血の覚醒 : 堕天の翼、大魔王を継ぐ者ルシア
「さらばです、殿下」
ダンタリオンが腕を振り下ろす。
その動きに応じて、夜空を埋めていた無数の武器が、一斉に真下へ発射される。
ただの落下ではない。
ダンタリオンの魔力に呼応して、凄まじい勢いで直下へ襲いかかる。
「まだ死ねるかっ!」
だが、ルシアの目は絶望してなかった。
逃げ場がなくても、諦めるわけにはいかない。
ほんのわずかな、生き残る可能性をこじ開けるために、彼女は剣を構えた。
しかしその瞬間、彼女の体は、横から押し倒される。
「ぐぁあああっ……!!」
ルシアを押し倒したのはアキレウス。
彼はそのままルシアに覆いかぶさり、落下してきた武器をそのまま受けた。
彼の背中には槍が突き刺さっていた。
その穂先は彼の胴体を貫いたが、ルシアの体にはわずかに届かなかった。
「が……はっ……」
アキレウスは血を吐いた。
激痛に目を見開き、充血し、口の端から唾液の混じった鮮血が垂れる。
「な、なんで、あなたが……!」
仰向けに押し倒されたルシアは、困惑の声を上げた。
アキレウスが自分をかばうとは、まったく想像してなかった。
空を覆い尽くすほど武器が浮いたとなれば、まずは己の身を守ることを優先すると思っていた。
しかし現にアキレウスは、身を
「あ、んたに……借りを、返しただけだ……へ、へへっ」
アキレウスは笑い、血で赤く染まった歯を見せた。
「ルシア、さんよ……あんた、さ……魔族、なんだろう……?」
「……ええ」
「そう、かい……なんでも、良いけど、俺はあんたに……頼みたいんだ」
その時、ルシアの顔に、涙が落ちる。
アキレウスが、泣いていた。
「俺の分の、
「も、もうやめて! もうこれ以上……喋ったら……!」
ルシアは首を振ったが、アキレウスの手が、彼女の胸ぐらをつかんだ。
「あん、たに……賭けたいんだ……俺の分も、街のみんなの分も、頼む、よ……」
そこでアキレウスの体から力が抜ける。
ルシアの横に、彼の体が崩れ落ちる。
それを見て、ルシアは体を起こし、アキレウスの体を揺すった。
「アキレウス! 駄目、そんな……アキレウス! アキレウスッ!!」
ルシアは必死に呼びかけたが、アキレウスは目覚めない。
彼の背中には槍だけではない。
重い棍棒やガレキまでもが無数に衝突し、大小さまざまな傷を負っている。
「まさか、その人間が魔族である殿下をかばうとは……いやはや、私も長い時を生きてきましたが、こんな光景は見たことありません」
少し離れた場所で、ダンタリオンは仮面の部分に手を当てていた。
意外な出来事に、
「まあ、今回はここまでにしましょう……もしご縁があれば、また……」
ダンタリオンは軽く
「動くな」
そこで、後ろから声が聞こえる。
ダンタリオンは振り返ろうとした体の動きを止め、ゆっくりと息を吐く。
「あなたですか……老剣士」
「ああ」
「ずっと最善の隙をうかがっていた、わけですか」
ダンタリオンはため息を吐いた。
いつの間にか、背後にジンが忍び寄っていた。
ルシアと戦いながらも周囲を警戒していたダンタリオンだったが、ここでついに接近を許してしまった。
ルシアの猛攻を受けていた時も、千本を超える武器を降らせた時も。
ダンタリオンの意識は、まだ見ぬジンに対して常に
目の前にいるルシアとアキレウスよりも、ジンの方がはるかに脅威だったからだ。
「あの若者のせいですね……あの瞬間だけは、ちょっと驚いてしまいました」
ダンタリオンの警戒にすき間を空けたのは、アキレウスの行動だった。
彼が命を賭けてルシアをかばったことで、ダンタリオンが驚き、ジンの接近が成功した。
「それにしても、とんでもない我慢強さと残酷さですね。私にとって最悪のタイミングが来るまで待ち続け、彼が死んだところで距離を詰める……並の神経ではない」
仮面の内で、ダンタリオンは苦笑いを浮かべた。
ダンタリオンが正体を現したところで、ジンはその強さを感じ取ったのだろう。
まともに戦っては危険な相手だ。
ルシアや自分が同時に戦っても、勝てるかどうかわからない、と。
ならば下手な加勢はしない。
ダンタリオンの意識が緩んだ隙に、一瞬にして死の間合いを作る。
アキレウスの行動に動揺するどころか、ジンはそれすらも利用した。
勝利のために最善手を打つ、残酷な侍の本性だった。
「なんとでも言え。おぬしも、俺と同じ外道だ。わかり切っているだろう」
ジンは話しながら、そっと刀の
