11月16日 地始凍

11月16日 雨 地始凍ちはじめてこおるころ

 本格的な冬がこれからやってきて、大地を冷たく凍らせ始める。

 このまま私を凍らせて、ここに留まらせておいてほしい。あなたとともに。


 しとしとと降る雨の音を聞いていると、成が不安そうに私の頭をなでた。成が過保護だ。先週私が風邪を引いてしまったから。風邪の症状自体はそれほどでもなかった。微熱がでて体が少しだるい。ただ、それだけ。

 でも成に与えた影響は大きかった。それまでは腕や足首なんかを触っていればなんとか落ち着いていられたけれども、風邪を引いてからは可能な限りくっついていたいようだった、常に。


 なんだか変な関係だ。

 それまでは隣に座ってご飯をたべていたのに、今では成のひざに座ってご飯を食べるようになった。厳密に言うとそんな状態で2人同時にご飯を食べることなんてできない。だから私が先に食べて、その後成が二人羽織のように私の背中から手を伸ばして私の肩ごしにご飯を食べた。そんな姿勢はやっぱり無理があって、たまに私の肩にご飯がこぼれる。そのたびに成が謝る。謝る必要はないのだけど。

 私が成を後ろから抱きしめるのは駄目らしい。何かが強引に私を引き離して連れ去るかもしれない。そうと考えると、やはり私を背中から捕まえておく方が落ち着くようだ。そんな何かが私の後ろにいないことは成もわかってる。でも、わかってるからといって安心できない気持ちも私はよくわかる。


 ご飯を食べ終わったら洗い物。洗い物をしている最中はずっと背中から抱きしめられている。

 料理をしているときは私は成を足で踏んだ。重力が私の存在を実感させるという。成は酷く私の喪失を恐れている。片時も離れられないように。成は私の存在を感じたいと祈っている。いつか来る喪失がなるべく遠ざかるように。


 成。

 私の成。

 私は精一杯の力で成を抱きしめる。成は私をそっと抱き返す。ここのところ最近、成はずっと悲しそうな顔をしている。いろいろな意味で限界だ。

 短い。何が短いんだろう。運命? 運命は短い。ロウソクのように、いいえ、線香花火のように私達はパチパチと燃えて、燃え尽きて、そしてそのうちぽとりと落ちて消えてしまうのだろう。破綻する。成はもう私から離れることができなくなる。不安で。おそらく片時も。

 そうすれば現実は目に見えている。一緒にいるなら衰弱、餓死。離れていれば成の頭が壊れる。錯乱。でも成は私と心中はしたいわけではない。


 成の頭の中はもはや私で撹拌されて尽くされていて、わずかに仕事がその端っこを現実と繋ぎ止めているだけで他には何も入っていなくて、現実との連続性も不確かになってきていてまともに頭を働かせることもできなくて、今しかなくて現実と理想の境目がわからなくて、もうずっと私と一緒にいたいとしか考えることができなくなっているんだ。

 でもそんなことを実行すればすぐ終わってしまうというのに。

 客観的には心中という望まない結末しか訪れないのに。


 私は。私はどうしたかったのだろう。

 私は成を私だけのものにしたかった。だから成から私以外のものを排除した。でもその意味はあまりよく考えていなかったのかもしれない。いいえ、私はこの結末を予測していた。そうだ。わかっていた。人の全てを手に収めるために必要なものを私は持っていなかった。

 だからこれは当然の帰結だ。私は権力や財力や、そういったものは欠片も持っていない。成が仕事を放棄しても大丈夫なほどの財力があれば違っていたのかもしれない。成の望み通りに小さな鳥籠に成と一緒にずっと閉じこもっていられるほどのお金があれば。

 けれども私はだたの小娘だった。私は成を満たし続ける手段は持っていなかった。


 けれどもこれが運命だ。残酷な運命だ。

 出会ってしまったからには私は私で成の全てを蹂躙したい、そうでなければ私は耐えきれなかった。それならいっそ成と会わなければよかったのか。ええそうだとも、成を知らなければ。知らなければこんなことにはならなかった。私はつまらない人生をつまらなく生きて、つまらなく死んで、でも結果的にこの一瞬で燃え尽きるような運命に身を投じて私自身を燃え尽きさせることのほうがよほど。


 そう。

 私はそのほうがよほど幸福に感じる。今でも。全てを破滅させたとしても。


 ……けれども私は成を破滅させたいわけではないの。それは決して。成に幸せになって欲しい。それは本当。でも私以外を見てほしくない、それは耐えられない。それも本当。

 どうしたら、どうしたらいい?


 私達は多分春まで保たない。それにまたあの春を迎えたくない。

 もうすぐ出会って1周目が来てしまうこと。そこではきっと何かが飽和してしまう。私たちはこのまま春を越えることはできない。一年草のように。きっと2人とも、何もなかったように世の中から消え去り忘れ去られてしまうだろう。そんな確信がある。

 春を迎えたくない。どうしたら、いいのだろう。


「紫帆?」


 不安そうな目が私を見つめる。成の頭を優しく撫でる。そうだ、洗い物をしていたんだ。シンクに目を落とす。この皿に付着した泡のように、冬が溶けて春になればわたしはきっと流れ去ってしまうのだろう。そんな不安がある。なぜなら私の冬は冬を越せないだろうから。春が冬を駆逐してしまう。それは許せない。絶対に。


 だから私が冬を存続させる。春を越えたその先に。

 だから私はそのためにどのような対価でも払おう。線香花火の紙縒りの方ではなく火薬の部分が私なのだ。私が運命に火をつけたのだから、この最後の一瞬を刻みつけよう。私がいなくなっても成が私のものであるように。私はその対価をきちんと支払うのだから。

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