第2話 プロローグII:竜と王女は出会います
私が目覚めたらそこは平坦な地面だった。
雪は無く寒くもない。息もできる。
それどころかあらゆる傷が綺麗さっぱり無くなっている。
ついでに言えば服は脱がされている。
「全部元に戻ってる……?」
「む、目が覚めたか」
「誰……ッ!?」
背後から突然かけられた言葉に振り返ると、そこには真っ黒な竜が居た。
その双眸は猫のような瞳孔を細めて私を舐めるように見ている。
「見て分かるだろう、竜だ。それ以上でもそれ以下でもない」
それ以上があっては困るのだけれど……。
湧き上がって来る恐怖心を何とか抑えてにわかに乱れた呼吸を整える。
そして聞く。どうして私を助けたのか。
「……私を殺さないの? 私はお前に差し出された生贄なのよ?」
「殺す? 誰が? 何の為に?」
「え? でも――」
「生贄という言葉の意味をもう一度よく調べる事だな。人間の創った言葉だろう、そこにその後の生死の是非は関係ない」
「なッ!? じゃ、じゃあ今までの人はどうしたのよ!」
「お前の国から来た者は皆最後は五体満足で下山していったぞ。但し、方向は聖王国では無かったが」
「それじゃあ、今までの生贄は……契約は何だったのよ」
今まで生贄にされた者達にも家族が居た筈だ。その意味が全くなかったと知って、その者らは一体どう思うのだろう。
ただ意味もなく大切な人から引き離されて、過酷な山登りをさせられて。一体どう思うのだろう。
私にだって、お父様とお母様が居る。こんなの……こんなのって無いわ!
「勘違いするな、契約を交わし、生贄を差し出すと言ったのはお前たち人間だぞ。我はただ、ほんの手土産の気持ちで竜の因子を当時の首領に与えたに過ぎん」
「そんなの、信じられる訳ないでしょう!?」
「別に信じてもらう必要はない。この事を真に知っている人間はもう居ない
「当り前よ! それと私はエスメ。 エスメ・ゼイン・ビアトリクスよ『お前』なんて名前の女はここに居ないわ!」
「……むう、少し落ち着け。お前――エスメがビアトリクス家つまり王族にして我の因子を僅かにでも受け継ぐ者であるならば、そのような態度は似合わぬ。常に落ち着いて大局を見る目を養うのだ」
何よ、大局以前に全部お前のせいじゃない! 完全なコミュニケーションエラーじゃない!
「しかし、ここに訪れた人間によって見聞深まったことは認めよう。結果的に生贄は我にとって有益であった。無知と無理解は要らぬ諍いと争いを生むからな。……まあ飲め、玄米と茶葉を煎じた茶だ。なかなかどうして悪くない」
得体の知れない奴から出されたお茶なんて飲めるわけ無い。
私は拒否の意思を示すために目の前の竜を睨みつけた。
そうよ私、人間だって竜に抵抗することは出来る。それがほんの小さなことでも。
「……そうか。しかしだな、エスメよ。我が契約を履行していたおかげで今のドラゴニアがあることを忘れてはならぬぞ」
「そんなの、分からないじゃない。そうじゃなかった過去が存在しない以上、その話は憶測の域を出ないわ」
「そうだとも、これは憶測だ。しかし忘れてはならない。人類は良くとも
「それはどういう意味よ」
「何、人間を支配しようとした竜は居たという話だ。撃退したが、我が居なければ今頃ドラゴニア神聖国がどうなっていたか知れん」
そうじゃなかった過去では無くて、そうなっていたかもしれない可能性はあると言いたいのね。
というか――
「竜って、お前だけでは無かったのね」
「エスメよ、言葉を借りるがここに『お前』という名の竜は居ない。居るのはアートルムという原初の竜が一柱のみ」
「……はあ、面倒くさい竜ねあんたは」
「アートルムだ」
「はいはい、アートルムアートルム」
「……続けるが、我が知るのは竜が複数体居ると言う事だけだ。人間でいう所の血縁関係はないが『完全な個』という点では同質の存在であると思われる。アルブム、ラーウム……と言った感じでな」
『完全な個』? 意味が分からない。どういう意味か説明を求めようと口を開くと、アートルムは自らその答えを出して見せた。
「少なくとも我は祖先や子孫と言った概念を持たない。故に親と呼べる存在も居なければ、
「そう、寂しい竜なのね。ひとりでに生まれてひとりでに死ぬなんて」
「それはエスメの決めつけだ。そう言った思考は己の世界を狭めるぞ」
「……」
世界が狭い? 当たり前でしょう? 城で生まれ城で育ち、城で学んだ私の世界は城下町までが精々よ。悪かったわね!
「……しかし、それらが一体どのようなものか身を以て知りたくはある。全く、人類種は我を惹きつける不思議な魔力があるな」
「何よそれ。逆に
「いいや。人類種のあらゆる営みは我が敬意を表するに値する。動物の身にて本能に抗い、法で自らを縛り、己に成し得ない事象を外に見出し己が力とする。凡そ他の種族には成し得ない偉業の上に立つ生物。この場所から見ているだけではあまりにも惜しい」
アートルムと目が合った。表情の読めないコイツの顔は恐ろしくも凛々しいと形容できる顔で、ずっとこちらを見ている。もしかしたら最初からずっと見られていたかもしれない。
人間では無いからと特に隠す事をしなかった私の体も、ここまでまじまじと見られると恥ずかしい。
「エスメよ、お前はとても良い目をしているな。強い精神の表れだ、美しい」
「なっ――! いきなり何よ、人間如きなんかを褒めたりして……」
「ハハ、そう卑下するものではない。我が美しいと言ったものは大抵そうあるものだ。ほら、こちらを見るのだ」
私の頬を、黒い爪が撫でた。ひんやりと冷たく気持ちがいいそれは、壊してはいけないものを触るように優しく肌に触れている。
アートルムに害意が無いのは分かる。しかし、やはりこういう異質なものが近づけば怖い。
私は咄嗟に顎を引いて目を強く瞑った。
「恐れることは無い。エスメよ、目を開けろ」
顎先を半ば強引に持ち上げられ、ビックリして目が開く。
すると、そこには消えたアートルムの代わりに私の顎を持ち上げこちらを見つめる男の姿があった。
どういうこと!? アートルムは!?
