女神の都市 : 首長ホメロス、占い師メル
時刻は夕方となった。
アテナ・ポリスを見下ろせる丘に、白い
邸宅の造りは立派で、敷地を囲う柵と、鉄の門も備わっている。
夕陽に染まった邸宅の壁は、情熱的な赤みを帯びている。
そしてその邸宅の二階、街並みとエーゲ海を一望できる
部屋の中央にはテーブルとソファ、奥には大きな執務机がある。
「くぁ……」
その部屋の執務机のイスで、一人の男がうたた寝をしていた。
男は中年だが、なかなか端正な顔立ちだ。
髪とあごひげはクセが強く、パーマ風になっているが、見苦しいものではない。
むしろそれが、どこか気だるげな魅力を醸し出している。
服装はウールででてきたローブで、肩には立派な留め具がついている。
エーゲ半島でよく見られる服装だが、生地は上質で、留め具一つからでも高貴な生まれであることがわかる。
「ホメロス様、ただいま戻りました」
扉の向こうから、若い女の声が響く。
「ん……おう、来たか。入れ入れ」
ホメロスと呼ばれた美男の中年は返事をしながら、体を起こした。
一見、だらしなさそうに見える男だ。
しかし、こう見えても彼は、アテナ・ポリスを取り仕切る首長である。
そして部屋に入ってきたのは、魅惑的なローブで身を包んだ、あの占い師の女だ。
しかしジンたちの前に現れた時とは違い、彼女は仮面を外している。
仮面の下の素顔は、意外にも幼い。
妖艶な服装と雰囲気から少しかけ離れた、二十歳にもいかないような年頃だ。
「今日もご苦労さん、メル」
「いいえ、これもお仕事なので」
メル、と呼ばれた占い師の女は、仮面と袋をテーブルに置き、ソファに座った。
「早速、報告しても?」
メルの一言に、ホメロスは笑った。
「相変わらず堅物だねえ……それで、イーリアス大祭まであと三日だが、出場者はどんなもんだ?」
「順調に集まっております。海の天候も良好なので、明日も追加で船が着き、さらに出場希望者が集まると思われます」
「ほうほう。そんで、実際どうだ? めぼしいやつは見つかったか?」
「はい、まず昨日の分の報告です」
メルは袋から丸められた紙束を取り出し、それを一枚ずつ、テーブルの上に広げていく。
初めに、テーブルには五枚の紙が並べられた。
祭りの主催者からもらった、申し込みのための用紙だ。
「まずはエーゲ半島の方から……東で名を轟かす破砕のヘクトール……空駆ける騎士イカロス……海竜殺しのオリオン……そして策謀の天才、オデュッセウス殿」
「おお、こいつらも出てくれるのか! 知り合いとはいえ、ちゃんと参加してくれるってのはありがたいことだねえ。しかもオデュッセウスが来てくれたことは、まさに嬉しい誤算ってやつじゃねえか」
ホメロスはうきうきと嬉しそうに微笑む。
「それだけではありません。あの王も、参加を表明されました」
メルがそう言うと、ホメロスは目を大きくした。
「まさか、あいつも来るのかよ……!」
「はい。そして彼こそが、今回のイーリアス大祭の優勝候補筆頭かと」
最後にメルが示した紙には、『レオニダス』と書かれていた。
「スパルタ公、レオン・テルモピュライ・ヌーダース……『
そう言いつつ、メルは瞬きをすると、彼女の瞳は青紫色に輝いた。
これが占い師メルの特別な体質。
彼女の瞳は、目にした人物の力を見抜く。
さらにはそれ以外の、その人物の感情や本性すらも感じ取る。
彼女がひとたび見れば、その人物の強さ、思考、そして経歴すらも見破られてしまうのだ。
「へえ、お前の魔眼で見ても、あいつは化け物だったか」
「はい。魔力はほとんどありませんが、それ以外の力は飛び抜けています……東の砂漠の帝国が派遣した十万人の軍勢を、レオニダス殿が率いる三百人の兵で蹴散らしたという戦、『テルモピュライの奇跡』……私が幼い頃の逸話ですが、ご本人を見て、すべて事実であると納得しました」
さすがのメルも苦笑いして、首を振った。
「まあな。もちろん大軍を動かすならオデュッセウスが随一だろう。だが、最強の戦士を選べって言われたら、聖王国の本土のやつらを含めても、レオニダスが一、二を争う男だろうぜ」
ホメロスはニヤリと笑ってから、背もたれに体を預けた。
「本土のやつらはエーゲ半島を軽く見ている。勇者や聖騎士団長……たしかにあいつらもとんでもない戦力だが、俺たちも負けていない。天使信仰はありがたい教えだが、それを
「ホメロス様、どうかその辺で」
天使信仰の関係者に訊かれたら処罰されるようなことを、ホメロスは平然と吐き捨てた。
メルが止めていなければ、ホメロスはさらに不満を吐いていただろう。
「おう、すまんすまん。つい熱くなっちまった」
「……他の出場者について、話してもよろしいですか?」
「そうだな、頼む」
メルは最初に出した五人分の用紙を戻し、次々とめぼしい出場者の用紙を、テーブル上に広げていく。
「南部人からは、流浪の
「すっげえメンツだな、昨日でこんなに来たのか?」
