第2章~堕天の翼~
幕間 聖騎士団長、そして勇者アーク
聖王国の北西、双竜帝国との国境沿いの平原には、両国の軍が
空は
アヴィニョン平原。
二つの大国の国境地帯であり、その印として大河が北から南へ流れている。
この大河より北西が双竜帝国、南東が聖王国である。
河を挟んで両軍が
お互いに一万を超える軍隊であり、激突すれば数千人の死傷者が出るだろう。
だが、彼らは
「戦況はいまだ優勢である! 卑劣な王国の犬どもを踏みつぶし、我らが双竜帝国に栄光をもたらすべし!」
大将の叫びに応じ、帝国兵たちは拳を突き上げて叫ぶ。
双竜帝国の軍は様々な貴族の軍で成り立っている。
鎧の色、武器の形はバラバラで、それどころか人種や種族を問わず、とにかく実力のある者を組みこんでいる混成軍だ。
「ついに我らの反撃の時が来た。我が領土を踏みにじろうとする双竜帝国の悪鬼どもを滅ぼし、聖王国の民たちを
対する聖王国側の大将も、兵たちを
聖王国の軍は装備が一律になっており、帝国と比べたら整然とした印象を持つ。
当然、エルフやドワーフといった亜人が上官にいるはずもなく、主力である聖騎士団を中心に、厳格に組織されている軍隊だ。
また王国軍は援軍が昨日合流し、兵数が互角になったことで士気が高まっている。
だが、彼らの士気が上がっているのは、他に理由がある。
「恐れるな! 我らには英雄がいる! 天使様に祝福されし、救国の英雄が!」
王国軍の大将である
「我らには勇者様がいる! 大天使の化身、悪しき大魔王を滅ぼした神の子、勇者アーク様がいるのだ!」
勇者という言葉とともに、王国兵の熱は一気に高まった。
彼らにとって勇者は世界最高の英雄であり、人間の世界における宝である。
その勇者がいるなら、自分たちが負ける道理はない。
勝利は常に、聖なる我らの手にあるのだ、と。
そして王国軍の中央が割れ、馬に乗った一団がそこを通って最前列へ進む。
「勇者様ぁあっ!」
「あなた様がいれば、我らは負けません!」
「我らをお導きください!」
「勝利を!勝利をお与えください!」
中央をゆっくりと進む騎馬隊の先頭には、黒髪の若者。
歳は二十の手前、体つきは引き締まっており、目つきは穏やかだ。
一見するとどこにでもいるような、純朴そうな美青年だ。
しかし彼が身に着ける白銀の鎧、青い宝石の首飾り、そして背中に背負う深紅の剣を見れば、彼の正体は誰でもわかる。
偉大な
「皆の者、よく聞いてくれ」
そこで勇者が馬を止め、振り返り、王国兵を一望する。
「僕と皆は、友だ。聖王国の民のために、平和を求める人々のために、ともに力を合わせる戦友だ。僕たちは弱き人々の剣となり、盾となる……君たちもまた、素晴らしい英雄、勇者なんだ!」
「お、俺たちも、勇者……?」
ある若い王国兵が戸惑うような声をあげた。
それを聞いた勇者アークは馬を下りると、若い兵士に近づき、手を握った。
顔の前で手を握られた兵士は、勇者に間近で見つめられ、思わず胸が高鳴る。
「そうだ、君も一人の勇者なんだ。だから勇気をもって、邪悪な者たちに立ち向かってほしい。君の力で、誤った敵の道を正してほしい」
「あ、ああ……なんと、なんと勇者様……!」
「君ならできるよ。僕は信じている」
それからアークは微笑み、手を離す。
王国兵は
勇者アークは再び馬に乗り、深紅の剣を高々とかかげた。
「天使様も僕らを見守ってくれている! さあ、英雄として……戦うんだ!!」
その号令とともに、王国兵の目の色が変わる。
胸の奥底から熱が高まり、腕に力が入り、自然と雄叫びを上げる。
最高潮まで士気が高まった軍を見て、大将セバスティアンがうなずく。
今こそ、開戦にふさわしい。
「全軍、進めいっ!!