ちきっ……という音が鳴り、
その音を背中で聞き、ダンタリオンはつばを飲みこんだ。
まともに正面から向かい合い、魔術や能力を駆使すれば、いくらでもジンを殺せる自信はあった。
ルシアよりも格段に強いが、まず負ける心配はない。
魔大陸にも、ジンのような剣豪がいないわけではない。
そのような強力な魔族にも、ダンタリオンは勝利してきた。
しかし、今はジンに命を握られている。
背後を取られたあげく、刀の間合いになった。
動けば、斬られる。
居合に詳しくないダンタリオンですら、それを直感した。
「……ルシア」
ダンタリオンの向こう側にいるジンが、ルシアに声をかけてきた。
放心して固まっていたルシアの体が、ピクリと動いた。
「こいつは、いつでも殺せる。ほんのわずかでも下手な動きを見せた瞬間に、こいつの命は……俺が
「ジン……」
「だが、俺にもできないことがある。わかるか?」
少しの静寂の後、ルシアはその言葉の意味に、気づいた。
今のジンならば、ダンタリオンを斬れる。
逃げようとしても、攻撃しようとしても、魔力を帯びようとしても、その瞬間にジンが両断するだろう。
しかし、それでは不充分。
ダンタリオンを殺せても、ルシアは何も変わらない。
自分は、自分のままだ。
「お前はなんだ、ルシア」
ジンの声が、彼女の胸を叩く。
鼓動が速くなる。
熱を帯びる。
本当の自分は何者なのか、どうしなければならないのか、自問する。
「お前はそのままで良いのか」
「……違う」
「そやつは、お前をかばったぞ」
「……わかってる」
ゆらり、とルシアが立ち上がる。
彼女は自身の上着を破って
胸を覆う布以外、褐色の素肌がさらされる。
「お前は、敵をただ殺せば満足か」
「……違う!」
「今ここで、自分を助けた民が死ぬぞ。それを見過ごすのか」
「そんなこと……余が許すはずがないっ!!」
うつむいていた彼女が、グッと顔を上げた。
琥珀の瞳が
周囲の空気が激しく震える。
それどころか空気のみならず、大地すらひび割れ、揺り動かす。
「はぁ、あ、あああっ……ぐぐぅうあああああ!!」
天に向かって彼女は
己の
未熟な己を壊すということは、なんと越え
だが、ついに彼女は解き放った。
ただ復讐心を燃やしているだけなら、その扉は開かなかっただろう。
しかし彼女の心は根本から塗り替わった。
己は復讐者ではなく、支配者になるのだ、と。
無数の
それが彼女の本当の『第一歩』だった。
偽りも、遠慮も、迷いも、邪魔な雑念はすべて消えていた。
復讐とともに、私は覇道を進むのだ。
「余は大魔王になる者……ルシファーの
ルシアの背中の左側がふくれあがる。
内部から皮膚を突き破り、巨大な、黒い片翼が生えた。
無数の黒い羽根が、ひらひらと舞う。
かき乱れていた周囲の空気とは対照的に、優しくただよい、地に落ちていく。
「余は、ルシア。大魔王の座を、継ぐ者なり!」
ルシアは空から顔をゆっくりと戻し、前にいるダンタリオンを見つめた。
その瞳には、他を圧倒する威圧感すらある。
まるで明けの
「
ダンタリオンはがく然とした声で、首を振った。
先代の大魔王ルシウスも、あの翼を
それどころか歴代の大魔王ですら、百年単位の時間を要したと伝えられている。
ルシアのような若い時期に、堕天の翼を顕現させた大魔王はいない。
ただ一人、最古の魔王ルシファーを除いて。
「ほう……ルシファーのやつと、同じではないか」
ジンが楽しそうにつぶやく。
それを聞いたダンタリオンは、絶句した。
なぜジンがルシファーを知っているのか。
それどころか、堕天の翼すら前もって知っているかのような口ぶりだった。
「アキレウス、
黒い片翼が、そっとアキレウスの体を覆う。
翼に包まれたアキレウスが、苦しそうな声を上げた。
「がっ……は、がっ……ぁあ、がああああっ!?」
残念なことに、救うためには苦痛を伴う。
そして、ほとんど死にかけていた彼を救うには、肉体や魂すらも生まれ変わらせなければならない。
今の彼の叫びは、
「がはぁっ……あ、う……うぐ……お、俺は……?」
翼の中で、アキレウスは意識を取り戻した。
その時点でルシアは翼を戻し、アキレウスの体を解放した。
「上手くいったようね、アキレウス」
ルシアは
対するアキレウスは、何が何だかわからないという顔だ。
「あれ、俺は、あんたをかばって……いや、でも、なんで……」