「はい。天候にも恵まれ、各地から船や馬車が一気に到着したので」
「なるほどなあ、各地の英傑そろい踏みってやつだ。こりゃ、とんでもねえ祭りになりそうだぜ。ちなみに西側……本土から誰か来てないのか?」
「今のところ、聖王国の本土から名の知れた者は来ておりません。双竜帝国出身の人間も少ないので、おそらく両国ともに戦争でかかりっきりになっているかと」
「そっかそっか、勇者一行も聖騎士もいない……これは好都合だ」
ホメロスが満足げにうなずいたところで、メルはさらに続けた。
「そして今日の昼頃ですが」
「おお、そうだったな。今日も有名なやつが来ていたか?」
「いえ、無名です。ただ、その三人は……」
メルは難しい顔をしてから、
「この祭りに波乱を起こすかもしれません」
「無名の三人? どんなやつらだ?」
ホメロスはいぶかしむ。
メルは新たな用紙を三枚取り出し、今度はホメロスに直接渡した。
「どれどれ……アレスに、ルーシィに、ハヤシザキ? 誰だこいつら?」
「私も正体はわかりません。偽名の可能性もあります」
「身分を隠しているかもしれねえってわけか。でも、そんな三人が、お前の魔眼にどう映ったんだ?」
この問いに、メルはつばを飲みこんだ。
そして、ゆっくりと答え始めた。
「一言で言うなら、
「異形?」
「はい。まず、アレスという若者……彼はおそらく人間ではありません。彼は闇の魔力をその身にためこんでいました」
「闇の魔力だと? まさか、あいつらの手先じゃねえよな」
「わかりません。しかし感情や雰囲気を読んでも、邪悪な本性は持っていませんでした。あの者たちの手先ではなく、別の原因で闇に染まったのだと思います」
「そっか、なら、あまり気にすることねえか……」
ホメロスは少し安堵したが、次にメルはさらに驚くべきことを言った。
「そして、あとの二人は別格です」
「別格、だと?」
「はい……まず、ルーシィというのはダークエルフの女なのですが、彼女も闇の魔力を帯びていました。しかしその魔力量は、アレスとは比べ物にならないほど巨大で、深く……暗い
「おいおい、そんなダークエルフがいるのか? 信じられねえ」
「ですが現実です。亜人の出場者は大勢いますが、彼女に太刀打ちできる者は一人もいないでしょう」
ホメロスはやれやれと首を振り、ため息をついた。
「で、最後のハヤシザキってのは?」
「嫌な空気をまとった、老人の剣士です」
「剣士、か。闇の魔力は?」
「いいえ。ひとかけらも魔力は備わっておりません」
ホメロスは目を白黒させた。
「なんだそりゃ、つまりただの人間ってことか」
「……あれをただの人間と呼べる者は、誰もいません」
「どういうことだ?」
メルは少し沈黙した後、ジンについて読み取れたことを話した。
「うまく言えません。しかしその老人は、三人の中で最も危険だと思います」
彼女は自分の目で見たものを率直に伝える。
その上で、身元が割れている人物なら、正確な表現ができる。
しかし彼女はジンの身元を知らないままに、その強さや本性をのぞいてしまったのだ。
「わかった。ありのまま感じたことを言え。断片的でも、抽象的でも、なんでも良いから言ってみろ」
ホメロスがそれを察してくれた。
「はい……その老人からは、血の臭いがしました。誰よりも濃い、強烈な血の残り香です。それと同時に、触れてはいけない刃と、おびただしい数の生首のようなものが、まとわりついているように見えました」
「魔力はない。なのにお前が魔眼で見たら、そんなイメージが浮かぶ……まるで、人殺しだらけの世界で生きていたかのような……」
もちろんこの世界も、一歩間違えば命の奪い合いになる世界だ。
魔族と勇者の戦い、人間の国どうしの戦争など、生死にかかわる出来事を挙げればキリがない。
しかし、それを含めてもなお、ジンはケタ外れだった。
メルの魔眼に映ったジンは、あまりにも血なまぐさかったのだ。
「そいつ、この祭りに、イーリアス大祭に参戦させて本当に良いのか?」
「ですが、残虐な性格ではありません。酔っ払いにからまれても、無闇に剣を抜くことはありませんでした」
「ほう、不思議なやつだ……はてさて、そいつを出すのが吉と出るか、凶と出るか」
ホメロスは天井を仰ぎ、ため息をついた。
「報告は、以上です」
「おう、ご苦労さん。大会まであと少し……悪いが、明日も頼むぜ」
「わかりました。では、失礼します」
ホメロスの労いの言葉を受けてから、メルは退室していった。
日も暮れて暗くなった室内で、ホメロスは目を閉じた。
先ほどまでのいい加減そうな表情ではない。
深く悩み、考える、上に立つ男の顔だった。
「良いさ、毒を食らわば皿まで……俺がアテナ・ポリスを、いいや、エーゲ半島全土を守ってやるさ」
彼はつぶやき、拳を握る。
「東の大魔王なんかに、好き勝手されてたまるかよ」
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