オーク退治 : 森にひそむ怪物たち

 ルシアは暗い森の中を早足で歩き、木立こだちを出て、水浴びのできる川に着いた。

 それなりに大きな川で、向こう岸では山々が連なっている。

 山の上には月が浮かび、どこか神秘的な景色だった。

 


「まったく、私をあんなに子ども扱いするなんて……!」



 だが、ルシアは景色を気にしていなかった。

 ジンにからかわれたことを、彼女はいまだに気にしていたのだ。


 ルシアは半ばやけくそな手つきで服を脱ぐと、ザブザブと水音を立てて、川の深い場所まで入っていく。

 いつもなら水の冷たさに慣れるまでそっと入るところだったが、今のルシアはそんなことを気にすることなく、すぐに首まで浸かった。



「おじいさまだって、私を絶世の美女だっていつも言ってくれたのに」



 水に浸かりながら、ルシアはため息を吐いた。


 魔大陸でもルシアはうるわしい姫君として名をせ、幼い頃から求婚相手には事欠かなかった。

 親代わりだった祖父、大魔王ルシウスが縁組えんぐみに関して悩みながら調整を重ねていたようだが、少なくとも『相手が現れない』という悩みとは無縁だった。


 なおルシウスが勇者に討たれた後は放浪生活を余儀よぎなくされ、その後でダークエルフと勘違いされて聖騎士団に捕まり、縁組どころの話ではなくなった。

 

 だが、剣闘奴隷として闘技場に売られた後も、ルシアの容貌ようぼうは人を惹きつけた。

 銀髪のショートボブにつややかな褐色の肌、宝石のような琥珀こはくの瞳に、凛とした目鼻立ち、そしてネコ科の動物のようにスラリとしたスタイル。

 天使信仰の影響か、聖王国の民は亜人というものに一定の忌避感を抱いているが、彼女の容貌と強さを称え、憧れる者たちは多かった。

 


「なのに、あの男と来たら、私のことを小娘みたいに……!」



 ルシアはそれが悔しくてたまらなかった。

 美女として見られたいわけではないが、かといって、ああまで小娘扱いされてあしらわれてしまうのは、女としてのプライドが傷つく。


 いっそのこと、ふとした拍子に体を寄せてみようか。

 思いのほか、ジンの慌てふためく姿を見れるかもしれない。


 そんなことが脳裏によぎったところで、ルシアは慌てて首を振った。



「っ……違う違う! あんな老人にどう見られたって、私には関係ない!」



 ルシアは一瞬前の自分の考えをふり払い、ザブッと頭まで浸かった。

 そろそろ髪を洗いたかったのもあるが、まずは自分の頭を冷やしたかった。


 それからルシアは髪を洗い、体の汗や泥を落とし、身を清めた。


 さすがに寒くなってきたので、あまり長居はせずに川から上がることにした。

 水辺に戻ると、身を清めながら水洗いしておいた服を絞り、何度か振って水気を飛ばした。



「少し寒いけど、代えの服もないし……仕方ないか」



 まだ湿っている服を着るしかないため、ルシアは濡れた奴隷服にそでを通した。


 その時、遠くで甲高い悲鳴のようなものが聞こえた。

 声の高さからして、ジンではない。

 そもそも悲鳴が聞こえた方角は、焚き火のある方角とは全然違う。



「……見てこようかしら」



 ルシアは服を着ると長剣をつかみ、悲鳴のした方向へ走り出した。


 悲鳴の大きさ、声質の明瞭さからして、距離はそこまで遠くない。

 走れば、すぐに悲鳴を上げた者のところへ出るだろう。


 ルシアはうっそうと茂る森を駆け抜けていく。

 一分ほど走ったところで、遠くに人影が見えた。



「若い男と、子ども?」



 魔族であるルシアは、人間よりもはるかに夜目が利く。

 今の彼女の視界には、少年の口を手でふさいでいる金髪の男の姿が映った。


 少年は必死にもがいているが、男もまた鬼気迫る形相で、少年を叫ばせないように押さえつけている。


 ルシアはそれを見て、自然と剣を抜いた。

 事情はわからないが、子どもに危害を加えているなら、ろくな人間ではない。


 そのまま無言で草むらから飛び出し、跳躍ちょうやくしながら男に剣を振り下ろす。 



「えっ……うわわっ!?」



 だが、男は間一髪でルシアの剣をかわした。

 意外にも反応が良く、身のこなしも軽やかだ。


 それでもルシアには充分だった。

 男はかわした勢いで少年から離れ、代わりにルシアが少年の目の前に立った。



「怪我はない?」



 ルシアがたずねると、少年は緊張した顔でうなずいた。

 助けてくれたことに感謝しているようだが、ダークエルフの見た目をしているルシアには戸惑いを隠せていない。

 


