血の覚醒 : 仮面の大悪魔、ダンタリオン

 ダンタリオン。

 それは多くの仮面を持つ者。

 老若男女問わず、さらには種族を超えて、幾千いくせんもの顔を有する。


 彼は混乱と破滅を好む。

 他人を騙し、操り、堕落させ、この世に混沌をもたらす悪意の塊。


 それが高位魔族の一人、伯爵ダンタリオンである。



「な、なんなんだ……あれは、魔族……なのか?」



 バルコニーに立つダンタリオンを、アキレウスは呆然と見上げる。

 

 彼のような普通の人間からすれば、魔族とは災害のようなものだ。

 はるか彼方かなたの魔大陸に生まれ、強力な魔力を有し、あらゆる人間の国に害をなす。

 それこそ聖騎士や勇者でなければ太刀打ちできない、規格外の生命体。



「ダンタリオン……まさかあなたが、この聖王国にいるなんて……!」



 ルシアは彼を覚えていた。

 大魔王ルシウスの居城に彼が訪れ、何度か顔を合わせたことがある。

 

 素顔の見えない、思考の読めない、不気味な魔族だった。



「あなたの目的は何? どうして聖王国に潜入して、オークを従えている!?」



 厳しい口調でルシアは問いかける。



「私も正直、驚いております」



 ダンタリオンは大きく息を吐いた。



「こんなところで殿下に再会できるとは、さすがの私も計算外でした……少し見ないうちに、ご立派になられましたな」


「質問に答えなさい! あなたはこの聖王国で、何をしている!」



 この問いに、ダンタリオンは首を振った。



「それはお答えできかねます。たとえルシア殿下といえど、お教えすることはできません」



 ダンタリオンは優しい口調で、頭を下げた。

 無数の仮面を四方八方に被っているため、その表情は読めない。

 今、正面にある『笑顔』の仮面が、彼の感情なのかわからない。


 対するルシアは、冷徹にダンタリオンを見据える。


 ルシアとダンタリオンは同族だ。

 しかし、彼女にとってはかたきの一人である。


 伯爵ダンタリオンの軍は、勇者一行と戦うことなく、行方をくらました。

 大魔王ルシウスの率いる軍の戦列に、彼は加わらなかったのだ。


 彼が戦闘を放棄したせいで、どれほどの魔族が命を失ったか数え切れない。



「そう……だったら、力ずくで吐かせてやる」



 ルシアは跳んだ。

 一足で二階の高さまで跳び、剣を振り上げる。

 

 ダンタリオンも、その跳躍には目を大きくした。



「死ね、裏切り者っ!!」


 

 ルシアの剣が、ダンタリオンの頭頂部に振り下ろされる。


 ダンタリオンは黒いローブから手を出し、刃を受け止めた。

 黒いもやを帯びた手は、傷一つ負っていない。


 高濃度の闇の魔力を帯びているのだ。

 すなわち肉体そのものが強化され、鋼鉄を超える防具となる。



「なかなかな一撃です……その辺の魔族であれば、全力で魔力をこめても両断されていたでしょう……しかし!」



 ダンタリオンは刃をつかんだ。



「残念ながら、私には通じませんよ!」



 ダンタリオンは叫び、刃をつかんだままルシアを振り回した。



「くっ!?」


 

 力任せに振り回されたあげく、ルシアは剣ごと投げ飛ばされた。

 彼女は庭園の壁に激突した。

 白い石造りの壁が、ガラガラと音を立てて崩れる。



「こ、の……不届き者が……!」



 ルシアは苦痛に顔をゆがめつつも、立ち上がる。


 常人なら死んでいる激突だった。

 しかしルシアは起き上がり、それどころか再び剣を構える。



「こ、こいつら……もしかして」



 ルシアの一連の言動、ダンタリオンとの攻防。

 それを見ていたアキレウスは、彼女もまた魔族なのだと確信する。



「仕方ありませんね……オークを利用する計画が失敗した時点で、魔大陸へ引き上げる予定でしたが……」



 まだ戦意を燃やすルシアを見て、ダンタリオンはやれやれと首を振った。


 

