第1章~旅の始まり~

出会い : 闘技場のダークエルフ

「決まったぁああ! ルシアの刃がトロルの首を一閃!」



 実況の男の興奮した声が、抜けるような青空の下で響き渡る。


 それとほとんど同時に、首から血を噴き出したトロルがよろめき、地面に沈んだ。

 

 ずぅうん、と巨体が倒れたことで、闘技場がわずかに揺れたような気がした。



「勝者、黒風くろかぜのルシア!」



 審判の宣言の後に、満員の観衆から盛大な拍手と歓声が巻き起こる。



「……ふん」



 だが、闘技場の中心に立つ彼女は、観衆に手を振るわけでもなく、来賓席らいひんせきへ一礼するわけでもない。


 つやのある褐色の肌に、黒い鎧の上からでもわかる、猫のようなしなやかな体。そしてその華奢きゃしゃな体に似つかわしくない、血塗られた長剣。

 月光を束ねたような銀髪は短くボブカットされ、長くとがった耳が出ている。

 前髪の奥にある瞳は、珍しい琥珀こはく色に輝いている。


 そして、その美しい見た目には似合わない、奴隷の首輪が付いている。


 以上の外見から、ダークエルフの剣闘奴隷だとわかる。

 ダークエルフとは、この聖王国では迫害される亜人族の一種だ。


 そんな彼女だが、この闘技場の中では人気者である。


 黒風くろかぜのルシア、それが彼女の異名だ。


 剣闘奴隷もあくまで奴隷だ。しかし労働奴隷や性奴隷などとは違い、彼女のように強さを賞賛される立場になることもできる。


 彼女も、闘技場の関係者や観衆から、一目置かれている。


 ゆえに不遜ふそんな態度で鼻を鳴らしても、それを咎める者はいない。

 むしろ彼女のそういった勝気な態度が、人気に火をつける一因になっている。


 ルシアは剣を振って血を払い、入場口のほうへ去っていった。


 闘技場に残ったのは、首から血を流したトロルの死体だけ。

 それも後から片付けられ、また別の剣闘奴隷が、凄惨な戦いに身を投じていく。



 ***


 

「ご苦労さん、ルシアよ」



 そう声をかけたのは、闘技場の胴元、ドミニクだった。

 スキンヘッドの頭に顔の切り傷、火傷、そして筋骨隆々な体。


 多くの修羅場を乗り越えた元冒険者でありながら、裏稼業にも精通している男だ。



「今日も見事だったよ、だが、少しは手加減しても良いんじゃねえか?」



 ドミニクは笑いながら話しているように見えて、目の奥は笑っていない。



「手加減、とは」



 ルシアは素知らぬ顔で首をかしげた。


 そんな彼女を見て、ドミニクも笑顔の仮面を解いた。



「そのままの意味だ。おめえがここに来て三年、今やおめえは金のなる木だ。おめえが出る日はいつも超満員……いつしかこの闘技場の小さな『英雄』になっている」


「ならば充分でしょう。英雄らしく、勝利しているのだから」


「おい、亜人ふぜいが図に乗るなよ」



 ルシアが言い返すと、ドミニクは彼女のあごを指で持ち上げた。



「おめえが面白い試合をするかどうかに、観客の熱は左右されるんだ。負けて死ぬのは論外だが、無傷の勝利が続き過ぎても、観客は飽きちまう。圧倒的な勝利も悪くないが、自分はあくまで看板商品なんだってことを覚えておくんだな!」



 そう吐き捨ててから、ドミニクは大股歩きで去っていった。



「まー、気にすんな、ルシア嬢」



 ドミニクと入れ替わりに現れたのは、アントニオという中年の剣闘奴隷だ。


 体格の良い、髭もじゃの男で、明るく陽気な性格だ。奴隷の仲間うちでも好かれており、近寄りがたいルシアにも、彼だけは遠慮なく話しかける。

 なお、このアントニオは酒場で酔った際に喧嘩を起こし、貴族を含む四人を死傷させたことから、奴隷身分に落とされた。



「ドミニクの旦那も、あんたを高く買っているんだ。正直、あんたがいなければ闘技場の活気は今一つだ。そんな中で、どうにかあんたの価値を下げたくないだけの、けなげな男なのさ」



 そんなアントニオの言葉に対し、ルシアは返事をする代わりに、つまらなさそうにため息を吐くだけだった。


 アントニオはやれやれと首を振ってから、闘技場のほうへ目を向けた。


 すでに次の試合が行われている。


 戦っているのは巨大な獣型の魔物と、粗末な剣を持った人間の男たち。


 人間のほうは様々な人種が入り混じっており、手足が欠損している者もいる。



「ありゃあ、双竜帝国の軍の捕虜だな。治癒師に最低限の治療をしてもらってから、この闘技場で強い魔物と戦わせて公開処刑……我らが聖王国も、やってることはえげつねえ」



 アントニオが語る合間に、すでに二人の男が魔物の爪に引き裂かれ、食い殺されている。

 魔物が仲間を食っている隙に、残る男たちは剣を必死に突き立てるが、魔物はまったく傷つかず、むしろ怒りをたぎらせて襲いかかってくる。


 そして、あっという間に五人の捕虜がすべて八つ裂きにされた。

 元は兵士だった彼らも勇敢に戦ったが、結果、闘技場側が用意した魔物のエサになった。



「これで昨日の七人も含めると、十二人目だ。捕虜が増えたってことは、戦が有利に進んでいるってことなんだろう」



 そう語るアントニオは苦笑いを浮かべている。

 彼も凄惨な戦いに身を置く剣闘奴隷だが、彼自身は血なまぐさいことを嫌う、常識的な一面を残している。



「どうやら、勇者アーク様が戦に加勢してくれたって噂は本当らしいな」



 勇者。それは聖なる天使から祝福された、人間界の英雄。


 西の果てにある魔大陸へと進軍し、聖王国の聖騎士団とともに、大魔王を討ち果たした、生ける伝説の戦士だ。


 その時、ルシアの目が険しくなる。

 普段は感情を見せない彼女の目に、珍しく力がこもった。


 しかし、アントニオはそれに気づかなかった。



「そういや、ルシア嬢もどっかの戦争捕虜でここまで来たクチだったか? やっぱ、ああいう処刑試合は見ていて気分の良いもんではねえよな」


「……さあね。あいつらは、私と関係ない」



 ルシアはそう言い残し、闘技場の待機所のほうへ歩いていった。


 しかし彼女の拳は、ひそかに強く握られていた。

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