セバスティアンの進軍命令が下る。
王国軍が前進し、アヴィニョン平原の河に迫る。
「迎え撃て! 王国軍に河を渡らせるな!!」
双竜帝国の将軍エイリヒも号令を下し、帝国軍も前進する。
河を挟んでの戦いとなると、河を渡りきるか、渡らせないかの攻防になる。
水の中であれば進軍するスピードが落ちる。
そのため攻める王国軍にとっては、渡りきるまでどうやって敵の攻撃をしのぐかが焦点となる。
無論、守る帝国軍も焦点は同じ。
王国軍には聖騎士、勇者と、並の人間を超越した存在がゴロゴロいる。
河を越えられてしまえば、好き放題にされるのは明らかだ。
ならば河を渡りきる前に一斉射撃をしかけ、大損害を与えるべき。
「弓部隊、やつらを射殺せ! 一兵たりとも河を渡らせるな!」
エイリヒの命のままに、帝国の弓部隊が矢を放ち続ける。
弓部隊の中には、エルフの腕利きが何十人もいる。
彼らは特に正確無比な射撃を行い、王国軍に対して矢の雨を降らせる。
勇猛果敢な王国兵といえど、矢にさらされることで次々と命を失う。
河には王国兵の死体が増え、
「矢にひるむな! 我らには勇者様がいる! そして、第三聖騎士団の加護がある! 勝利は目前だぁあ!!」
最前線でセバスティアンが叫ぶ。
彼は年老いた貴族だが、戦場では勇ましい姿を見せる傑物だ。
矢の雨にさらされてもなお、王国兵は止まらない。
彼らは無謀なのではなく、れっきとした勝算があった。
そこで王国軍の中団、青い耳飾りを付けた聖騎士たちが祈りを唱える。
『天上の
祈りが終わると、その先頭にいた聖騎士が、馬上で剣をかかげる。
ゆるくパーマのかかった髪の小柄な青年で、
彼に続いて、後続の聖騎士たちも剣をかかげる。
「忠実なる地上のしもべを、あなた様の優しき風で守りたまえ……ラファエル様」
その小柄な聖騎士が剣を振り下ろすと、突如、風向きが変わった。
王国軍をさえぎるように吹いていた北風が、あっという間に反対側へ、帝国軍に向かって吹き荒れた。
「な、なんだぁっ!? いきなり矢の勢いが……!」
真逆の南風になったことで、帝国軍の矢が目に見えて飛ばなくなる。
激しい向かい風の中では、矢は使い物にならない。
特に並の人間の力で放つ矢など、風の影響を受けて一気に減衰してしまう。
「ソロネ団長の加護だ! 大天使ラファエル様のお恵みだ!」
「我らは守られている! このまま押し込めぇえっ!」
王国兵が目を輝かせ、河の水をかき分けて突き進む。
すべての矢を防ぐわけではないが、祝福による風の守りが発動された今、彼らを
癒しの大天使ラファエルに祝福された聖騎士、第三聖騎士団。
聖王国の『守り』と『癒し』の要であり、戦場へ進む王国兵の命を救う。
弓部隊が向かい風に苦戦しているのを見て、将軍エイリヒは次の指示を飛ばす。
「もう良い、いたずらに矢を撃つな! 重装歩兵! 河沿いをふさぎ、やつらをなぎ倒せ!」
エイリヒの指示に従い、屈強な鎧を着けた部隊が進んでいく。
全員が巨漢で、右手には大槍、左手には盾を持っている。
彼らも双竜帝国の主力の一つ、重装歩兵隊である。
重装歩兵が河沿いに並び、王国軍に立ちはだかる。
果敢に攻める王国兵だったが、彼らの武器ではなすすべなく、槍の
やはり軍事大国である双竜帝国の層は厚い。
著名な将がいない部隊ですら重装歩兵は大活躍し、力の差を見せつけていく。
どの戦場でも、双竜帝国の軍では重装歩兵が所属しており、種族を問わず『力』のある帝国兵はこの重装を許されている。
だが、聖王国の『力』も負けてはいない。
「ふん、うっとうしい矢が来なければこっちのものだ! 者ども、
そう叫んだのは右翼側の聖騎士団。
深紅の耳飾りを着けた屈強な騎士たちが、馬に鞭を入れる。
軍馬はいななき、河の水をかき分け、ひた走る。
「
強引に右側から突撃した聖騎士団の先頭、豊かにひげをたくわえた大男が、火柱のような剣を振り下ろした。
その瞬間、大地に炎が駆け
「うわっ……」
ある重装歩兵はその言葉を最期に、バラバラに吹き飛んだ。
他の帝国兵も無事ではない。
剣を振った先にいた帝国兵はすべて、
「ケルビム団長に続けえ! 邪悪な帝国を焼き払えっ!!」
「裁きを与える時だ! 我らの剣にはウリエル様がついておる!」
突撃した聖騎士団だけでなく、一般の王国兵も怒号を上げ、重装歩兵に群がる。
重装歩兵の槍に返り討ちにされる者もいたが、さらに激しく、まるで炎のように攻めかかり、重装歩兵を一人また一人と殺していく。
固い双竜帝国の守りを崩した、圧倒的な力の使い手たち。
