10月1日 蟄虫坏戸
10月1日 晴れ
春に這い出てた虫が冬籠のために土に潜り、蓋を閉じ始める。
秋。私の好きな季節の始まり。
まだ夏の気配は強いけれど、時たま気がついたように涼しい風が吹くようになってきた。
秋分。成に出会ってからもうすぐ半年。隣で眠る成の頭を撫でる。髪の毛がふわふわと柔らかかった。見上げた天井は私の写真で埋め尽くされていた。よくこんなに貼り詰めたものだと感心する。
自分を見下ろす大量の自分の目という存在感。さまざまな私の存在。それをこのスマホという機械は覚えてくれていた。人の意識から私が消え去ってもクラウドに保存されたこれらの私はきっと残り続けるのだろう。たとえ見る者が成だけだとしても。
このたくさんの写真を成が見ているというのも不思議な感じがする。私は私から離れた髪の毛を私ではないものに感じたけれど、写真はそれとは違った妙な感慨がある。
あれらは確かに今の私ではない。けれども成はあれらを見て今の私を思っている。過去の私も、成は忘れ去ったりしないのだ。妙な感じ。あの1枚1枚が成をここに繋ぎ止めている。そこには私を除いた連環が発生している気がするけれども、あれらの写真の終着点は他ならない私。とすればあの写真の1枚1枚は私と成を繋いでいる。あの四角い枠を通して。
そろそろ成を起こさないと。
成の用事は午後からだけど、私の授業は午前から。成が1番恐れるのは、気がついたら私がいないこと。一度寝ている成を置いて家を出たらひどく取り乱したことがある。
だから成を起こして、私がいなくなることを告げなければならない。結局は酷く取り乱しはするのだけど、ちゃんとまた会えると丁寧に説明する。私はこれから大学で1限があって、3限が終わったら食材を買って家に帰って晩御飯をつくって待っている。成が私の存在を電話で確認できる時間帯を教える。その時間帯なら私と連絡が取れるから。
といっても成が電話をかけてくることはほとんどない。私が電話にでなかったらと考えて怖くてかけられないらしい。本当に無理なほど怖くなった時、極たまに電話がある。だからその時は必ず取れるようにしている。本当に限界地点だから。
それから朝は必ず成のスマホで私の写真を取る。今の私に1番近い私。成は毎朝待受に設定して、時間が空いた時は眺めているらしい。帰ったら印刷して天井のどこかに貼っている。きっとあれらは過去に欠けた私の欠片。今の私とは違うけれども、成にとっては私の髪の毛や爪の先なんかと同じで失い難い大切な私の一部なのだろう。
家にいる間は成は常に私の体のどこかを触っている。私が手を使う時、料理をしたり化粧をしているときは成はだいたい私の足首を撫でている。でも出かけるには離さないといけない。私の手に繋がる成の手が震えていて、目が伏せられて、唇が噛み締められている。本当に酷いことをしている。
成にとって私との物理的な離別はきっと、1つの体をそのまま2つに切り分けられるような苦しみと喪失感をもたらすのだろう。そう感じている。私は成の中身を全部追い出してしまいながらも変わりにその中身を十分満たすことすらもできず、空っぽのままにして置いていってしまうんだから。
いっそのこと腕でも切り落として成にプレゼントすることができればマシなのだろうか。そうすれば髪の毛よりは安心してもらえるだろうか。成にとって私の髪の毛とこのたくさんの写真は、万一私が失われてしまった時の成の最後の拠り所だ。成はいつも私がいなくなることを恐れている。
けれども私には腕を切り取る術もそれを保管する術もない。腐り落ちてなくなってしまうだけ。そうなれば成は余計悲しむ。この世界に私が占める絶対的な分量が減ってしまうから。成にとって、それはきっと耐え難い。
そういえば夏の前から成は私の皮膚にマジックで名前を書き始めた。成は私の耳を片方欲しいと言った。全部あげると言ったら喜んだ。でも実際は物理的にあげることはできない。だから名前を書く。
成にとってタグ付けなのだろう。私は自分のものという予約。だからその場所はどこでもいいようだ。マジックは1週間くらいすると自然に消えるから、ちょくちょく上書きで名前を書いていた。でも私は朝に名前ごと姿を消してしまう。だから成にとっては気休めにしかなっていない。
私も名前を書けば少し安心できるかな。マジックを捻って名前を書く。
紫帆。
難かしくてごちゃごちゃした漢字。やはりあまり好きになれない。SHIHO。ローマ字でも書いてみる。もしこの名前が消えないのなら、私の名前で埋めれば成を独占できるのかな。天井の写真が成をつなぎとめるように。
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