第2話・オトリ
住所、個人番号、主に活動している時間帯を入力するだけ。年齢や性別、名前すら聞かれない。一見不自然で、強盗が情報を探っているのではないかとまで思ってしまった。しかしよく考えれば、政府の制度だから個人番号さえ教えたらそれ以外教える必要がないのも当然。一方、五分で申請が済むというのは実質嘘で、あくまでも一般人を想定した時の話だった。本当に政府のサイトなのか、なんらかの詐欺じゃないのか、これに申請したからって生活支援もらえなくならないか、あれこれ徹底的に調べるのにほぼ一日を潰した。社会を敵だと思っている人は用心深く、何もかも疑ってしまって、隅々まで確認取らないと気が済まない。とはいえ、こと橙田に限って時間は好きなだけあるので、大した問題でもない。
ようやく申請する程度には納得したものの、完全に疑いが無くなった訳でもない。不幸な人ならでの思考回路のせいか、物事が上手く運ぶ将来を想像出来ず頑なに否定する。
「どうせ、申請している人は何万人といるだろ。俺が都合よく選ばれるもんか」という悲観的な結論に至り、所詮はダメ元だったという事で、趣味に浸って忘れようと決めた。残念ながら、浸るほどの趣味なんて無かった。浅く、狭く、物足りない。いわば足湯。ゲームをしたってアニメを観たって、頭の何処かでずっと友達制度の事を考えていた。何日も。
ちょうど夜の11時にドアベルが鳴った。恐怖と期待が混じり合った複雑な感情は橙田を戸惑わせ、幻聴ではないかとまで疑わせた。息を呑んで待ったが数十秒、再び鳴った。もう間違いないと思って良いだろう。友達制度は真実で、しかも自分が運良く選ばれたという嬉しい展開と向き合わないといけなくなってしまった。ワンルームのアパートの真ん中から玄関までの距離があんなに長く感じるなんて。着いたら着いたで、鍵を開けようにも腕が重く感じてなかなか上げられない・・・等と悩んでいると、勝手にドアの向こうから声が出た。
「橙田さんのご自宅で間違いないでしょうか?」
聞こえてきた言葉自体は予想通りだったが、その声が女性の物だったということは予想外だった。女性を信頼出来るからか、異性に期待出来るからか、理由は本人にもはっきり分かっていなかったが、とにかく軽くなった腕でドアを開けた。
「そうです。」
「あー、良かった!初めまして。
「橙田です。よろしくお願いします。」
互いにお辞儀をする。相手は名前を知っているのになんでもう一回言ってしまったんだろうと彼は焦る。
「お邪魔しても、大丈夫でしょうか?」
「あ、ええ、どうぞ。」
客が来たからには流石に電気を付けたが、すぐに後悔した。染みと埃だらけの部屋に散らばった大量の空き缶に古いティッシュ、汚れた下着、何年物か分からない残り汁の入ったカップ麺の容器。本当に人が来ると分かっていれば多少片付いていたかもしれない。少なくても、女性が来ると分かっていれば多少片付いていたかもしれない。
「ごめんなさい。汚くて。」
「一回汚れちゃうと中々掃除しようって気になれないもんね。私も同じですし、全く気になりませんよ。」
汚くないよと否定するのが礼儀ではないのかと不思議に思いながらも、笑顔で言われたこの言葉の方が何倍も嬉しかった。政府による制度だというからには悪い子を徐々に良い子へと変えるのが目的だったはずだが、もし本当にそうだったらああいう言葉は出て来ない。どうやら橙田の予想がまた外れていたらしい。「あなたは良い子だ」と言われたのではなく、むしろ逆。「あなたは悪い子。でもそれでも良いんだ。」
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