イーリアス大祭 : 予選、終了

 三日後の朝、布を集めた各出場者たちが、一斉に山を下りてきた。


 ほとんどの出場者は慌てた様子で山道を下り、息を切らせて、十枚の布を係員に見せてきた。


 集めた出場者たちにとっては、この朝をどれほど待ちわびたことか。

 山を下りきる前に、他の出場者に狙われて布を奪われたら、この三日間の苦労が水の泡となる。


 ゆえに、たいていの出場者は十枚の布をしっかりと懐に入れて、誰かに横取りされる前に逃げきりたい。

 中には逃げきれず、他の出場者に囲まれ、まんまと布を奪われる者もいた。



 しかし何事にも、格上という者がいる。



「さすがだな。悠々と歩いてくるなんて、な」



 山のふもとで待っていた主催者ホメロスは、秘書のメルを連れて、下山してくる出場者たちをながめていた。


 ホメロスが「さすがだ」と言ったのは、走らず堂々と山を下ってくる、一部の出場者たちに対してだ。



「あの斧は、ヘクトールだな」


「そのようですね」



 メルもうなずく。



「まあ、順当だ。やつなら間違いない」



 ホメロスは大斧をかついで下りてくる壮年の顔を見て、予想通りにヘクトールは突破したのだと理解した。


 また、悠々と下りてくるのはヘクトールだけではない。


 少し離れた別の山道からは、巨人のごとき肉体を誇るレオニダスも現れた。

 当然、彼の体に傷は一つもなく、十枚の布も、隠さず腕に巻きつけている。



「ふっ、さすがは戦王。取れるものなら取ってみろと言わんばかりに、あの布を腕に巻いてやがる」



 パーマの頭をかきながら、ホメロスは苦笑いした。


 集めた布を隠さないのは、圧倒的な強者の証だ。

 普通なら隠して、他の出場者に奪われないように工夫を凝らすが、レオニダスほどの男ならばそのような小細工は不要なのだろう。

 

 たとえ堂々と布を持ち歩いていたとして、そもそもレオニダスに挑む人間がいるのか、という話になってくる。



「いや……他にもいたな。レオニダスと同じく、規格外の英雄が」



 ホメロスの視線の先に現れたのは、奴隷王ウェルキンゲトリクスだった。


 かの老人は古いハルバードに双竜帝国の大将旗をくくりつけながら、街中を気楽に練り歩くほど肝が太い。

 自分の首に賞金がかかっていても、双竜帝国の人間に命を狙われても、一切気にすることのない大人物だ。


 

「旗に、布をくくってやがる。ふふ、やはり豪胆さは人一倍だな」


「ネジが外れているとしか思えません。むしろ、自分を襲う出場者を集めたがっているような……」



 ホメロスの隣で、メルは顔をしかめた。



「実際、お前の言う通りだと思うぜ。あのハルバードの血の染まり方から見るに、あいつはかなりの出場者を返り討ちにしているはずだ」


「殺していたら、失格にしますよね?」


「ああ、もちろん。一応、後でお前の魔眼でもやつを読み取ってくれ。命を奪っていたら、魂に汚れが見えるはずだ」


「わかりました」



 メルはうなずいた。



「……お、そして、英雄オデュッセウスも来たぜ」


「隣に、あのハヤシザキとかいう老剣士もいますね」


「ほうほう、面白いコンビで下りてきたな」



 次に下山してきたのは、オデュッセウスとジンだ。


 二人は初日に共闘した後も、仲たがいすることなく行動をともにした。

 本選の競技がかぶらなかったという点もあったが、お互いに敬意を抱き、認め合っていたからこそウマがあった。


 他の出場者にしてみれば、これほど恐ろしいコンビもない。

 近接戦でジンに太刀打ちできる者はいない。

 また遠距離から狙っても、策を凝らしても、オデュッセウスがすべてを封殺してしまうのだ。


 初日の後も他の出場者たちにたびたび襲撃されたが、ジンとオデュッセウスは、まったく被害を受けることなく返り討ちにした。

 なお、この二人によって再起不能に陥った出場者たちは数知れず、その出場者たちから、こっそりと布を奪って逃げた者もいた。

 


「あいつも来たぞ」


「たしか、アレスという名の槍使いですね」


「おお、そうだそうだ」



 ホメロスは手を叩き、アレスの名を思い出していた。


 アレスも慌てることなく山から下りてきたが、ジンの後ろ姿を見つけて、小走りで追いかけてきた。

 ジンもアレスに気づき、旅の仲間どうしで合流を果たしていた。


 その様子を見てから、ホメロスは他の出場者を見渡し始めた。



「そういや、もう一人いたよな」


「いましたね。ルーシィというダークエルフです」


「そいつだ。あの女だけ、まだ見てないぞ。さすがに予選落ちはないと思うが」



 ホメロスがそう言った少し後に、ナーガとハヌマーンが率いる、東部出身の傭兵団が下山してきた。


 実力者ぞろいのヴェーダ神国の傭兵団が現れたことは、何も驚くべきことではなかったが、その中心にルシアがいることにホメロスは驚いた。



「はっ? なんで、あの女が傭兵団と?」


「捕まっている、というわけでもなさそうです」


「ああ、むしろあの女を立てているような……」



 ホメロスとメルは困惑していた。


 傭兵団というものは、どの国でも荒っぽい者たちばかりだ。

 大陸の東の果てから来たハヌマーンやナーガも例外ではなく、奪える者は奪い、女子どもも力づくで従わせる場合もある。


 しかしルシアに対して、彼らは敬意を抱いている。

 彼女の前後左右を固め、どの出場者が現れても、彼女に指一本触れられないように警護する隊形をとっている。


 それはルシアが生まれ持っていたカリスマ性と、彼女の圧倒的な力によって得た求心力だ。



「しかも下山してきたってことは、全員、布を集めたのか」


「そのようです。しかもあのルーシィ、傭兵たちにもれなく闇の魔力を付与させています。人間を辞めさせたわけではありませんが、全員が格段に強くなっています」


「マジかよ……まるで女王だな、そりゃ」



 ホメロスは驚き、思わずため息を吐いた。

 彼の言う通り、ハヌマーン率いる傭兵団の団員たちは全員が十枚の布を集め、予選突破の条件を満たしていた。


 ナーガ、ハヌマーンを始めとして、彼ら東部人の傭兵は、ルシアの協力を受けて他の出場者たちを蹴散らした。

 もはや彼らは、ルシアには頭が上がらないだろう。


 ルシアも東に現れた魔王に対する情報代として、快く傭兵たちに闇の魔力を貸し与えた。

 彼女にとってそれは、敵に対して塩を送る行為にはならない。

 むしろ配下を増やすために、とても有効な手段だ。

 

 王を目指す彼女にとって、部下を増やし、崇拝を集めることは欠かせない。

 同じ旅の仲間でも、ジンやアレスとは違い、ルシアにはやるべきことが多いのだ。



 それからも、多くの出場者が下山してきた。

 彼らは一人一人、正規の布を十枚持っているかどうか確認され、それから本選進出を言い渡される。


 中には偽装した布を持つ者や、布は集めたが他の出場者を殺してしまった者もいた。

 そういった者はメルの魔眼や、主催者側で用意した物で検閲し、厳正に処分されることとなった。



「ともかく、これで予選は終了だな。やれやれ、これから忙しくなるんだろうなあ」



 ホメロスはあくびをかいた。



「首長、他人事みたいに言わないでください」


「はいはい、すんませんね」



 メルに頭を下げ、ホメロスは本選進出を果たした出場者を見渡す。


 そうそうたる顔ぶれだ。

 戦場で名を馳せた英雄から、巷をにぎわす腕利きの用心棒や旅の戦士など、数え上げるだけで日が暮れるほどだ。


 そして、どれも曲者ぞろいだ。

 力はもちろん、頭脳も兼ね備えた者たちが、三日間のサバイバルを生き残って帰還したのだ。

 おそらくどの競技でも、このアテナ・ポリスの民衆を沸かせることは間違いない。



「主催者としてはもちろんだが、一人の民として、この者たちの戦いぶりを見るのが大いに楽しみだ……それどころか、憧れの想いすら感じるよ」



 ホメロスは目を細め、微笑んだ。



「そして彼らこそ、東の軍勢に対抗する唯一の希望」



 メルの言葉に、ホメロスは大きくうなずいた。



「ああ。きっとこの者たちは、東の大魔王を倒してくれるはずだ」

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