女神の都市 : 新たなる祭典『イーリアス』

 大広場には千人以上の人間が集まっていた。

 そのほとんどが武装した者で、武器を持っていない人間は、およそ一割ほどだ。


 ただし武装した者たちに統一性はない。

 武器や防具はもちろん、人種、性別、種族も、とにかくバラバラだ。


 そして大広場の中央にかかげられた三本の旗。

 大海の荒波、黄金の矢、そして輝く雷鳴をモチーフにした巨大な旗が、澄み切った青空の下ではためいている。

 


「オリュンピア大祭、といったな。それは何か、祭りのようなものなのか」



 ジンがアレスに問う。



「ああ、そうだ。あの雷鳴の旗は、古代の雷神ゼウスを表している旗……それこそがエーゲ半島で行われる祝祭しゅくさいの中では、最大の祭り、ゼウスに捧げるオリュンピア大祭なんだ」



 そこでアレスは「だけど」と、付け加えた。



「なんで残る二つの旗、海神ポセイドンと光輝こうきの神アポロンの旗も一緒に立っているんだ? あのオリュンピア大祭じゃねえのか?」



 アレスが疑問に思ったのは、雷鳴の旗の両隣にある、二つの旗のことだ。

 その口ぶりからすると、オリュンピア大祭というものには不要なはずの旗が、一緒に立っていることがおかしいらしい。



「ただのオリュンピアではありませんわ、旅人の方々」



 そこで女性の声が聞こえてきた。

 

 大広場の一角で立ち止まった三人に話しかけたのは、広場のすみで怪しい品物を広げている、露天商の女だった。


 ただし普通の露天商ではない。

 彼女は目元を隠す仮面をつけており、おそらく若い美人なのだろうが、表情はほとんど読めない。

 服装も少し過激で、胸元のはだけた魅惑的な紫色のローブを着て、そのローブ自体も生地がとても薄い。

 そして彼女の正面には水晶玉が置いてある。

 どうやら商人というよりも、占い師のようだ。



「なんだ姉ちゃん、教えてくれるのか」



 アレスは占い師の女に近づいた。


 女は口角を上げ、微笑んだ。



「どうやらあなた方は、新たな大祭を知らずにやってきたのでしょう?」


「まあ、そうだ。俺も久しぶりに来たし、後ろの二人はこの街に来ること自体が初めてだからな。ぜひ、その新たな大祭について教えてほしいもんだ」



 アレスがそう言うと、女は手のひらを出してきた。



「……なんだそりゃ」


「情報の対価ですよ」


「けっ、良い性格してるぜ。ほらよ」



 アレスはポケットから小銭を取り出し、女の手のひらに乗せた。



「うふふ、三人分なら少し足りませんねえ」


「はあ? おいおい、ちょっと強気な値段じゃねえか、姉ちゃんよ」



 アレスが食ってかかろうとすると、ジンが腕を前に出して止めた。



「落ち着け、商魂しょうこんたくましいことは悪くないだろう……ほれ、これで許してもらえるかな、お嬢さん」

 


 ジンは荷袋から硬貨をつかみ取り、女の手のひらに乗せた。

 手でつかめた枚数をすべて乗せたので、けっこうな金額だ。

 


「うふ、毎度ありです」



 占い師の女は嬉しそうに微笑み、硬貨を自分の袋にしまった。



「さて、もらった分はお答えしましょうか」


 

 女はそう言って、大広場の中央にはためく三本の旗を指差した。


 

「ご存じかもしれませんが、あれは古代ギルシアスの神々の旗……海神ポセイドン、光輝の神アポロン、そして天空を統べる雷神ゼウスの旗です」



 この街に来たことのあるアレスはともかく、ジンとルシアは興味深そうに聞き入っている。



「このエーゲ半島には多くの自治都市があり、数年ごとに各地で大祭が開かれます。四年に一度はゼウス神のオリュンピア大祭と、アポロン神のピューティア大祭、また二年に一度はポセイドン神のイストーミア大祭です」


