女神の都市 : 三人のダークホース
ジンたちは占い師の女から一通りの話を聞き終えた後、大広場に面した、テラスのある酒場で休憩することにした。
三人は二階テラスの席で飲み物や軽食を楽しみながら、にぎわっている大広場を見下ろす。
なお昼間だというのに、この酒場もかなり客が多い。
そして客層のほとんどは武装した男たちで、中には飲めや食えやの大騒ぎをしたり、激しい殴り合いをする客もいる。
アレスは外の大広場と、内側の酒場の喧噪を見比べて、大きく息を吐いた。
「こりゃすげえや。ケルトの戦車兵、トラキアの
傭兵として長く活動していたアレスは、戦士や傭兵に関する知識が豊富だ。
彼の目から見れば、この街に集まってきている戦士や旅人たちは、驚くほどレパートリーに富んでいるらしい。
「国一番の戦士を派遣して、優勝できれば国が潤う……ということね」
ルシアの言葉に、アレスはうなずいた。
「各国の狙いはそうだろうぜ。聖王国に従っている国や地域は多くあれど、そのどれもが似たり寄ったりな力関係だ。しかも聖王国の許しを得ずに戦争を起こせば、今度は双竜帝国との戦に駆り出されて、国にデカい負担をかけられるからな」
アレスの言う通り、聖王国に従っている小国や都市同盟は、自由に軍備を強くすることができない。
また小国どうしで勝手に戦っても、聖王国本土から『制裁』を与えられてしまう。
だからこそ、このイーリアス大祭は国力増強の絶好の機会なのだ。
各競技で優勝すれば、城や船、さらには東トラキアの『領土』すらも手に入るのだから。
「しかし、なぜアテナ・ポリスを仕切る者たちは、これほどの褒美を出すことにしたのだ? わざわざ周辺各国を強くしてしまえば、今度はアテナ・ポリス自体が追い詰められてしまうではないか」
ジンはそれが疑問だった。
戦国の世でも腕試しの大会はあったが、優勝した際の褒美は、主催者が用意できる金品がほとんどだった。
もちろん城や土地が手に入るような大会は、皆無だ。
「たしかに、それがわからねえよな。そりゃ城や土地が手に入ったら嬉しいが、いざ受け取れって言われたら、さすがにビビっちまうよ」
「何か裏がありそうね」
アレスもルシアも、この褒美を単純に考えることはしなかった。
「だが、ルシアよ……自由に使える船が欲しいのも事実だ」
ジンが言うと、ルシアは苦笑いした。
「まさか、このお祭り騒ぎに参加しろってこと? せっかく人ごみにまぎれられる街に着いたのに、ここで目立つことをしろって言うの?」
「かかっ、何も正体を明かせとは言わん。偽名を使って出場し、今後の旅に必要な賞品をかっさらえば、この街ともおさらばできる」
ジンはずる賢そうな笑みを見せた。
「魔大陸へ行くには、とにかく船が必要だ。まさか泳いで魔大陸まで帰るつもりだったのか?」
「さすがにそれはないけど、ほとぼりが冷めてからのほうが」
「まごついているうちに聖騎士団が来るぞ。やつらが来れば、どうなるか」
ルシアは目を閉じ、一度考えてから答えた。
「……私たちと聖騎士団が戦えば、ここが戦場になってしまう。もしくは私たちの身柄を差し出すために、この街の人間すべてが敵になる」
「その通りだ。俺たちが本気で戦えば負けはしないが……」
それからジンは、窓の外を見やった。
この街には戦士だけではなく、住んでいる市民、商人、職人など、多くの人間がごった返している。
追われている立場の人間が長く滞在すれば、時に望んでいない犠牲を目の当たりにすることもある。
「無論、自分と他人の命を
ジンの言葉に、ルシアはため息をついた。
しかし、うんざりしているという様子ではなく、なるほどと納得した態度だ。
「たしかに、不要な犠牲は避けたいわね。私は魔大陸を統べる者になり、その上で仇を討ちたいだけ。周りを巻き込む殺戮者になりたいわけではない」