裁きの大天使ウリエルに祝福された聖騎士、第二聖騎士団。
聖王国にて『
「ちっ……
本陣の丘にいるエイリヒは河沿いの戦況を見て、舌打ちした。
戦力的には負けていないが、敵には強力な将が多い。
特に第二、第三聖騎士団の団長、ケルビムとソロネは、聖王国でも五本指に入る名将だ。
この二人のどちらかが別行動しているなら、つけ入る隙はまだあった。
だが、こうして『攻め』と『守り』で両者が揃ってしまうと、今ここにいる帝国軍の
「一度退くぞ! セヴェンヌ城まで……っ!?」
将軍エイリヒが叫んだところで、本陣を衛兵が倒れた。
本陣を守る優秀な
倒れた衛兵のそばには、頬に返り血を浴びた黒髪の若者がいた。
味方を勇気づけた時とは違い、残酷で暗い目つきをしている。
「貴様、聖王国の……その黒髪、白銀の鎧、まさか……勇者かっ!」
エイリヒは槍を取り、構えた。
四十を超えた男とはいえ、彼も少年の頃から槍で鳴らした
もちろん近衛兵も彼を守るようにして槍を構え、勇者アークを半円に囲むようにして立ちはだかる。
戦乱激しい北の大地を統一した双竜帝国、その精鋭の戦士たちだ。
「まさか単騎でここまで潜入してくるとは恐れ入った。しかし、いくら英雄といえど無茶が過ぎるのではないか?」
エイリヒは首を振って笑ったが、アークと目が合った瞬間、背筋が凍った。
アークは特に何もしていない。
エイリヒが震えたのは、若者が持つにはあまりに異常な、冷たい瞳だったからだ。
人を人とも思っていない、冷たく、
怪物、魔族を等しく斬り殺し、魔大陸を荒らし尽くした狂戦士。
聖王国で称えられた英雄は、誰よりも無慈悲な神の子なのだ。
「あなたが双竜帝国の将軍だね」
勇者アークが深紅の剣を構える。
構えた途端、彼の瞳の冷たさに反比例して、周囲の空気が熱を帯びる。
「者ども、かかれえっ!!」
エイリヒの命とともに、近衛兵たちが同時に槍を突き出す。
「邪魔だよ」
アークが剣を振った瞬間、細い、深紅の糸が放たれる。
その深紅の糸はアークの周囲、円形上に広がり、近衛兵たちを通過していく。
「え、熱っ……あれ…れっ……?」
ある近衛兵の視界が、ぐるりと反転する。
なぜか視界が前のめりになり、そのまま反転して、地面から空を見上げた。
そして少し遅れて、彼の下半身が、音を立てて倒れた。
他の衛兵たちも同じだった。
切断された上半身が、勢いそのままに地面に倒れ、残された下半身がわずかに遅れて崩れ落ちる。
「な、なんという……こんなこと、あっては、あってはならぬ……!」
とっさに深紅の『斬撃』に反応したエイリヒは身を
その分、彼はその無残な光景を目にしてしまう。
自分の息子のように手塩にかけた精鋭たちが、まるで打ち捨てられた人形のように、一瞬で綺麗に体を切断されて死んでいるのだ。
「行くよ」
その一声とともに、アークが接近する。
軽々と死体を飛び越しながら、剣を振り上げる。
「う、ぉおおおああっ!!」
エイリヒは涙を浮かべながら、
空中で身動きできないアークの心臓に目がけて、槍を突き出す。
鋼鉄の盾を三つ同時に貫く、エイリヒ
だが、槍の穂先が鎧に触れた途端、穂先が砕け散った。
「なっ……!」
エイリヒの目が見開かれる。
天使の祝福を受けた鎧が、通常よりも頑丈なことは知っていた。
しかしアークの身に着ける白銀の鎧は、そもそも傷をつけることすら許されていない
それは神のごとき者、の名を持つ大天使の祝福。
あらゆる不浄を消し去る大天使の
輝きの大天使ミカエルの鎧であった。
「じゃあね」
勇者アークの深紅の剣が、一閃。
双竜帝国の将軍エイリヒの首が、ボトリと落ちた。
だが、血はほとんど噴き出さない。
首の断面が、大天使ウリエルの超高熱で焼きただれていたからだ。
「首はもらうよ、異教徒のおじさん。勝利を示すために使うから」
アークは首を拾い上げ、本陣を出た。
その後、大将首が獲られたことで、双竜帝国の軍は敗走した。
多くの帝国兵は、第二聖騎士団の激しい追撃で殺された。
しかし他の主要な部隊長は、命からがらセヴェンヌ城まで逃げきった。
山上の要塞に籠もられてしまえば、さすがの第二聖騎士団も簡単には落とせない。
団長ケルビムは全滅できなかったことを悔しがったが、同じく団長のソロネにたしなめられ、しぶしぶと
こうしてアヴィニョン平原での戦いは、聖王国の勝利に終わった。
ジンとルシアが竜に乗って都から逃げた頃、このように二大国家の戦いが、大陸の各所で繰り広げられていた。
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