血の覚醒 : 血槍のアレス
ルシアが編み出した槍の結界。
高位魔族ダンタリオンはそれを防ぐことができず、全身を余すところなく、串刺しにされて死んだ。
と、思われていた。
「……ちっ、逃げられたわ」
死体を確認するために近づいたルシアは、ダンタリオンの死体と思われるものを見下ろしたところで、舌打ちした。
地面に落ちているのは、ダンタリオンではなかった。
針ねずみのようになって転がっているのは、似た格好にされたアガメムノンだ。
屋敷に逃げ込んだはずの彼が、ハイオークの状態に変貌しており、今はルシアの足元でめった刺しになっている。
「負けた時の準備をしていた、というわけね」
ルシアはため息を吐いた。
油断していたつもりはない。
万が一にでも逃げられないように、無数の槍で包囲して串刺しにした。
しかし駆け引きにおいて、ダンタリオンは一枚上手だった。
彼は負けた時のことを考えて、アガメムノンを身代わりとして用意していた。
そして槍によって自分の体が隠れる一瞬、アガメムノンと自分の位置関係を入れ替えたのだ。
「あのような大技ではなく、直接つかみかかって仕留めるべきだったな」
歩み寄ってきたジンが、そう言ってきた。
彼もダンタリオンが逃げたことを理解していた。
「すき間なく囲めば終わると思っていたのよ……物体を一瞬で引き寄せ、瞬間移動させる新しい能力……意外と厄介なものね」
「あれほど多彩な能力を扱う魔族だ。逃げの一手に出られたら、確実に仕留めるのは難しいな」
「ええ……でも、次に会ったら間違いなく始末する。王は反逆者を許さない」
そう宣言するルシアの琥珀の瞳は、ジンですらぞくぞくするほどの殺気にあふれていた。
「良い目になった。ようやく、王座を狙う顔つきになってきたぞ」
「そう仕向けたのはあなたでしょう。まったく人使いが荒いというか、乱暴な育て方しかできないというか」
「かかっ、結局は上手くいったから良かったではないか。それに、やつは自分が助かる代わりに、代償を払った」
「代償?」
ルシアが眉をひそめる。
ジンはしゃがみこみ、無数の槍が突き刺さっているアガメムノンの顔を叩いた。
「こやつ、まだ息があるぞ。今ならお前さんの能力で延命できるはずだ」
「なるほど、情報を聞き出せるかもしれないわ」
「うむ。こやつを無駄にしぶといハイオークにしてしまったことは、あのダンタリオンとかいう魔族にとっては失敗だな」
死ににくい捕虜ほど、扱いやすいものはない。
ジンとルシアは悪そうな笑みをこぼし、醜いハイオークとなったアガメムノンを見下ろす。
それをそばで見ていたアキレウスは、ひきつった笑顔を浮かべていた。
***
「良い食卓ね。メインデッシュは、オークの串刺しといったところかしら」
大きなテーブルに横たわるアガメムノンに、ルシアは微笑む。
ジンたちはその後、町長の屋敷に入ることにした。
腹ごしらえをしながら尋問するために、アガメムノンを槍ごと食卓に押さえつけ、自分たちは屋敷の中にあった食材をいただいていた。
「苦しい思いをしたくなければ、素直にすることね。私も、悲鳴を聞くのは好きじゃないから」
ルシアの魔術によって、死にかけていたアガメムノンの傷はほとんど癒えた。
しかしアキレウスと違い、完全な復活ではない。
彼の頭には、ルシアが生み出した血の槍が突き刺さっている。
口答えしたり、下手なことをすれば、そのまま脳髄をひき肉にされる。
たとえ生命力のあるオークだとしても、ルシアがその気になれば一瞬で絶命する。
もはやアガメムノンは、まな板の上の鯉。
知っていることを吐き出すだけの存在に過ぎないのだ。
「た、助けて、くれ……!」
アガメムノンは、アキレウスに向かって手を伸ばした。
ジンやルシアよりも、まだ面識のあるアキレウスに助けを求めたかったのだ。
「ちっ……うるせえ、ゲスがよ」
アキレウスは足を組んでイスに座ったまま、舌打ちした。
アキレウスにとっても、アガメムノンは仇である。
町の住民をオークに変えた黒幕はダンタリオンだったが、アガメムノンはその手先として、住民たちをオークとして暴れさせていた。
