オーク退治 : 石造りの町、マテーラ

 四人が森を抜けると、岩肌が剥き出しになった谷が広がっていた。

 まだ夜のため谷底はとても暗く、巨大な湖のようだ。

  


「あれがマテーラです」



 コリン少年が指差したのは、谷の対岸だった。


 月明かりに照らされたマテーラの町は、とても幻想的だった。

 町は切り立った崖に面した山を、そのまま削り取ったような場所にある。

 家のほとんどが白い石で造られた建物で、中には石灰岩をくりぬいた洞穴どうけつのようなものまで点在している。

 まるで町全体が一つの白亜はくあの城のようだ。


 日本の戦国時代に生きてきたジンは、月光に照らされた白い石造りの町を見て、感嘆の息を吐いた。

 このような町は、日本列島のどこに行っても見れるものではない。



「ほほう、白い石の家ばかりの町か。アキレウスがけなすものだから、ずいぶんな田舎なのかと思っていたが……美しいところではないか」


「ここを訪れた旅人は決まってそう言うが、住んでいた俺からすれば、充分息苦しい田舎だぜ」



 ジンは素直に褒めたたえたが、アキレウスの表情は暗い。



「それはそうと、夜なのに町に入れるの?」



 ルシアがたずねると、コリンはうなずいた。



「はい。本当なら衛兵さんのいる門から入らなきゃダメですけど、町の子どもたちはよく抜け穴から町を出入りするんです」


「うわ、抜け穴ってまだあるのかよ」



 故郷の町を前にして尻込みしていたアキレウスが、懐かしさで思わず声が明るくなった。



「それって町の南西と北西の抜け穴か?」


「いえ、南西の抜け穴は町長さんがふさいじゃって、代わりに東の抜け穴ができました……あ、空けたのは僕じゃないですよ?」



 コリンは苦笑いした。

 どこにでも、大人の目をかいくぐる悪い子どもはいるらしい。


 それから四人は谷を下り、斜面のゆるいところを選んで登っていく。


 四人は町の北側にある谷から近づいたが、本来なら南側が町へ着く正規ルートだ。

 当然、丁寧に道が舗装ほそうされているはずもなく、町の住民が勝手に作ったであろう凸凹の崖の道を踏みしめて、なんとか登っていった。


 コリンにルシアが続き、その次にアキレウス、最後尾がジンだ。

 オークが襲撃してきても対処できるよう、ジンは後方を警戒している。



「くそ、足が痛てえ」



 急斜面を踏みしめつつ、アキレウスがうめく。

 

 ジンは後ろから見ていたが、左足の動きが異様に悪い。

 落馬で左足の腱を切った、というのは本当らしい。



「長い運動はこたえるか」


 

 ジンの言葉に、アキレウスはうなずいた。



「ああ、左足にうまく力が入らないもんだから、その分、右足がツラくなってくるんだ……ちょっとの運動なら、どっちも問題ないんだがよ……」



 たしかに力の弱い左足をかばうことで、右足に負荷がかかる。

 ジンも前世では長く歩いて旅をしていたため、似たような思いを経験したことがある。


 そこでジンは斜面の途中にあった樹木に、剣を振った。

 太い枝が切断され、ジンはそれを拾った。



「そら、杖代わりに使え。腕の力で、己の体重を支えてみろ」


「す、すまねえ」



 アキレウスは枝を受け取り、それを杖として使った。

 先ほどよりも負荷が減ったようで、斜面を上がる速度が上がった。


 こうして四人は斜面を登り切り、マテーラに着いた。

 マテーラは白い石の壁で囲まれているが、コリンの言った抜け穴があるおかげで、町に入ることができる。



「ここが北西の抜け穴です。暗いので気をつけてください」



 コリンの言う通り、抜け穴の中は真っ暗だった。

 ジンとルシアは問題なかったが、アキレウスは何度も転びそうになった。


 狭い穴を出ると、少し広い場所に出た。

 

 コリンは暗い中を手で探って、ランプの灯りをつけた。

 部屋の中が明るくなり、白い岩肌をくりぬいた小部屋だとわかった。


 部屋の中はイスやテーブルがあり、物を入れるタル、寝床用のハンモックなど、生活スペースができている。



「抜け道を出入りした人への、休憩所です。まあ、子どもしか使いませんけど」


「いやいや、子どものたまり場にしては、立派な秘密基地だな」



 ジンが褒めると、コリンは照れくさそうに笑った。

 どこの世界でも、大人にバレない秘密の部屋を作り上げるというのは、少年心をくすぐるものらしい。



「あ、そうだ、皆さんが着れそうな服はここにあります」



 コリンは部屋にあった木箱を開けて、布でできた平服や上着を取り出した。

 


