イーリアス大祭 : 予選、開幕
やがて前夜祭が明け、イーリアス大祭の予選日となった。
なお、前夜祭では盛大に酒が振る舞われ、豪勢な料理が次々と出てきた。
それらの酒や料理はほとんどタダのようなもので、給仕の人間にお礼のチップを渡すくらいで済んだのだ。
しかし、集まった出場者たちが全員残ったわけではない。
およそ半数以上の出場者が、歌劇場を後にして、いそいそと市内へ戻っていった。
予選開始は翌朝の九時なのだ。
あと半日の間に、何かしらの準備ができると思っているのだろう。
まだ実績のない無名の出場者ほど、その傾向が強かった。
英雄と呼ばれるような出場者たちと、まともに戦っては勝ち残れない。
策をめぐらせ、準備を整える。
なんとか強豪を出し抜きたいと考えるのは、当然のことだった。
彼ら弱小の出場者に、前夜祭で楽しく酒を呑むような余裕はない。
そして夜が明け、すべての出場者が、アテナ・ポリスの北の山に到着していた。
「ほう、これが北の山か」
関係者が用意した馬車から下りて、ジンたちは山を見上げる。
山といっても、そこまで高い標高ではない。
どちらかと言えば森林に近く、なおかつその森林は、どこまでも広がっているように見える。
ジンたちが馬車から下りて、適当にぶらついていると、少し離れた場所からウェルキンゲトリクスの声が聞こえてきた。
「ハヤシザキ! こっちじゃあ!」
出場者たちが自然とはけていき、ウェルキンゲトリクスが出てきた。
彼の
古い鎧を着て、双竜帝国の大将旗を取り付けたハルバードを持っている。
奪った大将旗をかかげ、国家を挑発しながら練り歩く。
どんな場所でも、彼は奴隷の王としての格好のままだ。
「ついに始まったのう! せっかくなら全員勝ち残って、本選に出たいもんや!」
「ああ、そうだな」
ジンはうなずいた。
ぐいぐいと絡んでくるウェルキンゲトリクスだったが、ジンは不思議と彼が嫌いではない。
彼のような
老いも若いも関係なく、傍若無人で荒々しく、どこまでも楽しいことを求める姿に、ジンは嫌味を感じなかった。
そこに別の集団が現れる。
その集団は、十数人の戦士たちだ。
ただし並の戦士団ではない。
全員が鋼のような筋肉をしており、股ぐらを隠す鎧と、赤いマントだけを身に着けており、一人一人が整然と並んで歩いている。
彼らの持つ槍はどれも鋼鉄の大槍で、常人が扱えるものではない。
その戦士団の登場に、ある男がつぶやいた。
「ス、スパルタだ……!」
彼の声は、わずかに震えていた。
彼らこそ、エーゲ半島最強の戦士団。
決して
たった三百人で十万人をはね返す、生きた伝説。
戦王レオニダスが率いる、スパルタ戦士団だ。
「おお、レオニダスの坊ちゃんたちやないか! 今日の調子はどうじゃあ?」
そんな中、ウェルキンゲトリクスは
「おいおい、ウェルキン殿。レオニダス殿とは険悪そうだったが、大丈夫なのか?」
「心配いらんわ! あの坊ちゃんはそんな小さい器やないで! 」
手招きするウェルキンゲトリクスにため息をつきつつも、三人はレオニダス率いるスパルタ戦士団の方に向かった。
しかしウェルキンゲトリクスの顔を見た途端、スパルタ戦士たちの表情が一気に険しくなった。
「奴隷の頭目、貴様なんの用だ」
「この祭りに貴様がいるとはな……殺されんうちに、さっさと消えろ!」
スパルタ戦士たちは、鋭い
どうやら都市スパルタから奴隷を引き抜いた一件で、ウェルキンゲトリクスは想像以上に嫌われているらしい。
「まあまあ、そう意地悪言わんと。レオニダスの坊ちゃん、あんたからもなだめてくれんか? んん?」
しかし当のウェルキンゲトリクスは気にも留めず、レオニダスに近づこうとする。
「おい、陛下になれなれしく話しかけるな。その首を叩き切るぞ」
そこで一人のスパルタ戦士が、腰の剣を抜いた。
剣を抜く素早さ、迷いのなさも素晴らしいが、驚くべきはそこではない。
その戦士の腕は太く、鋼のごとく引き締まっている。
腕の太さだけで言えば、レオニダスに匹敵している。
無論、他のスパルタ戦士も同様に鍛え上げられている。
スパルタ戦士が剣を抜いたことで、周りにいた出場者たちが怯える。
それだけで、彼らスパルタがどれほど周りに恐れられているのか、ジンたちにもよくわかった。
「ふっ、まるで
思わずジンは苦笑いした。
武を重んじ、周囲の者に恐れられる威圧感、そして好戦的な気風。
このスパルタは、血に飢えた戦国時代の中でも、最も恐れられた
