オーク退治 : 闇夜に閃く、人斬りの業
「小物かと思ったけど、しぶとさだけは一級品ね。それとも、あなたに力を授けた飼い主が優秀なのかしら」
ルシアはアガメムノンを見下ろし、挑発する。
「貴様ぁあっ……この、卑しい亜人ふぜいが、よくもこの俺様に!!」
頭から血を噴き出しながら、アガメムノンは怒鳴る。
ルシアは無言のまま、広場の中央に向かって飛ぶ。
それを見て、アガメムノンの表情から血の気が失せる。
「うおおっ!?」
いきなり跳びかかってきたルシアの剣をかわし、そのままアガメムノンは慌てて距離を取った。
それからルシアは、アキレウスを押さえつけていた二頭のオークを斬り捨てた。
アキレウスはよろめきながらも立ち上がり、オークの死体から棍棒を拾った。
「助かった……ありがとう」
「感謝するには少し早いと思うけど」
ルシアは剣を構えつつ、周囲を見渡した。
「この町にいる者すべてがオークなら、ここにいるのは氷山の一角よ」
「そう、だな」
アキレウスはつばを飲みこみ、棍棒を構えた。
広場の中心にいる二人に対し、オークの群れが包囲網を固める。
それを指揮するのはアガメムノン。
まだ彼は人間の形を保っているが、彼の瞳はすでにオークと同じく濁っていた。
「ぐふふふっ、威勢のいい登場だったが、もう万事休すだな……!」
アガメムノンは口角を上げ、黄ばんだ歯を見せた。
「お前たち二人以外に、人間はいない。ここは我らの牙城よ! そこに追い詰められた二匹の虫けらなど、踏みつぶされる他に道はないのだ!」
その言葉に同調するかのように、周りのオークたちも
「とぼけてるのか知らないけど、一人足りないんじゃない?」
アガメムノンは口に手を当て、もう片方の手で腹をかかえた。
「ぶっ、くくっ……お前が言っているのは、あの老人のことか。残念ながら、あの老人にはたらふく酒を呑ませて眠らせ、用意した家ごと燃やしてやったぞ!」
「なっ……」
アキレウスが絶句する。
「馬鹿どもめ!我らが考えなしに行動していると思っていたのか! ダークエルフと老人の実力は、そこのコリンからすでに伝達されておる。どんな強者でも、殺す方法はいくらでもあるのだからな!」
アガメムノンは東の夜空を指差す。
その先の夜空はわずかに炎の赤みが差しており、火の粉も風に舞っている。
家を丸ごと焼き払ったというのは、事実なのだろう。
「あとは貴様ら二人だけ……さあ、苦しみたくないなら抵抗をやめて……」
徐々に包囲を縮めるオークたち。
アキレウスは棍棒を構えたまま、ひどく焦った顔で前後左右を見渡す。
「ル、ルシアッ! こうなったら、なんとか俺たちだけでも……!」
アキレウスは隣のルシアに話しかけたが、ルシアは返事しない。
ジンが殺されたと知り、ショックを受けているのか。
そう思ったアキレウスは、ルシアの肩をつかんで揺さぶろうとした。
だが、その手はルシアに鋭く払われた。
「慌てるのはやめなさい。うっとうしいから」
「……は?」
平然とした様子のルシアに、アキレウスの目は点になった。
「アガメムノン、と言ったかしら」
ルシアは前方のアガメムノンに話しかける。
「あなたたちは運が良い。心から強運の持ち主だと思うわ……ふふっ」
小さく笑うルシアに、アガメムノンは眉をひそめた。
「なんだ? ついに気が触れたか」
「いいえ、すこぶる正気よ」
「では、なぜ笑う」
ルシアはそこでやっと笑うのをやめた。
「ジンが相手じゃなくて、あなたたちは本当に運が良かったわ……それと同時に、家に火を放った、その他大勢のオークたちは、ご
***
ルシアがアキレウスを助ける、数刻前にさか戻る。
「いやあ、久しぶりに良い酒にありついた。皆には感謝しなければならんな」
酒を呑み、
「いやいや、ジンさんにはとても助かりました。あなたがオークたちを退治してくれなければ、私たちは今もオークにおびえて暮らしていました」
「あなたは町の英雄ですよ。これくらい、大したもてなしじゃありません」
住民たちはジンに感謝を述べつつ、ある住居を手で示した。
「ジンさん、今夜はあの家でゆっくりおやすみください。空き家ですが今日の夕方に掃除したので、中は綺麗にしてあります」
「居間には予備の酒もありますし、風呂場も、ベッドも用意しています。しばらく好きに使っても良いので、どうかおくつろぎください」
ジンは小ぎれいな住居を見上げ、ほうほうとうなずいた。
「これはなんとも立派な家だ。本当にここで寝泊まりして良いのかな?」
「ええ、ご自由にお過ごしください。ご入り用でしたら、夫に先立たれた美人も何人か呼びつけますが……」
