イーリアス大祭 : 予選ルールの発表

 アテナ・ポリスの首長ホメロスは、気だるげな態度を隠そうともせず、舞台上で話し始めた。



「ええと、堅苦しいのは苦手なもんで……皆さんは酒でも呑みながら、気楽に聞いてくださいな。ちなみに私も呑ませてもらいますよっと」



 ホメロスはそう言いつつ、部下からさかずきを受け取り、ぶどう酒を呑み始めた。

 荒っぽい人間も多い出場者たちを前にして、酒を呑んで話をするホメロスは、なかなかの胆力の持ち主だ。



「はい、まずは今回のイーリアス大祭なんですがね、やはり賞品を豪華にしたことで、例年の数十倍の出場希望者が集まりました。この大祭を主催する私どもとしましても、嬉しい悲鳴というか、誤算というか……とにかく、お集まりの皆様には感謝でいっぱいです」



 ホメロスは頭を下げたが、酒を呑みながらなので、いまいち気持ちが伝わってこない。


 中にはホメロスの態度に苛立いらだつ出場者もいたが、当のホメロスはそんなことを気にせず、話し続ける。



「ただ、このまま各競技ごとにトーナメントを組んで、一つ一つ試合を消化していくのは、あまりに膨大ぼうだいな日数がかかってしまいますよね。なんせ、出場者の方々の中には、各国の要人も参加されているので、さすがに何か月も国を空けたら、民が混乱してしまいますから」


 

 ただしホメロスの落ち着いた話し方は、聞く人間によっては心地よいものだ。

 さすが長く政治を行ってきた男の技術というものなのか。

 気だるげに見えて、話している内容は理路整然としており、言葉をつむぐ速度も絶妙なものだった。



「そこで、あらかじめ決めていたのですが、このイーリアス大祭を、予選と本選に分けて行います。予選でふるいにかけて、本選で各競技の優勝者を決める、というわけですね」



 そこでホメロスは、脇で控えていた部下たちに視線を送る。


 その視線で部下たちは動きだし、十人がかりで、舞台そでから巨大な木の板を運んできた。

 木の板には簡易的な地図と、いくつかの文章が書かれている。



「では、その予選についてですが……」


「おいおい、つまり予選は、出たい競技ごとじゃねえのか!?」



 説明の途中で声を上げたのは、西トラキア出身の戦士だった。

 トラキア地方は軽装歩兵が盛んで、彼らは短い槍を自在に使いこなし、なおかつ投げ槍の名手たちだ。


 もちろん彼らとしては、槍投げの競技で優勝を狙うつもりだっただろう。

 だからこそ、各出場者をひとまとめにした予選会を行うというしらせは、まさに寝耳に水だった。



「はい、その通りです。剣闘に出たかった方も、槍投げで出たかった方も、戦車競走で出たかった方も、例外なく同じ予選を突破してもらいます。各競技に移るのは、本選になってからです」


「聞いてないぞ!」


「公式に発表したのは今が初めてなので、もちろんです。というか、予選の内容を事前に発表すると、この都市に先に到着して申し込みした方が、圧倒的に有利になってしまうので」



 ホメロスはトラキア戦士の怒りの声を受け流し、説明を進める。



「こちらの地図をご覧ください……予選の場所は、アテナ・ポリスの北にある山地です。自然豊かな場所ですが、山の各所には人工洞窟や古代遺跡も残っています」



 彼は木版に描かれた地図を指差してから、次に己の懐から白い布を取り出した。



「そして出場者の方には、こちらの刺繡ししゅう入りの布をお配りしますので、これを体のどこかに結んでもらいます」



 ホメロスは金糸きんしの刺繡が入った白い布を、自分の手首に巻き付けた。



「この布は出場者の方に配った以外にも、山地のいたるところに隠してあります。そしてルールは簡単……三日間、山の中で過ごし、四日目の朝にこの布を『十枚』持って下山した方が、本選進出となります」



 その予選ルールを聞いて、出場者たちは静まった。


 そこで、年若い戦士が手を挙げた。



「あの、つまり……山の中でその布を探して見つけるか、他の出場者から奪って……十枚集めろということですか?」


「ええ、噛み砕いて言えば、その通りです」



 ホメロスはうなずいた。



「ただし、殺して奪うことは禁止とします。あくまでこれは競技なので、殺害が発覚した時点で、その方は失格となります……なお、殺害したことを判別する方法は、秘密とさせていただきます」



 他人から布を奪っても良し。

 ただし、なんらかの方法で殺したことが発覚してしまえば、失格。

 殺害を調べる方法を不明とされれば、出場者も対策のしようがない。

 下手に殺して奪おうとする者は、ほとんどいないだろう。


 そして舞台は、広大な山の中。

 雨風をしのぐのも、睡眠をとるのも、食料を探すのも、すべて己の力でなんとかしなければならない。


 

