出会い : 林崎甚助とルシファー

 元和げんな三年(1621年)二月、夕刻。


 出羽でわの国、林崎明神はやしざきみょうじんがまつられた神社の境内。


 そこにはおびただしい数の死体が転がっていた。

 十や二十では利かず、まさにむくろの山、血の海と言う表現が適している。


 死体はすべて男で、薄汚れた着物と壊れかけの鎧を身に着け、かたわらには刀や槍が転がっている。


 つまり、野武士だ。

 どこにも居場所のない、野良犬のような落ち武者たちを指す。


 豊臣が滅び、徳川家康による幕府が開かれ、ついに戦国の世が終わった。


 武士の世が終わったわけではないが、戦国の終焉しゅうえんは多くの武士の「働き場所」であった戦場を失わせ、彼ら野武士を一斉に世に放った。


 そのような野武士たちの軍勢が、どうして神社の境内でしかばねとなっているのか。


 理由は明確だ。


 境内の中央には、一人の老人が立っていた。


 まげは解け、白い長髪が顔の前に垂れている。背は小さく、体も太くないため、痩せた老婆ろうばかと見間違うほどだ。


 しかし、その長髪から覗く目は鷹のように鋭く、しわの刻まれた顔に老いた弱弱しさはない。

 多くの修羅場をくぐり抜けた、武芸者の厳しさがにじみ出ていた。


 そして彼の手には、血にまみれた一振りの刀がある。


 彼こそがむくろの山を築いた張本人。


 ーーー居合の始祖、林崎甚助はやしざきじんすけである。



「俺も老いたな。しかも、死に際をこうも汚されるとは」



 甚助はやれやれと首を振り、自分のわき腹に視線を落とした。



「くそ、これは深いな」



 右のわき腹には穴が空いている。とうとうと真っ赤な血が流れ、手で押さえても止まる気配がない。


 野武士が繰り出した槍をかわしきれず、わき腹に受けたのだ。

 返す刀で喉元を切り裂いてやったものの、槍で貫かれた傷は深く、今も甚助の命を刻一刻と削っている。


 甚助は首を回し、自分の後ろにある社の入口を見た。



「すまねえな、明神様。あなたの家を、血で汚してしまった」



 そうつぶやく甚助の目には、深い悲しみがあった。


 死ぬのは怖くない。なぜなら初めから甚助はここで死ぬつもりだったのだ。

 すでに諸国を回り、多くの剣客と技を磨き、最後の地として故郷へ戻ってきた。


 もう思い残すことはない。

 ここで座禅を組み、食事もとらず、ひっそりと衰弱して息を引き取る。

 そうなるはずであった。


 だが、彼の人生の最期は野武士によって邪魔された。

 

 この境内を己の死に場所とする。

 

 そう覚悟した甚助のことを、どこからか聞きつけてきたのだろう。

 野武士たちは甚助の足跡をたどり、まさに死ぬ寸前まで弱っていた甚助に襲いかかった。


 たしかに、これまで多くの野武士を斬ってきた。

 特に豊臣が滅んでから、野武士は各地で旅人や村を襲った。


 当然、甚助の身の回りでも頻繫に出没したため、現れるたびに返り討ちにした。


 彼らはまさに戦国時代という夢に追いすがる亡霊だ。

 剣一つ、槍一つで己の名を上げて出世できる。

 救いがたいことに、今でもそう思っていたのだろう。


 その結果、夢の行き場を失ったことで、林崎甚助という剣豪にせめて一矢報いてやろうと思ったのだ。



「おい、まだ生きているぞ! 殺せ!」


「あいつだ! みんな、やられちまってる!」



 境内へ至る石段の下のほうから、野武士たちが上がってきた。


 どうやらまだ仲間がいたようだ。

 石段を上り切った野武士たちは全部で八人。

 この惨状には驚いたようだが、戦意は失っておらず、仲間の仇を討とうと目を血走らせている。



「行くぞ、あのじじいを八つ裂きにしてしまえ!」

 