「かかっ! こんなじいさんに、それは過ぎたもてなしだ! まあ、せっかくだから用意された酒は一杯飲んで、今日のところは休ませてもらおうか」
ジンは上機嫌に笑ってから、ふらふらとした足どりで家の中に入っていった。
その後、住民はしばらく時間を置いて、家の奥へ耳を澄ませた。
ジンが
ふらつきながら階段を上がる音も、
倒れ込むようにベッドに入った音も、
すべてを聞き取り、住民たちはその時を待ち続けた。
そして、大きないびきが聞こえてところで、ついに彼らは動きだす。
「眠った、眠ったぞ……!」
「ぐふふ、やっとだ。一番厄介なやつが、これで終わりだ」
住民たちはニヤニヤと笑いながら、家の周囲に油を
その間も、ジンのいびきは二階から聞こえてくる。
人間に化けたオークは笑いをこらえつつ、入念に油をかけていく。
「さて、これで仕上げだ」
最後に家を出た男が、開け放った玄関に松明を投げこんだ。
その直後、ぶわっと炎が広がる。
家の中は一瞬で炎が燃え盛り、周囲に撒いた油にも引火していく。
一階が火の海になれば、ものの十数秒で二階も炎に巻きこまれる。
あっという間に延焼は拡大し、床板が焼けたせいで二階が崩れ落ち、さらに火と煙が噴出する。
間違いなく焼死した。
熱を感じる間もなく、炎が爆発的に広がったのだから。
「やつには似合いの死にざまだ。これで、
焼け落ちる住居をながめながら、ある男がつぶやいた。
コリンからの報告により、町の外で活動させていた仲間たちが、どういう風に殺されたのか知った。
ジンとルシアの強さにも驚いたが、町で待機していたオークたちにとっては、「やつらをどうやって殺すか」が重要だった。
そして発案されたのが、この焼殺計画である。
なかなか打ち解けないルシアは、コリンでも宴に引き止めることはできなかった。
無理に引き止めたら怪しまれる。
そう思ったオークたちは、ルシアも同時に焼き殺すことは諦めた。
一方、ジンはまんまと宴の輪に入って楽しんでいたため、彼らはジンだけは計画通りに殺せると確信した。
「さて、姿をくらましたダークエルフを追おう」
その場にいた住民たちのうち、最年長の男が呼びかけた。
「えっ、でも、あのダークエルフはアガメムノン様が殺すって……」
比較的若い男が、そう言った。
「万が一、逃げられたらどうする。あのダークエルフの女は大した脅威じゃないが、もしも逃げられてしまえば、今度は聖騎士団や勇者が、ここに派遣されるかもしれないんだぞ」
「そ、そうだな。すまねえ」
最年長が叱ると、若い男は謝った。
魔物であるオークにとって、聖騎士団や勇者一行はまさに天敵だ。
今は双竜帝国との戦にかかりっきりになっているが、もしも戦の情勢が変わっていれば、近いうちに派遣される可能性がある。
「あのお方のおかげで、俺たちは力を得た。だが、まだ足りない!」
最年長の男は拳を握り、それをかかげた。
「いずれはこの聖王国を
「ああ! この町から、俺たちの国が始まるんだ! 聖騎士なんぞに邪魔されてたまるかあ!」
町の住民が拳を突き上げ、
老若男女問わず、その声には濁った魔物の声色が含まれている。
「ならば急げ! まずはアガメムノン様のもとに加勢し、あのダークエルフとアキレウスを絶対に逃がっ……」
最年長の男が指示を出している途中で、その男の後頭部に矢が突き刺さった。
「に、がっ、かっ……かっ……」
男が白目を剥き、倒れる。
矢によって脳が貫かれ、ビクンビクンと
「だ、誰だ! どこからっ……ごぶっ!?」
別の男が辺りを見渡しながら叫んだところに、次の矢が喉を貫いた。
言葉通り、
三つ数える間に、さらに一本が、また三つ数える間に、次なる一本が。
次々と飛来する矢により、住民たちは
「ふむ、もう尽きてしまった。用意が足りなかったな」
ある屋根の上から、声が聞こえる。
小柄な
「ならば仕方ない、斬り込もうか」
低く、静かなジンの声。
それとともに小柄な影が屋根の上を
「ジンだ、ジンが生きていたんだ……!」
その場で生き残った数十人の住民たちに、
完璧と思われていた焼殺計画が失敗に終わった。
それだけではなく、ものの数十秒の間に十人以上の仲間が
人間の
ジンの弓術は、それほどまでに並外れていた。
「ゴッ、ゴァアアアッ! ア、アイツハ、ドゴダ? ドコニ、イルゥッ!」
「サガセッ! ミツケテ、コロセッ!!」
すぐさま住民たちがオークに変貌する。
肉体がふくれあがり、皮膚の色も変わり、凶暴な魔物の顔つきになった。
彼らは
おのおのが武器を取り、構え、宴を行っていた広場をうろつく。
「オノレッ! ドコニ、カクレタァアッ!!」
仲間を殺された怒りと、敵の姿が見えなくなった恐怖。
