第3話 竜と王女は結婚します

我の名前はアートルム、原初の竜の一柱だ。

 私事だが、人間の女を娶った。

 今我の腕に抱かれているのがそうで、エスメ・ゼイン・ビアトリクスという名前だ。ドラゴニア聖王国の王女だった女だが、生贄として我の棲み処にやって来た。

 流石人の上に立つ者と言った所で、肝が据わって良い目をしている。顔も良い。

 多少早とちりな所が玉に瑕だが、それも人らしくて良い。

 ――おっと、そう言えば今はエスメの両親へ挨拶しに行く途中なのだった。話に夢中で国一つ通り過ぎてしまったな、戻ろう。

 ……待て、我は一体誰にこれを話していたのだろう?


「フッ、まあ良いか。偶の独り言程度」

「え!? 何か言った!?」

「言っていない。そら、城に着くぞ」

「ちょわああああ――――ッ!? フワッて! 今フワッてァああああ――――ッ!」


 賑やかでよい家庭が築けそうだと、成層圏から降下しながら思った。



 ♢



 あまり距離が短いと、降りるのも大変だな。垂直に降りるにもその間に星自体が回って狙い通りの場所に降り立てん。これからはもう少し低く飛ぶとしよう。

 さて、我が降り立つのはいつもエスメがアーカーシャ山を眺めていたバルコニーだ。


 ――ああ、我には見えていたとも。送り出されたあの日もエスメはここに居た。

 虚ろな表情だった。――だが来た。我が住まうその直ぐ傍まで。

 それ故に愛おしい。その覚悟が美しい。

 我がバルコニーに降り立って腕の中のエスメに目を向けると、目が合った。


「ここ……」

「どうかしたのか」

「いや、何でもないわ」

「そうか」


 敢えて本人に言う必要は無いだろう。人間と同じように、我にも隠し事の一つや二つあってもいい。

 複数の視線が我を捉えているのを感じる。この城の衛兵だろうが、出くわせば説明が難儀だな。


「さて、ここからどうしたものか……ん?」


 我とエスメの居るバルコニーの先、外が明るいせいで良く見えないが部屋の中に誰か居る。あれは確か……。


「エスメ、エスメなのか……!?」

「お父様、お母様! 私です! エスメですっ!」

「ああ、エスメなの? なんてこと……」


 我はエスメを降ろしてやり、両親の許へと向かわせる。抱き上げたままというのもおかしいからな。因みに今は我の姿だけ隠している。国王と王妃には我の存在が露見していない。

 しかし、今生の別れにしては反応が薄い気がするな。何故だ……?


「どうやってここに戻ってきたのだ? その恰好は?」

「こ、これは……」

「竜との契約はどうなってしまったの? ……まさか貴女!?」


 契約を履行できなかったのではないかと考えている訳か。

 ここは我が出て話したほうが良さそうだな。


「――契約はもう良い。あれは最初からほとんど意味のないものであったからな、我が一方的に破棄させてもらった。今の契約など無くとも、この国の安寧は保たれる」

「誰かッ!?」


 エスメを除き最初に反応したのは国王の方だった。……これは昔ヤンチャだったからな。

 不可視であった我の体が一歩歩く度に露になって行く。まあ、それでも我の正体など分からぬだろう。今の我は人間の姿をしているからな。


「ただの人間をあんな布切れ一枚でアーカーシャ山に送り込むとは、一体何を考えているのだ? 食料も水も渡されず、暖も取れず登山するなどおよそ常人が出来る事では無いぞ。あれでは契約を毎度履行する気があったとは思えん」

「男。国王のに対しその口調、不敬ですよ? 先ずは己が誰であるのか明かすのが筋でしょう」

「お母様――ッ」

「エスメは黙っていなさい。いかな命の恩人と言えどもその身の上を明かさぬは不敬というもの。お前は誰か?」


 流石にくれてやった竜の因子も薄まり、最早我の本質を見る事は出来ぬか。

 ならば、仕方ない。本来の姿を見てもらう他ないだろう。


「エスメ、場所を変えるぞ。我と両親を玉座の間へ連れていけ」

「……良いわ、付いて来て。お父様たちも」


 我がそう言うと、察したエスメが先に部屋を出て行く。

 そろそろ下にいた衛兵も来る頃なので撒くのにも丁度良いだろう。

 先導するエスメもそれと無く人目は気にして経路を選んでいる様子。

 誠、良き女だ。




「ここよ。中に入って」


 玉座の間は、国の規模に比して大きすぎると言える程のもので、天井は高く玉座は遠い。

 ふむ、ここならば問題無いだろう。


「ここで一体何を――」

「我が何者なのかを教えてやろうと言うのだ。危ないので少し離れて居ろ」


 我はそのまま立ち止まらずに玉座の前まで歩いて行き、本来の姿に体を変える。

 とはいえ、これで掌を返すのであれば少し残念だな。


「――ま、まさか……!」

「お父様、お母様、この竜こそ我が国と契約を結んでいた原初の竜の一柱。アートルムよ」

「紹介にあずかった通りだ。我が名はアートルム。本日は我直々に話したい事がありここに参った。腰を据えて話がしたいのだが、如何かな? ドラゴニアの王とその妃よ」

「……先程までの全ての非礼、お詫びしよう。申し訳ない。私はドラゴニア聖王国国王のクリフトンと言う。――しかし私も人の上に立つ身故地面にひれ伏すつもりは無い。そこは理解してくれ」