「だ、ダークエルフッ!? なんでまた、こんな森に……まさか、これもあいつの仕業なのか?」



 若い男も同じく驚いていたが、妙なことを口走った。

 


「どうでも良いけど、あなた、どうやら山賊のようね。こんな子どもを連れ去ろうとするなんて、本当に卑劣ね」


「ま、待ってくれ! 俺は山賊なんかじゃなくて、えっとその、」



 両手のひらを見せて首を振る男だったが、ルシアは眉ひとつ動かさない。

 男は壊れかけの鎧を着け、腰には手斧を下げている。

 短く刈り揃えた金髪も、がっしりとした顔も、泥や汗で汚れきっている。

 


「その薄汚い見た目で、山賊じゃないですって? 冗談もほどほどにしなさい」


「いや、本当なんだって! なんなら、そういうあんただって、きったねえ奴隷の服じゃねえか!」



 男が言い返すと、ルシアの顔が途端にひきつった。



「……ふふ、山賊ふぜいまで、私の見た目にケチをつけるなんてね」



 暗い笑顔を浮かべ、ルシアは剣を構える。



「どいつもこいつも、私を小娘だの、汚いだの……まったく、これだから人間の男ってやつは……」



 その男とは関係のない怒りも増幅させながら、ルシアは男と距離を詰める。


 若い男も手斧を構えたが、指が震えて上手く力が入らない。

 目の前のルシアからただよう殺気や威圧感に、押しつぶれそうになっている。


 ルシアもまた、巨大な魔物や巨人を軽々と殺してきた剣士である。

 並の人間が立ち向かうには、相手が悪すぎた。

 


「覚悟は良いかしら? あなたの首を役人に届ければ、少しは旅の資金になるでしょうし」

 

「まま、待ってくれよ、とても綺麗なお嬢様、俺はな……」


……ですって……?」



 男は機嫌を取ろうとしたようだが、言葉選びが致命的だった。

 お嬢ちゃん、とジンに呼ばれ続けて、彼女は悔しい想いをしたばかりだ。


 さらにルシアは冷たい殺気をふくらませ、剣を振り下ろそうとした。



「グルルゥウウ……ッ」



 その時、うなり声が聞こえた。

 

 ルシアは男から距離を取り、うなり声が聞こえてきた草むらへ剣を構えた。

 しかし、うなり声の数は一つではなかった。



「グアゥゥッ……!」


「ガルルッ、グルルルゥ……!」



 いつの間にか、獣のようなうなり声が周囲から聞こえていた。

 数も多く、完全に囲まれている状態だ。



「君は、木のそばで伏せていなさい」



 ルシアは剣を構えつつも、後ろにいる少年の肩を優しく叩いた。

 少年は怖がっていたが、素直にうなずいて、木の下で丸くなった。



「く、くそおっ……どうせこうなるとわかっているなら、さっさと逃げれば良かった……!」



 若い男も泣きそうな顔をしていたが、草むらに向かって手斧を構えているあたり、戦意はまだ残っているようだ。


 ルシアは男の発言に引っかかったが、今は特に何も言わず剣を構えた。



「さて、どこから来るかしら」



 ルシアがそうつぶやいた直後、彼女の後ろの草むらが揺れた。

 気づいて振り返った瞬間、人型の影が飛びかかってきた。



「しゅうっ!」


 

 ルシアの長剣が人型の生物を切り裂く。

 宙を飛んでいたそれは、鋭い刃によって切断され、ドサリと地面に落ちた。


 その死体を確認した彼女は、目を丸くした。



「なっ、これは……オーク?」



 オーク。

 それは心も体も邪悪に染まった、人間や亜人のなれの果て。

 とがった耳につぶれた鼻、ぎょろりとした目つきに鋭い牙。

 武骨で荒々しい棍棒や斧を握り、その武器には血の痕がこびりついている。

 非常に凶悪で残忍な、人型の魔物である。

 