 先頭の野武士が怒鳴り、一斉に襲いかかってくる。


 さすがに限界か。


 甚助は死を予感したが、彼はごく自然と刀を構える。


 死ぬなら最期まで前のめりに。

 命果てるまで剣を振るう。


 それでこそ、侍。

 すでに覚悟は決まっている。



「返り討ちにしてやる」



 先頭の野武士に向かって刀を振ろうとした瞬間、甚助の視界は光に包まれた。



「うっ!?」



 突然、まばゆい光に襲われたことで、さすがの甚助も顔をそむけた。


 野武士が火薬を隠し持っていたのか。


 甚助はそう思ったが、それなら野武士たちも無事では済まないはずだ。



「……はっ?どういう、ことだ?」



 やっと視力が戻って、目を開けると、そこに野武士たちの姿はなかった。


 死んでいる、ということではない。

 煙のように綺麗さっぱりと消えていたのだ。


 それどころではない。


 後ろに振り返ると、境内の至るところに転がっていた野武士たちの死体も、すべて消え去っていた。


 それどころか境内の中央を貫く石畳にも、血の痕すらないのだ。


 七十年以上も生きてきたが、ここまで驚き、不思議に思ったことはない。


 あの激しい戦いは現実……のはずだ。


 どれだけ老いてほうけていたとしても、あの斬り合いは現実に起こっており、自分は必死に刀を振るって抵抗していた。


 その証拠に、わき腹の傷も残っている。



 『どうだ、驚いたかな』



 真後ろから声が聞こえた。


 甚助は素早く体を切り返し、背後に現れた何かを斬った。


 しかし、手ごたえはなかった。後ろには社しかなく、顔を左右に振っても、声をかけてきた存在は影も形もない。


 

『そう殺気立つな。ハヤシザキ、ジンスケ』



 またも後ろから声が聞こえた。


 今度は刀を振らず、静かに体を反転させ、振り向いた。


 そこに立っていたのは、輝くような白銀の髪に、琥珀色の瞳、そして褐色の肌をさらけ出した、裸の美丈夫びじょうふだった。


 だが、それよりも目を引くのは、その男の銀髪から伸びた一対の角と、背中に広がる黒い片翼だ。


 明らかに人間ではない姿をした男に、甚助は身構えた。



「南蛮の黒奴くろやっこ、いや、もののけか?」



 戦国時代の日本人は、黒人や有色人種のことを『黒奴くろやっこ』と呼んでいた。


 日本各地を旅していた甚助も、一度や二度は黒人を見たことがあったため、目の前の男もそうだと思った。


 しかしいくら南蛮人でも、翼を生やすはずがない。



『なるほど、肝も据わっている。余の姿を見ても恐れおののくわけでも、媚びへつらうわけでもない。素晴らしい資質を持っている』


「何をわけのわからぬことを! 問いに答えろ。お前は何者で、どうしてこんな不思議なことが起こった」


『そう急かすな……と言いたいところだが、たしかに余にも時間が残されていない。手短に、しっかり話すから、落ち着いて聞いてくれ』



 男はゴホンと咳払いしてから、自己紹介を始めた。



『余はルシファーという。この日ノ本で生まれた生き物ではなく、遠く離れた別の世界で、魔族を従える王であった』


「るしふあ? 魔族?」


『……まあ、余の名に関してはその発音で良い。魔族とは、そなたの世界でいう、妖怪や亡霊などのことだ。そして余は、その魔族の住む大陸を初めて統一した男だ』


「つまり、徳川どののようなことをしたわけか』



 甚助がそう言うと、ルシファーはうなずいた。



『その徳川家康という男は人間の統治者らしいが、つまり余もそういうものだ』


「ふむ」



 甚助は合点がいったが、まだまだ疑問は尽きない。



「で、その魔族の王がなんの用だ。どういう目的でここへ現れた?」


『順を追って話す。まずは、これを見てくれ』



 ルシファーは手のひらを掲げて、そこから光り輝く煙を出した。

 