「おおっと、それはおっかないのう」
さすがにウェルキンゲトリクスも、抜き身の刃を前にして、足を止めた。
それを見て、ようやくレオニダスが口を開いた。
「わかったな、奴隷の頭目。これがおぬしに対するスパルタ人の心境だ。われも出場者でなければ、おぬしの首を引きちぎっているところだ」
レオニダスはウェルキンゲトリクスを見下ろしている。
深いひげの奥にある口は、固く真一文字に結ばれ、どんな機嫌取りも通じないことが見て取れる。
そして昨日よりもさらに鋭い、容赦のない目つきだ。
「うひゃあ、それは勘弁してほしいのう。どうせ死ぬなら、女の腹の上で死にたいもんやからなあ」
ウェルキンゲトリクスはおどけながら首を振った。
「仕方ないのう、それなら今は挨拶だけにしとくか。では、スパルタの皆さんも今日から予選でよろしゅうな!」
そう言い残してから、ウェルキンゲトリクスはジンたちを連れ回していく。
はたから見れば、ウェルキンゲトリクスが威圧に屈したように見える。
しかしジンも、レオニダスも、彼が心から高揚していることがわかった。
抜き身の刃を前にしても、ウェルキンゲトリクスは楽しくて楽しくて仕方がないのだ。
ジンたち三人が離れたところで、あるスパルタ戦士が、レオニダスに話しかけた。
「陛下、ウェルキンゲトリクスはさておき……剣を持ったあの小さな老人が、要注意ということですか?」
「うむ」
「たしかに独特の空気を持っておりましたが、陛下に匹敵する力があるとは思えませぬが」
レオニダスはその見解に、首を振った。
「違う。握力も強いが、やつの恐ろしさは別にある」
「と、というと?」
レオニダスの問いかけに、スパルタ戦士たちは目を丸くした。
その反応を見て、レオニダスは部下に手を差し出した。
「手を出せ」
「え、その……わかりました、では」
部下のスパルタ戦士が、レオニダスと握手する。
その直後、レオニダスが力を籠める。
部下はそれに反応して、負けじと力を籠めて握りしめる。
「ぐっ……くくっ……!」
さすがスパルタの男である。
レオニダスが力を籠めても、すぐに握りつぶされることはない。
歯を食いしばりながらも、懸命にレオニダスの握力に喰らいついている。
「よし、もう良いだろう」
そこでやっと、レオニダスは手の力を緩めた。
部下も手を離し、はあはあと疲れたような呼吸をした。
「……さて、今の力比べだったが、なぜ俺よりも後に力を入れた?」
この問いに、部下は目を丸くした。
それから少し考え込んで、当たり前の答えを返した。
「は、それは……陛下が力を入れたからですが……それが何か?」
「うむ、普通はそうなる。それが当然だ」
レオニダスの説明に、周囲のスパルタ戦士がきょとんとしている。
「だが、ハヤシザキは違う。やつは俺が力を籠める直前に、握りしめてきた」
「……は? それはつまり、やつが先に陛下に力比べを挑んできたということですか? 初対面の陛下の手をつぶそうと、喧嘩を売ってきたと?」
「いいや、それも違う」
さらにスパルタ戦士が混乱する。
まず、レオニダスの握手に、ジンが応じた。
握手が交わされたところで、レオニダスはすぐに力を入れたつもりだった。
しかし、それよりも一瞬早く、ジンの方から握りつぶそうとしてきた。
以上の流れを聞けば、ジンが先に力比べを挑んできたというように思える。
だが、レオニダスの見解は違った。
ジンに自分から力比べを挑むつもりはなかった。
それは断言できる。
なのにジンが先手を取って、レオニダスの手をつぶそうとしてきたのだ。
「どういうからくりなのか知らないが……われが力を籠める瞬間にかぶせるように、やつは先手を打って握りしめてきた」
それを聞いて、スパルタ戦士は絶句する。
「へ、陛下、まさかそんな、予知能力のような」
「常人ならできまい。常人には、な」
自分でもとんでもない仮説を話していることはわかっている。
しかしレオニダスは、ジンの能力を確信していた。
「だが、あの老剣士はわれの
レオニダスは遠ざかっていくジンの背中を見た。
あの老剣士は想像以上に強敵だ。
それぞれの身体能力も侮れないが、あの男は相手の呼吸や動きを読み、先手を取って行動してくる。
もしも力比べではなかったら、一体どうなっていたか。
お互いに剣を抜き、間合いを測った勝負なら、どうなってしまうのか。
そもそもあの老人に、勝負の駆け引きで勝てる人間がこの世にいるのか。
「剣の達人、ハヤシザキか……久々に楽しめそうだ」