 ルシアのような魔族とは違い、オークは知性に劣り、自我も薄い怪物だ。

 そのため、魔大陸ではよく高位魔族の私兵として飼われている。


 ゆえに、人間の大陸で生きていけるはずがない。

 人間が飼い慣らすはずもなく、ましてやこの聖王国ならば、亜人以上に容赦なく討伐される汚れた存在なのだ。



「どうしてオークが、聖王国の領土に?」



 さすがのルシアも驚き、一瞬だけ隙ができた。

 

 その時、別の草むらから小さなオークが飛び出してきた。

 今度はルシアを標的とせず、木のそばで丸くなっている少年に噛みつこうとした。



「しまっ……」



 ルシアは急いで体を切り返そうとしたが、それよりも早く、飛んできた手斧がオークの頭に突き刺さった。


 振り返ると、あの若い男が投げ終わった体勢になっていた。

 男はとっさに手斧を投げて、少年を救ったのだ。



「ダークエルフのあんた、もう俺は戦えねえ! すみで引っこんでるから、俺のことも守ってくれよな!」



 そして男は木のそばに飛びこみ、少年とともに丸まった。



「ちっ、仕方ないわね……来なさい! オークどもっ!」



 ルシアは男と少年を守るような位置に立ち、剣を構えた。


 その声に挑発の意志を感じたのか、続々とオークが草むらから出てくる。

 数はおよそ七匹、体格はバラバラだが、強力な個体はいない。


 オークの群れは敵がルシアだけだと判断して、一斉に襲いかかってきた。


 

「すぅ……りゃあああああっ!!」



 息を吸い、一気に吐き出しながら剣を振るう。

 鋭い打ち下ろしで一匹の頭蓋を叩き斬り、もう一匹を胴斬りで仕留める。

 さらには二連続で剣を振るい、二匹のオークの頸動脈から血が噴き出る。



「ギャアウッ!」



 五匹目のオークが斧を振り下ろしてきたが、ルシアはそれを剣で受け止めた。 


 だが、残った二匹のオークが二手に分かれ、男と少年のもとに迫る。

 獣とは違い、オークは悪知恵が働くのだ。


 ルシアは歯噛みしたが、斧を受け止めている状況では助けにいけない。


 

「ひぃいい! 来たあっ!」


 

 迫りくるオークに対し、男が情けない悲鳴を上げる。

 そして少年はあまりの恐怖に、丸まりながら固まっていた。


 その時、まったく別の方向から、小さい影が飛び出した。

 

 ルシアが気づいた時、その影は刀を抜き終えていた。

 そして二匹のオークの首は、すでに仲良く宙を舞っていた。



「ジン!」


「待たせたな。ほら、あとはそいつだけだぞ」



 助けに来たジンは、ルシアとつばぜり合いしているオークを指差す。



「言われなくても!」



 オークのみぞおちに対して、ルシアは膝蹴りを浴びせた。

 オークが腹を押さえて離れた瞬間、ルシアの剣が喉を切り裂いた。


 オークは血が噴き出す喉を押さえ、口をもごもごとさせてから、ゆっくりと地面に倒れた。


 

「はぁ……はぁ……」



 ルシアは少し息が切れていた。

 たいした疲労はないが、誰かを守りながら戦うというのは、意外にも神経をすり減らすものだった。



「もう、遅いのよ」


「すまんな。悲鳴で目が覚めてから、ここまで時間がかかった」



 今回ばかりはジンも申し訳なさそうにしていたが、焚き火の地点からの距離を考えると、わずか二、三分の差で到着したジンの足も相当なものだ。



「っと、それよりも……」



 ルシアは剣を納め、オークの死体をまたいで越えて、うずくまっている男のそばでしゃがんだ。


 男は助かった安堵からか、泣き笑いのような顔をしていた。

 しかしルシアはそんなことを気にせず、男の胸ぐらをつかんだ。



「さっき、妙なことを言ったわね」


「な、なんのことだよ」


「どうせこうなる、とか……あいつの仕業、とか……」



 とっさに口走ったことを指摘され、男は口ごもる。



「話しなさい。あなたは何者で、この子を捕まえて何をしたかったのか。そして、この森で何が起こっているのか……すべてを話すのよ」



 ルシアとジンが、男に厳しい視線を向ける。

 二人の剣士の鋭い視線は、その男の心を完全に折ったようだ。



「わかった、わかったよ……話すと長くなるけど、ちゃんと話すよお……!」



 そうして若い男はべそをかきながら、語り始めた。

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