狂暴に吼えるオークの瞳には、その二つの感情が入り混じっていた。
そこに、油壷が次々と投げ込まれる。
バリンッバリンッと割れて、油がそこら中に飛散していく。
中には油壷が頭に直撃して、体中が油まみれになるオークもいた。
「ナッ……コレハ、マ、マズイッ……!」
そう気づいた時には、もう遅い。
どこからともなく火矢が飛んできて、広場の中央に着弾した。
瞬く間に炎が広がり、広場は灼熱地獄となった。
「ギャアァアアアッ!!」
「アツ、イッ、アツゥウウウアアアッ!?」
ある者は東に、ある者は西に。そして北や、南にも。
炎のない、真っ暗な町並みへ逃げ込んでいく。
「ハァ……ハァ……タスカッタ……」
あるオークは暗い裏路地で片膝をつき、息を整えた。
彼は轟々と燃える広場に振り返ってから、さて前に進もうと向き直った。
「やあ」
それが、そのオークが耳にした最期の言葉だった。
首だけになった彼の視界が逆さを向き、地面が近づいて、すぐに暗転した。
地面に転がったオークの首に目もくれず、ジンはまたも別の路地に入った。
「今宵の鬼ごっこ……はてさて、鬼役はどちらかな」
ジンは微笑み、闇の中を駆ける。
次々と仲間の足音が消えて、さらにはそこかしこに仲間の
自分たちは追われている。
たった一人の老人に、追いかけ回されている。
そして、見つかった者から死んでいく。
太刀を持った鬼が、やってくる。
「グギャッ!?」
ある者は、後ろから
「ゲグァアアッ……!」
ある者は腹を裂かれ、
「ヤ、ヤメッ……カヒュッ!?」
ある者はバッタリと出くわし、何かを言おうとした喉を貫かれた。
町の至る所で、断末魔が広がる。
あらゆる路地がムワッとしたオークの血の臭いで立ちこめる。
やがてどこへ逃げても、血だまりが見受けられるようになった。
どの路地に入っても、血しぶきと仲間の骸だらけだ。
「ヒ、ヒィイイイイーーーッ!!」
身も心も人間を捨てたはずのオークたちが、泣き叫ぶ。
「逃がさんぞ」
後ろから追ってくる小柄な老人の声に、彼らは
ジンの駆け足は、猟犬のように素早い。
全力で逃げても追いつかれ、振り返った時には、真っ赤な血にまみれた彼が目の前にいるのだ。
「コ、ココハ、トオサナイ……グッ!?」
「邪魔だ」
刀が
そして次の瞬間には、
このように、踏みとどまって抵抗するオークもいた。
だが、一瞬で斬殺されてしまい、足止めにすらならない。
「ソトダッ! マチノソトノ、モリニッ……」
ついには町の中で追跡を
森の中まで行けば、逃げおおせるかもしれないと信じて。
「よっと」
しかし、門にたどり着く前に、疾風のごとくジンが回りこむ。
最後の最後に、真正面からジンが立ちはだかる。
「ひい、ふう、みい……七人か」
ジンは残るオークを数え上げる。
「ウゥッ……コ、コイツッ……」
門前の広場で、七人のオークたちは立ちすくむ。
町の外まであと数メートルだというのに、はるかに遠く感じる。
目の前にいるのは老人ではなく、修羅だ。
酒に酔ったと見せかける
遠くから狙いすます弓術も、
油を用いた火攻めも、
闇に乗じた暗殺術も、
そして絶対的なまでの剣の腕も、
戦国乱世でつちかった、ありとあらゆる殺人術をそつなく使いこなし、百人以上のオークをあっという間に殺し尽くしたのだ。
「らちが明かんな……なら、これでどうだ」
ジンは刀の血を払い、
「かかってこい、オークども。俺は素手だぞ」
そして両腕を大きく広げてから、だらりと垂らした。
「ウゥ……ウワァアアアアーーッ!!」
オークたちが吼える。
目には涙を浮かべ、恐怖を押し殺すように叫ぶ。
武器を持っている者は、それを振り上げる。
素手の者は、ジンの首に目がけてつかみかかる。
七人のオークが、一斉にジンに仕掛けた。
だが、彼らは『居合』を知らなかった。
「ーーーすぅ」
その瞬間、ジンの姿が消える。
気づいた時には、彼ら七人の背後で、ジンが刀を納めていた。
「……ア?」
わけもわからぬまま、オークたちの上半身が地面にすべり落ちる。
視界が反転しながら暗転し、意識は闇に沈む。
ジンの背後で七人のオークの死体が同時に倒れる。
そこからあふれ出す
ジンは夜空を見上げた。
青白い半月が、おぼろげな月光を投げかけている。
もはや誰も騒がず、吼えず、叫ばない、静かな町になった。
焼き殺したのは二十九人。
斬り捨てたのは七十三人。
すべて合わせて、百十六人。
町民に擬態したオークの生存者は、無し。
一刻とかからぬ、おぞましい虐殺劇であった。
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