「うむ。ならば、もう何も言わん」
ジンはそう言ってから、歯を見せて笑った。
「それに、少し名前を伏せて出場者どもを蹴散らせば、タダ同然で船が手に入るのだぞ。出なければ大損ではないか!」
ジンがそう言うと、近くの席にいた男たちが立ち上がった。
「じいさん、今なんつった? 聞き捨てならねえ言葉が聞こえちまったぞ」
すごみながら近づいてきたのは、よく日焼けをした体格の良い男たちだ。
涼しそうな服に、軽装の鎧、さらに腰には短い曲刀を差している。
全員で六人、そして彼らはテラス席に座るジンたちを囲んだ。
アレスは男たちの装備を見て、「自由都市コリントスの海兵か」とつぶやいた。
「誰を蹴散らせば、船が手に入るって? んん?」
「それによ、タダで船を手に入れるってことを軽く見ているのも、海に生きる俺らにはキツい冗談だな」
男たちはジンの言葉に気に障ったらしい。
笑顔を浮かべているものの、目はまったく笑っていない。
「はっ、じじいと若造にダークエルフの女か……お前らみてえなイロモノ集団が、イーリアス大祭に出るってか? あんまり世の中ナメてると、痛い目見るぜ」
「まあ、船に乗りたいってことなら、そこの姉ちゃんは俺らの船に乗せてやるよ。亜人でも、俺らにしっかりとご奉仕すれば、優しくしてやるからよ!」
そこで男たちは、豪快に笑い始めた。
どうやら酒も入っているらしく、赤ら顔で笑う。
その光景を見物していた周りの客も、つられて笑い声を上げる。
一方、ジン、ルシア、アレスの三人は黙ったままだった。
その様子を見た海兵や他の客は、完全に怯えていると思い、
しかし彼らは知らなかった。
目の前にいるのは、全員、人間を超えている怪物なのだということを。
「ジン、こいつらは何? 頭、大丈夫なの?」
嘲笑に包まれた中で、ルシアは海兵たちを思い切り指差した。
単純な、無礼な行為に、笑っていた男たちは目を吊り上げる。
だが、ルシアに挑発の意図はない。
むしろ心配していると言っても良い。
大魔王を目指す魔族に人間が喧嘩を売るなど、彼女からすれば、正気かどうか心配になってしまう行為なのだから。
「さてな。まあ、酔っ払っているのだろう。これくらいのことは許してやれ。それが上に立つ者の寛大さというものだ」
ジンはルシアをたしなめたが、その言動の端々に、絡んできた男たちへの侮蔑が混じっている。
さらに険悪な顔つきになっていく男たちに、ジンは声をかけた。
「おや、楽しそうに笑っていたが、どうした? まだ酔いが足りなかったか?」
ジンは自分が飲んでいた酒のコップを、男たちにかかげた。
ルシアはまだ悪気がなかったが、ジンは違う。
彼はもっとタチが悪い。
男たちから先に手出しするように、仕向けているのだから。
「ほれ、遠慮はいらん。たんと飲むがよい」
この挑発に、男たちの怒りが頂点に達した。
「この、クソジジイがぁああっ!!」
男の一人が拳を振り下ろす。
ジンはその拳をかわし、手首をつかんだ。
殴りかかってきた男は避けられたことに驚いたが、すぐに振りほどこうとした。
しかし、振りほどけない。
それどころか、つかまれた自分の腕がまったく動かない。
「なっ、この、離せ……!」
男がどれだけ力を入れても、ジンの手が完全に手首をつかんで離さないのだ。
そしてジンの手が、少しずつ、少しずつ、男の手首を強く握っていく。
振りほどけなくて当然だ。
何万回、何十万回と刀を振ってきた。
血まめがつぶれ、皮膚が破けても、己の剣を完成させるために鍛錬を続けた。
それが当たり前、それでやっと最低限。
並の腕では遅かれ早かれ殺される。
それが、日本の戦国乱世だった。
酔っ払いに振りほどけるような握力なら、ジンは今も生きていないのだ。
「い、ぎ……や、やめろっ……!」
やがて血流が押し止められ、手の皮膚が青くなり、肉がつぶれ、骨がきしむ。
もはや我慢できなくなり、ついに男はもう片方の拳を振り上げた。
「ほい」
そこでジンはつかんだ手を使って、男を投げ倒した。
ぐるり、と男の体が一回転して、三人のテーブルに叩きつけられる。
男は手首の激痛から解放されたのと引き換えに、全身に強い衝撃を受けて気絶した。
片手で軽々と投げ飛ばしたジンに驚いたが、男たちは怯まず襲いかかってきた。
「やっ、野郎ども! やっちまえ!!」
男たちは剣を抜くことはなかったが、目は血走り、本気で怒っていた。
「なんだよ、喧嘩買っても良いのかよ! 我慢して損したぜえっ!」
アレスは嬉しそうに叫び、向かってくる男の一人を殴り飛ばした。
人を辞めたアレスの腕力は凄まじい。
殴られた男は店の外に吹っ飛んで、そのままテラスから落下していった。
いきなり人が落ちてきたのを見て、下の大広場も騒ぎになっていく。
「このっ……!」
他の男がアレスにつかみかかろうとしたところで、急に動きが止まる。
その男は顔色を赤くさせたかと思うと、どんどんと血色が悪くなり、ついには痛々しいほど青ざめていく。
いつの間にか彼の首筋には、真っ黒な手形が張りついていた。
それはルシアが発動した闇の手。
「静かにしなさい。まだ動こうというなら、そのまま宙づりにするわよ」
ルシアは指一本も動かさず、席からも立ち上がっていない。
呼吸が止まってぶるぶると震えている男を、座ったまま見上げている。
遠のく意識の中で、男は本能で悟った。
彼女に逆らってはいけない。
王に歯向かえば縛り首になってしまう、と。
「下がりなさい、今なら許すわ」
そう告げた後で、ルシアは闇の魔術を解いた。
首から闇の手が離れ、男は激しく咳き込み、そのままぐったりと倒れて気を失った。
ルシアの見せた闇魔術が決定的だった。
ジンとアレスにも圧倒されていたが、ルシアの能力は次元が違う。
「ば、化け物……っ!」
「にに、逃げるぞ! 早く、早くっ!」
人を超えた能力の一端を見て、勇敢な海兵たちも恐れおののいた。
倒れた仲間をそのまま見捨て、残った男たちは店内の階段を駆け下りて、店の外へ逃げていく。
それを見て、ジンがテラスから飛び降りた。
逃げる海兵たちの前に、ジンが着地した。
「うわっ……な、な……」
いきなり上から現れたジンに、男たちは面食らって足を止めた。
「何もせん。逃げるなら、倒れた仲間も連れていかんか」
ジンは困り顔で、テラスの方を指差した。
テラスには、ジンが投げ飛ばした男と、ルシアが闇魔術で首を絞め上げた男が残っている。
「兵の端くれなら、せめて味方を連れて退くべきだろう」
この説教を受けて、男たちはジンとテラス席を見比べる。
たしかに仲間を置いて逃げるのは、兵士としてあるまじき行為だった。
しかし、今の彼らの精神状態で、それを素直に聞き入れることはできない。
自分の目の前には、底知れない力を持つ老人がいる。
テラス席に戻っても、怪力を誇る若者と、得体の知れない魔術を使うダークエルフの女が待ち構えている。
そのような状況で、冷静に仲間を回収しに行く勇気は残っていなかった。
「くそぉおおっ!!」
一人の海兵が怒鳴り、腰に差していた曲刀を抜いた。
目は充血し、歯がカタカタと震えている。
ヤケになってしまった人間の顔だ。
男が武器を抜いたことで、周囲がざわつく。
その男の仲間たちも戸惑っていた。
一方、ジンは冷ややかな目で、武器を抜いた男を見ていた。
「やめておけ。抜けば、冗談では済まさんぞ」
ジンは首を振った。
戦いを生業とする人間が剣を抜けば、もう後戻りはできない。
ゆえに、厳しく忠告した。
「うるせえ……そこを、どきやがれジジイッ!!」
しかし男は曲刀を振り上げ、ジンに襲いかかった。
棒立ちになっているジンを見て、周りにいた戦士たちはアッと声を上げる。
「うつけ、め」