「多分、この服なら怪しまれないと思います」


「そうね。私とジンは奴隷服だし、アキレウスは見たまんま傭兵くずれって感じだから、着替えないとすぐ捕まるでしょうね」


「よ、傭兵くずれ……」



 何気ないルシアの一言に、アキレウスは落ち込んだ。



「じゃあ、僕は家に帰ります。できれば、家に招きたいんですけど、家にはお父さんがいるので……」


「構わないわ。むしろここまでしてくれて感謝してる」


「いえ、そんな」


「というか、けっこう夜遅くなったけど、お父さんはあなたを探してるんじゃないの?」


「あ、それは大丈夫です。お父さんは夕方に酒を飲んで寝るんですけど、そうなったら朝まで起きないので。朝までに帰れば、今日のことは気づかれないはずです」



 それからコリンは部屋にあった扉を開けた。

 その扉が、町へと続く出入り口のようだ。

 


「朝方になったら、また迎えに来て、町長さんのところまで皆さんを案内します。それまで狭くてすみませんが……」


「気にしないで。森の中より断然快適だから」


「ありがとうございます……では、また後で」



 それから扉が閉まり、隠し部屋には三人が残った。


 

 ***



 夜明け前、コリンが隠し部屋の扉を叩こうとすると、ジンが先に扉を開けた。


 待っていたかのようなタイミングに、コリンは少し驚いた。



「おはよう、コリン君」


「お、おはようございます……ずっと起きていたんですか?」


「うむ? いや、ぐっすり眠れたぞ。なかなか良い部屋だった」


「は、はあ、それは、ありがとうございます」



 礼を述べながら、コリンはジンの顔を見る。

 ジンの目元にクマなどはなく、実に晴れやかな目覚めでした、という顔だ。

 

 コリンが不思議がるのも当然だ。


 侍たるもの、寝込みを襲われることがあってはならない。

 そのため眠っている状態でも、ジンは周囲の物音を聞き分けている。

 昨夜のルシアの寝返りの回数、アキレウスの寝言の内容も、ジンはすべて耳に拾っているのだ。

 

 今もジンはコリンの足音を聞き分け、先に扉を開けて迎え入れた。

 ただそれだけのことだが、それを知らないコリンからすれば不思議だった。


 扉から朝の光が差しこんだことで、次にルシアが目覚めた。



「ふわ……おはよう、もう朝なのね」



 ルシアは頭をかいてから、目元を指で揉んだ。

 ジンより素早くは起きなかったが、彼女もすぐに身支度を整えた。

 

 そしてアキレウスはというと、二人が起きても、まだいびきをかいている。

 見かねたルシアはアキレウスの枕元に立ち、肩をつかんで乱暴に揺すった。



「起きなさい、ほら」


「うわ、わわっ……起きた、起きたから、ちょ、ちょっと待ってくれよお」



 アキレウスは手荒く起こされたことに驚いていたが、ルシアに逆らえるはずもなく、いそいそと寝床から離れた。



「皆さん、準備は良いですか」


「うむ」


「では、町に出ます。明るくなったら、町長さんのところまでご案内します」



 コリンは部屋を出て、三人も彼に続いて出た。


 早朝のマテーラの町は、少し肌寒く、しんと静まっていた。

 朝ぼらけの空の下、白い石造りの町並みは、うす暗い青白さを帯びていた。


 

「まだ人はいないのね」


「はい。でも、誰かとすれ違っても、堂々と歩いてくれれば問題ないと思います」 



 そして四人は町の中をねり歩いた。

 歩いている間に、マテーラの町は迷路のようになっていると思い知った。

 

 前述の通り、町全体が一つの白い城郭じょうかくのようになっているのだ。

 階段、坂道は無数にあり、時には家の屋根すら、下の通りへと続く階段や小道になっている。

 

 方向感覚に優れている者でも、慣れなければ迷子になりそうな町だ。


 

