女神の都市 : エーゲ半島行きの船

 ジン、ルシア、アレスの一行はマテーラから東へ進み、三日後、港に着いた。


 空は晴れ、港から吹く潮風しおかぜはうららかな春の陽気に満ちていた。

 港の市場は栄えており、旅の疲れを癒す場所はいくらでもあった。

 

 しかし三人に、宿でのんびりと休む暇はなかった。



「あんたらの聖騎士殺しの指名手配が広まるのは、時間の問題だ。金を積んで乗れるってんなら、早いとこ乗っちまおうぜ」



 こうしてアレスの提案に乗り、三人は港に着いたその日に、東行きの船に乗った。

 なお、目的地までの航行日程は、五日間であった。


 船は大きな帆船はんせんで、風を受けて順調に地中海を進んでいく。

 船内には多くの旅人が乗っており、酒場も用意されていた。

 追加の船賃ふなちんさえ払えば、身分を問わず酒と食事が提供される仕組みだ。


 そして出港したその日の夜、天気が崩れ始め、海が少々荒れた。

 なるべく他の乗客と関わらないようにする予定だったが、三人は仕方なく船内に入り、酒場のすみにある席を取った。



「……って、あんたら、聖王国の本土と、それ以外の国と地域の区別もついてなかったのかよ! となれば、今から行く自由都市も知らねえってわけか!?」



 席を取り、飲み食いを始めてしばらく経ったところで、アレスが声を上げた。

 アレスは少し酔いが回っており、彼がしゃべるたびに、右手に持っている木製のコップから黒エールがこぼれそうになっている。


 ちなみにどの席も乗客が呑んで騒いでいるため、三人が話している内容はほとんど周囲に聞こえていない。



「当たり前だ。先日も言ったがルシアは魔大陸の生まれの魔族、俺にいたってはこの世界の人間ではない。ここら辺の人間の国々にうといのは仕方ないことだ」



 港へ至る道中で、ジンも身元を明かした。

 異世界からやって来た大魔王の協力者だ、と。

 

 アレスからすればにわかには信じがたいことだが、そもそも大魔王の孫娘と出会って仲間になったこと自体が、信じられないめぐり合わせである。


 結局は素直に明かすことが一番だと、ジンは判断し、アレスはそれを受け止めた。

 聖王国の本土に流れ着き、大魔王の孫娘にわざわざ協力している東部人だと言い張るほうが、よほど胡散臭く感じていただろう。


 なお東部人というのは、この聖王国よりも東で生まれた人種を指す。

 ジンがいた地球で例えれば、アジア系とほとんど同じ顔立ちだ。



「そりゃそうだけどよ……よくそれで都の闘技場から逃げ出したもんだなあ」


「ふっ、逃げれたのは双竜帝国の竜騎士のおかげだ。あいつがいなければ、もっと都に近い場所で聖騎士どもと追いかけっこしていただろう」



 そしてジンは、自分の手にあるコップをあおった。

 入っていたのはラム酒のストレートだったが、ジンはそれを軽々と飲み干した。

 これで二杯目。

 日本酒よりもクセのある味だったが、ジンはすぐに気に入っていた。



「そこまで言うなら、あなたの口から色々と教えてほしいわ。今までの私からすれば、人間の国なんてどれも同じようなものだったから」



 ルシアはアレスに説明を求めた。

 ジンほどではないが、彼女も酒をたしなむ。

 手の中のコップには、芳醇ほうじゅんな香りをただよわせる赤ブドウ酒が入っている。

 


「やれやれ、仕方ねえなあ」



 アレスは荷袋から丸めた地図を取り出し、テーブルの上に広げた。

 地図というのは貴重品だが、これはマテーラの町長の屋敷で手に入った。

 


「これが聖王国の本土だ。この地中海に突き出ているデカい半島で、ほら、長い靴みてえな形しているだろう」


 