「ははあ、山の中で戦い、生き抜く予選か……こりゃあ、おもろいことになりそうやなあ。あのホメロスっちゅうやつも、なかなか粋な競技を考えつくのう」



 ウェルキンゲトリクスはくすくすと笑った。



「うむ。それにここで発表したのも賢い手だ」



 隣に座るジンは感心していた。



「早めに予選の内容を発表すれば、武器や食料の買い占めや、他の競技に出る者への妨害工作も横行していただろう。だが、こうして前日で言われたら、小細工をする時間はほとんどない」


「へへっ、逆に自分の出たい競技に一点集中していたやつらにとっちゃ、たまったもんやないだろうなあ」



 そしてウェルキンゲトリクスは、ジンたち三人の方に顔を向けた。



「ちなみに、あんたらはどの競技に出るつもりやったんや?」


「剣闘だ」


「私もよ」



 ジンとルシアは、なんでもありの一対一の勝負、『剣闘』に出る予定だった。

 なお、剣闘は最も賞品が豪華で、優勝すれば東トラキア地方の王となる。

 たとえ準優勝以下だったとしても、軍船や商船、城などが手に入る。



「俺は槍投げに出る予定だったぜ」



 アレスが答えた。

 槍の扱いが得意という理由もあるが、それよりも『槍投げ』の優勝賞品が、商船十隻であるということが一番の理由だ。


 万が一、ジンとルシアが何も得られず敗退した場合に、アレスには保険として槍投げで船を手に入れてもらいたいのだ。



「なんや、アレスの兄ちゃんだけ仲間外れかい」


「あはは、こっちとしても色々と目的があるからな」


「ほお、そんなもんかい……まあええわ、わしも剣闘に出る予定やったから、お二人さんのどっちかと、本選でぶつかるかもしれんのう!」



 ウェルキンゲトリクスは上機嫌だ。

 アレスが出ていないことが寂しかったようだが、ジン、もしくはルシアと直接対決できる可能性があるとわかり、胸が躍っていた。



「それでは、予選の説明は以上です。何かご質問ある方は」



 ホメロスが周りを見渡すと、何人かの手が挙がった。

 そのうちの一人に、ホメロスは応じた。



「はい、ではそこの方、どうぞ」


「持ち物はどこまで自由ですか?」


「基本的には武器、食料、日用品、なんでも持ち込みアリです。他の出場者を殺めてしまえば失格ですが、それさえ守ってくだされば、どんな道具を使っても不問といたします」



 どんな武器や道具を使っても良い。

 それを聞いて、おおよその出場者はホッと胸を撫でおろしていた。


 ホメロスは引き続き、他の出場者の質問にも答えていく。



「布を十枚以上集めた場合、余った分はどうすれば?」


「余分な布は山中のどこかに置いてください。余分な枚数を持ったまま下山しても失格ですし、破ったり燃やしたりするのも当然失格です……あくまでこれは予選なので、本選へ進む人数を減らすような行為は、すべて失格要件となります」



 これも順当なルールだ。

 手に入れた布をかたっぱしから燃やされたりすれば、本選に駒を進める人間が激減してしまう。

 あくまで集めて、四日目に下山しなければならない。


 大体のルールがわかったところで、出場者たちは細かい質問をしてくる。



「布を十枚集めても、四日目の朝に下山できなかった場合は?」


「その四日目の正午までに帰ってこなければ、失格です。その時点で担当の者が入山し、タイムアップしたことを報せに来ます」


「怪我や病気による途中棄権は可能なのか?」


「もちろんです。その時は四日目を待たずに下山してください。担当の者が保護させていただきます」


「予選が終わってから、本選はいつやるんだ?」


「予選終了後、二日間の休養日を設けます。本選はその後、各競技に分かれて、アテナ・ポリス市内の各会場で行います」



 それからも質疑応答は続いた。

 そして、おおむね質問がなくなったところで、ホメロスは終了を告げた。



「では、予選についての質疑応答は以上です。その他の細かいルールは、皆様一人一人に紙でお配りしますので、競技中にご不明な点があれば参照してください」



 ホメロスの部下たちが、小さな紙を出場者たちに配っていく。

 紙には予選についてのルールが書かれており、今のホメロスの説明内容を忘れたとしても、すぐに確認できる。



「それでは、翌朝の九時より北の山で予選を開始します。なお、この前夜祭の会場には馬車を用意しておりますので、翌朝はここから直接お送りすることもできます……皆様のご活躍を祈って、これで前夜祭の挨拶とさせていただきます」



 ホメロスは一礼してから、舞台から降りていった。


 出場者たちの反応は様々だ。

 大半は焦りや不安を抱いていたが、ジンたちを始めとした、強豪と呼ばれる実力者たちは、まったく慌てることなく受け止めていた。


 名のある出場者にとっては、三日間のサバイバルなど肩慣らしに過ぎない。

 しかし番狂わせを狙いたい者たちにとっては、この予選でいかに強豪を蹴落とすかが重要になってくる。


 あいつは落としたい。

 こいつとは本選で当たりたくない。

 ならばどうやって予選で立ち回ろうか。


 そんな波乱の気配が、出場者たちの間で広がり始めていた。

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