レオニダスは歯をむき出し、笑った。
すでに中年の域に差しかかった彼は、本気で戦う敵が少なくなっていた。
誰であっても本気を出す必要がない。
本気を出せば一瞬で終わってしまう領域に、彼は上り詰めてしまったのだ。
そんなレオニダスの前に、ジンという底知れぬ男が現れた。
ウェルキンゲトリクスと同じく、彼もこのイーリアス大祭に高揚し始めていた。
「陛下……」
レオニダスの狂暴な笑顔を見て、
あの頃の陛下に戻り始めている、と。
そして一方、ジンたちは他の出場者たちにまぎれて、ぶらついていた。
「まだまだ集まるらしいのう。しかも、そろいもそろって大荷物を
スパルタ戦士団から離れた後、ウェルキンゲトリクスとジンたちは、集まってくる出場者たちを適当にながめていた。
ウェルキンゲトリクスの言う通り、大半の出場者は前夜祭の時よりも、荷物を背負って現れている。
少しでも予選のサバイバルを有利にするため、準備を整えてきたのだろう。
「どれも武器や食料といった物でしょうね。とにかくこの予選を勝ち上がらなきゃ、お目当ての競技にすら出れないのだから」
ルシアはふうと息を吐いた。
ちなみにジン、ルシア、アレスの所持品は多くないが、この予選に出るにあたって、いくつか武器や道具は用意している。
ジンは
彼は弓による射撃も得意である。
弓と矢があれば、それだけで強力な遠距離攻撃の手段が増える。
なお合成弓は、日本で使われている和弓とは違う。
サイズが小さく、現代で言うリカーブボウ(アーチェリー競技等に使われる、両端に反りがある弓)と同じ形状だ。
長大な和弓とはサイズがまったく違うため、使う際に多少の違和感はある。
しかし障害物の多い山の中では、短い弓は有利に働くだろう。
アレスは街で購入した鋼鉄の槍を背負っている。
しかしこれはただの武器ではなく、アレスの血を木製の柄に染み込ませている。
人間であるジンはもちろん、アレスを魔族に変貌させたルシアでさえ、アレスの能力の全容は把握していない。
もちろん魔族としてのアレスは発展途上であるが、この大祭を通して、己の能力をさらに伸ばすことになるだろう。
そしてルシアは、いつもの双剣を腰に差している。
だが、これらの武器は、あくまでカモフラージュに過ぎない。
彼女の最大の武器は、闇の魔力を使った大魔術だ。
自由自在に形状を変え、様々な効果をもたらす大魔王ゆずりの魔力。
これさえあれば、彼女にできないことはない。
双剣を差しているのも、素手では目立ちすぎるがゆえに、申し訳程度に持っているだけの物なのだ。
以上が三人の装備であった。
ウェルキンゲトリクスと同じように、必要な武器と道具だけ。
あとは現地調達で事足りる。
「ははっ、あんたら三人なら、そんな軽装でも問題ないっちゅうわけやな」
「ふっ、それはウェルキン殿も同じだろう」
「まあのう」
それからすぐに、ホメロスが現れた。
彼のかたわらには、あの青髪の少女メルもいた。
彼は豪勢な馬車から下りて、用意された壇上に上がった。
主催者であるホメロスが現れたことで、雑談していた出場者たちも静まった。
「皆さん、おはようございます」
ホメロスは一礼した。
「ついに祭りが始まります。古代ギルシアス文明の神々を称える祝祭、イーリアス大祭の幕が上がります」
出場者たちの胸が高鳴る。
古代の神々が尊いことは充分知っているが、この高鳴りはそれゆえではない。
彼らも所詮は人なのだ。
船が欲しい、屋敷が欲しい、城が欲しい、国が欲しい。
それら飽くなき欲望を叶えるのが、イーリアス大祭である。
勝てば、己の人生が変わるのだ。
「皆さんの闘志、熱意……ひしひしと伝わっていますよ」
ホメロスは微笑んだ。
そして呼吸を整え、力強く叫んだ。
「もはや多くは語りません。この祭りで勝てば、栄誉も、財産も、思いのままです。どうかそれを勝ち取れるよう、全身全霊で挑んでいただきたい!!」
出場者たちが初めて聞く、ホメロスの熱い叫びだ。
その叫びにより、空気に熱が帯びる。
自然と、出場者たちは気合の雄たけびを上げていく。
ウォオオオ―――ッ!!!
これはある意味、戦なのだ。
信じられるのは己だけ、その他すべてが敵。
見渡す限りの戦士たちが、目の色を変えた。
俺が、私が、イーリアス大祭の初代覇者になってやるのだと。
「さあ、第一回イーリアス大祭の予選会……開幕です!!」
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