「無駄口は良くないわ、町長さん」
そう言いながら、ルシアは指を動かした。
すると、触れもせずに槍がひとりでに動き、アガメムノンの頭の中をゆっくりとかき回す。
「いぎっ、ぎいいいいっ!?」
「さて、質問を始めるわ。あのダンタリオンについて、知っていることを全部教えなさい」
「あ、が……わか、り……ました……でも、俺が知っていることなんて……」
アガメムノンが答え以外のことを話そうとした途端、再び槍が回転を始める。
「ぎいっ!? わかった、わかったからあああっ!!」
悲鳴を上げたところで、ルシアは槍の動きを止めた。
「ダンタリオンと出会った場所は?」
「う、ぐ……あの方は、森の中で野宿しているところに、現れました……人間を超えた力を与えてやるから、計画を手伝え、と……」
「計画、ね。その詳細は?」
「あの方は、ただのお遊びだとおっしゃっていましたが……この聖王国に混沌をもたらしたいと……そのための足がかりとして、オークを増やし……昼間でも隠れやすい、
「それで、あなたはマテーラ制圧を提案した」
「その、通りです」
ダンタリオンによって人間を辞めたアガメムノンは、人生を逆転する好機だと思ったのだろう。
マテーラを滅ぼし、アキレウスをおびき寄せたのも、その一環である。
今の自分ならダンタリオンの命令もこなしながら、アキレウスへの復讐も自由にできるのだと。
ダンタリオンとしても、自分の計画の邪魔にならないのなら、アガメムノンの私情が入った計画も黙認したに違いない。
しかしそれがきっかけとなり、ジンとルシアを町に引き入れてしまった。
コリンを使ってアキレウスをおびき寄せるという行動が、この結果につながった。
ダンタリオンからすれば、アガメムノンは大戦犯であろう。
「なるほど、それなら仕方ないわ。さすがのダンタリオンも、あなたごときに自分の情報はもらさないでしょうし」
ルシアが大きく息を吐いた。
「けど、あなたも今やいっぱしの魔族でしょう? ダンタリオンにくっついて働いている間に、他の魔族について、知ってしまったことはあるんじゃない?」
「そ、それは」
「どうかしら、例えば……今の魔大陸の情勢とか」
アガメムノンの顔が青くなる。
ルシアの問いは、図星だったようだ。
「口が回りやすくなるように、手伝ってあげようかしら」
「わ、わかった!! 話す! 話すから……!」
アガメムノンは焦って話し始めた。
「俺も、ダンタリオン様が操っている他のハイオークから、噂や雑談で聞いただけでして……今の魔大陸は混乱を極め……六人の王が覇権を争っている、と聞きました」
「六人の、王?」
「はい……大魔王が勇者に討たれ、その肉体が砕け散り……やがてそれは、天地を揺らすほどの魔力を宿した、『六つの
「宝冠……おじいさまの肉体が、
「俺は、そう聞きました。その宝冠を得て、さらなる力を得た六人の魔族が、今の魔大陸の最高権力者であり……宝冠を賭けて争い、奪い合い……今もおのおのが冠を持つ者、すなわち『魔王』であると名乗っているらしいです」
魔王、という言葉を聞いたルシアが、イスから立ち上がる。
「何が魔王だ、ふざけているわ……ただの成り上がりどもが……!」
彼女は目を見開き、ぶるぶると怒りに震えている。
その怒りに呼応して、大気もゆがんでいく。
「静まれ、ルシアよ」
そこでジンが声をかける。
ルシアはまだ怒りが冷めていないようだったが、ゆっくりと深呼吸して、またイスに腰を下ろした。
「失礼したわ……で、その六人の魔王は、今も魔大陸に?」
「それが、そのう」
「なによ、はっきり言いなさい」
ルシアがうながすと、アガメムノンはおずおずと答えた。
「あのお方、ダンタリオン様も……宝冠を所持する一人だと聞きました」
「は? あのダンタリオンが、魔王の一人?」
「あ、あくまで噂です……実際に宝冠を持っていたところは、まだ見たことありませんが」
ルシアは天井を仰いだ。
たしかにダンタリオンは強かった。
しかし魔王を名乗れる強さかと問われると、疑問が残る。
なおかつ、もしもその宝冠を持つ魔王だとしたら、人間の大陸で悪事を働く意味が分からない。