「立派だが、戦いにくそうな町だ」



 ジンは少し浮かない顔だった。



「そうかしら。防御力はありそうに見えるけど」



 ルシアの言葉に、ジンは首を振った。



「たしかに町は頑丈だ。建物はすべて石造りで、火攻めをされても、半端な人数で攻められても、ビクともしないだろう」


「それじゃダメなの?」


「うむ、外からの攻撃に強くても、内はもろい。ひとたび侵入を許せば、この入り組んだ頑丈な町並みが、裏目に出る」



 オークが町に入り込んだ時のことを、ジンは想定していた。



「俺がオークを率いる頭領であれば、この町は侵入さえすれば勝ったも同然だ。隠れる場所は吐いて捨てるほどあるからな」


「……部下を潜り込ませて、住民を手当たり次第に殺せば、町の機能は完全にマヒするわね」


「うむ。あとは煮るなり焼くなり、どうとでも攻め落とせる」



 二人の話を聞いて、アキレウスの顔が引きつっていた。



「あんたら、けっこう血も涙もないことを言うんだな」


「すまんな。だが、これが事実だ」



 ジンは頭をかいた。



「……例えば昨日のようなオーク程度なら、俺やルシアなら敵ではないだろう。しかし住民を守り切れるかどうかで考えると、限度がある」


「そうね。できる限り守りたいけど……オークが大群で押し寄せたら、町を捨てて逃げてもらうようにお願いするしかなさそう」



 険しい目でルシアが述べた。



「やっぱ、そうなるか……逃げろって言うのは心苦しいんだがなあ」



 アキレウスは暗い顔でうなだれた。


 それから日が出て明るくなり、他の住民も通りに出てきた。

 仕事に出かける男、洗濯を始める女、通りで追いかけっこをし始める子どもなど、様々だった。


 住民の中には、ジンたち三人を怪訝な顔で見る者もいた。

 見た目こそ三人とも普通の旅人風だが、風貌がバラバラなせいで、奇妙に見えるのだろう。

 長い刀を持った小柄な老人、背の高いダークエルフの女(に見える魔族)、そして小汚い金髪の若者と、とにかくチグハグな三人組だ。


 それでも三人に話しかける者はおらず、そのまま町長の家に到着した。


 町長の家は、他の住民の家より豪華な屋敷だった。

 白い石造りという点は変わらないが、石の塀と鉄の門で敷地は区画され、屋敷までの道のりは花壇のある庭園になっている。


 そして門の前には、鎧を着た衛兵が二人立っていた。

 


「おお、オーリンのところの坊主じゃねえか」



 二人の衛兵のうち、人の良さそうな若い方がニカッと笑って手を振ってきた。

 笑った拍子ひょうしに、欠けた前歯が丸見えになったため、余計に親しみが増している。

 

 オーリン、というのはコリンの父親の名前らしい。

 コリンはその衛兵の方に駆け寄った。



「ジーノさん、おはようございます!」


「おう! んで、そこにいる人たちは誰だ? 見ねえ顔だなあ」



 ジーノという歯抜けの衛兵は、興味深そうな視線を向けてきた。

 またもう一人の初老の衛兵は、仏頂面を崩さず、ジンたちを少し警戒している。


 

「この人たちは、僕をオークから助けてくれたんです」



 コリンは三人の方に手を差し向け、衛兵に紹介した。

 オークに襲われるきっかけになったアキレウスの誘拐未遂は、このまま伏せてくれるらしい。



「オ、オークだって?」



 ジーノは驚きつつ、コリンの後方にいる三人に目を向けた。

 

 特に彼の視線は、先頭にいるルシアに向けられた。

 やはり聖王国の人間ということもあり、亜人の見た目をしているルシアは、異端な存在に見えるようだ。



「ルシアよ。よろしく」


「ジンだ」


「その……アキレウス、だ」



 三人が名乗ると、衛兵ジーノは、コリンと三人を交互に見比べた。

 コリンが何か弱みを握られて、この三人に捕まったのかと思っているらしい。


 コリンもジーノの視線の意図に気づき、首を振った。



「この人たちは悪い人たちじゃありません。この人たちがいなければ、僕はオークに殺されてました」


「そ、そうか……で、どうしてこの屋敷に?」



 ジーノの問いに、アキレウスが横から割って入って答えた。



「オークの群れが、この町の近くに来ているんだ! 他の村も町も、とんでもない被害になっている! だから町長に相談したかったんだ!」



 せっぱ詰まったアキレウスの剣幕に、ジーノはたじろいだ。


 その次にルシアが口を開いた。



「私たちを不審がるのは構わない。けど、この町がオークによって荒らされるのはマズいでしょう。そこで、私たちは警告しに来たの」



 冷静に話すルシアに、ジーノは何かに納得したような顔になった。


 それからジーノは隣の衛兵と小声で話し合い、三人の方に向き直った。



「やっぱり、そういうことか」


「え?」



 アキレウスが目を白黒させる。


 その直後、ジーノはズボンのポケットから笛を取り出し、大きく吹き鳴らした。

 甲高い音が町中に響き、それとともに、屋敷の中から衛兵が一斉に出てきた。



「手配書の通りだ! コリン、こっちに来い! こいつらにダマされるな!」


「えっ、ま、待って……」



 ジーノは血相を変えてコリンの手を引っ張り、もう一人の衛兵も槍を構えた。


 手配書、と聞いて、ジンとルシアが顔色を変える。

 都からかなり離れた町だというのに、聖騎士殺しの指名手配が、もう出回っていたのか。

 そうとなれば、ここで捕まるわけにはいかない。


 しかしジーノは二人ではなく、その後ろにいたアキレウスに鋭い視線をぶつけた。



「何がアキレウスだ……お前がオークたちの頭領、血槍ちやりのアレスだな!」

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