女神の都市 : 美しきアテナ・ポリス

 エーゲ半島最大の自治都市『アテナ・ポリス』


 かつてのエーゲ半島には、古代ギルシアス文明があった。

 聖王国が成立する以前に栄えた文明であり、天使信仰という宗教もなく、民たちは多くの神が登場する『神話』を信じていた。


 そしてこのアテナという名も、その古代の国で伝わっていた女神の一人である。

 曰く、正義と戦の神、そして純潔じゅんけつを守る女神。


 天使信仰が国教である聖王国では、これらの神は教義から外れた異教の神だ。

 しかし現在は邪教だと迫害されることなく、一つの歴史、民話みんわとして語り継がれている。

 古くから民衆に親しまれ、純潔と貞節ていせつを重んじる女神であり、天使信仰に大きく外れていないためだ。


 時に正式な教えでなくても、完全に抹消しがたいものもある。

 ゆえに天使信仰を真っ向から否定しない神や精霊のたぐいは、いまだ各地で尊敬を集めている。

 聖王国の本土であれば、話は別だが。


 女神の名を冠するアテナ・ポリスも、こうした背景がありつつ、今なお栄えている自治都市である。



「お二人さん、ほらほら、街が見えてきたぜ!」



 カラッと晴れた青空の下、アレスは甲板から身を乗り出し、遠くの街並みを楽しそうに指差した。


 彼が示した先には、美しい白い石造りの都市があった。

 色合いはマテーラに似ているものの、その規模、美しさは比べ物にならない。


 太陽にさらされた港湾は整備され、多くの軍船、商船が停泊している。

 都市の中心にある高い丘には、巨大な柱がずらりと建ち並ぶ、古代神殿のようなものがそびえ立っている。

 同じ白でもここまで違うのは、石造りの建物が無造作に乱立しておらず、街の区画が非常に洗練されているゆえだ。


 また、白い石造りの建物一色ではない。


 あえて古めかしく造った木造の館や、屋根を鮮やかにいろどっている市場もある。

 白い清らかさと、陽気な色彩、さらには陽光を跳ね返すコバルトブルーの海を合わせて、まさに一枚の絵画のようだった。



「かぁ~~、いつ見ても綺麗な街だなあ、オイ! さすがは女神様のお膝元って感じだぜ!」



 故郷でのしおらしさはどこへ行ったのか、アレスはうきうきと喜んでいる。



「ほう、マテーラも美しい町だと思ったが、これは別格だな」


「綺麗ね……」



 ジンとルシアも、アテナ・ポリスの風景には感動していた。



「だろ? けどよ、ここは綺麗なだけじゃねえぞ。聖王国では一、二を争う大都市で、大陸の東西南北から、人、モノ、カネが集まって来るんだぜ」


「すごいな。まあ、この船に乗っている者たちを見れば、それも納得できる」


 

 ジンは甲板に出ている他の乗客たちを見た。


 乗客たちも様々な人種と職種に分かれている。

 平均的な西洋風の顔立ちをした聖王国の若い修道士、色素の薄い大柄な北部人の男、色黒で派手な服を着た南部人の商人や、女の旅人もいる。


 それこそジンたちのような一風変わった三人組も、この自治都市の中では、特に目立つことなく過ごせるだろう。

 そもそも、これほどの大都市なのだ。

 たとえ聖騎士が捜索に来たとしても、すぐに見つかったり通報されることはない。

 この都市に集まる人間の中にも、罪を犯して身を隠している者は大勢いる。



「さあて、街に入ったら良い宿を取ろうぜ! ここはメシも良いし、清潔な宿が多いからよお! そんでその後は、歓楽街に繰り出すしかねえよなあ!」


「まったく、はしゃぎ過ぎよ」



 浮かれるアレスに、ルシアは困ったような笑顔を浮かべた。


 それから三人の乗る船は、無事に港に停泊した。

 港にも色々な船が止まっており、荷物を抱えた商人や、武器を携行した旅の戦士などが行き来している。


 ジンたちはアレスの先導に従い、雑踏ざっとうの中を進んでいく。



「じいさん、ここのエールは美味いぞ! 一口だけでも飲んできなよ!」


「おうおう、そこのダークエルフの別嬪べっぴんさんよ! どうか、この宝石の首飾りを見てってくんねえか!」



 道中にもいくつも行商人が露店を出しており、都会に慣れていないジンとルシアに向かって、熱烈な宣伝文句を投げかけてくる。

 ダークエルフに見えるルシアにも平気で話しかけてくるあたり、聖王国の領土であっても、本土とは違って差別意識が少ないのだろう。


 さすがに足を止めることはなかったが、二人はこの街の熱気に驚いていた。



「すごい活気だな。何か祭りでもやっているのか?」



 ジンが訊くと、アレスは首を振った。



「いいや、いつもこんな感じだぜ」


「まことか。いやいや、大した盛り上がりだ」



 人の多さ、熱量、どれをとっても凄まじい。

 

