世界最強の竜が、人間になるそうですよ?

あなごるごん

第1話 プロローグI:竜は一大決心をします

 ――個体の強さは魂の強さに由来し、肉体はただの入れ物に過ぎない。

 我が長年研究した結果導き出された殆ど確定された結論だ。

 ただし、その魂の強さというのはそれを持つ生物の種類によって大まかに揃えられていると言う事もまた研究によって明らかになった。

 であるから、殆どの知性ありし生物は魂の出力限界を超えてしまうと肉体も崩壊し、そこが『種族の限界値』とみなされているようだ。

 

 グリフォン、フェンリル、クラーケン、ユニコーン、ヨルムンガンド、フェニックス、バジリスク、ケンタウロス、エルフ、ドワーフ、獣人、そして人間。

 その全てが己の限界を感じ取ると同時に歩みを止めてしまう。

 ……だが何、それを我は責めるつもりは無い。それらはそう造られているのにそれを責めるのは可笑しな話だ。

 与えらえ、勝ち取ったその生を全うしようとする全ての種族を、責め嘲る権利は誰にも存在しないのだ。


 我は竜だ。特に人類種がその歩みを始めてから、健気に命を繋ぐその営みを契約の下見守ってきた。尽きる事の無い好奇心と共に観察してきた。

 終わりなき生命をこの身に持つ者として、限りなき魂を持つ者として、この星の頂点に君臨するものとして。

 あらゆるものが我に届かないがされど我に無い物を持つ彼らをいつも見守ってきた。

 『我に無い物』、それが何かはそれを持たない、知らない我が説明できるものではない。

 しかし正体の知れぬそれを我は羨んだ。

 

 だから、我は今日で見守るのを辞める事にした。

 最後の生贄来客を以て、辞める事にした。



 ♢



 竜の住まう山、アーカーシャ山の麓に位置する王国『ドラゴニア聖王国』はかつて竜と人間の混血が興した国で、今もその末裔が国を治める小さくも活気がある豊かな国だ。

 そして今日は十年に一度の大祭が開かれる日で当然祝日。普段から賑わう大通りでは人々が入り乱れ皆がお祭り騒ぎだ。


「……」


 そんな光景を城のバルコニーから眺めるわた私は今日、あの山の天辺にいる竜の生贄になる。

 城下町の人達は幸せそうで嬉しいけれど、それが私一人の命で賄われていると思うと複雑な気持ちになる。

 民の幸福は王家の責務だけれど、だったら私の幸福は誰が保証してくれるのだろう?


 部屋の扉が開いて正装を着込んだ父と母が入ってきた。私はこの部屋で二人に別れを告げて馬車に乗ることになっている。

 振り返ると、真っ白で飾り気のないドレス――ここまでくるともうワンピースか――に身を包んだ私の姿が部屋の片隅に置かれた姿見に写って見えた。

 これから死ぬのに私は意外と普通の顔で、正面の両親は悲しそうな顔。

 兄はステルビア王国に留学中で今はいない。

 ホント、せめて兄が姉だったら文句ない人生だったのだけれど。残念ね。

 もし私に姉が居たならば、『似合っているわ』くらい言ってくれただろうか。


 ――あれ、私意外と大丈夫かも。いつものままで居られている気がする。


「エスメ……」

「お父様、おさらばです。お母様も十七年間私を大切に育てて下さってありがとうございました」

「……ビアトリクス家の人間として、務めを最後まで果たすのですよ」

「もちろんです。エスメ・ゼイン・ビアトリクス、契約に従い務めを果たします」


 これ以上話すと駄目だ。ここから出たくなくなってしまう。

 私は後ろ髪引かれながら自分で頭にベールを被せ部屋を後にした。


 余談だけれど、十年に一度竜に捧げられる生贄はその素性を明かしてはならない事になっている。大祭一番の催しである通称『贄の行列』は屋根の無い馬車に乗った生贄が大通りをアーカーシャ山に向かって進むのだけれど、流石に王女が生贄にされるなんて人々は夢にも思っていないだろう。