「暇をつぶすのも悪くない。ここで殿下と刃を交えるのも、ご一興ですな」



 ふわり、とダンタリオンの体が飛ぶ。

 そしてゆっくりと庭園に着地した。



「ただしご容赦ようしゃを。戦うとなれば、私も全力でお相手いたしますので」



 彼はそう言いながら、ローブの内から一冊の本を取り出した。



「くくっ、望むところよ……」



 ルシアは剣を構えつつ、歯を見せた。


 目の前にいるのは、仇討ちの標的。

 旅を始めて一週間程度で、こんなにも早く巡り会えた。



「おじいさまの無念、あなたの血でつぐなってもらう」



 ルシアのまとう空気がさらに冷え込む。

 

 それを見て、ダンタリオンは仮面の内側で微笑んだ。

 落ちぶれても、さすがは大魔王ルシウスの孫娘。

 あらゆる点で未熟だというのに、殺気だけは大魔王にひけをとらない。


 ルシアが突っこんでくる。

 獣のごとく跳び、一歩、二歩で距離を詰め、剣を突いてくる。


 ダンタリオンはこれをかわすが、その突きが、なぎ払いに変化する。

 横から襲いかかる刃が、ダンタリオンの首に迫る。



「おっと」



 ダンタリオンは同じように魔力で防ごうと、手をかざした。


 しかしルシアの刃は手のひらに触れる直前で止まり、代わりに片方の手で掌底しょうていを浴びせてきた。



「うっ」



 わき腹に掌底を受け、ダンタリオンの体が後ずさる。

 魔力で防御していないため、多少の衝撃は伝わる。


 さらにルシアは距離を詰め、目にも止まらぬ斬撃を続けて放つ。


 ダンタリオンもローブに魔力をまとって防御するが、上下左右に鋭い太刀が飛んでくるため、防御の薄いところを破られそうになる。



「なるほどっ……!」 



 ダンタリオンは切迫した声でつぶやいた。


 身体能力だけなら、彼女は高位魔族の中でも優秀な方だ。

 しかも戦闘に関するカンも鋭い。

 激しく攻撃しながらも、ダンタリオンの魔力の流れを読んでいる。


 怒りで我を忘れているかと思ったが、彼女はすこぶる冷静に、慎重にダンタリオンに攻めかかっている。



「ですが……いつまでも通用しませんよ」



 ダンタリオンが持っていた本が、ひとりでに開かれる。

 風など吹いてないのに、パラパラパラ……とページがめくられていく。


 ルシアはその隙を逃さず、ダンタリオンを斬り捨てた。

 ダンタリオンの肉体が、斜めからバッサリと両断された。



「……え」



 あまりのあっけなさに、ルシアは思わず面食らった。

 何らかの形で防がれると思いきや、目の前にはダンタリオンの死体がある。



「残念、それは私ではありません」



 背後から声が聞こえ、振り向く。


 しかし次の瞬間、巨大な魔力の波をぶつけられ、ルシアの体は吹き飛んだ。



「ぐあっ! ……う、く」



 吹き飛ばされたルシアは、なんとか立ち上がった。



「ほら、次はこちらですよ」



 今度は右から声が聞こえる。

 遠くにいたはずのダンタリオンが、いつの間にかそばにいた。



「っ……このぉっ!」



 剣でなぎ払い、ダンタリオンの首を狙う。

 またも刃は防がれることなく、たしかな感触とともに、ダンタリオンの首が宙を舞った。


 