 煙は空へ逃げず、どんどんとルシファーの手のひらの上で形作られ、やがて一枚の布のように薄く広がった。


 そしてその煙の幕に、なめらかに動く絵のようなものが映し出された。



「なんだ、これは」


『難しく考える必要はない。余の力で、お前に再現映像を見せているだけだ。よく動く絵巻物えまきものだと思えば良い』


「絵巻物か」



 甚助に理解してもらえたところで、ルシファーは映像を進めた。


 まず映像には、ルシファーに少し似た、銀髪赤目のいかつい大男が映った。



『映っている男が見えるか。こいつが余の子孫、ルシウスだ』


「子孫……」


『うむ。ルシウスも、余と同じく魔族を率いる王として君臨していたが、少し前に人間の勇者に殺されてしまった』


「人が魔族を殺せるのか」


『並の人間では殺せないさ。しかし人間の中にも強力な力を持つ者がおり、その内の一人である勇者アークが、当代の大魔王であったルシウスを討ったのだ』



 映像が変わり、今度は剣を持った黒髪の若者が現れた。顔立ちは整っているが、瞳は暗く、無慈悲な雰囲気が感じ取れる。


 場所は広々とした石造りの広間で、西洋風の建築物の内部だろう。


 その広間の中央に、両者が対峙たいじしている。


 これが、大魔王ルシウスと勇者アークの戦いの一場面らしい。



『見てみろ。これが我らの世界で起こった頂点の戦いだ』



 ルシファーが言った途端、煙の中にいる両者が一気に距離を詰める。


 ルシウスは真っ赤な炎を吐きながら、どこからか生み出した巨大な槍を振り回す。

 さすが魔族の大将ということなのか、大木のような大槍を軽々と扱う姿は、甚助から見ても正真正銘の怪物だった。


 対するアークも炎を剣で斬り裂き、大魔王の大槍を華麗に受け流す。

 下手な受け方をすれば一撃で剣がへし折れるはずだが、アークの技量は凄まじく、まるで柳の枝のごとく槍の猛攻をしのぎ、時たま鋭い太刀を繰り出す。


 剣と槍の応酬もさることながら、超常の現象も立て続けに起こる。


 大魔王は炎を吐き、さらには赤い雷を降らせる。

 雷が落ちた石畳は赤々と焼けただれているため、当たれば死は免れないだろう。


 勇者も白い雷を剣にまとわせ、嵐のような連続斬りを浴びせてくる。

 大魔王はそれらの太刀をかわすが、その度に周囲の壁や柱が一瞬で溶け、切断されていく。


 あまりに次元の違う攻防を見て、甚助も思わずつばを飲みこんだ。


 両者の実力は伯仲している。


 決着まで時間がかかるかと思いきや、その時、大魔王ルシウスの背後から黒い刃が飛んできて、彼の背中に突き刺さった。


 一瞬、大魔王の動きが止まる。


 その一瞬の隙は、達人どうしの戦いでは生死を分ける。


 勇者の剣が、大魔王の胴体を切り裂いた。

 大柄で屈強な大魔王の肉体が、ローブ付きの鎧ごと切断された。


 そこで映像は終わり、ただの煙になって霧散した。



『これが、我が子孫ルシウスと勇者アークの戦いだ』


「……おい、最後に飛んできた刃物はなんだ? あれがなければ、勝負はわからなかったぞ」


『ごもっともだ。あれはルシウスを憎んでいた魔族の部下による横槍だ。お前の世界で言うところの、謀反むほん主殺しゅごろしというものだ』



 そう語るルシファーの表情は苦く、ふつふつとした怒りも感じられる。



『どんなに栄えた者もいずれ滅びる。ルシウスと勇者がまっとうに戦い、勝負が決したのであれば、余も口出しする気はなかった。人間と魔族で善悪や文化の行き違いはあれど、そこをいくら論じても答えはないからな』