 生贄が私だと知っているのは両親と、王国上層部の一部のみ。どの段階で私が居なくなったことを国民に明かすのかは知らないけれど、その時皆はそのような反応をするのか少し気になる。

 ――でも、公式な場にほとんど出ない私の顔を殆どの国民は知らないだろうし顔を隠さなくても混乱は無さそうよね。

 ほんと、生贄の為の王女って感じ。


 王城の入り口、私を乗せる馬車の前に来た。馬車を引いて歩くのは私の着ている服の色と同じ白い馬。御者は黒ずくめで今から葬儀でもするみたいな見た目をしている。


 正午を伝える鐘の音が街の方から聞こえてきた。出発の時間だ。

 王女は最後まで、王女であることを止めない。

 だから行列の先頭を任された兵士にこう言うの。


「――さあ、私を竜の棲み処まで連れて行きなさい」



 ♢



 アーカーシャ山の麓からは私一人だ。裸足のまま、食べ物も水もなくただ頂上へ向かって歩き進まされる。頂上に着くまでは大体三日掛かるけれど、私が着ているこの白い服は『禊の白布』で作られたものだから着ている限りはよっぽどのことが無い限り死ぬことは無い。




「――痛ッ」


 しばらく歩いていると、足の裏を砂利で切ってしまった。気にしない。

 痛くても、死ぬことは無い。我慢して歩き続ける。


 アーカーシャ山には整備された山道が無い。十年に一度人が通る為だけに道を作るのは合理的でないし、何より竜の棲み処に手は付けられない。




「はぁ、はぁ、はぁ、寒い……」


 日が落ちる頃になると標高の高さと日が陰り始めた影響で段々と寒くなってきた。

 暖を取る手立てがない私はひたすら体中の痛みと寒さに耐えて斜面を登り続ける。

 

 ……登り切りさえすれば、後は竜が楽にしてくれる。皆の為に進まないと、登らないと……。




「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」


 ずっと地面を見て歩いてきた、多分二日目の夕方。体全体が腫れてきて、もう殆ど手足の感覚が無い。

 ついでに言えば呼吸もままならない。

 お腹が減っているのか、喉が渇いているのか。寒いのか熱いのか、わからない。

 ただただ体は山を登り続ける。




 ――――――――――――。

 たいようがまぶしい。ゆきがたくさん、あしうごかない。

 すごく、しろい。そらもしろい、うでうごかない。

 そらとじめん、わからない。おときこえない。

 まえとうしろ、わからない。うごけない。

 いきが、できない。

 

 めが、みえない――――。



 ♢



 予想通り、生贄来客は山の中腹で動けなくなっていた。

 我は生贄の女を抱えて飛び、頂上へ戻る。

 棲み処へと降り立ち、直ぐに結界を張り人間が生きられる環境を構築する。

 服を全て脱がせて今までの臨床結果をもとに、俺は全身の所見を記録していく。

 外科的に直すにしても、魔法で治すにしても、どこが悪いのか知っていなければ治すことは出来ないからだ。我は勿論後者、魔法で治す。

 寧ろこの人の身の丈ほどもある爪で治せる怪我があれば教えて欲しいな。


「多少の失血、末端の凍傷、全身に渡る浮腫、片肺は水が溜まっているな。これでは恐らく脳も――」


 外傷よりも高度障害の影響が酷いな。我が行列を見たのが五日前……となると中腹まで休まずに登って来たのか、大した精神力だ。

 しかし、毎度の事ながら、この『禊の白布』には驚かされる。これが無ければこの女は当の昔に死んでいる。


「可哀そうな姿だが、生きていればどうとでもなる」


 今の我に、命ある限り治せない傷病は無い。一度拾った命を死なせては我の名に瑕がつく。

 それにこの女、人間の中では中々に良い見た目をしている。治療が終われば更に見違えるだろう。


「すぐに治してやる」


 瞬間、アーカーシャ山の頂上は眩い光で埋め尽くされた。

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