「考えても仕方ないわ。じゃあ、残る五人の魔王については?」
「はい……私も名前だけしか知りませんが」
そうして、アガメムノンは魔王たちの名を答えていく。
『血の公爵ベリアル』
『
『蒼きパイモン』
『
『
「……以上の五人とダンタリオン様を含めて、これが、今の魔大陸における六人の魔王でございます……他のハイオークたちも話していたことなので、たしかな情報だと思います」
アガメムノンが名前を挙げ終えた。
ルシアは背もたれによりかかり、ひたいに指を当てた。
「はあ……どれも高名な魔族ね。なるほど、たしかにそいつらなら、自らを魔王と
「つまり、そやつらは全員、裏切り者か」
ジンが問うと、ルシアは難しい顔をした。
「それが、
「なるほどな。しかし土壇場なれば、思わぬ本性が見えるものだ」
「ええ。もちろん、そいつらも逆らうようなら容赦はしない。存分に叩きのめすわ」
ルシアの瞳は挑戦的な光を宿している。
彼女は大魔王を目指す者だ。
その障害となる者は、誰であろうと征服対象なのである。
そして、この情報により、彼女の目標は決まった。
「ジン、私も魔大陸に戻りたい」
「大魔王ルシウスの肉体、そしてそこから生まれた宝冠を取り返したいというわけか」
「ええ」
ルシアは大きくうなずいた。
「おじいさまの肉体を、やつらの力として利用されるのは我慢ならない。宝冠を奪い返し……私の手でおじいさまを
「良かろう。俺も同じ想いだ。どんな形であれ、
ジンも眉間にしわを寄せた。
戦いとなれば手段を選ばぬ侍でも、この話には思うところがあった。
いくら力を得るためとはいえ、元々遺体であった宝冠を奪い合うなど、ひどく
「明日の朝には出発しましょう。聖騎士殺しの指名手配が広がる前に、魔大陸に行くための足を手に入れなければ」
「うむ、ならば旅に使えそうなものを漁ってくるか」
ジンは立ち上がり、屋敷から出ていった。
町の中にはオークの死体しかおらず、あとは食糧も物資も手つかずだ。
「さて、私も手伝いに行こうかしら」
ルシアも席を立ち、食堂から出ようとする。
それを見て、彼女の槍に頭を刺されたままのアガメムノンが叫ぶ。
「ま、待ってくれ! この槍を抜いてくれよぉおっ……!」
アガメムノンは手を伸ばそうとしたが、頭に槍が刺さっているため、身じろぎするだけで激痛が走る。
ルシアは食堂を出る前に、振り返った。
「あとは任せたわ……血槍のアレス」
彼女はアキレウスに向かって微笑むと、アガメムノンに目線を移した。
血で作られた槍が自然と溶ける。
アガメムノンの頭部に刺さっていた赤黒い槍が、綺麗に溶けて消えていく。
それを見届けてから、ルシアは食堂から去っていった。
「助かった、のか……?」
槍が消えて、アガメムノンを押さえつけていたものはなくなった。
食卓の上に張りついたままだった彼は、体を起こした。
それを見て、アキレウスは席から立ち上がる。
彼は素手だ。
しかし目つきは鋭く、拳を強く握りしめている。
アキレウスは自分を許していない。
自由になったアガメムノンは、それを察した。
「ア、アキレウス……なあ、ここは見逃してくれないか? 俺はもう、何もできない……人間を辞めたというのに、お前に勝てず、ダンタリオン様にも見捨てられて……俺にはもう、ちっぽけな命しかないんだ」
アガメムノンは卓上から転げ落ちた。
だが、そのまま這いつくばりながら、アキレウスに命乞いをする。
そして彼は、アキレウスの足元にすがりついた。
「頼む、殺さないでくれ……俺にはもう、何もない……何もないんだぁっ……!」
足元にすがりつくアガメムノンの後頭部を見て、アキレウスはため息を吐いた。
「もう良い」
「……え?」
「わかったから、足を離せ」
アキレウスは乱暴に足を動かし、アガメムノンの手を振りほどく。
「俺の前からさっさと消えろ。もう、顔も見たくねえんだよ」
アキレウスは背を向け、歩きだす。
食堂の出入り口へ、ゆっくりと向かっていく。
アガメムノンはそれを見て、よろりと立ち上がった。
彼の手には、食卓に散らばっていたナイフが握られている。