ま、まさか……この男が?
「――エスメ・ゼイン・ビアトリクス。我はお前が気に入った。我が妻となれ」
「はえ? ――んっ!?」
竜から強引な口付けと同時に求婚されたんですけど!? どうしよう普通に無理!
――え、何で私ドキドキしてる訳!? コレどっち、恐怖のドキ? キュンのドキ!?
わっかんね――! っていうか……!
「我と共に世界を――」
「ゴチャゴチャいう前に服を着なさいよぉおおおお!」
渾身の回し蹴りをアートルムの側頭部にお見舞いしてやった。
鈍く低い音が空間と私自身の右足を介して伝わってきた。手ごたえあり。
「……並の人間ならば今ので左鼓膜破裂と脳震盪、転倒時には脳挫傷の可能性がある。我に服を着させるのに
「……冷静過ぎる返事をありがとう。じゃあさっさと服を寄越して」
「ああ。これを着ると良い、我なりに『禊の白布』を再定義して新たに作ってみたのだ。ドレスであった方がこの先色々と都合が良いだろうからそのように作ってある。我は……これで良いか」
アートルムから手渡されたのは各種下着と絹製に見える真っ黒なドレスと、丁寧になめされた革のブーツ。どちらもサイズにピッタリで……さては私が気を失っている間に測ったわね?
着てみると縫製はかなりしっかりして重い筈なのに、とても軽やかでドレス特有の動きにくさが無い。竜なのにやるわね……。
当のアートルム本人はどこかのどこかの民族が着て居そうな服を着た。色は同じく黒で私よりも幾分身軽に見えた。
「そしてエスメにはこれもやろう。アレキサンドライトのペンダントだ。昼間の陽光では青く、夜のろうそく灯りでは赤色を呈する宝石だ。見るものすべてがこれを羨むだろう」
「……へえ、面白い宝石ね」
「……」
「なによ」
「いや、我に蹴りを入れて謝らないどころか宝石にも興味が無い。我を前にして最早恐怖も無い。不思議な人間だなと思っただけだ」
「諦めているだけよ。あなたとの結婚だって、断ることは出来ないのでしょう?」
「そうだな。エスメ以外の相手は考えられぬ。エスメが良いのだ」
……ッ、直球で言わないでよ。ビックリするから。
「……逃げられないなら、諦めるしかないでしょ。政略結婚みたいなものと思う事にするわ。人類種と竜との関係を保つために結婚して、適当に子供を作って後は死ぬだけってね」
「そうか……それは残念だ」
アートルムは台詞通りの、見るからに残念そうな顔をする。
何よ、これじゃあ私がアートルムを虐めているみたいじゃない。
おもちゃを取り上げられた子供みたいな顔しちゃって……仕方ないわね。
「――ま、まあ? 生贄は誰も死なずに元気でここから降りたいみたいだし? このドレスとペンダントも素敵だわ。私を好いてくれること自体も嫌では無いの。……だからその、少しは嬉しいかもね」
「……そうか?」
「え、ええ。嘘を言ったつもりは無いわ」
「そうか……!」
私がそう言うとアートルムの表情は一気に明るくなる。
生きとし生ける生命の頂点がこれって、なんか複雑な気分ね。
まあでも、可愛げがあっていいかもね。
少なくとも可愛げのない、女の体にしか興味の無い馬鹿な男に抱かれるよか百倍マシね。
「それで? これからどうするの? ここで楽しく新婚生活を送ろうって訳じゃないのよね?」
「……そうだ。先ずはエスメの両親に挨拶をしてだな――」
「意外と普通!」
「その後は暫く世界を巡りながら人類種の文化に深く触れてみたいと言うのが我の偽らざる願望だ」
「結婚直後にすることじゃないわね」
「時間はたっぷりとあるからな、変則的な生き方も良いだろう。――さて」
「わッ! ちょっと!」
「城まで飛ぶぞ。早速ご両親に挨拶だ」
アートルムがスッと近づいて来たかと思えば、軽々抱えあげられてお姫様抱っこ状態。
正真正銘のお姫様だったけど、これは初めてされた。
……というか恥ずかしいッ! え!? これでお城までとか、お父様とお母様に見られたら私――!
「お嫁に行けなくなる――ッ!」
「……なにを言っているんだ? 今から行くのだ」
「そうだった! ……って、ちょわあああああ――――!」
その瞬間、アーカーシャ山の頂上から人二人分の影が消えた。
平らだった筈のその場所はアートルムが飛んだ余波で崩壊し、標高がおよそ五百メートルほど低くなった。
その事実は直ぐにアーカーシャ山大崩として近隣の村々に伝わり、世界の終焉を想起させたりさせなかったりしたと言う。
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