「それも違いますよ」



 だが、またしてもダンタリオンは別の場所に現れる。


 ルシアはそこで、やっと落ち着きを取り戻した。

 闇雲に戦っても勝てない。

 それと同時に、あることを思い出した。



「ダンタリオンの能力……おじいさまから聞いたことが、ある……」



 ルシアは大魔王ルシウスから、教育を受けていた。

 女であったため本格的な帝王学は学べなかったが、それでも大魔王の血を引く者として、魔族に関する知識を与えられていた。



「幻を見せ、思考を操り……敵も味方もダマす、策士……」



 それを聞いて、ダンタリオンは困ったように肩をすくめる。



「なるほど……おおまかですが、こちらの手札を知っているということですか……ルシウス陛下も我々の能力を言いふらすとは、まったく困ったお方ですな」



 魔族にとって、己の能力はなるべく秘匿ひとくすべきものだ。

 武勇伝として自ら能力を喧伝けんでんする者もいるが、たいていの魔族は狡猾で、己の能力についておいそれと口外することはない。


 その点で言えば、数多の魔族を率いていた大魔王ルシウス、そして孫娘ルシアは、魔族についての情報に恵まれている。

 ルシアは多くの魔族の情報を、ルシウス本人から聞かされていたのだ。



「そうかしら? 部下のことをよく知っておくのは、王族の務めでしょう」


「一理ありますが……今やその知識、役に立ちますかな?」



 ダンタリオンは手のひらを突き出す。

 その直後、彼の手には一本の槍が握られていた。

 アキレウスが投げ込んだ、あの槍だ。



「……なっ、その能力は」



 ルシアは目を見張った。

 遠くにある物を一瞬で引き寄せる能力は、他の高位魔族の特殊能力だったはずだ。

 少なくとも、かつてのダンタリオンが使えた能力ではない。



「こんな国で放浪していた殿下は知らぬことだと思いますが、今の魔大陸はルシウス陛下がおられた時よりも、弱肉強食の世界です……私もまた、多くの同胞どうほうを喰らい、こうして人間の大陸で色々と遊べるようになったのですよ……!」



 ダンタリオンは手のひらを前に出したまま、槍を解き放った。



「くっ!?」 


 

 超高速で飛んでくる槍に対し、ルシアは首をひねってかわした。

 ほんの一瞬でも遅れていたら、顔面に風穴が空いていた。



「どんどん行きますよ。幸い、この町は武器だらけなので」



 その言葉通りに、ダンタリオンの周囲に武器が現れる。

 どれも棍棒や槍など、オークたちが持っていた武器ばかりだ。



「さあ殿下、私の新たな能力……存分にご覧ください!」

 


 嬉々としてダンタリオンが叫ぶ。


 引き寄せられた武器がルシアの方へ次々と飛んでくる。

 どれも凄まじい速さで、まばたき一つで直撃を受けてしまうほどだ。


 ルシアは息も忘れて集中し、飛来する武器を避けまくる。

 もはや連射砲のようだった。

 反撃したくても、ダンタリオンに接近する隙がない。



「なかなかやりますな。では……」


 

 次にダンタリオンは、手でくるりと円を描いた。


 ルシアは嫌な予感がして、辺りを見渡す。

 その予感は当たった。

 今度はルシアの周囲に、武器が浮いていた。



「ちっ!」



 舌打ちしたルシアは、真上に跳んだ。

 その直後、ルシアが立っていた場所に、前後左右から武器が交錯した。



「まだですよ」



 ダンタリオンはさらに、三本の槍を飛ばしてきた。

 空中に跳んで、避けることのできない瞬間を狙ってきた。



「はあああっ!」



 ルシアは空中で剣を振るい、飛んできた槍を弾き、受け流し、最後の三本目は真っ向から両断した。



「……っと、すごく厄介な、能力ね」



「いえいえ、当たらなければ意味がありません。一発くらいは当たると思いましたが……お見事です」


 

 ダンタリオンは軽く一礼した。



「正直、私は殿下を見くびっておりました。高貴な血筋ですが、戦う力はないと。少し遊んだら音を上げると思ったので、まだ遠慮していました」



 そして彼は頭を上げた。

 無数の仮面が張りついているため、なおも表情は読めない。


 しかしその内から漏れ出る殺気に、ルシアは気づいた。



「ご無礼をお許しください。そして、これで最後にいたしましょう」



 ダンタリオンは手をかざす。

 濃密な魔力が籠められた腕が、夜空に向かって突き出された。


 その魔力の波動を見て、ルシアの体が思わず震える。

 高位魔族として名を連ねるダンタリオンが、本気で魔力を練っている。

 それだけでも空気は重く、歪んでいく。


 そして彼女の視線が、ゆっくりと、上を向いた。



「……っ、やってくれる、わね」



 ルシアは首を振った。


 空が、黒かった。

 夜のせいではない。

 ありとあらゆる武器や、オークの死体すらも、空を埋め尽くして浮いている。

 一筋の月明かりすら差しこまないほどに。



「あ、ああ……」



 同じ庭園にいるアキレウスも、この光景に震えていた。

 自分の頭上を、武器が埋め尽くしている。

 逃げる場所は、どこにもない。



「さらばです、殿下」



 その言葉とともに、ダンタリオンの腕が振り下ろされた。

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