ため息を吐き、頭を狙ってくる刃をかわす。
力任せの攻撃が空振り、男の意識に隙ができた瞬間、そっと
男が振り終わった時、曲刀はすでにジンの手の中にあった。
「え、えっ……?」
男は目を丸くする。
何も持っていない自分の手と、いつの間にか曲刀を持っているジンを見比べ、混乱する。
まるで手品のような手腕に、はたで見ていた海兵や戦士たちも、呆然としていた。
「ふむ、なまくらだな。だが、お前はそもそも振りがなっておらん。
ジンは苦笑いしてから、曲刀をゆっくり振り上げる。
「良いか、斬る、とはな……それっ!」
奪った曲刀で、空間を斬る。
しかし次の瞬間、海兵たちの顔の間を何かが通り抜ける。
その後に、離れた建物の壁に何かが突き刺さった。
それは、曲刀の刃だった。
「なんだ、なんだ? あのじいさん、すっぽ抜けかよ」
離れた場所で見ていた、ある戦士が失笑した。
たしかに武器を奪った技術は見事だった。
しかし握りが甘くて武器を投げ飛ばしてしまうということは、大した力はないのだと思った。
だが、その隣で見ていた男が、青ざめた顔で首を振った。
「馬鹿、お前……よく見ろよ、あのじいさんの手……!」
「手?」
笑っていた戦士の目線が、ジンの右手に向かう。
そこにある物を理解した瞬間、その戦士の笑顔が凍りつく。
ジンの手には、曲刀の
武器の持ち手の部分は手元に残り、刃の部分が遠くの壁に突き刺さっている。
そういう機械仕掛けの武器なのかと一瞬思ったが、そんなはずはない。
おのずと、それがどういう意味なのか、周りの見物人は理解する。
「素振りの勢いで、剣をぶっ壊した……だと」
それが事実だった。
ジンが一度振っただけで、曲刀が先に限界を迎えたのだ。
いつの間にか大広場は、水を打ったような静寂に包まれていた。
顔の真横を刃が通り抜けたことで、海兵たちは完全に固まっていた。
あと数センチ横にズレていたら、誰かの顔面に刃が突き刺さっていただろう。
ジンはゆっくりと歩み寄り、刃が折れた曲刀を本人に返した。
「はは、すまなかったな。次はもっと良い剣を使うと良い」
ジンは笑い、男の肩に手を置く。
それで完全に男の心はへし折れた。
その場でへたりこみ、股の間を生温かい小水で濡らした。
周囲の者たちも呆気に取られている中、酒場の中からルシアとアレスが出てきた。
「お騒がせしたから、勘定は多めに払ったわ」
「じいさん、早いとこ行こうぜ。喧嘩の良し悪しはともかく、衛兵に見つかったら面倒だからよ」
「うむ、すまんな。行こうか」
ジンは男たちの間を通り、ルシアとアレスをを追うように歩き始めた。
周囲の戦士たちも、歩く三人の行く手を慌てて空けていく。
特に最後尾を歩くジンを見て、彼らは恐れを抱いていた。
それと同時に、別の
この三人もイーリアス大祭に出るならば、優勝狙う者たちにとっては巨大な障害となる。
強者ぞろいの大祭に、あの三人が加われば、さらなる波乱を呼ぶに違いない、と。
「腕を競う祭りか。くくっ、年甲斐もなく、はしゃいでしまいそうだ……!」
ジンにつられて、ルシアも楽しげに微笑む。
「私も少し興味が出てきたわ。今の私が全力を出せば、どうなるのか確かめたいし」
「俺もだぜ。出るからには賞品を狙うが、腕試しってのもワクワクするなあ」
そして集まった戦士たちが危惧した通り、三人全員が、出場する意思を固めていた。
イーリアス大祭まで、あと三日。
この日の午後、三人の旅人が大祭に出場申し込みを済ませた。
若者はアキレウスではなく『アレス』と名乗った。
老人は『ハヤシザキ』と名乗った。
そしてダークエルフの女は『ルーシィ』と名乗った。
本当の名を伏せた三人のダークホースが、強豪集まる
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