 アレスは地図上の中心、人間の大陸内にある地中海にある、長く大きな半島を指差した。

 その半島は南東に伸び、先端の方で急に直角になって曲がっている。

 たしかに靴のような形に見える。


 このひと際大きな半島が、聖王国の本土だという。



「この半島の中央にあるのが都で、ずっと東に行った先がマテーラだ」



 アレスの指が半島の中央を差した後、地図上を滑り、止まった。

 マテーラは本土の南東側、長靴のかかと辺りにある。



「そんで、俺たちが乗っている船が目指しているのは、さらに東の……」



 再びアレスの指が動きだし、本土から海を渡って、また別の半島を指差した。



「エーゲ半島だ」



 アレスが示したのは、地中海に面する別の半島だ。

 聖王国の本土よりも、ずんぐりとした半島で、その南と東の海には大小さまざまな島が浮かんでいる。



「なるほどな、ここも聖王国の領土なのか」



 ジンが問うと、アレスは「そうだぜ」とうなずいた。



「聖王国ってのは、この地中海の北側に広く面している大国だ。大陸中央の支配は聖王国にアリって言われているくらいにな……ほら、この全部が聖王国だ」



 アレスは地中海の北側の沿岸えんがんを、大きくなぞっていく。

 聖王国の本土、エーゲ半島のみならず、西側の広大な地域も、地中海に浮かぶ島々も、すべて聖王国の領土ということだ。



「ふむ、よくうわさされている双竜帝国というのは?」


「ああ、それは北だ。領土だけなら聖王国にも負けてねえ」



 アレスは大陸の北側を指で叩いた。



「双竜帝国の領土はな、各地の山脈で聖王国と領土を分け合っているようなもんだ……ピレネー、アルプス、タトラ……これらの山脈で区切って見れば、わかりやすいだろう?」



 西から各地の山脈を示した後、アレスの指は大陸の北側をぐるりと一周した。



「ずいぶん広いな。これで領土を維持できるのか」



 さすがのジンも目を大きくさせた。



「双竜帝国はとんでもねえ軍事大国だ。しかも飛竜に乗った竜騎士がいるもんだから、軍の移動速度は大陸最速を誇る。あっという間に領土を広げても、周りの国に食い荒らされる心配はないってわけだ」


「ほう、それはかなりの強みだな」


「おうよ、しかもけっこう裕福な国で、文化も発達している。地中海に面してねえから北側の寒い海しか持っていないんだが、ただの野蛮な国家ってわけじゃねえ」


「なるほど、聖王国の民からすれば、異教の蛮族と呼びたい感情はあるが……実際は違うというわけか」


「さすが察しが良いな。傭兵時代に何度か入国したことがあったが、メシも美味いし、陽気な酒好きも多くて、女も開放的な人柄ばっかりで、悪くなかったぜ……冬の寒さはちょっと厳しいがな」



 アレスは傭兵時代の楽しい思い出を振り返り、さらに酒を一口飲んだ。



「ふむふむ……さらに北側は?」


「うん? ああ、帝国よりも北側な。ここから先はあまり詳しくないんだが……」



 そう言いつつ、アレスは双竜帝国の北にある、大きく湾曲わんきょくした半島を差した。

 ただし半島といってもかなり広大で、聖王国や双竜帝国にも負けていない。



「スカンディナビア半島って名前らしいんだが、だいたいの人間が『氷と森の半島』って呼んでる場所だ」


「国はないのか」


「国っていうか、色んな人種と、いくつも部族が入り乱れているって感じだ」


「ふむ、部族か」


「ああ……ここはただの人間が住むには厳しいんだ。ヴァイキングっていう荒っぽい海賊も出るし、魔術と弓に長けたエルフ族も住んでいるって話だぜ」



 そして最後にアレスは、双竜帝国から北西の海に浮かぶ島を示した。

 この島もかなり大きく、南北に縦長い。



「このデッカい島は双竜帝国に支配されているんだが……たしか、七竜しちりゅう公国こうこくって言ったっけなあ」


「七竜の、公国? 双竜帝国の領土とは違うのか」


「ううんと、聞いた話だが、双竜帝国に服従している七つの国ってことで、一応は国って形のままなんだとよ。小さな王様って意味で、『公王こうおう』と呼ばれているやつらが統治している島だ。ただ、天候も厳しく、資源もとぼしいって聞いたなあ」


「島に乱立する七つの小さな国、か」


「ああ。ちなみに噂だと……大半の飛竜はこの島で生まれるってことらしいぜ」



 それを聞いて、ジンだけではなく隣のルシアも驚きの表情を見せた。



「竜の原産地、ということね」


「そういうことだ。資源が乏しくても双竜帝国から国として認められているってことは、つまりそれが理由なんだろうよ」



 それからアレスは、コップの中のエールを飲み干した。


 

「他にも小さな国や部族は色々あるが、主な国はこんなところだ」


「説明してくれてありがとう……やっぱり、この地図に魔大陸は載ってないのね」



 そう言ってルシアは、地図の西側を指で叩いた。


 人間の大陸の西側は、海が広がっている。

 そのはるか先に魔大陸があるのだが、人間の世間で作った地図であるため、地図の西は海で終わっている。



「まあ、普通の人間なら、魔大陸なんて死ぬまで縁がない場所だからな」



 アレスは苦笑いした。



「でも、あんたらはここに行かなきゃならないんだよな。勇者様をぶっ殺すのも大事だが、魔族の王様……大魔王になるためによ」


「そうね。でも、この大陸の広さを考えると、生半可な移動手段では、魔大陸までたどり着けないわね。人間の大陸がこれほど広いとは、さすがにちょっと驚いたわ」



 ルシアは背伸びして、大きく息を吐いた。



「そういえば、お前さんは魔大陸で聖騎士団に捕まったそうだが、その時は船でこの大陸に来たのか」


「ええ。勇者や聖騎士しか使わない、聖王国の軍艦に乗せられた……もちろん魔大陸を行き来するような船だから、荒れた海も、魔物の攻撃も、物ともせず進んでいたわ」


「ううむ、そこまでの船を得るのは、なかなか苦労しそうだな」



 ジンはあごに手を当て、難しそうな顔でうなった。


 そこでアレスが地図のある一点を指差した。

 先ほど話した、エーゲ半島だ。



「お二人さん、そこでキモになってくるのが、これから俺たちが行く自由都市だぜ」


「自由都市?」



 首をかしげたルシアに、アレスは自信たっぷりな顔でうなずいた。



「そうだ。このエーゲ半島も聖王国の領土だが、本土と違って、自治権のある都市がいっぱいある。権力のある職人、商人が『参事会さんじかい』ってやつを作って、政治や商売を仕切っているからな」


「……『さかい』のようなものか」



 ジンがいた戦国時代には、大坂に『さかい』という自治都市が繁栄を極めていた。

 堺には商人たちによる『会合衆えごうしゅう』という組合があり、独自の自衛組織で街を守っていた。

 その経済力や団結力により、織田信長などの戦国大名が現れても、一方的に支配されることはなかったのだ。


 つまりアレスの話によると、大坂の堺のような自治都市が、エーゲ半島にいくつもあるということらしい。



「この半島で一番デカい街なら、聖王国の監視の目はユルいし、立派な船を手に入れることだってできるぜ。なんせ東洋と西洋の経済の中心だからなあ」


「うむうむ、それは期待できるな」


「だろう?」


「ちなみに、その自由都市の名は?」



 ジンの問いに、アレスはニカッと歯を見せてから、再び地図を指差す。


 彼の指はエーゲ半島の南東で止まった。



「ここ、女神の都市アテナ・ポリスだ」




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 読んでいただきありがとうございます!!


 ついに第三章が開幕しました!

 ここからはジンとルシア、そしてアレスの三人が激しい戦いに巻き込まれていく様を描きます!


 それに伴い、多くの国や地域を開示したため、まとめます!

 なお、世界地図を見ながら確認していただけると、わかりやすいかと思います!



『聖王国』

 天使信仰が浸透し、勇者と聖騎士を擁する王国。

 大陸の中央に位置し、温暖な地中海に面して栄えている。

 領土モデルはイタリア、南フランス、ギリシャを含めたバルカン半島全域、ハンガリー、ルーマニア、スペイン、ポルトガルを合わせたもの。

 本土はイタリア半島、都はローマとバチカン市国がモデルです。



『エーゲ半島』

 聖王国の領土だが、本土と違い、自治都市が多数認められている。

 モデルは現在のギリシャ、アルバニア、北マケドニア、ブルガリアで、バルカン半島の南側。

 なお、バルカン半島という概念が比較的新しいらしいので、エーゲ海に面した『エーゲ半島』と名前を変更しています。



『双竜帝国』

 強力な二頭の竜と、竜騎士団を擁する軍事大国。

 大陸北部に広く領土を持ち、豊かな国土を持っているが、冬の寒さは厳しい。

 領土モデルはフランス、ドイツ、スイス、ベルギー、オランダ、ポーランド、チェコ、スロバキアを合わせたもの。



『スカンディナビア半島』

 近海ではヴァイキングが暴れ、エルフなどの亜人が隠れ住む半島。

 通称、氷と森の半島。

 双竜帝国よりもさらに寒さが厳しく、普通の人間が暮らす場所ではない。

 モデルはそのまま現在のスカンディナビア半島で、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドを合わせたもの。

 


『七竜の公国』

 双竜帝国に属する七つの小さな国。

 資源に乏しく、天候も厳しいが、竜の原産地として重宝されている。

 領土モデルはイギリスのグレートブリテン島で、アングロ・サクソン七王国時代を参考にしています。



 なお、この国や地域の設定は、物語冒頭にも掲載しますので、引き続き今作をよろしくお願いします!


 鈴ノ村より

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