 戦国時代に栄えていた自治都市、さかいの町も似たような雰囲気だったが、このアテナ・ポリスはそれをはるかに上回る活気だ。


 また、驚くべきは活気だけではない。



「おい、あそこにいる耳がとがった色黒の男、もしや」


「おお、ありゃダークエルフだな。弓と短剣を背負ってるし、旅の狩人ってところだろうぜ……見た目だけならルシアに似てるなあ」


「亜人は差別対象ではないのか」


「まあ、天使信仰では『神が作りたもうたのは人間』だから、たしかに許されないかもしれないが……でも、ここは各地から色んな種族が集まる。そんなん言ってたらキリがねえってのが実情さ」

 

「なるほどな」



 ジンはルシアの方に目を向けた。


 褐色の肌、長い耳、彼女もダークエルフとほぼ同じ外見だ。

 それでも周囲の通行人が逃げることはない。

 時たま珍しそうな視線を送られるが、その視線もすぐに気に留めることなく、素通りしていく。



「たしかに色んな種族がいるわね。ここなら私も羽を伸ばせそう」



 追われているという状況は変わっていないが、ルシアもこの街の様子を見て、緊張がほぐれてきた。


 多くは普通の人間だが、人ごみの中にはエルフだけではなく、ずんぐりとしたドワーフや、獣のような顔立ちをした亜人もいる。

 彼らも時に人目を惹くことはあっても、排除されたりしていない。



「でも、活気はともかく、前に来た時よりも戦士が多い気がするな」



 アレスは首をひねった。


 以前もアテナ・ポリスは人々の熱気に包まれていたが、今は武装している人間が多いように思える。

 統一性のある集団があるわけではないが、旅の戦士、狩人、傭兵風のならず者などが、この通りだけでもかなりの人数いるのだ。


 そのため活気の良し悪しは変わらず、そこに暴力的な空気が新たに混ぜ合わさっている。



「知っているぞ、この空気」



 そこで、ジンが小さく笑った。

 何がという説明はできないが、懐かしいものを直感で感じ取った。


 そんなジンに、ルシアが問う。


 

「知っているって、何が?」


「張り詰めた戦とは違う、浮かれた暴力の匂いだ。純粋に腕を競い、それを誇示し、楽しむような……京の都で、俺はこれに似た空気を味わったことがある」



 ルシアには伝わらなかったが、ジンは何かを確信していた。


 戦国時代は様々な剣豪を生み、各地に流派ができた。

 己の流派こそが最強であると示すためのかたな比べ、腕試しは、全国各地で盛んに行われた。


 特に京の都では天覧試合てんらんじあい(天皇が観覧する大会)が行われ、選りすぐりの武芸者たちがしのぎを削ったものだ。


 そこで露店の並ぶ市場が途切れ、巨大な円形の広場に着いた。

 広場の中心には巨大な大理石のオベリスクが立ち、それを中心にして噴水が広がっている。


 ここには千人以上の人間が集まっていた。

 そして、そのほとんどが武装した者たちだ。

 物々しい、とさえ言える雰囲気に、アレスは息を呑んだ。



「なんだこいつら、いや……それよりも……!」



 しかし先頭を進むアレスの目を惹いたのは、大広場の象徴であるオベリスクでもなければ、血の気の多そうな武装集団でもない。


 オベリスクの手前に立てられた、巨大な三本の旗。

 左の旗は海の荒波をモチーフに、右の旗は黄金の矢をモチーフにしている。

 そして中央は輝く雷鳴をモチーフにした、ひと際大きな旗。


 アレスはその中の雷鳴の旗を見て、目を見開いた。

 それは四年に一度しか開かれないはずの、アテナ・ポリス最大の祝祭であり、古代神話の雷神ゼウスを称える神聖な祭典。


 その象徴の旗が、大広場にはためいている。

 


「おいおい、今は祭りの季節じゃねえのに……オリュンピア大祭の旗が掲げられていやがる!」



 アレスが驚きの声を上げ、ルシアはどういうことかと首をかしげる。


 そして最後尾を歩いていたジンが広場に出て、辺りを見渡した。

 彼はそこで確信した。

 説明を受けずとも、その空気で理解してしまった。


 ここに集まっている者たちの顔は、やはりどこか浮かれている。

 目つきが鋭く、いかめしい顔立ちの人間が多いが、彼らは皆どこか嬉しがり、ひそかに目を輝かせている。

 

 祭りは祭りでも、己の腕を世に知らしめる絶好の機会なのだと。



「かかっ、面白そうな街ではないか……!」



 からからと笑うジンの胸は高鳴っていた。


 耐えがたく血が騒いでいた。

 彼もまた、武芸者なのだから。

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