無言で立ち上がり、そっとナイフを構え、アガメムノンは唇をゆがめた。
やはりアキレウスは、どこまでもお人よしの愚か者だった。
そのせいで町におびき寄せられ、挙句の果てに、ここで殺されるのだ。
「……死ねえっ!!」
アガメムノンは突進し、振り返ったアキレウスの首にナイフを突き立てた。
太い血管を貫き、アキレウスの首から大量の血が噴き出る。
「ぐ、がっ……!」
「へ、へへっ……この、馬鹿があっ! そうさ、お前は俺に殺されるんだ!」
アガメムノンは笑いながら、ナイフをさらにねじ込んでいく。
真っ赤な血が流れ、アキレウスの体を染めていく。
はじめはアキレウスも苦しげな声を上げていた。
その声を聞くたびに、アガメムノンは哄笑を上げる。
「ぐふっ、ぐふふふっ、ふはははっ!! 苦しいか? 悔しいか!? アキレウスよ!」
アガメムノンは嬉々としてアキレウスに語りかける。
しかし、ある時点でアキレウスは何も言わなくなり、ゆっくりと顔を上げた。
心から
「これだから、お前とはまともに会話できねえ」
アキレウスは右手を自分の首元に持ってくる。
そして自分の首から流れた血を、腕に塗りつけた。
その直後、腕が形を変えていく。
指は鋭利な切っ先となり、手首は頑丈な刃に、そして腕は太い
アキレウスの右腕、それ自体が、真っ赤な槍に変わった。
「な、なんで……」
それを見てアガメムノンが凍りついていた。
アキレウスは何も言わず、その血の槍をアガメムノンの腹部に突き刺した。
「うぐぅあああっ!?」
腹を刺し貫かれ、アガメムノンは苦悶する。
だが、これだけで終わるはずもない。
アキレウスはそのままアガメムノンの体を持ち上げ、腕を振り上げた体勢で、屋敷前の庭園に出ていく。
腹を貫かれた状態のまま持ち上げられたアガメムノンは、アキレウスが一歩歩くたびに激痛を訴え、泣き叫ぶ。
「うぎっ、があっ、ごふっ……や、やめっ、うぐぉ……っ!!」
しかしアキレウスは何も返事せず、庭園の中央で止まった。
「この場所で良いだろう」
「なっ……なに、が……?」
わけもわからない様子のアガメムノンだったが、すぐに答えが出た。
彼はアガメムノンを貫いたまま、右腕を地面に突き刺した。
いきなり地面に叩きつけられ、アガメムノンはごぼっと血を吐いた。
アキレウスは腕を引き抜く。
するとアキレウスの右腕は元通りになり、赤々とした血槍は、アガメムノンの腹を貫いたまま残った。
「ま、さかっ、お前……!」
血槍で地面に縫いつけられたまま、アガメムノンは必死にもがく。
ずる賢い彼は、これがどういうことなのか気づいていた。
「お前は俺に復讐するために、望んでハイオークになったんだよな。そのツケを払わせるだけだ……わかるよな?」
アキレウスは鼻を鳴らし、さらに続けた。
「このまま夜明けになれば、お前の身は焼ける。他のオークよりはしぶといだろうが、いずれは焼け死ぬだろうよ」
「ま、待って……許し、許して……」
「じゃあな、アガメムノン団長」
アキレウスはそう言い残し、背を向けて歩きだす。
「待ってくれぇっ……アキレウス……アキレウス様ぁああっ!」
もはやアガメムノンは破れかぶれに泣き叫ぶ。
喉が裂けても良い、涙が枯れても良い。
もう一度だけ、アキレウスに命乞いをした。
そこでアキレウスは立ち止まる。
そして顔だけゆっくりと後ろを向いた。
地面に縫いつけられたアガメムノンの顔が、わずかに明るくなる。
「アキレウス? ……そんな男、知らねえな」
アガメムノンの顔から血の気が引く。
彼の表情から、感情が抜けていく。
「血槍のアレスだ。向こうに
今や彼は、人を超えた魔族になった。
首を裂かれても死なない、怪物だ。
ゆえにアキレウスという人間は、もうこの世にいない。
背後でアガメムノンが泣き
喉がつぶれても、何度も何度もアレスと言い換えて、叫び続ける。
しかし『アレス』が振り向くことは、二度とない。
彼の中で、アガメムノンという男はすでに死んでいるのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます