第3章~イーリアス大祭~

幕間 大賢者イザヤ

 聖王国の都の中心部、世界最大の大聖堂『サン・ミケラ』


 天高くそびえる尖塔せんとう、重厚なドーム、無数の回廊かいろう、百四十人の聖人像が円形に並ぶ荘厳な広場を有する、天使信仰の総本山である。


 そしてこの場所は、ただの宗教施設ではない。


 水堀みずぼりと鉄の柵、さらにそれらを城壁のような石造りの壁で覆っている。

 内部には聖堂だけではなく、聖騎士が鍛錬に励む神殿や、強力な聖遺物せいいぶつが保管された宝物庫なども揃っている。


 ゆえにサン・ミケラ大聖堂そのものが一つの城、それどころか小さな国と言っても過言ではない。


 その大聖堂の中央奥、主聖堂に一人の老人がいた。


 長く、白いあごひげを持つ老人だ。

 中背で、痩せ型、古い法衣ほういを着ており、装飾品を一切身に着けていない。

 裕福さを良しとせず、清貧せいひんを良しとする者だとわかる。


 その老人は、主聖堂に祀られた大天使の石像にひざまずいていた。

 この大天使の石像は、ガブリエル。

 四大天使の最後の一柱にして、導きの大天使。


 美しい翼を広げたガブリエル像の前に、老人は手を合わせて、静かに祈りを捧げている。



「大賢者様」



 そこに一人の修道士風の男が現れた。

 背が高く、頭を剃り上げており、その落ち着いた声とは裏腹に、瞳には有無も言わせぬ力強さがある。



「なんじゃ、パウロ」



 大賢者と呼ばれた老人は、声をかけてきた男パウロに振り向いた。

 ただし膝を屈したままで、祈りの手もそのままだ。



「今は忙しい。急用でなければ後にせよ」


「……闘技場での件、お聞きになっていないのですか」



 パウロが尋ねると、老人はふうと息を吐いた。



「二人の剣闘奴隷と、竜騎士が逃げた一件か」


「そうです。陛下は追跡の兵を派遣したそうですが、飛竜に乗って逃げた者を捕まえるのは至難の業です」



 パウロの目つきが少しずつ鋭くなる。

 強い義務感、忠誠心がにじみ出ている。



「大賢者様、奴隷ふぜいが聖騎士を斬ったのです。これは許してはおけぬ暴挙であり、速やかに裁きを下さなければなりません……あなた様が動かぬというなら、この私めが」


「静まれ、パウロよ」



 老人の言葉で、辺りの空気が冷え込んだ。

 静まり返った大聖堂の空気が、徐々に張り詰めていく。


 笑顔を浮かべているというのに、老人から発される圧力は凄まじい。


 

「案ずるでない。すでにギデオンとサムソンが出立した」



 この二人分の名を聞いた途端、パウロの目が見開かれる。



「あのお二人を、動かしたのですか」


「何を驚くことがある。あの者たちはわしの弟子だ。いくつになっても、どのような立場になっても、あやつらは二つ返事で動いてくれる」



 老人は優しく微笑んだ。


 一方、パウロの目はかすかに震えていた。

 

 派遣された二人の人選に驚いたのではない。

 表面上では怒りを表していないというのに、実際には情け容赦のない人間だけを派遣し、討伐命令を出し終えていたのだ。


 つまりパウロよりもはるかに強い怒りを抱きながら、今も静かに大聖堂で礼拝を続けていたということになる。

 この老人が抱く信仰心の大きさ、深さはもちろん、それをそっと押し隠す態度に、パウロは底知れぬ薄気味悪さを感じた。



「おぬしの意見はもっともだ。無論、わしも異教徒は断じて許しておけぬと、常々思っておる」


「ゆえに、あのお二人に命令を下した……と」



 老人は小さく笑った。



「おぬしは引き続き、聖歌隊せいかたいの聖女たちを管理監督せよ。期待しておるぞ、司祭パウロよ」


「ははっ……大賢者、イザヤ様」



 パウロは頭を下げてから、背を向けて歩きだす。


 大聖堂の中心に伸びる絨毯じゅうたんを歩き、入口へ戻る。

 そして一度振り返り、大聖堂の奥にいるイザヤの背中を見た。


 イザヤは再び大天使の石像に顔を向けて、礼拝を再開している。

 来る日も来る日も、寝食しんしょくを惜しんで礼拝することが、彼の日課である。



「ギデオン殿と、サムソン殿……か」



 パウロはつばを飲みこんだ。

 十五年前の記憶、焼き尽くされた都市の姿が、パウロの脳裏に浮かんだ。

 

 ソドムとゴモラ。

 堕落し、異教の神を信奉した二つの小国。

 そこには合わせて一万を超える民が住んでおり、彼らは聖王国からの支配を逃れようとして、独立を宣言した。

 

 だが、その二国は焼き尽くされた。

 老若男女問わず火刑に処され、城も、国土も、灰となった。

 


 破壊者ギデオンと、千人斬りのサムソン。



 彼ら二人のにより、ソドムとゴモラは地図から消えた。

 王族はもちろんのこと、建造物、文化、風習、そして民。

 すべて例外なく、この世から抹消されたのだ。


 そして彼らは、勇者の戦友でもある。

 勇者アークとともに魔大陸へと進軍し、多くの魔族を殺した英雄だ。


 彼らであれば、聖騎士殺しの罪人を見つけ出し、必ずや処刑できるだろう。

 しかし罪人をかくまうような者や、助けるような者が現れてしまえば、一体どうなってしまうのか。

 それでなくても、例の剣闘奴隷たちがどこかの町や村など、人里と呼べるものに潜伏していたら。


 その結末は、火を見るよりも明らかだ。



「第二のソドムとゴモラになる、というわけか」



 パウロはそうつぶやいてから、大扉を開けて、大聖堂から出た。


 荘厳そうごんな大聖堂には、ただ一人祈るイザヤの聖句だけが響いていた。

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