「だが、この決着は納得がいかない……と?」


『その通りだ。勇者アークとその仲間たちはルシウスを殺した後、魔大陸を荒らすだけ荒らしてから、聖王国へ凱旋がいせんした。そして勇者が居なくなってから、荒れた魔大陸の実権を握ったのは、ルシウスを裏切った高位魔族たちだ……!』



 なおもルシファーの話は止まらない。



『しかもよりによって、やつら高位魔族たちはルシウスの一人娘、ルシアの行方を捜索しておる! もちろん忠誠心ではない。自分がルシアと結婚することで、新たな魔王として名乗りを上げようとな!』



 ルシファーの語気がだんだんと荒くなってきた。初めこそ威厳があったものの、今は子孫の末路にいきどおりを覚える、一人の父親の顔になっていた。 



「ずいぶんと人間臭い話だ。戦国の世とたいして変わらぬ」



 甚助がそう思うのも当然だ。


 甚助は戦国中期から後期にかけて生きてきた侍だ。

 戦国大名の部下として働くことはなかったが、各地の武将たちが手を結び、かと思えば裏切り、裏切られ、やがて滅んでいくという話は、腐るほど耳にしていた。


 ルシウスが討たれてから部下がのさばり始めたという話も、亡き主君の子を囲って権力を得るという話も、武家どうしの争いによく似ている。



「それで、お前はどうしてここへ?」


『簡単なことだ。お前には、ルシアの伴侶はんりょとなってもらいたい』


「……は?」



 甚助は目を丸くした。



「どういうことだ、その、つまり」


『お前を別世界に連れていく。転移したら、まずはルシアを探し、あの子の身を保護しろ。では、転移を始めるぞ』



 雑な説明で終わらせようとしたルシファーに、甚助は食ってかかる。



「待て待て待て! るしふあ、お前は何を言っている⁉ 俺がその、るしあ、とかいう娘と伴侶になるという意味がわからないぞ!」


『ええい、これだけ説明したら察しろ! あの恩知らずの高位魔族に比べたら、お前のような不器用な侍のほうがよっぽどマシだ! お前が妻も持たずに剣に没頭していたことも余は知っているぞ!』


「なっ……妻をめとらなかったのは関係ないだろう! 俺はこの社で死ぬつもりだったのだ! それをどうして、お前の子孫の子守りをしなければならない!」


『俺が残った賊たちを始末し、死体まで片付けてやったのだ! ほら、ついでに腹の傷も治してやったぞ! 見返りとしてそれくらいやってくれても良いではないか!』



 腹の傷を見てみると、みるみるうちに傷口がふさがり、出血も止まった。


 それはそれで驚いた甚助だったが、まだ納得がいってなかった。



「だからと言って、右も左もわからぬ地でどうしろと? お前のやってくれたことは感謝するが、頼んでいることは滅茶苦茶だ!」


『何も難しいことは言っていない! お前は今まで通りに剣を振り、その上でルシアを守ってくれれば良いだけだ。もちろん勇者や高位魔族も斬り殺せば、もっと素晴らしいがな!』


「あんな怪物と戦えと? 冗談はいい加減にしろ!」


『それに関しては心配ない! この星、この時代をざっと見渡したが、その中でお前は最適な人材だ! あの世界に着いたら、お前の力はさらに花開く!』


 

 ルシファーはそう言ってから手を合わせ、甚助には聞き取れない声で、ぶつぶつと文言を唱え始めた。


 すると徐々に甚助の体が光を帯び、足が地面から離れて浮き上がる。



「おい、待て……っ」



 甚助は身をよじって抵抗しようとする。

 だが、ルシファーが発動した魔術は、魔力に無知な甚助に解けるものではなかった。



『では、達者でな。余の頼み、叶えてくれ』



 ルシファーがそう言い残したところで、甚助の視界は再び光に包まれた。

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