「落ち着きなさい。完全に死ぬ前に、あなたを蘇らせただけ……少し手荒な方法だったけど」
そうして、ルシアはあごをしゃくる。
アキレウスは自分の胸を見ると、胸には毒々しい黒い紋様が浮かび上がっていた。
人間ではあり得ない、不気味な紋様だ。
「う、うぉおおっ!? なんじゃこりゃあ!」
「説明している暇はないわ。もう普通の人間ではないことを自覚しなさい」
「え、え?」
もうお前は、人間ではない。
それを聞いて、アキレウスはさらに目を白黒させる。
「……さて、次は」
ルシアの目が、ダンタリオンの方を向く。
「あなたを裁く番よ、反逆者ダンタリオン」
「ふ、ふふっ……なるほど……殿下もれっきとした血族でしたか」
ダンタリオンは深くうなだれた。
「ジン、と言いましたね」
「なんだ」
「あなたが私を
「ふむ、それでどうする?」
「殿下と、勝負させてください」
ダンタリオンの提案は、おおむね予想通りのものだった。
ジンに背後に張りつかれたままでは、ただルシアに処刑されるだけ。
だが、ジンが手を引けば、ルシアとダンタリオンのみで決着をつけることになる。
勝利して生き残る可能性が、わずかに広がるのだ。
「ルシア、お前さんもそれで良いか」
ジンが問うと、ルシアは「構わない」と答えた。
「どちらにせよ、あなたには下がってもらうつもりだった。ここは私一人で充分」
「そうか……ダンタリオンといったか、存分にやれい」
ジンは
ダンタリオンは大きく息を吐いた。
これで、ジンに殺されることはなくなった。
そして本を構え、魔力を練り始める。
「準備は良いかしら」
「……ええ、いつでも」
ダンタリオンの言葉を受け、ルシアは前に踏み出した。
そこでダンタリオンがページを
自身が最も得意とする幻術。
それに加えて、新たに身に着けた能力も組み合わせる。
自由自在に物体の引き寄せて、発射する術だ。
一瞬にして、ルシアの周囲にダンタリオンの姿を映した幻覚が現れる。
前後左右だけではなく、空中にもダンタリオンが何人も浮かんでいる。
そしてその幻覚はすべて、槍を握っている。
「ふうん、手が込んでいるわね」
ルシアは薄く笑った。
対するダンタリオンは、手に汗を握っている。
こちらがいくつもの幻で取り囲み、追い詰めているのだ。
明らかにこちらが有利な光景だというのに、嫌な汗が流れる。
「来なさい、伯爵」
ルシアは指を立て、来い来いと自分に向けて倒した。
「殿下、お覚悟!」
ダンタリオンの叫びとともに、全方向から槍が放たれる。
どれが本物のダンタリオンか、いくつの槍が本物の槍か、常人では何も見分けがつかない。
だが、ルシアはその場から逃げない。
彼女は体をひるがえし、黒い翼をそのまま無造作に振り回した。
暴風が吹き荒れる。
たった一回転、その場で回っただけだ。
それだけで黒い嵐が巻き起こる。
闇の魔力をまとった、大嵐だ。
もはやダンタリオンの魔力で防げるものではなく、彼が作ったあらゆる幻を、一瞬にして吹き飛ばした。
「ぐぅうううっ!?」
すべての幻が消し飛ばされ、本物のダンタリオンが判明する。
ルシアの視界の右上、宙に浮いているダンタリオンだけが、生き残った。
「そこね。もう、終わらせる」
ルシアはすぐさま反撃に移る。
かかげた腕の内側から、一本の小さな槍を生み出す。
細く、だが鋭いその槍は、ルシアの血肉から生み出された。
その槍は赤黒く、脈打っている。
闇の女王の血に染まった、
「闇に溶けろ、ロンギヌス」
その言葉とともに、槍が放たれる。
赤黒い槍はダンタリオンに届く前に、なぜか消えた。
「……え?」
槍を避けようとしていたダンタリオンは、あっけにとられた。
しかし次の瞬間、
それらはすべて、ダンタリオンを取り囲んでいる。
前後、上下、そして左右。
どこにも逃げ場のない、黒い槍の結界。
「さようなら」
開いていた指を、握りしめる。
それと同時に、すべての槍がダンタリオンに襲いかかる。
「ぐぎゃあああっ!?」
悲鳴が上がり、血しぶきが舞う。
無数の槍が空中にいたダンタリオンを
それはまるで、剣山が空中に浮いているかのごとく。
そして力尽きたのか、針ねずみのようになったダンタリオンの体が、ドサリと音を立てて地面に落下した。
敵の攻撃をすべて防ぎ、あえて似た技で逆に仕留める。
はたから見ても圧倒的な、一瞬の決着。
ついに
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます