったけど、五城君、やけにネズミに詳しいのね」
「まあね。見当は付けていたから、ネズミについて調べておいたのさ。ちなみにネズミを駆除しておかないと、そのうちピアノの音がちゃんと出なくなるよ。それに音楽室では飲食禁止にしたほうがいい。合唱部か吹奏楽部か知らないが、飲食をした痕跡がある。ほら、米粒やお菓子の欠片が落ちているだろう?
「はぁ……。あなた、本当に中学生?」
私がそんなことを訊くものだから、五城君は苦笑して肩をすくめてみせたのだった。
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