「あなた!」

「待て――それが良い。元より対等な立場で話すつもりで来たのだ。その手は他者の為己の為に、地に付けるものではなく取り合われるものであることを我は望む」


 エスメたちに歩み寄りながら再び人の姿へ戻る。


「今度は意味のある、良き契約を結びたい。お互いに痛むところの無い、な」

「もちろんだ、アートルム殿。――エレナ、貴賓室の用意をするように伝えてきなさい」

「分かりました。すぐに準備させましょう」


 国王が王妃に言うと、王妃は足先まである丈のスカートを両脇からつまむようにして持ち、足早に玉座の場から去って行った。



 ♢



「単刀直入に言うと、我はエスメを我が妻として迎えたい」


 半時程たった後、我らは貴賓室へと案内されて程度の良いソファに座って話し合いの体制を取っていた。我の隣にはエスメ、対面にはその両親が座り下座には文官が居てその内容を事細かに記そうとしていた。

 今は、国王と我だけが言葉を交わしている。他の者らは聞いているだけだ。

 これは恐らく、王国がある種の外交と思っているからだろう。


「むう……それは何故か、聞いてもよろしいか?」

「勿論だ。先ず、我は人類種を好ましく思っている。動物の身にて生き、しかし動物とは決定的に違う。その二面性が興味深い。――言ってしまえば、我は人類という存在に憧れているのだ」

「それで、その姿を?」

「ああ。魂はその入れ物にとらわれる事が無い。――理解しがたい事かと思うが、我が我のまま人間の姿を取るのはそう難しい事では無い。……と、話が逸れたな。アーカーシャ山から降りて、人と交流するのに竜の姿ではマズいだろう?」

「全く、その通りですな」


 我が話して国王が相槌を打ち、文官はそれを記録して行く。流石に警戒されているのだな、我の発言を表立って否定してこない。

 いきなり城に押しかけて愛娘を寄越せと言っている我の事など、当然面白く思っていないだろうに。


「だが人の身で独り身というのは寂しいもの。長年人の世を見守ってきて思ったのだ。旅をするならばその傍らに一人でも支えとなる者が居ればとな」

「……なるほど。それで、私の娘でなければいけない理由とは?」

「強さだ。……エスメにはまだまだ成長の余地があるが、今の時点でおよそ他の人間では持ち得ない強い覚悟とそれを曲げない意思がある。『禊の白布』を着ていたとはいえ、休むことなく五日間もあの山を登り続けた。民の為、国の為、そして両親の為、与えられたその使命を信じて登り続けた。痛みや寒さ、脱水に飢餓感。そう言った苦痛に蝕まれながらもだ。我が愛すに相応しい強く美しい女だ、エスメ以外には考えられない」

「娘の『覚悟』がアートルム殿の御眼鏡に適ったと、言う事ですかな」

「そうだ。外見もさることながら、そのあり方が我は美しいと思ったのだ」

「そう、ですか……」


 しばしの沈黙。

 国王は何でも無いところを見つめて思案に耽っていると見えた。王妃はただただ、平然と振舞っている。エスメは……何だか俯いて肩を震わせている。

 何だ? そんなに可笑しい事でもあったのか?

 ――と、そんな時国王が僅かに俯いていた顔を上げて我の顔を見据えた。

 その瞳に影はなく、成程エスメの父親かと言った程度だ。彼もまた、強い。


「その件については、認めましょう。貴方は『お互いに痛むところの無い』と言った。それを信じましょう。――それでは、アートルム殿からは何を我ら聖王国に?」

「うむ、先ず我はこの先このドラゴニア聖王国の一員となる。この国に危機が迫った時には助力を惜しまない。何処に居てもすぐさま駆けつけ貴国の為だけに戦おう。但し、攻め滅ぼす矛としてではなく民を守る盾としてだ。名実ともに貴国は竜が護る国となろう。これは我が名の下に必ず履行される」

「何と……! それだけでも十分な恩恵だ」


 国王が思わず椅子から立ち上がって声を上げる。それほどにうれしい事か。


「それだけではない。一番大事な事だ。良く聞け」

「一体何を……?」

「エスメを、絶対に幸せにしてやる。生贄として死ぬ運命だったのならば、その悲哀に勝る幸福を約束しよう」


 今度は貴賓室にいるものが皆虚を突かれたような顔をした。おかしいな、一番喜ぶべき内容だと思うのだが……。


「ちょっとアートルム! 恥ずかしいからやめて!」

「何を言うエスメ? お前の幸福が第一に決まっている。国の大事に勝る事だ」


 少なくとも、我にとってはな。

 そう思っていると、国王が天井を仰ぎ見て笑った。

 王妃も口元に手を当てて何やら楽しそうだ。


「……フフフ、ハハハ! いや、済まない! これほどまでに真剣な顔をしてその言葉を口にする者はアートルム殿が初めてで! ハハハ! いや、私は満足ですぞ、ええ!」

「私も、母として言う事は御座いません。アートルム様はエスメに相応しい御方かと」

「そうだな! ハハハ!」

「……こうも笑われると何だか複雑だな」

「政治目的で貴族や他国に嫁がせるより何百倍も良い婚姻ですよ、ええ。貴方様のような方にならば、私の愛娘も預けられるというものです。……なにより、エスメも満更では無さそうですからな! いやあ、良いものを見せて頂きました」

「……それならば、良かったが」

「ええ。それでは早速詳細を纏めて契約と致しましょう――いや、少々お待ちを。竜ともあろう存在に娘を嫁がせるだけでは些か失礼が過ぎるというもの。色々と用意させて欲しいですな、しばしお待ちを。――記録官、文書係を呼びなさい」


 国王がそう言うと、文官は一礼し貴賓室を去って行った。

 何やら事がいきなり良い方向は転がり始めたが、どうなる事やら。

 国王はどうやら我に何か追加でくれようとしている様なので、我は取り敢えず事を静観することにした。

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