「ほうほう、その神ごとに祭りの名も違うのか」


「そうです。そして今回、アテナ・ポリスで行われるのは、その三つの大祭を合わせた史上最大の祭り……『イーリアス』なのです」



 イーリアス、という響きに、アレスが反応した。



「イーリアスか……どっかで聞いたことあるぞ」


「あら、あなたもこう見えて意外と学があるのですね」



 占い師の女は、くすりと笑った。



「イーリアスは古代ギルシアスの最古の文献、神々の物語を描いた書物の名です。この祭りは複数の古代神をひとまとめにあがめる祭りなので、イーリアスと名づけられたのです」


「なるほどなあ。けど、どうしてわざわざ祭りを一つにまとめたんだ? 別に今までも、各地で祭りは上手くいっていたじゃねえか」


「そこまではわかりかねます。このイーリアス大祭を企画したのは、この街の首長しゅちょうや参事会の方々なので……私どものような下々の人間としては、人が多い分、稼ぎも多くなるので嬉しいことづくめですが」



 それから女は、ルシアに一枚の紙を差し出してきた。



「ちなみにこれが、イーリアス大祭の要綱ようこうでございます。良ければどうぞ」



 差し出された紙を受け取ったルシアは、怪訝けげんな顔で女を見た。



「なぜ私に?」


「私は占い師ですよ。あなた方の中で、旅に対して強い目的意識を持っているのは、あなただと私は感じました。冷静そうに見えて、心の中は熱く煮えたぎっているように見えたので」


「……それはどうも」



 ルシアは厳しい目つきで、占い師の女を見つめた。

 今の見解が占いによるものでないのなら、すなわち女はルシアの正体を知っているということになる。

 大魔王の孫娘であり、復讐をかかげて旅をしていることを、探っているのかもしれない。


 もちろん、すぐに殺すことはしない。

 だが、もしも聖王国の追っ手や、魔大陸の手先だと判明すれば、ルシアはためらいなくこの女を始末するつもりだった。


 そんなルシアの空気を察したのか、占い師の女は首を振った。



「そう警戒しないでください。私はあなたと初対面ですし、あなたの名前も知りません。占い師として観察して、単純な興味を抱いただけです」


「そう……それなら良いわ。ただ、長生きしたいのなら、あまり根掘り葉掘り調べないことね。世の中、意外と身近に怖いことがひそんでいるものよ」


「はい、肝に銘じておきます」



 ルシアの警告に、占い師の女は素直にうなずいた。


 それからルシアは、ジンとアレスにも見えるように紙を広げた。

 紙の題名には『イーリアス大祭の開催要綱』と、書かれている。



「剣闘、弓術、槍投げ、戦車競走、森林走破しんりんそうは……ずいぶんと、戦争に特化した競技ばかりね」



 ルシアの言う通り、この要綱に載っている競技は、戦争で使いそうな技術を競うものがほとんどだ。



「もちろん、武勇を誇るギルシアスの神々を祝う大祭なので。これまでもそういった競技は盛んに行われていましたが、今回はそれらすべてを詰め込んでいます」



 占い師の女はそう答えた後、さらに続けた。



「すなわち各競技の優勝賞品も、これまでに例のない、莫大なものばかりとなっております」



 そう言われて、三人は要綱にある優勝賞品の欄を見た。


 真っ先に声を上げたのは、アレスだった。



「槍投げなら商船十隻、戦車競走なら城二つ……って、おいおい、こりゃあどういうことだ! 今までは賞金と月桂冠げっけいかんの授与だったのに、なんだこの破格な賞品は!?」


「それだけの大会だということです。ちなみに剣闘競技で勝った場合の賞品は、この程度ではありませんよ」


「なに?」



 アレスは再び、要綱に目を落とす。

 そして、ある一点で止まった。


 そこには『東トラキア地方』と、書かれていた。



「いやいや、それは嘘だろ……?」



 アレスは失笑し、首を振った。


 それから占い師の女の顔を見たが、女は落ち着いた目をしていた。



「本当ですよ。剣闘で優勝すれば東トラキアの大地……つまり優勝者は、小さな国の『王』になるのです」



 占い師の女の言葉に、ジンとルシアすら唖然あぜんとしていた。

 人間の文化に詳しくないルシアでも、剣闘で優勝すれば国が手に入るという意味が、どれほど常識はずれなことなのか理解できる。

 

 

「見たところ、皆さんもかなり腕が立ちそうです。まだ参加申し込みは締め切っていないので、良ければ近日中に申し込みしてみては?」



 女はそう言った後、楽しげに微笑んだ。

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